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  1. 相田英男
    2018-03-07 21:32

    ―相田さん、お久しぶりです。本が出てからしばらく経ちましたけど、元気してます?

    (相田)ああ、おかげ様でね。あれで落ち着くかと思ってたけど、いやいやどうして。GEが、まさか、こんなことになるとはな。

    ー去年の9月過ぎから、GEの株価が急に下がったのが、ニュースで騒がれ始めました。年が明けてからも、保険の赤字で1兆円計上した、とか、すごかったですよね。ウォーレン・バフェットからも、とうとう見放されたGEですけど、まだまだ苦境は続きそうですよね。

    (相田)それもだけれど、眞子さまはこれからどうなっちゃうのかな?紀子さまとの仲も険悪だって、女性自身にも書かれてたよな。まあ、週刊誌情報だけど、相手の男があれだと、母親もやっぱ心配になるわな。いくら見た目が爽やかで、性格が優しくても、生活力が足りなくて金にだらしない男は、大勢いるからな。イケメンだけど、あちこちから借金しまくってる男とかな。眞子さまも人生経験をある程度積んだら、そんな世の男達のダメダメさも、段々わかってくるだろうけど。いかんせん、あの環境だとな・・・

    俺は別に二人で駆け落ちして、10年くらい一緒に暮らして、後になってから「やっぱりダメだったわ、お母さん」とか、眞子さまが戻って来てもいいじゃん、とか思う。でも、二人とも思いっきり面が割れてるから、何処に隠れても、オッカケが付いて来て、生活が丸裸にされるされるだろうし。若いのに大変だな、とか心配になるよな。

    日本中のオッサン、オバサンの全員が、俺と同じ気持ちなんだろうな。「できるなら皇居まで乗り込んで、眞子さまを直接説得したい」とか、誰しも思うよな。

    ーそんなこと話すために、僕を呼んだんですか?

    (相田)いや、そうじゃない。申し訳ない。今回は川崎重工の、新幹線組み立てのトラブルのニュースだったな。

    ー去年の年末に、JR西日本の車両が運転中に異音がしたので、名古屋駅で止まった事故ですよね。点検したら、何と、台車の部品がバックリ割れていた。最初は鉄道会社の運転対応の不備が責められましたが、実は川崎重工の作り方が問題だったという。川重の社長さんが記者会見で謝ったんですよね。

    (相田)俺もよくわからなかったのが、新幹線の台車が割れて壊れたという。ところが鋼材の厚さが、たった7mmのペラペラだって言うんだよな。で、そのペラペラの薄板鋼材を、台車の組み立て中に、川重の作業員が4mmまで削っちゃった。だから割れた、とかニュースに書かれていた。新幹線の台車にそんな薄板を使うなんて、一体どうなってるんだろう?と、疑問だった。今回のニュースで、川重から部品(側バリ、そく梁)の断面図が出てきた。それを見たら、ようやくわかったよ。

    台車の部品とはいえ、羊羹(ようかん)の外箱みたいに薄板を曲げて、箱型の形状にしてるんだよな。昔は多分、もっと厚い鉄鋼材を使ってたんだろう。でも今の新幹線では軽量化のために、箱の厚みをギリギリまで薄くしてるんだ。それでも設計を工夫して、外側のフレームだけで十分な強度を出す構造にしている。今回初めて絵を見てわかったよ。ものすごいハイテクの設計だと、感心したよ。でもこのハイテクの構造が、今回の事故に繋がったんだよな。残念なことだけど。

    ーあんな薄い板をさらに削ったりしたら、すぐに穴が空くだろうなとは、誰でも普通に思いますからね。また削った場所というのが、よりによって梁(ハリ)の真下の底面ですからね。あの部品で一番荷重が掛かる場所でしょう?よく今までもったと、逆に感心しますよね。

    (相田)マスコミでは、川重の安全への認識が足りないとか、専ら書かれている。けど、今回の件では「大変すみません。これからはもっと、安全と信頼性回復に努めます」とか川重に反省させても、全く意味が無いと、俺は思うな。

    ーどういうことですか?

    (相田)だって、あの構造の部品に、上から大型車両が載っかって、何トンもの荷重を支えるんだぜ。しかも、高速移動体の台車の梁だから、運転中には、振動や繰り返し疲労変形がひたすら加わる訳だ。その梁の厚さは、たったの7mmしかない。現場で組み立てる時にそんな場所を、更に削るなんて選択肢があるか?ましてや、亀裂の起点になり得る可能性が一番高い、梁の下側を削るんだぜ。安全性とか持ち出す以前に、普通はそんな技術的な判断をするか?

    俺は機械設計を本格的に勉強した訳じゃない。だから偉そうなことは言えない。だけど、例えば、板材を曲げた時に、曲がった外側には、引っ張りの応力(おうりょく)が掛かって、裏のの内側の表面は逆に、圧縮の応力を受ける。これくらいは、素人の俺でもわかるよ。応力(おうりょく、英語ではstress、ストレス)は、材料の内部で働く力のことで、物体の外から働く外力(がいりょく、英語ではforce、フォース)とは違う、というのは、言うまでもないよな。

    その時に、板の外側の一部だけが厚さが極端に薄かったり、亀裂があったりしたら、引っ張りの応力集中(おうりょくしゅうちゅう)が起きて、外側からの亀裂が貫通して、板はあっという間に割れてしまう。これくらいのことは、技術者なら誰でも、理解してるのが当たり前だと、俺は思ってる。

    ーまあそうだと、僕も思います。

    (相田)そもそも川重の作業員達は、毎日現場に行くとさ、最初にこれから組み立てる台車を現場で見る訳だ。その時に台車を眺めながら、自然に頭の中で考えるもんじゃないのか?「これは、新幹線のボディーを支える土台だ。それで、横に取り付けるこの側バリに、上からものすごい力が掛かるんだよな。新幹線の運転中には、この側バリの中央が上から押されて、下にたわむから、下側には強烈な引っ張り応力が掛かるだろうな」とかさ。

    それから「だから、側バリの下側には割れの起点になる傷とかを、出来るだけ付けちゃいけないよな。板の厚さもたったの7mmしかないから、これ以上薄くなったら、絶対にマズイよな」という具合に、連想するんじゃないか?。普通の技術者センスをもった作業者なら、そう思うだろう?

    ーあの台車の構造を見ると、梁はそういう機能になってると、普通はわかるでしょうね。

    (相田)ところが、ニュースによると、現場で実際に梁を削ったという本人は「削ることで強度が落ちて、割れるなんて全然考えなかった」とか、言っているらしい。本当だとすれば、上の俺が言った一連の発想を、全く思いもしなかった、ということだよな。本人が実際に、何十個も台車を現場で削りながら、だぜ。

    現場は別に削った本人一人だけじゃなくて、全員で40人位のチームだったんだろう?でも、周りの他の39人も、そいつを見ながら「あいつ梁の底を削ってるゼ、ああ、何かヤバそう」とか、誰も思わなかった訳だ。まさか、周りに隠れて誰も見えないところで、台車をこっそり削ってたりは、多分しないよな。

    ー現場の責任者は、削る量は0.5mmまでにしておくように、言ってたそうですけどね。

    (相田)その責任者も、一応最初に言っただけで、実際にどれだけ削ってるかは、後からは確認しなかった。そもそもが、その責任者が削るよう指示するのが大問題だ。けど、どうしても梁の底面を削らないといけないとしよう。それなら、0.5mm以上は絶対に削り過ぎないように、細心の注意を払うべきだ。

    あの新幹線の台車と外バリの、構造と機能が正しく頭の中で認識できていれば、技術者ならば普通にそうする。でも、どれだけ削ったかどうか、現場の責任者は全く関心がなかったみたいだ。責任者も問題意識をほとんど持ってない、そのレベルの認識だった、ということだよな。

    ーなんか、説明がくどいんですけど。要するに相田さんは、責任者を含めて現場の作業員全員の、技術の理解力が足りない、と言いたいんですか?

