「健康ブームを問う(全3回)」 

投稿日:2010/08/04 07:18

「心に青雲」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年08月02・03・04日 | 医療問題
「健康ブームを問う(全3回)」 

《1》「学城」第6号に論文「土木設計とは何かを問う」を発表しているのは、わが流派の城内進氏である。この論文は、「哲学としての〈生命の歴史〉」を踏まえての、土木とはを問うもので、おそらくは史上初の土木論構築への第一歩を踏み出した画期的な論文であった。土木のノウハウ・レベルの研究は数多あるであろうが、〈生命の歴史〉から人類にとっての土木を問うレベルはかつてなかったはずである。

 本稿はその論文についてではなく、城内進氏が説くところの健康問題について取り上げていきたい。氏は都内に道場を主宰し、毎月「機関誌」をメールで発行している。

 その機関誌(171号)にあった城内さんの巻頭言。「最近、街中を歩いていて目に付くようになったのが薬局と整体マッサージの店である。家から駅に向かう700メートルの間に薬局が5軒、鍼灸マッサージが6軒、店を構えて営業している。
 規制緩和で開業しやすくなったとはいえ、お客は来るのだろうか。店の経営は成り立っているのだろうか、などとつい余計な事を考えてしまう」

 こういう書き出しである。たしかに街中で薬局が増えたし、鍼灸、整体、マッサージ、中国気功などの看板が目につく。私の街では中国気功がやたらに店を出しているように思う。聞けば田舎の街でも、同じような現象が起きているとのことで、なにも東京ばかりの話ではなさそうだ。

 引用を続ける。「健康でいたいと願うのは人間として当然の願いであろう。そこに付け入る様な健康ブームである。
 散歩やジョギングあるいはスポーツジムで体を鍛える人もいるが、そんな大変なことをするよりも簡単にという人が多いということである。仕事が忙しくて、そんな時間をとる余裕がないよという言い訳である。

 仕事で肩が凝った、腰痛で仕事も手に付かないということで整体やマッサージに通う人、疲労回復のドリンク剤、痛み止めの薬を飲む人も多いことであろう。
 TVを見ていると、頑固な疲れにアリナミン、肩の痛みにバンテリン、膝の痛みにグルコサミンと、毎日毎日、薬のコマーシャルである。自分の努力で健康を把持するのではなく、薬や他の人の手を借りて楽して得ようということであろうか。」
(引用終わり)

 全くそのとおりだ。このほかテレビでは、黒酢、ニンニク、青汁といった健康食品や栄養サプリメントの広告も花盛りだ。どれほど巨大な市場か、とくに調べなくてもテレビのCM頻度でおよそのことはわかる。みんな何らかの体調不良を自覚し、整体、気功、サプリメント、健康食品にすがっている。

 城内さんはこのブームに警鐘を鳴らしてこう続ける。「しかし、である。問題は健康とはどういうことなのか。疲れとはどういうことなのか、病気とはどういうことなのか、といったことが、実は薬を売る製薬会社の研究者や、病気を診て薬を処方する医者、あるいは鍼灸マッサージの人たちはわかっているのだろうかということである。

 もしわかっていれば次のような答えが返ってくるはずである。いわく人間(哺乳類としての)的な食事・睡眠・運動のバランスを保つことですよと。
 これが『命の歴史』から引き出される健康を把持していくための答えである。

 最後にナイチンゲールが『すべての病気は回復過程である』『病気とは、毒されたり衰えたりする過程を癒そうとする自然の努力の現れである」との言葉を紹介しておく。」と結ばれている。

 ナイチンゲールが発見した「すべての病気は回復過程である」とは、なかなか現場の医師や看護婦は信じないようだが…。なぜかなら、患者の病気は悪化するし、悪くすれば死ぬからである。回復じゃないではないか、というわけだ。

 疲れが出るのも、痛みが出るのも、熱が出るのも、これは神経が体を正常に戻そうとしている証である。体の回復過程の現象が「病気」として現れる。患者の病気が悪化するのは事実である。事実だけみれば、とうていナイチンゲールが「すべての病気は回復過程である」などと言ったことなど、たわごとしか思えまい。ここが論理がわかるか否かの分かれ目である。事実はちゃんと、病気は悪化して死に至ることがあると示している。

 しかし、ナイチンゲールは病の論理を説いたのだ。ほとんどの医者や看護婦は、事実しか理解できないアタマなので、学問はできないのである。これは私がさんざん説いている、「相対性理論は誤り」との論理が、東大をはじめとする知識秀才にはどうしても分からないのと、同じ構造を持っている。

