新戦争論 ”平和主義者”が戦争を起こす(1981年)

5980 投稿日:2014/12/10 00:22

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新戦争論 ”平和主義者”が戦争を起こす(1981年) 小室直樹著

まえがき

平和とデモクラシーと、どちらを選ぶか - もし、どちらかしか取れないという岐路に立たされ
たとき、どうするか。この、デモクラシーにとって、もっとも根源的な問題が、日本人に問いか
けられたことは、一度もなかった。
 もうどんなことがあっても戦争は嫌だ。この感覚から戦後日本はスタートした。あんな悲惨な
戦争をなくして平和をもたらしたものこそデモクラシーだ。だから大事にしなければならない。
かくのごとき幼児体験によって、日本デモクラシーは、とんでもない奇形的なものとなった。
 われに自由を与えよ、然らずんば死を与えよ、とは有名なシーレーの言であり、すべてのデモ
クラシーはここを出発点とするのであったが、戦後の日本にかぎって、そうではなかった。平和
もデモクラシーも、それだけではない、未曾有(みぞう)の豊かさも、みんなセットにならないと受けつけ
ないというのだ。
 イザヤ・ぺソダサンは、日本人は、安全と水とはタダであると思っていることを、強調したが、
戦後の日本においては、平和もデモクラシーもタダなのだ。欧米諸国においては、平和とデモク
ラシーとはきわめて貴重なものであり、莫大(ばくだい)な対価を支払っても入手する価値がある、というの
は常識以前のことだ。ところが、このことが、どうしても日本人には理解できない。
 それゆえ、戦後日本を支配してきたのは、依然として、戦前の神州不滅の思想にも似た念力主
義だ。と言えば、あまりにも奇異に聞こえようが、戦後日本に支配的であった「平和主義」も、
その本質をつきつめてみると、じつは、平和主義などとは言えない代物ではなかろうか。
 日本人はすべて、戦争について考えることすら拒否するのだ。

(省略)

制度としての戦争を、結果として、もっとも有効に利用した国こそ、日本なのだ。この事実が
ありながら、多くの日本人は、それをまったく意識していない。奇妙なことだ。
 戦争は高度に文明的な制度である。この大前提を、ひとりひとりが、しっかりと把握すること
なくして、われわれの社会から、戦争がなくなることはないだろう。

目次

1 平和主義者が戦争を起こす
みんなが平和を愛した結果が第二次大戦となった

2 戦争を否定すると近代文明が崩壊する
「戦争」と「けんか」はどうちがうか

3 国連の幻想と国境の思想
ナンセンスな日本の「国連中心主義」

(貼り付け終わり)