    (相田)その通りだ。現場では、0.5mm以上は部材削ったらいけない、とかルールがあって、それを紙に書いて壁に貼ってあったともいう。でも「そのルールを守らなかった」ことは、大きな問題じゃない。それ以前の、「プロの技術者としての、ごくごく基本的な技術の常識を、作業員が持っているのか」という方が、はるかに重要だ。

    どれだけ危険な事が目の前で起きていても、技術的な判断が間違ったら、それを危険だとは思わないだろう?壁にどデカく、作業ルールが紙で貼ってあってもさ。問題は現場作業員の、技術の基礎知識の不足だ。安全かどうかの認識ではなく、知識そのものが足りないんだ。だから、危険を見抜くことが出来ずに、こうなったんだ。

    彼等は全員、会社に入ってからも、材料強度や機械設計の基礎知識について、座学で教育は受けている筈だ。でも習った筈の知識が、現場で全く生かされていない。現実の物や製品を扱う際に、頭の中の知識が使われていないんだよな。

    例えば、自動車の運転免許を取って、最後の講習で、事故現場の悲惨な写真とかいっぱいビデオで見せられるよな。そこで安全運転を心がけましょう、とか聞く訳だ。その後で、本人が実際に車を自分で運転してて、すぐに歩いている人間にぶつかって、大ケガさせたとしよう。その時に「車に人がぶつかって、こんなに血が流れるなんて、思いませんでした。免許の講習では、実感が全然湧きませんでした」とか、言い訳するレベルだぜ。今回の川重の不具合は、俺にはそう思える。

    ー最後の例えは、なんか変な気もしますけど。でも40人も作業員がいて、誰も危ないと気づかないのは、確かにおかしいですよね?

    (相田)頭の中に「これは後から壊れるかもしれない」という認識が無かったら、「危ない」なんて思えないよ。本人達に悪気が全く無いんだから、周りが「安全に気をつけろ」と、散々注意喚起しても、全く意味がない。眞子さまの婚約相手みたいに、本人に悪気が全くないんだから、説得のしようがないよな。

    ーそれは‥‥‥ちょっと‥‥‥違う話じゃあないんでしょうか?

    (相田)まあ、それはともかくさ、「作り手が理屈をわかってなくても、作業のルールを決めてそれを守らせればいい」とかいうと、「それは違う」と俺は思う。ルールを決めても、その意味が理解できなかったら、「守ろう」なんてモチベーションが、湧くわけがない。ルールの前に理屈と技術がある。その理解と実践が、日頃から出来ているかどうかが、技術者にとって一番大事だ。当たり前のことなんだけどなぁ。

    俺は川重全体がこんな素人技術者の集まりだとは、思わない。川重は、幅広いタイプの産業機械を長年作り続けて来た、立派な会社だ。でも、問題の新幹線の台車の現場には、並レベル以上の技術判断が出来る作業員が、誰もいなかったんだろう。名の知れた会社でも、今回みたいなトラブルが、しばしば起こる場合がある。何でかというと、以前に俺も、似たようなトラブルを起こした、とある現場を、見たことがあるからだ。大きな声では言えないがな。

    現場の責任もあるけど、事故が起こる事例についての日頃の教育とか、注意喚起が足りなかった、会社の組織そのものに、問題があると俺は思う。

    壊れた外バリの部品は、川重が別の会社に外注して作らせたんだ。今回のN700系新幹線の設計は、川重が率先してやるんじゃなくて、JR東海とJR西日本が主催するプロジェクトで、設計が進められたという。この時の台車の部品の設計には、川重はあまり関与してないんじゃないかな。設計側があまり問題意識を持っていなくて、部品の加工を外注に出したように、俺は思う。現場に外注先から外バリが届くと、形が歪んでいたんで、後付けの部品が溶接出来なかった。というのが、問題の始まりみたいだ。自分達のアイデアで設計した部品なら、設計側も問題意識も持ってただろう。だから、外注にももっと厳密に指示を出して、歪んでない部品ができただろうな。

    ー世耕経産大臣が川重に対して、「猛省を促した」とか、書かれてましたね。

    (相田)でも、経産省の官僚の連中も、偉そうなこと言えないぜ。あいつらの方が、もっと罪深いことしてるじゃないか。

    ーと、言いますと?

    (相田)3.11福島事故の話さ。11日の夕方に、福島第一原発の対応で官邸に呼ばれた、原子力安全・保安院の寺坂信昭(てらさかのぶあき)院長は、首相の菅直人にこっぴどく怒られれた。寺坂はそれ以来、官邸に出てこなくなった。あの時、原子力安全・保安院こそが政府の先頭に立って、原発事故の収集にあたる決まりだった。ところが、その組織の最高責任者が、最初に居なくなったんだ。寺坂は東大経済学部出身だから、「原発のことは何にもわかりません」て、逃げちゃった。一体何なんだ、これは?

    ついでに当時、福島第一原発に常駐していた保安院のメンバーが数名いた。彼らが東電と連携して、現地の状況を官邸に送るルールだった。そしたら、その保安院の常駐者達は、真っ先に福島から逃げちゃった。だから現地の情報は、東電ルートからしか官邸に入らなくなって、対応がおくれた。そして、水素爆発しちゃったんだよな。保安院は経産省の下部組織で、原発事故の対応のために作られた最高組織の筈だった。そのトップと現地の派遣員の全員が、いきなり最初に居なくなるんだもんな。お前らこそ「猛省を促したい」、だぜ。俺からすれば。

    ーでも、「あの事故の対応の責任は、菅直人と民主党にある」とか、世耕は言うでしょうね。

    (相田)いいや、最初に保安院をあの組織として作った時は、自民党政権だった。だから、世耕も責任から逃げられないね。流石に文系キャリア官僚の天下り先には、保安院長のポストは無理があった。たいがいにしろよ、あいつらも。いざという時の覚悟が足りないぜ、全く。

    ーとりあえず、こんなとこですか。ところで、副島先生から頼まれた、西村肇先生の物理の本の感想文は、一体どうなってるんでしょう?

    (相田)あれか‥‥‥いや、俺が西村先生の本を書評するのも、あまりにおこがましすぎるだろう?だから、「大学時代にどうやって俺は、物理の勉強に挫折したのか」という内容にしたんだ。昔買った解析力学の参考書とかを、本棚の奥から引っ張り出して、読み返してるけど、難儀してるんだよな。

    ーでも、途中の原稿読みましたけど、かなりおちゃらけた内容だったじゃないですか。シュレディンガーは、波動方程式の解き方がどうしても分からなかった。だから不倫相手の女性の旦那に頼んで、解き方を教えてもらった、とか書いてありましたけど。

    (相田)そんな話ばかりじゃ、無いんだってば。

    相田英男 拝

    タイトル
    勉強が足りないと危険かどうかもわからない
  2. 澤田正典
    2018-01-24 00:56

     澤田正典です.会員番号2953です.今日は平成30年1月23日(火)です.

