【510】いくつかの仮説メモ(2):私の方法論(少し気負いすぎかも・・・):時代区分論

伊藤 投稿日:2024/12/06 10:16

伊藤睦月です。私の属国日本史論、の時代区分について、生煮えですが、書き留めます。今後必要あれば、適宜修正していきます。

(1)テーマ名「属国日本2000年記(仮称)」

①範囲:おおむね、ADゼロ年(漢委倭国王)から、2001年(アメリカ帝国「終わりの始まり」)まで

(2)この2000年間を、「世界史の誕生」(1206年ジンギスカンの即位)以前と以後にわける。

(3)「世界史の誕生」以前

①「地域覇権」の時代。

・60年かその倍数単位で年代を区切って、歴史を語る。(60年周期で歴史は繰り返す説:副島)

・東アジア、オリエント、インド

・オリエントから、地中海、ペルシャ、が派生

・地域覇権間の緩衝地帯としての「中央アジア」

・日本古代史は「東アジア世界」のなかで、語られる。(中国から見えている日本列島、という視点)

・九州王朝説(古田武彦)の採用

  ・倭の五王と「書紀の5王」別人

  ・「邪馬台国東遷説」と「騎馬民族征服説」はセットの話。

  ・九州王朝は「東」ではなくて、「北」に向かった。

  ・「神武東征」は、よくある「建国神話・創業者伝説、古代版「プロジェクトX」だ。

②中国正史に現れた「倭国」は九州王朝のこと。

 ・「旧唐書倭国伝」は「九州王朝」のこと。

 ・「旧唐書日本伝」から「ヤマト王朝」が中国のカ  ウンターパートとして、認知される。

 ・日本書紀記載の対中国的に「不都合な事実」は、ほとんど、「九州王朝」がやらかしたこと。

・それでもそういう記事を採用したのは、あくまでも、「九州王朝」の正統な後継は「ヤマト王朝」である、ということを、国内向けに宣伝するために、日本書紀は書かれたのであって、中国向きではなかった。

 ・タシリヒコは「用明天皇」(新唐書日本伝に明  記)

 ・「聖徳太子」は、「仏教かぶれのプリンス」という意味、九州にも大和にもこの種の流行に敏感な、ぶっとんだ、おにいさんは存在した、というだけのこと。(現在でもいますよね)

③「古事記」は平安時代初期の偽書だが、書紀未収録のエピソード(冊府元亀みたいな)や「ファンタジー」集として使われた。太安万侶を持ち上げるために。

④「日本書紀」は、ネイティブ漢文だが、遣唐使の時代、中国には伝わっていない。

⑤中国から、「日本国号」の使用許可はとれたが「天皇号」はとれなかった(申請すらできなかった)

⑥天皇号の使用を認められたのは、北宋になってから。

⑦「日本書紀」は、国内向けのプロバガンダ文書

⑧日本書紀は、あくまでも「ヤマト王朝」の歴史書。

それに、「九州王朝」の歴史を組み込んで作った。

・古事記は、太安万侶の子孫たちの、日本書紀講義のあんちょことして、作成された。(公式講義録は「弘仁私記」)

 

 伊藤睦月です。いろいろ書き散らしたが、私の考えの骨格を示したつもりです。適宜バージョンアップしていきます。今まで、書き散らかしてきたのは、本文に対する、注釈やコラムに相当するものだと、思います。当面書き散らしが続きますが、そのうち、熟度が高まれば、本文編もかけるのではと思います。

今まで、個別テーマで論文を書いてきた研究者が、全体を見通した、教科書、通読書、を書くようなものかな。これじゃ、私の方が、よほど中二病、じゃん。

以上、伊藤睦月筆