 城内さんは、こう言う。「私は神経痛の痛みや、リウマチによる腫れや激痛は、神経が必死に正常にもどそうとしているのだと身をもって知ったのですが、正常に戻すのは薬ではなく、食事・睡眠・運動のバランスをとるという、簡単な(しかし大変な)事でした。

 体の働きを正常にするのが神経の働きとだというのは、医者や医学書ではなく空手を通して、学ぶことになりました。健康体を維持するために、薬にたよるのではなく食事・睡眠・運動を整える方法で取り組んで行きましょう。

 機関誌には書いていませんが、今の医者たちが解けないのは特に神経がかかわる問題です。これは「生命の歴史」からしか解けないものです。「夢講義」には南郷師範が神経の働きとして説かれています。難病と言われている病はほとんどが神経がわからないことから、治し方がわからないために難病となっているように思います。

 しかしほとんどが食事・睡眠・運動を通して神経の働きを正常にすることで直すことが可能です。実際このやり方で医者から難病と診断された病を治しています。
 ちなみにどのようなものがあるかといえば「膠原病」「関節リウマチ」は自分自身であり、「坐骨神経痛」「肋間神経痛」「味覚障害」「痴ほう症」「アトピー性皮膚炎」「神経症」「脳梗塞リハビリ」は弟子や姻戚の例です。

 その他「花粉症」「風邪」「ぜんそく」「ねんざ」「歯痛」等々です。こう書いていくと、普通の人は(あるいは医者は)医者でもないのに「胡散臭いインチキ、誇大広告」と思うことでしょう。でもこれがわれわれの空手の論理の適用なのです。医者でなくともこれくらいはできるということです。これが一般論をもつことの効用ということでしょう。

 今、あなたがブログで展開されている宇宙誕生に関しても同様で、宇宙の誕生を知るために何百億、何千億円もかけなくても、ビックバン説はじめ相対性理論、オパーリン説、大陸移動説、恐竜絶滅説等々現在の定説のほとんどは唯物論的弁証法という学的一般論を踏まえてみれば、間違いであるということが分かろうというものです。」

 実際に、城内さんはナイチンゲールの発見した「すべての病気は回復過程である」という学的論理の正しい事を実践して理解し、かつ病気は回復過程だというとおりに治してみせたのである。

 ところが現下の医療は、整体やマッサージ、サプリメントも含めて、城内さんが挙げた「膠原病」「坐骨神経痛」「痴ほう症」「アトピー性皮膚炎」「神経症」「花粉症」「風邪」「ぜんそく」「ねんざ」「歯痛」等々は、「病はほうっておけば悪くなる。薬を使わないと死ぬ」という見解を前提にしているのだ。

《2》ナイチンゲールは「病は回復過程である」と見事な論理を創ってみせた。その理論どおりに体を病から回復させることができる。にも関わらず一方ではやっぱり病は悪化して死に至ることもあるという現実に突き当たる。薬や整体などで治ることもあるから、事はやっかいである。これが正しいのだ、ナイチンゲールはウソを言ったのだ、となってしまう。これはもうテレビやラジオ、携帯電話が見えたり聴こえたりするから、電波の理屈は正しい、というようなものである。技術が実用化していれば、理屈が正しいと言い張る人には、いくら説得しても無駄である。

 これは、三浦つとむさんが『弁証法はどういう科学か』のなかで取り上げている、「ゼノンの詭弁」の一例、アキレスと亀の逸話の理解と同じ構造になっている。事実としては亀はアキレスに簡単に追い抜かれる。しかし理屈では永遠にアキレスは亀に追いつかないのだ。このパラドクスが、解決されたことはない。「病は回復過程である」も矛盾である。だから正しいのだが…。

 医師や看護婦ばかりではなく、健康になんらかの問題を抱える人にとっても、「病は回復過程である」とは信じられまい。事実としてはだんだん悪化することがあるからだ。そして事実として薬や鍼灸などで治ることもあるからである。

 では聞くが、なんで我々は街中にこうまで薬局やマッサージ店などが林立するのであろうか? 答えはそれだけ体調の悪い人が増えているからだ、になるだろうか。そうではないのだ。事実はたしかに体調の悪い人が増えてはいるだろう。しかし本当は、病気の捉え方が間違っているために根本的に治せないでいるからである。例えば薬が薬を呼び(副作用を起こすとか)、整体はいったん良くなったと思ってもすぐ歪みは元へもどって、しょっちゅう通わなくてはならなくなる、だけのことである。

 言ってみれば、小さな事実としては薬で症状は治まることもあるし、整体や鍼灸で好転することはある。だが大きな事実としては治らずに慢性化したり、副作用で苦しむことにもなるのだ。