     どうせあまり長く書いても,みな,読まない.だから,簡単に書きます.

     静かな山が,地殻変動を全く起こしていない火山が,今日の本白根山みたいに,突然,爆発するでしょう.この爆発のエネルギーは,核爆発並のエネルギーなんです.そのエネルギー源を,説明できないのが,今の火山学なんです.

     水蒸気爆発とか,マグマ水蒸気爆発と説明されるでしょう.そう説明されて,わかってないのにわかったふりしちゃ,駄目です.その爆発のエネルギー源は,いったい,何でしょうか?これを,火山学者に問うことが大切です.

     これに答えることができないのです.火山学は.それぐらい,自然科学としての体裁が,火山学には欠けている.

     マグマは,冷たい地殻と密着して,何万年何十万年何百万年とかけてマントル層から地上まで上がってきたものです.マントル層は約一千度.マグマも約一千度.なぜ,冷めないのかな?同じ温度のまま,何万年何十万年何百万年も,なぜ少しも冷めないのかな?しかも地表付近で.おかしいと思いませんか?こういうことを,火山学者に,聞いてやると良い.熱力学の法則と,合わなさすぎるでしょ?と,聞いてやれ.マグマの,本当のエネルギー源は,何かな?

     マグマの中に含まれる揮発成分が,突然分離して一気に体積膨張することで爆発するという大嘘を,火山学者が,平気で言う.

     ハワイのキラウエア火山の溶岩には揮発成分がたっぷり含まれているのに,さらさらと流れ下るばかりで爆発しないですね.海の中に流れ込んでも爆発しないですね.これが現実ですね.

     2011年東日本大震災の時,震度6以上の振動にさらされた多数の東日本の活火山の一つも,爆発しませんでしたね.

     火山学の学者さん.何なら,ハワイのキラウエア火山の溶岩に,二酸化炭素を,好きなだけ足していいから,それを爆発させてみなさい.そのくだらない,小学生も騙せそうにないアホ説を,プロの学者として主張する以上,やってみろ.責任をとれ.日本の恥だ.

     原子は,プラスの電気を持つ原子核と,マイナスの電気を持つ電子で,できていますね.だから,電気的な力が,少し大きく作用すれば,電子が原子核に飛び込んで,原子核物理学的な反応をする可能性くらい,小学生でも,わかりますよね.実際,加速器では電圧で加速した電子を原子核にぶつけて実験しますよね.なんで常温核融合のメカニズムが,未だにわからないのかねえ・・物理学者さんたちもあまり,頭の良さそうな人たちじゃあ,ないよなw結構,日本の恥だから,ちゃんとやってくださいね.それくらい.

     なぜ,未だに地震や火山爆発で,日本人がある日突然,何人も何十人も何百人も何千人も何万人も死ななきゃいけないのか,もう,わかりますよね.皆様.

     それらが,天然の核爆発現象であり,その原理は誰でも理解できるくらいに単純だからです.誰でも核兵器作れちゃったら,それこそ個人ですら国家権力や世界覇権国とさえも,互角に戦えるでしょう?その程度の核爆発の原理だから,地震兵器や火山爆発兵器くらい,いくらでもいろんな方法で設計できるの.いろんな実験,やっているの.昔からずっと.日本人はモルモットにされてきたの.西洋白人に.

     だから,世界覇権国が植民地の日本に,まともな自然科学をやらせるわけが,ないじゃないですか.仁科芳雄とか,自分は連合国に守られるからサイクロトロンは残してくれる,特別扱いしてくれると,心底信じていたのに,その期待を見事に裏切られる形で敗戦後にサイクロトロンを東京湾に捨てられたから,深く落ち込んだんでしょうねえ.普通だったら,俺は敗戦国の科学者だから何もかも奪われて当たり前だくらいの感覚で,敗戦を迎えるに決まっているじゃないですか.期待できる理由が,あるわけがない.仁科芳雄は,サイクロトロンを東京湾に捨てられて初めて,ああ,俺は騙されていたのかと,思い知らされて,気づいたときは,もう母国は敗戦で滅茶苦茶にされて後の祭りだったんだよ.そんなものだよ.今でも,日本の学者の人生なんて.馬鹿にされているんだよ.心底.

     それを見抜く頭のいい日本人が,たくさんいるんだよ.私も気を抜けないの.真剣にやらなくちゃ済まないの.本当に.いい加減な仕事していると,どうせ見抜かれて,後で必ず借銭すましをさせられるから,私も覚悟を決めてやるしかないのです.

     地震の震動と,地下核実験の振動と,どこか,違うところが,ありますか?違うのは最大振動の出現位置だけでしょう.どちらも爆発振動でしょう.それでも,地震は地殻の弾性反発に伴う震動(=ブランブランというバネの自由振動のこと)だと,私たち日本人は,これからもいつまでも,騙され続けてあげなくちゃあ,いけないのかな?地震弾性反発説を主張する日本の地震学者の方たち.あなたたちは,「日本人は馬鹿ですよー」と国辱をさらしながら日本人を何万人も死なせたのだ.もう小学生も騙せませんよ.

     西洋白人にとって日本人はアニマルなんだ.アニマルが,高等生物の鯨やイルカを食うな,生意気だ,というのが,日本人に対する西洋白人の本当の考え方である.彼らは鯨やイルカよりも日本人が下だと考えている.だから西洋白人は今でもイルカを食べている.日本人に原子爆弾を落としたアメリカ白人ども.本当に許しがたい.おまえたちにも必ず借銭すましが行くからな.

     少しずつ,日本人は脳を鍛えられて,何者にも騙されない智慧と力を獲得してきているのだ.副島隆彦先生と学問道場の皆様の努力が,(もしかしたら俺みたいな想定外のやつが出てきちゃったかもしれないが)少しずつ実ってきているのだ.あなたたちは偉いのだ.

     これからも皆様を外から応援し続けます.顔晴ってください.

