「すべてのジュネーブ」で思いだしたこと2題。

かたせ2号 投稿日:2025/06/24 19:06

件名_「すべてのジュネーブ」で思いだしたこと2題。

かたせ2号です。
本日は2025年6月24日です。それでは始めます。

なんで、すでに忘れられて20年以上経過する、ノストラダムスの予言詩に、2025年にもなって、こだわるのか、私自身もよくわからないですが、正直、書いていてイヤになります。憂鬱になる。

<その1>
「すべてのジュネーブから逃げ出せ」
という詩句は、ある年齢層以上の人には、ピンと来る詩句でしょう。

これって、五島勉さんの誤訳の部分が含まれているそうです。
正確な訳は、
離れよ、一人残らずジュネーヴから離れよ。」だそうです。

https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2648.html#google_vignette
から引用します。「ノストラダムスWIKI」。

(抜粋開始)
すべてのジュネーブ
「すべてのジュネーブ」は、詩百篇第9巻44番に登場するとして、日本で広く知られる語。

だが、実際にはそれは五島勉の『ノストラダムスの大予言』によって広まった誤訳に過ぎない。

原文と翻訳
該当する原文と、当「大事典」が提供する訳文は以下のとおりである(詳しい異文や語註などは詩百篇第9巻44番の記事を参照のこと)。

Migres migre de Genesue trestous,
Saturne d’or en fer se changera,
Le contre RAYPOZ exterminera tous,
Auant l’a ruent le ciel signes fera.

離れよ、一人残らずジュネーヴから離れよ。
黄金のサトゥルヌスは鉄に変わるだろう。
レポの反対が全てを滅ぼすだろう。
到来の前に、天が徴を示すだろう。

五島勉『ノストラダムスの大予言』の訳と解釈
五島勉の『ノストラダムスの大予言』(1973年)では、この詩の1行目が

逃げよ、逃げよ、すべてのジュネーブから逃げ出せ

と訳されており、
ジュネーヴの特色と同じ条件をもつ都市全部、言いかえれば国際性のある商業と銀行と教育のさかんな、水のほとりにある都市全部をノストラダムスは「すべてのジュネーブ」という言葉で一括したのだろう。とすれば、そのなかには、現在の世界の有名都市の八割ぐらいまでが入ってしまう。もちろん、東京も大阪も神戸もふくまれる。
これら「すべてのジュネーブ」から、「逃げだせ」と、ノストラダムスは三回繰りかえして警告している。(略)どんな大事件や大災害にたいしても、淡々と、客観的に、冷酷とさえ思われる筆で予言を進めてきたノストラダムスが、ここにいたって、そういう態度をいっさいかなぐり捨て、「逃げろ」と、しつこく未来の人類に向かって呼びかけているのだ。
と煽ったのである。

訳の検証
trestousはtous(みんな、全員)を強調しているだけで、ジュネーヴにかかっているとは、到底見なせない。

英語訳との比較
過去の英語圏の論者たちの訳語を見ておこう。

テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)
Go forth, go forth out of Geneva all,*4

ロルフ・ボズウェル(1942年)
Flee, flee all ye of Geneva,*5

アンドレ・ラモン(1943年)
Escape, escape, all those of Geneva (League of Nations).*6

ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)
Leave, leave, go forth out of Geneva, all*7
この訳は、娘夫婦(1982年)や孫(1994年)による改訂でも変更はなかった。

エドガー・レオニ(1950年頃?)
Leave, leave Geneva every last one of you,*8
これは草稿と思われる文書での訳だが、のちに正式出版された版(1961年)でも、改題版(1982年)でも、変更はなかった。

エリカ・チータム(1973年)
Leave, leave Geneva everyone,*9
のちの最終版でも変更はなかった。

ジョン・ホーグ(1997年)
Leave, leave Geneva everyone!*10

リチャード・スモウリー(未作成)(2006年)
Flee, flee, all from Geneva:*11

ピーター・ラメジャラー(2010年)
Flee, flee Geneva, each and every one!*12

リチャード・シーバース(2012年)
Flee, flee, O Geneva, every last one,*13

以上、17世紀の信奉者ガランシエールから、21世紀の仏文学者シーバースまで、時代や立場を超えて、「すべてのジュネーブ」などという意味に捉えていないことは明らかだろう。

