「サヨナラ」ダケの「ダケ」の部分は、訳詩者・井伏鱒二の創作に該当します。

かたせ2号 投稿日:2024/07/02 11:48

伊藤睦月さん。ご返信ありがとうございます。

ワタシはこの詩の「だけ」と言い切るところが、最近は特に気に入っていますが、
この部分は、井伏鱒二の創作に該当します。漢詩原文では、そこまでは言い切っていません。

漢詩原文 「勧酒」(于武陵)
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

和訳(直訳)
君に この金色の大きな杯を勧める
なみなみと注いだこの酒 遠慮はしないでくれ
花が咲くと 雨が降ったり風が吹いたりするものだ
人生に 別離はつきものだよ

    
井伏鱒二の訳
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

かたせ2号です。
以下はワタシなりの解釈と感想。

長生きすればするほど、友達と仲良く最後まで終われる確率は、確実に低くなる。
そんなのを痛感するとき、
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
とつぶやきたくもなります。

それは、それで淋しいことではありますが、
おそらく、こんなつぶやきが、
確実に遠からず訪れるであろう「死」への準備にもなっていると考えると、
こんなつぶやきであっても、悪いことだけではないかもしれません。

Memento Mori.

(補足)
生ぜしもひとりなり 死するもひとりなり

こんなコトバを残したのは一遍さんですが、
そんな一遍さんを、戦後1955年に、主著「南無阿弥陀仏」で掘り起こした民藝運動の柳宗悦(やなぎ・むねよし)は、立派だなあと思います。

https://www.iwanami.co.jp/book/b246181.html
主著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)の紹介
(引用開始)
南無阿弥陀仏という六字の名号が意味するものを説き明かしつつ,浄土思想=他力道を民藝美学の基盤として把え直した書.なかでも,日本における浄土思想の系譜を法然―親鸞―一遍とたどり,一遍上人をその到達点として歴史的に位置づけた点は注目される.柳宗悦晩年の最高傑作であり,格好の仏教入門書である.
(引用終わり)

以上