     澤田正典 拝

    タイトル
    本白根山の噴火
  3. 澤田正典
    2018-01-09 21:01

     澤田正典です。今日は1月9日(火)です。
     あまり体したことは書けないのですが、少し地球科学について私の考えを述べていきたいので、よろしくお願いします。

     その前に、少し政治思想について書きたいことがあるのです。リバータリアニズムという政治思想なのですが、これは政治思想なのか?わからない。だって、国家権力からの干渉を極力避けることを信念とした生き方のことだったら、古来より我が日本国にも、土百姓の一揆とかあったから、あれのことでしょ。室町時代のあれでしょう。別に外来の新思想でも何でもないと思うのです。その程度の気概なら私でも持っているから、日本人は圧政に苦しみ抜いて我慢できなくなったら、いずれ米騒動や一揆を復活させると思う。(公務員も、あんまりエラそうにするなよ。何もしてないくせに。)その日まで、ずっとこのまま、この世界覇権国の植民地の日本国は変わらん。アメリカから中国に覇権が移っても、変わらんよ。地震兵器や気象兵器すらも、いつの日かアメリカから中国へ移るぞ。

     私は日本国の言論人の中で一番立派なのは副島先生だと、私なりに分かっている。私は自分の頭は普通程度だと思う。

     ところで会員継続の案内は、学問道場は、もう私に送らないのですか?私は年会費くらいなら、払って差し上げられますぞよ。まだメールが来ていないよ。

     地球科学は、広範な分野を扱うから、私も未だ、勉強が追いつかないのです。ただ、ここだけはおかしいぞと、見抜くことのできた部分が少しある。それは一つは地球の電気的な構造についてです。

     地球は、それなりに大きさを持つ天体だから、その中心部は364万気圧くらいはあるだろうと考えられている。すると、それだけの圧力を支えられるだけの斥力が、そこにあるはずである。でなけりゃ力学的な安定が成立しない。

     では、その力は何によって与えられているのか、考えると、物理学では力は、大きい力、小さい力、重力、電磁気力のたった四つだと言っています。私は個人的には全部電磁気力だと思っているけど、まあ、それでも全部でたったの四つだ。この四つのうちのどれか、皆様も考えたらよいのだ。

     消去法的な考え方だけれど、まず核力ではないでしょ。それは中性子星のような特別な天体に当てはまるもので地球には当てはまらない。
     そして小さい力でもないはずです。これらは原子核の内部のようなごく狭い範囲でしか働かない力だから。
     重力は万有引力と言われるくらいで斥力ではないから、除外されます。
     残りは電磁気力だけです。単極の磁気を持つ原子や素粒子は今の所はまだ無さそうですから、磁力では説明できそうにありませんので、電気力しか、候補が残らないのですよ。

     すると、仮に地球の中心部は鉄の結晶の固体でできているとするならば、その鉄原子同士が364万気圧の超高圧を支えるために、どうやって斥力を得ているのだろうか。電子を追い出して、プラスの電気同士で集まって、クーロン力の斥力で支えている可能性が、一番高いと、普通に想像できませんか?私は電気的地球論というものを地道に作っているのだけれど、その考察の果てに、地震兵器や気象兵器のメカニズムが、だんだん分かってきたのです。

     地球科学でも原子核物理学でも、電気力の作用についてすっぽりと抜け落ちている部分があって、これは意図的に抜いたんだなあと、私は見込みを付けている。学校教育で使われている教科書自体に、すでにたっぷりと罠を仕込まれているから、勉強すればするほど、大きく騙されてしまう仕組みになっている。だから敏感な高校生は、たぶん学校の勉強に拒絶反応を起こすこともあるはずだ。日本国は、ここまできちゃったから、どうせもうただでは済まないに決まっている。官僚や学者さんたちも覚悟しておきな。お前達の身から出た錆だ。

     まあ、もういいや。俺は大きく諦めたから。もうお前達官僚様や学者様達とくそまじめにつきあってやる気はない。もう疲れた。バカバカしい。もう二十年以上我慢して、その挙げ句が今の日本だもんね。あーあ。くっだらねー。

     地球内核は固体の鉄であろうと考える、現在の地球科学の考え方に私は賛成する。これは地震波トモグラフィーという地震波の縦波と横波の伝搬の記録を元に推定されたモデルであり、覆すことは難しそうである。そして地球内核の周りには液体の鉄でできた地球外核があると考えられているが、これについても私は賛成する。おそらくは外核は内核から追い出された大量の電子で充満していて、そこでは鉄が固体の結晶の形を取ることができないのだ。鉄は液体か気体の形で、原子や分子の運動量の力で斥力を得ていると思われる。もちろん、その斥力の源も電気力だ。(例えば鉄の棒や木の棒を腕で折り曲げようとしたときに、棒が抵抗して跳ね返してくるでしょう。その力の源だって、電気力でしか、説明できないのです。他の力では説明のしようがないのだ。この程度のことすら物理学は一言も言わないでしょう。力は四つしかないと言っているくせに。ひどい学問である。)

     すると、その地球外核では大量の電子で溢れかえっているのだから、電気抵抗なんてとんでもなく小さくなっている可能性も想像されてくる。そこにもし、太陽風によって電流が電磁誘導されたとしたら、地球外核にトーラス状の環状電流が励起されたまま保存され続ける可能性が、考えられるでしょう。このトーラス電流が地磁気の起源であろう事が、概ねはっきり見当がついてくる。

     地磁気の起源については地球ダイナモ説とかあるけど、まあ、そんなものはたぶん間違っていると俺は思う。徒労だと思うよ。地磁気の擾乱要因のうちもっとも小さい部類のものに含まれる可能性はあるかもしれないけどね。それでも社会的地位と学歴とお金は貰えるんだもんね。それやっていりゃ。どうぞ気が済むまでやってくださいな。人の言うこと聞くわけがないもんな。学者様の偉い皆様達。東京大学卒業ですかあ。そりゃあ、えらいんでしょうなあ。おーえらいことえらいこと。ずっとやっていろよ。

     あーあ。少し話は変わるけど、陽子は反陽子と対生成するのであって、電子と対生成するのではないのだ。また電子は陽電子と対生成するのであって陽子と対生成するのではないのだ。ならば、電子と陽子の素電荷の大きさが、等しいなんて保証はない。おそらく、電子の持つ素電荷の大きさの方が、陽子の持つ素電荷の大きさよりも、極々僅かなりとも、大きいはずだ。ちょうど、クーロン力に比較して重力が比較にならないくらいに小さいのと同じように僅かとはいえ、ね。

     澤田正典 拝

    タイトル
    地球科学について
  4. 相田英男
    2017-10-13 03:59

    ―相田さんこんにちは。ずいぶん早い対談ですけど、もう東芝の話がまとまったんですか?

    (相田)この間本が出たばかりで、そんな訳ないだろう。あれだよ、アルミの話だよ。

    ー ああ、今話題になっている、神戸製鋼所(神鋼)がアルミ材料を売るときに、特性データを改ざんしたニュースですね。神鋼といえば日本を代表する老舗の鉄鋼素材メーカーですよね。東芝とか日産に続いて、「神鋼よ、お前もか」てな感じですよね。

    (相田)まあ神鋼のやったことは、非難されて当然ではある。だけど、アルミって結構難しいところがあるんだよね、材料としては。

    ー でもアルミは、飲料缶とか窓のサッシなんかで、普通に使われてるじゃないですか。ごくごくありふれた材料ですよね。

    (相田)身近にありふれているところが、アルミの問題のひとつだ。沢山出回っているから、どうしても売値を下げざるを得ないところがある。「所詮はアルミじゃないか、値段が安くて当たり前だ」と、誰もが考えるからね。でも、アルミは簡単な材料じゃない。

    本来の純粋なアルミ金属は、鉄に比べて強度がかなり低い。料理に使うアルミ箔なんか、ペラペラで簡単に破けてしまうだろう?だから、アルミを構造材料として使うには、高い強度を引き出すために、別の元素を沢山、例えば5種類以上とか、添加した合金にするんだ。多元合金(たげんごうきん)というんだけど。でも多元アルミ合金は、強度を上げた代償であまり伸びなくなる。強くても伸びが小さいという、バランスの悪い材料になりがちなんだ。

    ー それなら、バランスの悪いアルミ合金を、どうやって使えるようにするんですか?