 城内さんはこう言っていた、「神経痛の痛みや、リウマチによる腫れや激痛は、神経が必死に正常にもどそうとしている。正常に戻すのは薬ではなく、食事・睡眠・運動のバランスをとるという、簡単な(しかし大変な)事だった。

 体の働きを正常にするのが神経の働きである。今の医者たちが解けないのは特に神経がかかわる問題で、これは「生命の歴史」からしか解けない。
 難病と言われている病はほとんどが神経がわからないことから、治し方がわからないために難病となっている。しかしほとんどが食事・睡眠・運動を通して神経の働きを正常にすることで直すことが可能である。
 実際このやり方で医者から難病と診断された病を治せている。」

 これが先に述べた「大きな事実」である。たとえばリウマチの激痛は、薬で抑えることができても、長期化するほどに、薬の種類も量も膨大なものになっていく。薬から離れられなくなるではないか。しかし大きな論理を信じれば、リウマチといえども難病ではなくなるのだ。

 最近、整体についてわが流派の最高指導者が説かれたことがある。その主旨は、整体では完全には治せないということだった。
        *      *      *
 整体の目的は筋肉または骨の調整だ。本当はその調整には、歪んだ筋肉を調整する場合と、歪んだ骨を調整するのと両方ある。しかし、筋肉のスジの違えは、骨を直さねばならないし、骨の歪みは筋肉を直さなければならない。

 筋肉が歪んだので骨が歪まされる場合と、骨が歪まされて筋肉が歪む場合とがあることを整体師は知らない。整体では直した瞬間だけは効くけれども、日常生活で歪んだもとの動きを修正しないでいれば、すぐに元に戻ってしまう。

 骨以上に筋肉を歪めていると、骨とあわせて普通の筋肉になるようにするようにしていかないと治らない。整体師の直し方には限界がある。患者がどういう生活をしての歪みなのかを捉えておらず、その直し方を知らない。

 これは神経の働きを直さないと治らない。神経を直すには、骨か筋肉を使って直すしかない。それは筋肉によってか、骨によってかで違う。(以下略)
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 ここでも神経に着目する大事性が説かれている。整体師も医師も、ほぼ筋肉と骨とか、上体と下肢とかに分けて捉えてしまうし、それらを到達する神経についてはまったく「お呼びでない」状態である。

 おおまかに言って骨、筋肉、神経を統一して捉えるというのは、まさに〈生命の歴史〉をふまえての着眼である。一言でいうなら、生命体は単細胞から始まったのであり、それは全部で一つだった。高等な人類に進化しても、元は単細胞だったのだから、全部で一つとして見ることが大事なのである。だが医師も整体師も、部分部分でしか捉えられない。この症状にはこの対処、腕が歪んでいれば腕だけを見る、となっている。

 その行き着いた果てが、冒頭の街中の描写になっている。「 街中を歩いていて目に付くようになったのが薬局と整体マッサージの店である」と。

 神経がなぜどのように大事かを城内さんは身を以て病気を治した経験から説くのだが、それは空手をやったからわかったのだと述べる。その通りなのであって、これをわが流派の空手をやっていない人に説くのはむずかしく、また「企業秘密」でもあるから、これ以上は書かないことにする。ヒントレベルで十分だろう。

 たとえば空手で突きを出す場合、普通に筋力を使って突く場合と、神経を使いながら突くとの違いである。オレは沖縄本流、伝統の空手だと自慢したい向きもあろうが、この相違がわからないかぎり、伝統もへったくれもないのだ。

 たんなる突きが、神経を使って突くという修練をすることで、病の構造が解けてくるのである。それが城内さんが言う「ほとんどが食事・睡眠・運動を通して神経の働きを正常にすることで直すことが可能です」との自信にみちた文言となっているのだ。

《3》次は、本稿で紹介している城内進支部長の支部機関誌の最新号(172号)には、城内さんのこんな文章が載っていた。
      *      *      * 
 今月3回に分けて九段生涯学習館で「武道に学ぶ健康と護身」講座を開催してもらった。(中略)
 参加者の一人が、姉が痴呆の症状があるというので、一緒に体を動かし、帰り際に、足先、指先の簡単な練習を教えて、これを家で毎日5分ほど続けるとよいと教えた。痴呆症に関しては、10年以上前になるが、師範の神経に関する講義を聞いた直後に、永く寝たきりで、息子も娘の顔も分からなくなった身内の人を相手に、論理的な働きかけをしたことがある。1日目はまったく反応なしであったが、2日目の午後になって突然眠りから覚めたように、私の名前を呼んだのである。その後は前のように普通の会話ができるようになり、身近で介護していた人は劇的な出来事に驚いていた。

