「『本能寺の変の真相』フォーマット」を無償提供するので、どなたか、面白い小説、漫画、アニメ、映画等に仕上げてください。
「『本能寺の変の真相』フォーマット」を無償提供するので、どなたか、面白い小説、漫画、アニメ、映画等に仕上げてください、の件。
かたせ2号です。
表題の件を思い立った経緯を最初に記載し、続いて、本論の「フォーマットの中身」について記載します。
1. 表題の件を思い立った経緯
(1)
伊藤睦月さんの書き込みを読んでいると、ワタシの考えついた『本能寺の変の真相』で、歴史学会を説得するのは到底、無理だとわかった。あの岡田英弘先生が冷や飯を食わされるようなところだから。
伊藤睦月さん、ありがとうございました。
また、20年以上前にわかってはいたが、
戦国時代の歴史学者の面々(松田毅一が筆頭)が、ルイス・フロイス「日本史」の記述の中に、「豊臣秀吉が、明からの黄金輸入船を、おれのところに回せと強要した」とあることを、意図的に伏せてきたし。
(2)
エンターテイメントの世界の方が、本能寺の変の真相解明が、より進んでいる。
まず、2021年のNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回の場面。
「本能寺の変」を聞きつけた秀吉役の佐々木蔵之介が、
驚きもせず、不敵な笑みを浮かべて、すぐに「中国大返し」を断行した場面が特に印象に残っています。
あれは、わかる人には「本能寺の変のことを秀吉は知っていた、と脚本家たちが匂わせている」とわかったはずです。まあ、これだけだと、少し弱いか。。。
さらに、北野武監督の「首」(2023年)では、堂々と、秀吉黒幕説で本能寺の変の真相が描かれている。
ニフティニュースサイトから。
記事名「北野武監督最新作、本能寺の変を描いた『首』で表現した「本当の裏切り者」とは!?」
2023年06月06日
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12205-2375993/
(引用開始)
“世界のキタノ”は健在。北野武監督6年ぶりの新作映画『首』が、第76回カンヌ国際映画祭で上映されると、観客から5分間に及ぶスタンディングオベーションで称賛された。
「今作は、たけしさんが構想から30年もの間、温め続けてきたという戦国スペクタクル。映画化に先立ち、2019年に原作となる歴史長編小説『首』を書き下ろしています。
今回、明智光秀役に西島秀俊、織田信長役に加瀬亮など、“北野組”の役者が勢ぞろいし、本能寺の変を“たけし流の解釈”で描き出したんです」(映画ライター)
1582年、明智光秀が謀反を起こし、京都・本能寺に滞在する主の織田信長を襲撃。多勢の明智軍に囲まれた信長は寺に火を放ち、自害したとされる本能寺の変。これまでNHK大河ドラマでも、2021年の『麒麟がくる』など16作が題材にしている。
だが、北野監督は現地で行われた合同取材で「日本の時代劇は裏の話が描かれていなくて、きれいごとでやっている」などと発言。“歴史のタブー”に斬り込んだ理由を語っている。
「これまでの大河では、通説通りの、光秀による本能寺への討ち入りが最大の見せ場。でも、たけしさんは、羽柴秀吉が本能寺の変の黒幕であると考え、自ら秀吉役を演じ、別の視点から、この謀反劇を描いているんです」(スポーツ紙記者)
(引用終わり)
かたせ2号です。2021の大河ドラマの脚本家も、2019年の北野武作の原作小説は読んでいて、その影響を受けたかもしれない。
というわけで、このような状況を踏み台にして、だれでもいいので、以下のフォーマットを、エンタメの世界でアウトプットを創り出してほしいと願い次第です。
ワタシからのアイデア料請求は一切なし、かつ、このフォーマットに関する権利(?)はすべて放棄いたします。
ですから、面白い小説、漫画、アニメ、映画等に仕立てて、自らのオリジナルとして、堂々と発表してください。
2. 本能寺の変フォーマット
(1)必読文献 以下の3冊の記載内容が話の前提・骨格となります。
副島隆彦「信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた」(PHP_2015/12刊)
立花京子「信長と十字架 ―「天下布武」の真実を追う」 (集英社新書 2004/1刊)
加治将一「第六天魔王信長 消されたキリシタン王国」 (祥伝社文庫 2023/1刊)
(2)本能寺の変の犯人
・明智光秀、羽柴秀吉、朝廷(天皇および摂関家)、イエズス会、そして、毛利家、全員が犯人。
・ただし、本当の首謀者、舞台回し役は、イエズス会日本統括部隊のトップ、ヴァリニャーノ。
本能寺の変の当時、日本の国を離れていたのが、カッコ良すぎる 笑い。
(3)イエズス会が信長を殺害・排除する動機。
荒木村重の謀反がなければ、本能寺の変は起きていなかった。
このときの信長の挙動で、信長が「しつけのできていない、飼い犬の手を噛む犬」であることがイエズス会士の目にも明らかになった。それが、イエズス会をして信長を排除する動機となった。