    (相田)最初に合金のインゴットは溶かして作る。それから、鍛造(たんぞう)や圧延などの加工を加えたり、高温で加熱処理したりする。そうすると、伸びが出て特性のバランスが取れるようになるんだ。ただし、多元アルミ合金の特性には不安定なところがある。加工や熱処理の条件が少しでもずれると、特性が十分に出ない。逆に強度が落ちたりしやすいんだ。

    アルミ合金の特性を安定させるには、加工や熱処理の条件を細かく変えて、何回も繰り返す必要がある。けど、何回も加工、熱処理を繰り返すと値段が高くなるだろう。安く思われているアルミに、手間ひまかけて高くすると、なかなか買ってもらえないんだよ。だから最後の方の手順をすっ飛ばして、ユーザーに出しちゃったんじゃないかな、神鋼は。

    ー そんなことして、部品が壊れたらどうするんですか?

    (相田)鉄に比べてアルミは軽いから、飛行機や電車や自動車なんかの移動機械に使われることが多い。H2ロケットにも使われてるらしい。移動中にこれらのアルミ部材が壊れたら、とんでもないことになる。でもアルミのユーザー側も、部品を設計する時には強度にある程度の余裕を取っている。材料のギリギリの強度で使っていると、あっという間に部品が壊れてしまうからな。神鋼も、その辺の余裕を見越して手を抜いてるんだと、俺は思う。向こうもプロだから。

    ー 何のプロだかわかんないですが。でも、今のところでは、ユーザー側から問題があったという報告は無いみたいですね。神鋼のアルミ部材を使っても。

    (相田)そもそもこのアルミ材料は、太平洋戦争戦争中にゼロ戦の機体として開発された、超々ジュラルミンから派生した合金だ。元々は超先端材料として開発された合金が、今ではバナナの叩き売りみたいに安く売られてる。材料を作る側にも、なかなかつらい所もあるよな。

    トヨタのプリウスは3百万円台で売られている。だけど、使っている部品を個々でバラ売りしたら、総額は軽く一千万円を超える筈だ。ものすごい高級部品を揃えても、量産効果で無理矢理に値段を下げてるんだ。確かに消費者には良いことかもしれないけど、商売としてはどうかなという違和感が、前々から俺にはある。

    神鋼は不正な手続きをやったけど、材料が今すぐに壊れる訳じゃない筈だ。欠陥だ、自分のクルマは大丈夫か、とか騒ぎ立てても、まず壊れたりしない。冷静に対応するべきと思う。

    ー ところで、僕たちの対談も入った「東芝はなぜ原発で失敗したのか」(電波社)という単行本が、書店で発売中です。ぜひご覧ください。

    相田英男 拝

    タイトル
    アルミの話
  5. 澤田 正典
    2017-08-30 06:24

     澤田正典です.今日は平成29年8月30日(水)です.

     8月が終わっていきます.

     不正選挙.
     この夏にあった,東京都議会選挙,横浜市長選挙,茨城県知事選挙で行われた露骨な不正選挙では,それぞれの土地における,もっとも古くからの日本国の土着の地元の権力者,有力者たちが潰されていった.

     不正選挙では無いと言いたいなら,是非,それを証明してごらん.不正選挙では無かったという,証拠を示してごらん.できないだろう.だから,不正選挙だったと言うことだ.これが真実だ.

     私は,アメリカとロシアと中国が,うまく世界を管理してくれるなら,それが一番良い.ぜひ,そうなって世界が安定すると良いと考えています.来年4月に,ワールドバリューが北朝鮮の問題を片付けた後,日本国政府をどうやって処分するかについても,もう,決まっているのでしょう.日本がこれから第2次ヤルタ会談において,どう処分されるのか,である.それによって,この国の資産家の皆様の命運が決まるおそれがある.ワールドバリューは,一致して,対日債務を棒引きしましょうという,話し合いだ.そのための政治体制を,日本国に作りましょうという話し合いだ.

     さて,エーテルについて,だいたい,解明しましたが,あっけないくらいに,単純なものがエーテルの正体であった.

     エーテル=電子と考えて,おそらく一通り,既存の物理学や天文学で得られた観測事実と,整合性がとれると思います.あくまでも観測事実であって,それらの学問が主張している標準的な理論とかモデルとか仮説との整合性ではない.観測事実との整合性が得られるかどうかが大切だ.

     重力も,おそらくは単なるクーロン力であり,それは,宇宙空間自体が大きくマイナスの電気に偏った存在であるために生じる見かけ上の力である可能性が大きい.今後,さらなる検証を進めます.

     赤方偏移は,太陽から放射された電子によって散乱されて,天体から放射された光子が相互作用によってエネルギーを失ったことによって発生する,単純なメカニズムによる見かけ上の現象だと言うことは,これも,大体確からしいことだ.後は,太陽風の観測事実を元に,数値的に証明する作業です.

     物理学にしろ,天文学にしろ,観測事実では無く,欠陥著しい仮説やモデルや理論に縛られて振り回されて,学者さんたちも,大変でしょう.属国で,学者なんて,やらないほうがいいかもしれない.美味しいところなんて,世界覇権国が,属国に渡してくれる訳が無い.

     なぜ,宇宙はこれほどまでに,マイナスの電気に偏った存在なのか.これが次のテーマとなります.

     太陽,というか,おそらくは恒星という存在のほとんどが,宇宙空間において,非常に特殊な現象を起こしている.それらは,マイナスの電気に偏って,物質を大量に宇宙空間に供給し続けている可能性が強い.太陽風が,実際に,ほとんど電子で構成されていることがわかったのだから,そう判断するしか無い.

     もし,太陽が初期状態において,正電荷と負電荷の量がおおむね等しかったのであれば,太陽は,負電荷ばかりを大量に放出してきたから,今の太陽は,強烈に正電荷に偏った天体だということになってしまう.それも,何十億年間も負電荷を放出してきたというのだから,クーロン力におけるバランスから考えても,あまり現実的なモデルとは判断しにくい.

     実際は,おそらくは,太陽は地球と同じように,大体,正電荷と負電荷のバランスが今も成立していて,でも,何らかのメカニズムで物質が新しく,かつ負電荷が優位に,常に生成されていて,その余った負電荷が宇宙空間に恒常的に放出され続けてきたと考えた方が,まだ,無理の小さいモデルを構築できそうである.

     太陽のエネルギー源が核融合反応であるとは,簡単には言えない.なぜなら,「陽子―陽子反応」においても,CNOサイクルにおいても,基本的に電子を消費する働きを持つ原子核反応であって,電子が生成される,もしくは電子が余る働きを持つ原子核反応ではないからである.

     太陽からは,鉄のスペクトルが確認されているから,従来の恒星のモデルでは,すでに色々と,説明できないことが多すぎる.太陽の,本当のエネルギー源は,何か.これも,私は解明したいと考えている.

     澤田正典 拝

    タイトル
    エーテルについて4
  6. 澤田 正典
    2017-08-17 07:05

     澤田正典です.今日は平成29年8月17日(木)です.涼しい夏でした.もう,暦の通りに秋の雰囲気があります.お盆も終わった.今年も,早いものだなあと,思います.