はずされていたハシゴ
五島勉は『ノストラダムスの大予言・最終解答編』(1998年)でも、「すべてのジュネーヴから逃げ出せ」と訳している。
ところが、解説の中で触れる時には、1度を除いていずれも「すべての」をカットして「ジュネーヴから逃げ出せ」としか引用していない。
そして、「すべてのジュネーブ」と引用した箇所でも、実際の都市ジュネーヴにしか触れていないのである。

つまり、全世界の8割の大都市が「すべてのジュネーブ」だ、という当初の解釈は、なしくずしに撤回されていたのである。

世界で五島以外にそう訳している論者がおらず、当の五島自身がなしくずしに撤回した「すべてのジュネーブ」という読み方には、もはや支持すべき理由は全くないだろう
(抜粋終わり)

かたせ2号です。
この「ジュネーブ」には、あまり良い意味が持たされていないようですが、
離れよ、一人残らずジュネーヴから離れよ。
これが正確な訳です。

———————————————————–
<その2>
以下、私的な解釈をざっくり垂れ流しておくと、
「ジュネーブ」って、諸悪の根源だから、離れなさいと、ノストラダムスは言っているように思います。

さて、いきなり話が飛んでしまって恐縮ですが、
「ジュネーブ」という都市において有名な世界史的人物といえば、カルバンです。

今からカルバンの悪口を書きます。

カルバンが「予定説」を唱えて、勤勉な生活態度を身に着けたカルバンの信徒たちの影響で、資本主義がヨーロッパで勃興した、というのが「通説」です。

マックス・ウェーバー 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」によるものです。
(1905年に発表された論文を基に、1920年に刊行)

この説があたりまえになりました。大塚久雄さん(経済史家)、小室直樹さん等の強力な支持もあります。

この題名、じつは、くさっていて(笑い)、本当は、
 「カルバンの『予定説』の思想と資本主義の精神」がより正確な題名。
この本の内容をどれだけ読み込んでみても、
マルチン・ルターと資本主義の勃興とは、直接は何の関係もありませんから。

さらには、カルバン思想のもう一つの枝葉である「勤勉な生活態度」を身につけることと資本主義とは何の関係もないはずです。
この点は、すでに副島隆彦先生が冷静に暴いておられます。

「1755」 『金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ (祥伝社新書) 』(副島隆彦+SNSI副島国家戦略研究所著、祥伝社新書、2018年7月1日発売)をご紹介します。 2018年6月26日


(引用開始)
プロテスタンティズム(カルヴァン派)の「勤勉(きんべん)の哲学」が、近代資本主義をつくったのではない。ということになると、日本の江戸時代の「勤勉の哲学」(二宮尊徳(にのみやそんとく)やら鈴木正三(すずきしょうざん))が、日本の近代資本主義を準備したのだ、という山本七平(やまもとしちへい)氏と、私の先生の小室直樹(こむろなおき)先生、そして大塚久雄(おおつかひさお)の学説「大塚史学」は大間違いということになる。ガラガラと崩れ去る。今や崩れ去るべきである。
コツコツと勤勉に働いて、普通の人の三倍努力すれば金儲けができ、富裕者になれるのなら、それはたいていの人にできることである。ところが現実にはそういうことはない。勤勉だけで人は金持ちにはなれない。
(引用終わり)

かたせ2号です。

それなら、何が「資本主義を勃興させたか?」というと、
これも、副島先生がすでに暴いておられる通りで、「ユダヤ人の行動様式」なわけです。
すなわち「利子をつけてお金を貸しこむことを容認する態度」。
これが、ヨーロッパに全面的に解禁になったわけです。