要は、「犬(信長)が、飼い主(イエズス会)と対等の立場にあると、(本心では)勘違いしていることがバレた」。
「刀剣ワールド」というサイトから。
https://www.touken-world.jp/tips/46491/
(引用開始)
高山右近は、父の隠居に伴い、高槻城主となりました。そして、「織田信長」から摂津国の領有権を約束されていた荒木村重に従い、行動を共にするようになります。
ところが1578年(天正6年)、突如として主君・荒木村重が「織田家」から離反。高山右近は再考を促すため、妹や息子を人質に差し出して説得を試みました。
しかし、荒木村重の意志は固く、やむなく助力を決断したのです。この際、宣教師の「オルガンティーノ神父」にも相談しており、「織田信長に降る(くだる)のが正義だが、よく祈って決断するように」と助言を受けています。
一度は織田家との敵対を表明した荒木村重でしたが、その後、織田信長から「母を人質に差し出し、「安土城」(あづちじょう:現在の滋賀県近江八幡市)へ弁明に来れば許す」と寛大な条件が出されたのを機に、織田家と対抗することに尻込みするようになりました。
そんななか、重臣の「中川清秀」(なかがわきよひで)が、荒木村重に対して、籠城を強硬に進言。高山右近も、その意見に押され、同調せざるを得なかったのです。このとき、隠居していた高山友照も、織田家からの離反を支持していました。
結局、居城の「有岡城」(ありおかじょう:現在の兵庫県伊丹市)での籠城を決めた荒木村重軍は、「有岡城の戦い」(ありおかじょうのたたかい)へと突入。高山右近は、高槻城で織田軍と対峙することになりました。すると織田信長から、「ただちに開城しなければ、修道士達を高槻城の前で磔(はりつけ)にする」という、苛烈な脅しが届いたのです。
城内では、開城と抗戦とで意見が割れ、収拾がつかない状況に陥りました。さらに隠居した父が、「もし織田信長に寝返るなら切腹する」と言い出したことで、高山右近の悩みは、極限状態に達していったのです。
そこで高山右近が出した答えは、「すべてを捨てる」ということでした。どちらにも加担せずに領地も家族も捨て、単身で織田信長のもとへ投降。高山右近は、頭を丸め、紙衣(かみこ:和紙で作った着物)のみを身に着けた姿で、織田信長のところへ現れたのです。
この潔さに感じ入った織田信長は、人質の救出と領地の倍増を約束し、出家を止めるように、高山右近を説得します。この手厚い申し出に対して断り切れなかった高山右近は、結局武将として、織田信長に仕えることになったのです。
(引用終わり)
(4)信長の後継者が秀吉と決めたのは、イエズス会
後述。
(5)(3)以外の場面では、信長はイエズス会に最大限の忠誠を示した。武器(鉄炮の材料の軟鉄、火薬の原料となる硝石)、そして「黄金」を日本に運んでくるのは、イエズス会だから、やはり、逆らえるはずもない。
1581年の信長による「京都御馬揃え」は、イエズス会への忠誠を示すための軍事パレード。
ただし、そんな信長を、イエズス会は決して許しはしない。
(6)1582年の朝廷への改暦の強硬申し入れ
https://www.instagram.com/seimeijinja/p/CvCdEt1xaeQ/
(引用開始)
1582年、土御門久脩 は 織田信長 に安土城へ呼び出され「天正の改暦問題」についての相談を受けたとされています。
これは陰陽寮が制作した「京暦」と、伊豆の三嶋大社が制作した「三嶋暦」でお正月がずれてしまうことから生じた問題です。
一度は京暦を使うことで決着したものの、信長が上洛の際に三島暦にすべきと再度朝廷に申し入れて論争に。しかし 本能寺の変 で信長が討たれたことで、話はうやむやになりました。
(引用終わり)
かたせ2号です。
ちょうど、同じころ、たまたま、ユリウス暦からグレゴリウス暦への改暦という事件が、起きたので、そのような状況を知ったイエズス会が思いついた作戦です(エンタメ用フォーマットなので、左記、断言口調にしておきます 笑い)
要は、暦を管理・運営するのが朝廷の存在意義なので、そこに容喙(とやかく意見してくること)するのは、朝廷への大きな脅威となるわけです。暦そのものの改定を求める権力者が、これまでの日本にいましたか?イエズス会が信長に強要したのです。
1571年に、都の鬼門(北東の方角)を守護する延暦寺を、信長が焼き討ちにしたのも、朝廷の権威への相当な挑戦もしくは脅威として映っていたはずですから、今回はこれで2度目。
ここで「社会党の左バネ」ならぬ、「朝廷バネ」が働くことになります。
これこそが、イエズス会が狙っていたこと。
イエズス会は、信長の身体を焼き尽くす炎の火種を、信長自身に命じて、朝廷に投げ入れさせたのです。
この辺が、イエズス会の容赦なく冷酷な面なので、うまく表現してください。
(7)光秀が朝廷を守るために、信長へ謀反することを秀吉がそそのかす。