     エーテルについての考察を続けます.

     宇宙空間について,考えてみます.宇宙空間は,何によって満たされているのか.これを,現在の科学で普通に考察可能な範囲で判断してみますと,太陽風で満たされていると考えて,一番,無理が無い.

     太陽は不思議な存在で,そこからは,常に休むこと無く,太陽風として質量をひたすら,延々と放出している存在です.放出するばかりで,吸収するメカニズムが見られない.もしかしたら,極域には想定外のメカニズムで質量吸収の仕組みを持っているかもしれないが,地球は太陽の赤道平面に近い位置にあるため,太陽の極側がどのようになっているのか,まだ観測結果が得られていない.

     さて,宇宙空間は,もう何億年間どころか,おそらくは何百億年間も,太陽のような構成によって,ひたすら太陽風を供給されて,満たされてきたといえます.太陽風は高速の0.1パーセント程度の速度は持ちますので,太陽の年齢が,まあ,50億年であれば,500万光年程度の距離まで,太陽風は到達している.銀河系の直径が10万光年,アンドロメダ銀河までが254万光年ですから,もう,太陽からアンドロメダ銀河までの距離の,さらに倍くらいのところまで,太陽風は到達していることになります.

     おそらくは太陽以外の恒星も,太陽風と同様に質量放出をしているでしょうから,宇宙空間はそれらで充満していることは間違いが無い.そして,興味深いことに,太陽風は水素プラズマでできていると言うよりも,ほとんどが電子でできている.陽子,プロトンの数よりも,電子,エレクトロンの数の方が,はるかに多い.おそらく3桁~5桁くらいは電子の方が数が多い.

     すると,過去にこれまで放出されてきた太陽風の成分比率や濃度が,現在観測されているものとおおむね同じ程度であるならば,宇宙空間は電子だらけだと言うことです.宇宙空間はマイナスの電気で満たされている.電子の数と比べて,陽子の数は非常に少ない状態が,宇宙という場所だと言うことです.

     しかも,他の恒星からも太陽風と同じように電子が放出されてきたと考えますと,それら恒星同士から放出され続けてきた電子は互いに運動量のベクトルが一致しませんので,相互作用して運動エネルギーをX線等に変換しながら,次第に低速になっていきます.それら電子の,ごく一部は,数少ない陽子に取り込まれて水素原子となるでしょうが,ほとんどの電子はあぶれて,そのまま,宇宙空間に漂う形になる.

     原子の電子軌道に吸収されないまま,時間とともに運動エネルギーを喪失してゼロへと近づき,次第に粒子としての性質をほとんど失って波の性質だけになった無数の電子が,宇宙空間には充満しているのでしょう.これが,おそらくはエーテルの正体だろうと思います.

     澤田正典 拝

    タイトル
    エーテルについて3
  7. 澤田 正典
    2017-08-04 05:28

     澤田正典です.今日は平成29年8月4日(金)です.早いもので,もう今年も8月です.

     自然科学を,自分の人生の有益なものとして,使いこなそうと思うとき,台風5号のような,おかしなところで発生して,おかしな進路で向かってきている台風があるでしょう.

     大気上空には,ジェット気流があるから,ああいう,気象学の教科書では説明できないような動きをする台風がきたら,気象兵器の存在を疑うくらいの健康な智慧を持たなきゃ,だめだよ.

     線上降雨帯みたいな,いつまでたっても動かずにそこだけ積乱雲がずっと湧き出し続けるような,おかしな気象現象が出てきて,それで人が沢山死んだら,気象兵器の存在を疑うくらいまでは,健康な判断力なんだよ.

     そして,例えば東日本大震災とか,一年前の熊本地震みたいに,3つもの震源が一気に起爆するような,その地震波形も地下核実験とそっくりな地震があったら,人工地震くらい疑った方が,まともな考え方なの.

     それに証拠を示せるかどうかは,大切なことではあるけれど,別に証拠までは無くても,自分自身と家族と地域の人たちを守るために,まずは疑うことくらいは,した方がいいの.そして,真剣に,学者だったら,自分の責任を果たすべく,日本国民と自分の命を守るために,働くの.でないと,いつまでたっても,やりたい放題にやられるの.騙され放題に騙されるの.学者だって最後は使い捨てられておしまいだよ.汚名だけが残る.

     エーテルについて,もう少し述べようと思うのだけれど,光速度は,エーテル圧が高いと速くなります.そして,エーテル圧が低いと遅くなります.光速度が絶対ではありません.光速度は変わります.

     中性子は,陽子と電子が合体しているものだから,電荷はほとんど中和されているから,ほとんど持ってはいないのだけれど,磁気モーメントを持ちます.これは,中心に陽子,そのごく近傍に電子がある状態です.そして,エーテル圧が低い分だけ,エネルギー保存則で,質量が大きくなる.陽子と電子から自由中性子を作ろうと思ったら,質量欠損とは逆に,エネルギーを与えてあげないと,電子捕獲は起きない.

     e=mc2 の式は,成立すると思います.この式が成立するには,c2が小さくなったとき,mが大きくならないと,式が成立しない.光速度cが変数なのです.定数では無い.

     重水素から重い原子核は,エーテル圧が高い状態にあります.エーテル圧が高くなると,光速度が上がります.すると,c2が大きくなります.質量は,エーテル圧によって取り得る値が決まってくる様子であるから,c2が大きくなった分だけ質量が小さくなります.なおかつエネルギー保存則があるから,もともと質量として持っていたエネルギーが残っている.それが質量という形では維持できないから,結果として質量欠損になった分だけ,エネルギーとして出てきます.

     原子核の核融合や核分裂,中性子捕獲,中性子放出等により,質量欠損が,なぜ生じるのか,光速度が定数では,いつまでたっても説明できないでしょう.

     原子核では,陽子と中性子(陽子と電子の合体したもの)の配置が,原子の種類毎に違います.核子の数が異なりますから,当然ですが,核子の配置次第で,エーテル圧が変わる.エーテル圧が変わるから,原子の種類によって質量欠損の大きさが変わってくる.

     エーテル圧が等しい環境下では,光速度も一定の値を持ちます.光速度は,エーテル圧で決定される値です.それゆえ,私はe=mc2という式は,cが変数であるという条件において,今は正しいだろうと考えています.

     光の速さをもつもの同士が正面衝突する現象は,既に実験で確認されており,10年前には,ガンマ線同士を衝突させる実験をやっています.その結果は,各々のガンマ線の持っていたエネルギーに対して,エネルギー保存則と電荷保存則が正直に成り立つ結果が得られている.と思います.つまり,別に,正面衝突する光子同士の相対速度が光速度を超えても,各々の光子にとって,相対速度が光速度を上限とすることはなく,このガンマ線同士の衝突に関して言えば,相対速度は光速度の2倍であったということです.それで,誰も困らない.わざわざ,各々の光子にとっては相対速度は光速であったはずだなどと,不必要な考察をしなくてよい.

     光速度が定数で,時間の進行速度が変数になるといった,無理な考え方を,ここでは必要としないはずです.そして,エーテル圧が等しい環境下では,まあ,光速度が運動速度の上限だと,今は仮定しても,それはそれで,別に良いと思う.