誰が、そのことをしでかしたか?
それこそが、カルバンです。

「予定説」をベースに、
彼は、「キリスト教徒がキリスト教徒に『利子をつけてお金を貸しこむ』」ことを容認したわけです。
そのことが本来は一番、大切な事実のはずです。
この事実こそが、資本主義の勃興の直接原因です。

ウェーバーの著作は、このことを覆い隠す役割をこれまで果たしてきました。

なお、上記の分析視点に沿って書かれた著作の系列が、以下の通りです。

ゾンバルト 『ユダヤ人と経済生活』(1911年)

羽入辰郎「マックス・ヴェーバーの犯罪―『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊―」(2002年9月ミネルヴァ書房)

「499」 『マックス・ヴェーバーの犯罪』を読む。20世紀最大の社会学者・思想家の業績を厳しく批判した本を紹介します。伊藤研究員の「書評論文」。2003.11.27



副島隆彦先生+SNSI副島国家戦略研究所「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ (祥伝社新書)」

かたせ2号です。
だから、繰り返しになりますが、真実は、
「予定説」というカルバンの「キチガイ妄想」を突破口に、
「利子をつけてお金を貸しこむ(ユダヤ人の行動様式)」こと、その後ろめたさを解消させただけではなく、むしろ模倣することまで、イエス=キリストの名のもとに、カルバンが奨励した。
これこそが資本主義がヨーロッパに起きた十分条件。

そしてこの話について、ウェーバーは「勤勉な生活様式」というカルバン思想のこの、もう一つの柱の部分に、その原因をすり替えたわけです。
「自分は救われる側の人間なんだ」と(傲慢にも)自分で勝手に判断し、そのキチガイ信者が実践する、それが「勤勉な生活様式」です。
(=> 勤勉な生活様式で救われるのなら、イエズス会士は全員が、まっさきに救われてるよ、勘違いも甚だしいぞ、馬鹿野郎!)

こうして、「羊頭狗肉」のうちの「羊頭」(勤勉な生活様式)を掲げて、ウェーバーは、「狗肉」の部分(ユダヤ人の行動様式模倣の奨励)を隠蔽したわけです。

さらに、ところで実は、それまでのユダヤ人の金貸したちにもできなかったことを、カルバンは独りでやりとげてしまっているんです。

ユダヤ教・キリスト教の経典である旧約聖書のレビ記、申命記には「異邦人に貸しつけるときは利子をつけても良いが、あなたの兄弟から利子をとってはいけない」という旨の記述があります。これは、親戚とユダヤ人以外からは利子をもらっていいということ。

ユダヤ教とキリスト教のカトリックは、この判断に従います。

キリスト教の後継宗教で、同じ神を奉じているイスラム教でも、
コーランの第2章275節に、商売は許すが利息は禁じるとの記述があることから、利息を介在させた金融取引が不可能になっています。

これらの宗教的な判断の伝統をぶったぎって、じつは、カルバンは、「異邦人ではない、あなたの兄弟から利子をとってもよい」と教義を改ざんしたのです。

この、ウェーバーが隠したかった事実命題によって(わたしの頭の中では)以下の命題が導かれます。

(1)ユダヤ人にとっては、ユダヤ教徒であるよりも、改宗キリスト教徒(蔑称、マラーノ(豚))になった方が、おそらく「実入りはよかった」だろう。ロスチャイルドもすでにユダヤ教徒ではなくなっていただろう。

(2)マルチン・ルターの宗教思想上の「『最大の』敵」は、カトリックではなく、カルバン。

(3)勤勉な生活様式の体現者としての、ベンジャミン・フランクリンが食わせもの。カルバンの教義をさらに先を行かせて「富に至る道と徳に至る道とは一致する」路線の思想にまで進めてしまった。アメリカ人が「小児性愛」の大金持ちを非難できないのも、フランクリンが生涯をかけて実践したこの路線が大きな原因。

カルバンも
ウェーバーも
フランクリンも
許さん、許さん、許さんぞ!!!

以上