イエズス会から信長の後継者として指名された秀吉が、機を逃さず、光秀に接近し、朝廷の危機を感じていた光秀を説き伏せる。そして、信長打倒の盟約を結ぶ。
すなわち、中国攻めの際に「信長様、ワタシだけでは難しいので、中国攻めの最前線までおいでください」と秀吉が信長にヘルプを要請する。そして、丸裸同然の状態の信長を京都(宿所は本能寺、イエズス会の京都本部のほんのすぐ近く)に呼び寄せる。そこを光秀どのが、亀山城から兵を出して急襲くだされ。。
以上の密約には、朝廷および摂関家も、承認・同意したでしょう。でないと、光秀の(8)の一句は生まれない。
後に、秀吉は関白にまで上り詰めることができたのは、朝廷および摂関家が信長殺害の謀議に加わっていたことを知る秀吉だからできたことでしょう。要は、その点をついて、脅迫したのでしょう。ただし、関白の地位までということなので、裏を返せば、天皇の地位には触れない、朝廷の地位は安泰にしてみせますという条件での取引にもなっています。頭いいよなあ、秀吉。
(8)本能寺5日前、1582年5月27日、光秀の一句「ときは今 あめが下しる 五月哉」
ここでは、以下のように解釈しておきます。
「土岐(とき)氏の末裔であるワタシは、天下(あめがした)を司る朝廷の危機を救うため、ここに行動を起こします 1582年5月記す 明智光秀」
ただし、コトを起こしたあとに、秀吉が自分を裏切ることなど予想もしていなかったでしょう。
そして、光秀を裏切る予定だった秀吉の背後で「イエズス会による指令」が秀吉へおりていたことも。
(9)本能寺の変の当日、1582年6月2日。
イエズス会による信長、爆殺。それほど、本能寺の近くに、イエズス会の京都本部が所在したということです。
信長にしてみれば、「Keep your friends close」だったかもしれないけど、イエズス会にとってみれば「Keep your enemy closer」に過ぎなかったということ。
振り返ってみれば、村重謀反の際に、「ただちに開城しなければ、修道士達を高槻城の前で磔(はりつけ)にする」という、高山右近への苛烈な脅し発言さえしなければ、信長はずっと安泰だったのにね、
宣教師の「オルガンティーノ神父」が高山右近に「織田信長に降る(くだる)のが正義」と示唆して、信長を密かに応援してたんだから。
ほんの一言が命とり。
それが証拠に、イエズス会が後継者指名した秀吉は、その本心を注意深く隠しおおせましたな。
1587年のバテレン追放令までの約5年間、イエズス会による人身売買の事実なども知悉していたにもかかわらず、そういうことに触れる発言は一切しなかった。イエズス会にはいい顔のみを24時間見せ続けた。信長の失敗から、なにかを見習ったんでしょう。
さて、それではなぜ、「光秀による本能寺への出撃」がイエズス会および秀吉にとって必要だったのか?
「謀反人」として血祭りにあげるためです。非常にわかりやすい。
この目的完遂に向けて、秀吉の中国大返し⇒山崎の合戦、まで一気に事態が動きます。
(10)秀吉の中国大返し
本能寺の変の前に、秀吉と毛利家との間で、中国大返しのときに毛利軍はそのあとを追わない、と密約がすでにできていました。
これは、秀吉を後継者に指名したイエズス会も容認しています。
信じられないかもしれないですが、イエズス会は「敵」である信長を粛清するために、それまで石山戦争で血みどろの戦いをしていた毛利家を「味方」に引き入れたんです。
要は、本能寺の変の前の段階から、本能寺の変の勃発、秀吉の中国大返し、山崎の合戦にいたるまで、「イエズス会と毛利家の共闘」が実現しました。ただし、毛利家は秀吉の背後にイエズス会が控えているとは知らなかったこもしれない。
通常、撤退戦では、追いかけてくる敵を防ぐために決死隊としての「しんがり」が組織されるはずです。
信長の最大のピンチである1970年の「金ケ崎の退き口」で、決死のしんがりを務めたのが、秀吉自身だから、こんなことを知らぬはずがない。
しかし、中国の大返しで、屈強な「しんがり」を残したか、と言えば、寡聞にしてワタシはそんな話を聞いたことがない。
だから、事前に、秀吉が毛利家と密約を結んでいたに違いない。
「イエズス会と毛利家の共闘」、これもこのフォーマットの目玉なので、うまく描き切ってください。
(11)山崎の合戦
ところで、イエズス会と秀吉がこのごろ、本当にできていたのか、という根本的な質問が残っていますが、答えは簡単です、「本当にありました」。
山崎の合戦での秀吉軍の先鋒を務めたのが、高山右近ですから。
信長なきあと、右近に示唆を与えることができるのは、ただ一つイエズス会だったはずです。
その高山右近が何の躊躇もなく、中国大返しという「異常事態」を引き起こしている最中の秀吉軍の麾下に躊躇なく馳せ参じた。これも計画通りだとは思います。
だいたいこんな感じです。
エンタメとしては、なかなか盛り上がるフォーマットなので、ぜひともどなたかよろしくお願いします。
以上