ちょっとブレイク、頭の整理。(続き)
伊藤睦月です。私のミスで、分割になってしまった。すみません。
1 通説(学者、ほとんどの作家、歴史愛好家の大多数)
(1)倭(広義の倭)=大和王朝(日本に改名前)
663年(白村江の戦い)の時点では、大和王朝による全国統一が完成していた。(4~5世紀ごろが有力)
※九州王朝が逆に全国統一した、という通説内少数説(神武東征)あり。
※白村江では、「倭・百済連合軍」とされる。
(2)副島説(少数説)
①663年の時点 倭(広義)=山門(やまと)国(=大和王朝)+倭国(狭義:九州王朝)
➁663年の敗戦後、実際に渡海した、倭国(狭義)が、消滅。山門国は後方支援のみで、唐・新羅連合軍とは戦わないまま、撤退。旧倭国領域を山門国が自然併合のかたちとなる。
➂その後、国号を「日本」と改称。
(3)伊藤説(私だけの超少数説)
①663年の時点 倭(広義)=大和王朝+旧倭国(=九州王朝)
※旧倭国は、648年に、倭国と唐帝国との連絡が途絶えたことにより、事実上消滅(百済亡命王子余豊璋=藤原鎌足が、旧倭国を支配)
➁663年白村江は、唐軍(新羅軍はほとんど参加していない)と旧百済(余豊璋)が、旧倭国兵を動員して戦い、全滅。
➂665年、郭務棕の旧倭国占領終了後、親新羅派の大海人皇子(もしくは高市皇子)に引き渡され、倭(大和王朝)領となる。
④倭(大和王朝)は国号を「日本」とした。
伊藤睦月です。私の理解で整理しました。あしからず。
(以上、伊藤睦月筆)