     私は,アインシュタインの導いた式が,すべて間違っているとは,言わない.ただし,光速度の考え方に,間違っていたところがある.また,量子力学が波動方程式で量子の振る舞いを定義したことは正しい.それはエーテルについて記述したものだから.ただし,何か色々と,物理学者たちは,隠したことがありそうだ.その全てが悪いとまでは言わない.

     私は測量士で,測量行政が仕事で,最終学歴の専門学校で学んだことは土木工学と測量学だけです.けれども,不思議なご縁だとは思うけど,地震学や火山学にも無関係では無くなった.すると,公務員は国家賠償法で責任を問われる立場にあるから,国民が沢山,地震災害や火山災害で犠牲になると,大きくは不作為があったことが,後日,日本国民に暴かれたとき,実際に,後で公務員は責任を問われる可能性が,あるわけです.そこで,今やれるだけのことはやっておかないと,まずい.だから,多少以上に無理を感じつつも,私は専門家の領域に踏み込むことになります.仕事だから.仕方ない.

     なぜ私が,現代物理学や原子核物理学にまで,無理を覚悟で踏み込むのかと言えば,地震や火山爆発がどうやら自然現象として発生する核爆発現象であり,マグマの熱源が,どうやら核融合反応であるからです.しかも人為的に,それらを制御できる可能性があり得る.これらを解明する,地道な努力を続けるほか,日本国民の生命と財産を地震災害や火山災害から守る行政に到達できない可能性があります.

     この時代に,日本国に,副島隆彦先生のような,極めて優れた真実言論,暴き系の学者が表に現れたことは,とても不思議です.本来であれば,副島隆彦先生のような方は,国が抱え込んで,知恵袋として,戦略立案部隊として,表には出てきてくれないはずの頭脳だ.国の宝だから.

     どう考えても,副島隆彦先生は日本国の上流階級の味方である.舩井幸雄先生もそうだった.(俺みたいな日本国の下っ端は,別に上流階級では無いのだから,本来であれば,どうぞお好きなように,で済んだはずなのに,あまりにも日本国が弱体化しすぎていて,困惑しています.いくら何でも盗られすぎだし騙されすぎである.)

     中国やロシア,アメリカといった強国では,今でも,当然,一番頭の良い奴を国家権力の中枢に,大事に置いているはずだ.なのに,日本では,最高の知性が,市井の学者として言論活動家として出てきた.こういうことが,私が生きているうちにあるとは夢にも思わなかった.大変なことになったものだと思う.

     澤田正典 拝

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    エーテルについて2
  8. 澤田 正典
    2017-07-22 11:56

     澤田正典です.今日は平成29年7月22日(土)です.

     私が高校生の頃,NHKでアインシュタイン・ロマンという番組があったのです.もう25年前の話だから,あまり記憶にある人も,少ないだろうな.

     量子力学と,アインシュタインの理論というか変な仮説ですね,それを「わかりやすく」紹介するような内容の,ちょっと奇妙な番組があったのだ.それも,月に1回ずつ,10回くらい放映していた.ミヒャエル・エンデなんかも出てきていた.

     私がこの番組でびっくりしちゃったのは,真空というもの,エーテルというものについて,ろくに説明できない理論やら仮説やらで,よくもまあ,ヨーロッパ白人たちが19世紀の終わり頃から20世紀前半にかけて,現代物理学を固めてしまったものだなあと言う,理由がよくわからない,途方に暮れたような感覚だった.(最近知ったところでは,仁科芳雄みたいな日本人も,それに協力していたみたいだしな.)今でも,その謎解きをやっている.

     本当に,物理学は,19世紀から進化したのかどうか,怪しい.加速器で原子核を破壊して素粒子を観測する実験を繰り返していれば,確かに,核子や原子核をさらに小さな粒子でモデル化するための「実験的事実」を積み重ねることは,できるでしょう.でも,その前に真空とかエーテルをどう解釈したら良いのか.その実感ある手がかりすら,未だに見当たらないのである.こんなものが物理学なのか?と私は感じている.

     例えば,手元にネオジム磁石を持つとします.ホームセンターとかに売っているやつだ.これは,動かさなければ電流を励起することはない.それは,わかる.だが,地球は自転している.日本では秒速390mくらいの速度で自転している.音速より早い.マッハ1くらいだ.地球外の静止系からみれば,そういう話になる.でも,ネオジム磁石は,私の手元で,電磁誘導による回転電流を励起しないのである.これは,磁石を飛行機に乗せたり,電車や車に乗せたときについても言えることだ.

     ということは,ネオジム磁石は,何に対して相対的に運動したときに電磁誘導で電流を励起するのか,考えることになります.これこそが現実として,エーテル場のことになるだろうと私は考える.
     単なる相対的な運動によって電磁誘導が成立するのでは無いのだ.同一のエーテル場において相対的な運動があったとき,ネオジム磁石は電磁誘導によって電流を励起するということになる.

     同じように,地球の自転の方向,及びそれとは直角をなす方向に同時に光を放射し,等しい距離に設置した反射鏡からの反射波を観測することで光の速度の差を検出し,エーテルの存在について判断しようとしても,同一エーテル場においては速度の差が出てくる,訳が無い.コンノケンイチ先生の著書が,この考え方を教えてくれた.従って,観測した結果,光速度に差が見られなかったからといって,まさか,観測者単位で光速度が絶対だなどという,異様に飛躍した仮説が出てくること自体が,普通に考えて,訳のわからないことだ.

     この異様な仮説が,アインシュタインの光速度絶対説である.普通であったら,こんな仮説,誰も相手にしないでしょう.だって,ばかばかしいもの.何言ってんのお前って感じだ.全員で思いっきり無視しますって普通は.

     こんな異様な仮説に,わざわざ,人類は全体として付き合ってやらなくちゃ,いけないのかよ.誰が,そんなふうに人類を誘導したのだ.理科系の分野から,この世の怪しげな仕組みが垣間見えるようだ.

     エーテル場というものを成立させている要因が,おそらくは重力の原因であろうから,これは実は,いずれ重力に関連した話になると思う.(どうやら,測地学的には上り坂である地形でありながら,なんと坂を登る方向に球が転がるような,とんでもない重力異常を示す土地は,日本国内にも,身近な土地に多数,潜んでいるようなのだ.びっくりだ.)これを,少しずつ,解明したいと思う.

     本当は私は,相田先生の興味深い原発分析の論文の後に,自分の文章を投稿したくない.(面白いもの.相田先生の原発の論文.中国には日本のような失敗をして欲しくない.がんばれよ中国.俺は何もしてやれないけどな.)けど,ごめんなさい.投稿させていただきます.これから,大体週一のペースで,投稿します.

     テーマは地震学や火山学も含みます.理科系全般にテーマは及ぶと思います.気楽に書いていきたい.つっこみ,歓迎します.

     シン・ゴジラというヒットした映画があって,最近,DVDレンタルで借りて観ました.面白かった.なんで最後にゴジラが凍ってしまったのか,なんでゴジラのエネルギー源が原子力なのにDNAが取得可能な細胞のタンパク質が高熱で変性しないのか,など疑問は沢山合って,それがまた面白かった.(あんなふうに勢い良くストーリー展開されてエンターテインメントにされちゃうと,観ている間は深い疑問を持つ余裕無く通り過ぎちまう.ショックドクトリンと同じ原理だ.)シン・ゴジラの「シン」は,日本国を破壊しまくった安倍晋三の「シン」だろうな.なんか暗号じみていたものな.映画の題名.

