【505】景初四年は偽の年号(【409】への返信:その3):この問題は、政治的な意味でややこしい。

伊藤 投稿日:2024/12/01 08:19

 伊藤睦月です。2054さん、ち密な投稿、ありがとうございます。励みになります。ややこしくなるので、正確な引用の指摘は避け、簡便に私見を述べます。

(1)「三角縁神獣鏡」の取り扱いについては、1920年代から考古学上の議論になっていますが、日本歴史学会では、いわゆる「邪馬台国論争」(畿内説か九州説)に絡んで、沼にはまってきた。

(2)1920年代の日本人考古学者は、「魏鏡説」を主張し、1970年代までには、定説化して、「畿内説」の有力な根拠の一つとされてきた。「九州説」にたつ、東大系の考古学者のなかには、疑義を挟む者もいたが、学会主流にはならなかった。

(3)1970年代に入ると状況が変化する。日中国交正常化に伴い、中国本土の考古学者と交流が始まると、彼らは、「魏鏡説」を全否定した。三角縁神獣鏡は、中国国内の主要な遺跡からは、1枚も出土しておらず、日本に渡来した、長江周辺の職人が、日本国内で製造したもの。だから、魏志倭人伝で、卑弥呼にプレゼントされた「銅鏡50枚」ではない。このことは、中国の学会では定説になっていること。

(4)年号についても、改元のあったことを知らない、中国人職人が、たまたま作ったのが残ったのだろう。中国では1枚も見つからず、日本で大量に見つかっているのは、その証左である、と。

(5)この中国からの「援軍」は、「九州説」論者を勢い付けたが、反論も多く、学会内では、決着がつかず、2011年代に、箸墓古墳の、考古学的分析(炭素14年代測定法)による出現年代の判明などで、一応「畿内説」に決まりかけたが、2020年代に同じ考古学者からの有力な反論もあって、事態は「沼」化している。

(6)以上を踏まえて、福永伸哉(大阪大学教授)は、この「三角縁神獣鏡」の取り扱いについは、次のようにまとめている。

(引用開始)

(この三角縁神獣鏡は、国内で)現在約600枚の出土が確認されており、このうち、四分の三が中国鏡、四分の一がそれを模倣して列島内で制作された鏡とみるのが有力な説であるが、製作地をめぐっては、全てを列島製、全てを中国製と考える説もある。

(引用終わり:福永伸哉『三角縁神獣鏡とヤマト政権の形成』設楽博己(東京大学名誉教授)編日本史の現在1考古)

 伊藤睦月です。このまとめ、いかにも「日本的」でしょう?この『日本史の現在』シリーズは山川高校日本史教科書レベルの論点の学会での最新(2023年現在)現状と展望をまとめたもので、便利です。

 伊藤睦月です。小林恵子氏のように、年号問題を正面から取り上げているものはないように思います。『晋書』については、日本史学会の学者たちは知らなかったわけでなく、台与の再朝貢の記事のみに注目し、「銅鏡問題」は魏志倭人伝を議論の対象にしてきた、と考えられます。

 いずれにしても、この問題は、文献学ではなく、考古学の領域であり、これについては、「国内鏡」で決着がつきそうな印象ですが、副島先生が示唆されているように、政治的に阻む動きもあるようで、また、そもそも、同じ文献学といっても、「日本史学会」と「東洋史学会」とでは、見方が微妙に違っているようなので、注意が必要です。

 なお、「邪馬台国東遷説」「騎馬民族征服説」も絡んできますが、話がややこしくなるので、これについては、別に論じます。

以上、伊藤睦月筆