ちょっとブレイク、頭の整理(6月27日)
伊藤睦月です。ここで、2054様との議論の中で、補足します。拡散型の議論展開で、恐縮です。
1 岡田英弘説は、663年時点では、倭国=大和王朝説(通説)を採用している。
(1)但し、当時の全国統一の時期を、天智天皇の正式即位後670年ごろに、華僑と原住民が協働して、統一し、「日本」という国号に改めた、としている。
(2)この見解は、隋書倭国伝の裴世清の来倭記事などの分析から導き出されたもの。
(3)統一前は、倭国=大和王朝は、近畿を中心とする王国であって、全国各地の華僑王国と連合体を組んでいた状態。
(4)岡田説では、史書にもとづき、出来事の経過を記しているのみで、それ以上はなにも語られていない。(以上「日本史の誕生から、伊藤要約)
2 (482)で2054さんが、提示された小林恵子「白村江の戦いと壬申の乱」については、小林説が提示した、根拠史料については次のように考えます。
(1)旧唐書:一次資料として検証の必要を認めます。(すでに表明)
(2)新唐書:中国正史であり、一次資料として、私もすでに引用して論じています。
(3)百済本紀:三国史記の百済編。三国史記は12世紀ごろの成立で、史料的価値は、(1)、(2)と比較して低いですが、朝鮮半島初の正史なので、参考にはします。(小林氏はあげていないが、「日本書紀」も同様」)
(4)通鑑:「資治通鑑」(司馬光著)のことかと思われます。これも名著ですが、史実の多くを旧唐書から採用しており(これは守谷君の指摘です。感謝)、史料的価値は低いです。
(5)元亀:「冊府元亀」のことです。これについては、11世紀に編纂された類書(資料集)。二次史料集なので、史料的価値は低いです。
(6)なお、冊府元亀、太平御覧など類書は、学者からほとんど言及されていませんが、彼らがそれらを読まなかったわけではなく、一次史料にたどり着くまでのインデックスとして活用されていた(いる)、そして一次史料が見つかれば、それをあげればよいので、自然と類書への言及は、なくなっていったと思います。
(7)伊藤睦月です。小林氏が提示した根拠のうち、まともに検証すべきは、
(1)、(2)の旧新唐書と、参考として、三国史記、日本書紀、のみで、他の本は、たぶんまともな学者は(裏で参考にはしていても)論拠としてあげないと思います。
いわゆる「にぎやかし」というやつで、あの本にも書かれている、この本にも出てる、といいたいだけの、素人だまし、といってもよいかと考えます。
(8)伊藤睦月です。2054さんが、(473)であげられた、小林恵子の引用文は、その前提として、タシヒリコ王朝=山背倭王朝説を前提としており、(これも小林ファンタジーです)この説の正否を論ずるだけの材料をもっておりませんので、保留といたしますが、正直いいまして、あまり説得力を感じません(すみません)
(9)伊藤睦月です。2054さんあg、(493)で引用された、小林恵子・井沢元彦の対談を読んでいますと、どうやらこのお二人は、
(ア)邪馬台国九州説
(イ)邪馬台国東遷説
を前提とされているようです。それならば、東倭、とか、高句麗東川王とか、冊府元亀とか、持ち出す前に、上記(ア)、(イ)を十分論証しないと、二人の立論は、できの悪いファンタジーの域を超えないと思います。
(以上、伊藤睦月筆)