 これはほんの一例である。ほかにも、リウマチ、膠原病、腰痛、肋間神経痛、脳梗塞、アトピー、喘息、味覚障害などを治してきた(治させた)事実がある。人間の病を治すのは、脳細胞を動かす(手足を動かす)ということが大事なことであることを知り、試すことで、それを理論的に説く玄和会の凄さをあらためて認識したものである。
      *      *      * 
 「武道に学ぶ健康と護身」講座とは、城内さんが講師となって道場生以外の一般の人を集めて行なわれた講習会であった模様である。城内さんが説かれているように、ということはナイチンゲールが「病は回復過程である」の説いているようにだが、疲れが出るのも、痛みが出るのも、熱が出るのも、これは神経が体を正常に戻そうとしている証なのである。 城内さんは神経痛の痛みや、リュウマチによる腫れや激痛の神経が必死に正常にもどそうとしているのだと身をもって知ったと語っており、また身近な人の病気をその理論を実践して治してきたと言うのだ。

 簡単で、しかし大変な事であるが、体の働きを正常にするのは神経の働きをまじめにさせることである。こういうことを説いた(解いた)医者や医学書はほとんどない。しかし、わが流派では空手を通して学ぶことになる。

 さらに城内さんはこう説く。「人間にとって神経(神経の親玉である脳細胞)の働きを知れば知るほど、いろんなことに役立つということがわかってきます。

 その神経を鍛える簡単な練習が、裸足でアスファルトの上を歩くことです。今の時期だと路面温度が50から60度くらいになりますが、足裏からの刺激がとても気持ちよく感じます。ぜひとも実行することをお勧めします。」

 このことは私のブログでも何度か紹介してきた。私自身はもう10年以上、続けている。真夏の炎天下にアスファルトの上を裸足で歩く(または立つ)。毎度、火ぶくれができる。しかし城内さんも言うように、熱いが気持ち良く感じる。これをやらないと、夏の暑さで疲れ、だるくなりがちな体が、そういうことがない。実に偉大な療法だと驚く。

 また私は、夏は毎朝のジョギングを裸足で行なうが、これも足裏からの刺激がとても気持ちよく感じるものだ。ランニングシューズを履いて走っている人を見ると、せっかくのランニング効果を少なくしていて気の毒にと思ってしまう。

 なにせ死体を火葬場で焼くときに、高温の熱で生き返ってしまうことがままあるほどに、熱の力は偉大なのである。火葬しはじめると、しばらくして釜の中からギャーという叫び声が聞こえることがあるそうで、そんな声を遺族が聞いたら、すわ生き返ったぞと大騒ぎになるから、遺体を釜に入れたら即、遺族を追い払って休憩室に送ってしまうのだ。仮にそこで生き返った遺体をひきずりだしても、いったん死んで数日経過して腐りかかったものはどうにもならないから、そのまま焼いてしまうらしい。

 灸も体を焼くことで、神経を強烈に刺激し、怠けていた働きをまともにさせ、病を回復させるのであろう。それほどに、高熱で神経は生き返る(働きを取り戻す)のだ。

 私もこういう実例をいろいろな人に教えてあげてきた。実践した人は軽快したと喜んで報告してくれるのに、「私はやわな足をしているので、勘弁していただきたいですね」とハナから受け付けない人が多い。やわな足をしているということは、アタマがあまり働いていないし、病気を抱えているということになるのだが…。

 「残念ながら、現在ほとんどの医者は人間の頭の働きが分かっていない。それゆえ何々症候群という訳のわからない病気や、職業病といって難病だから治せなくても医者の責任ではありませんという病気が多くなっている。」と城内さんは、機関誌で説いている。

 せんだって、医師の方から子宮頸癌は「現在の医学界ではHPVというウイルスであると言われているが…」というメールをいただいた。癌の原因はウイルスではない。あくまで食事にある。なぜかなら細胞は食事で創られるからである。当然、脳細胞や神経も、食べた食事の栄養素が肝臓で血液に換えられ、その血液から成長、活動維持、回復などを行なうことができる。したがって、食事が悪ければ脳も神経も病んだり、毒されたりする。

 性同一性障害とか、同性愛とか、痴呆とかは、認識の問題もあるが、それらを司る神経の実体がまともに育っていないことも考えられるのだ。その原因は、食事であり、睡眠であり、まともな運動に起因する。秋葉原無差別殺傷事件の犯人とか、わが子を育てるのが面倒になったと餓死させた母親などは、かならず食事、睡眠、運動がまともではなかったはずで、それゆえ神経もまともではなかったのである。

 認識が歪むような考え方をしていただけではなく、認識つまり脳細胞に外界や内界を反映させる実体の実力が衰え、毒されていたことにも注目しなければなるまい。

(転載貼り付け終了)