     実際,生体内核反応は実在するだろう.ミトコンドリアが積層コンデンサとよく似ている.

     澤田正典 拝

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    エーテルについて
  9. 相田英男
    2016-05-27 23:25

    相田英男です。
    今日は2016年5月17日です。
    オバマが広島に来た日です。

     フランスの有名な原子力メーカーにアレバという会社がある。先日、中田さんのブログの中で、アレバが開発したEPRという新型原発に関する話が書かれていました。

    http://blog.livedoor.jp/bilderberg54/archives/48029153.html 

     EPRについては正直なところ、私はこれまでノーマークであったので、なんであんなに建設に手間取るのだろうと不思議に思っていました。今回、中田さんのブログをきっかけに、自分でいくつかの資料をネットで探してながめてみたところ、見えてきたEPRの実情は、予想を超えたダメダメさでした。

    **************************************

    題目:ヨーロッパ新型軽水炉(EPR)は何故ダメ原発になったのか

    相田英男

    1.EPRの特徴
     EPR (Europrean Pressure Reactor) とは、フランスとドイツが共同開発した新型の加圧水型軽水炉である。EPRの最大の特徴は、福島原発のように電源が破壊されてしまっても、炉心熔融に至らず、自然に燃料の冷却を続けることができるという「受動的安全性」を備えている(と言われる)ことだ。この受動的安全性を持つ軽水炉のことを「第三世代プラス炉」と呼ぶ。現在運転中の軽水炉のほとんどは第二世代型原発にあたる。順に説明すると、第一世代炉とは第二次大戦後にソビエト、英国で作られた炉と、シッピングポート(PWR)、ドレスデン(BWR)の二つの軽水炉のことで、最初期に作られ始めた発電用原子炉である。これらを量産化出来るように改良して普及した炉型が第二世代にあたる。

     その次世代にあたる第三世代の軽水炉で、実際に建設されたものは世界でも4機しかない。それは、日本の柏崎、浜岡、島根にある、改良型沸騰水型原発(Advanced Boiling Water Reactor, ABWR)である(いずれも現在は停止中)。PWR型原発の第三世代炉は、なんだかんだで実は未だに稼働していない。この日本のABWRの4機は、第二世代よりも安全性が高いといわれるが、受動的安全性は持っていない。福島のように全電源喪失が起これば、ABWRはやはり炉心溶融する(そうならないように、電源のバックアップが整備されているが)。全電源喪失が起きても炉心溶融しない(はずの)軽水炉が、アレバのEPRと、ウェスティングハウスのAP1000であるが、共に建設中で運転実績はまだ無い。

     EPR については、10年位前に学問道場でも話題になったことがある。ヨーロッパに留学されたある研究者の方から、日本の軽水炉よりも安全性、経済性が格段に優れた原子炉が欧州で作られて、既に建設が始まっている、日本の原発技術は時代遅れになるだろう、という紹介記事が、何度か書かれていたからだ。私はその時初めてEPRについて知ることとなり、そんなすごい炉が作られたら、確かに日本は追いつけないだろうな、と思った。ところが、先の中田さんの記事によると、ヨーロッパが自信を持って送り出したはずの、EPRの調子が実はさっぱりであるらしい。

    2.EPR問題の概略
     数あるEPRの問題の中でも特に深刻なのは、圧力容器という部材の欠陥であるという。PWR軽水炉の炉心は稼働中に157気圧の高い圧力にさらされるが(BWRでは半分以下の70気圧)、この高い圧力を封じ込める部材が圧力容器である。圧力容器は軽水炉の中核となる最重要部材であり、厚みが20cmかそれ以上の分厚い鋼材で作られている(原子力百科事典ATOMICAより)。ここに欠陥があるとすれば尋常な話ではない。私がEPRの圧力容器問題についてネットで調べたら、日本の原子力規制委員会がまとめた資料を見つけた。絵付きの大変わかりやすい内容で、概要をほぼつかむ事ができる。この資料を参考にして、EPRのどこがダメなのかを、一般の方にわかりやすく解説しようと思う。

    http://www.nsr.go.jp/data/000130929.pdf
    フラマンビル3号機(EPR)におけるRV材料(上蓋、下鏡等)の鋼材組成に関する問題
    (以下は資料①とする)

     一部の説明では、アレバによる圧力容器の設計不良とされているが、この資料①を見たところでは、設計が悪いわけではなくて作り方に問題があるようである。

     資料①スライド4の絵からわかるように、軽水炉の圧力容器は長い円筒の上下に、球体を2分割したドーム形状のパーツ(上蓋、下鏡)を取り付けて作られている。問題はこの上下のドーム状の部材に、通常より強度の弱い箇所が存在していることだ。この部材は初号機のオルキルオト3号(フィンランド)を除く、建設中のEPR全てのプラント〔フラマンビル(仏)、台山1,2号(タイシャン、中国)〕で採用され、下部の部材(下鏡)は圧力容器と一緒に既に現地で設置されてしまっているらしい。上蓋はなんとかなるが問題は下鏡で、こちらを交換するには圧力容器全体をもう一度吊り上げて外すことになり、とんでもない手間と費用がかさむことになる。現実的にはアレバ単独で下鏡を交換するのは不可能だと思う。

     何でこんな事になったのかの理由も資料①に描かれている。ドーム部材の作り方は、資料①スライド4と7によると、大きな溶解炉(鉄を溶かす御釜)を使って鉄材を溶かして、円柱形状の鋼塊(こうかい)をまず作る。この鋼塊を薄くロールで圧延し、最後に型で押し潰してドーム形状に仕上げるのだという。溶解後の鋼塊の上下の部分にはスラグと呼ばれる細かいゴミや不純物が集まっているので、圧延の前にこの上下の使えない部分を切り飛ばす事になる。ところがアレバは上部分の切り飛ばしが甘く、鋼塊上部に使えない部分が残ったままで圧延にかけてしまった。その結果、絵に描かれているようにドームに成形した後で、てっぺん部分にちょうど質の悪い部材が残ってしまったという。

     何ともお粗末な話であるが、資料①の最後のスライド12には、このトラブルの防止方法もきちんと書かれている。その方法とは、単に、鋼塊をもっと大きな御釜で溶かすことだという。日本でこの部材を作る際にはスライド7のように250トン溶解炉を使うところが、アレバの溶解炉は157トンと容量が小さかった。鋼塊を大型にすることで、上下の不具合部分をたくさん切り飛ばしてやれば、質の良い部分だけで圧延が出来るでしょう、という事だ。言われなくてもわかるよ、そんな事は、てなものである。

    3.日本製鋼所(JSW)が有する、恐るべき鍛造(たんぞう)技術
     実は圧力容器を作るには、今回問題となった上下のドーム型よりも、間の円筒部分の方が難易度は数段高い。しかしEPRでは、この難しいはずの円筒部分では問題はなかったらしい。何でドームよりも円筒の方が作るのが難しいのか?円筒を作るには、板材を圧延した後で筒状にグルンと巻いて、突き合わせの部分を縦方向に直線状に溶接すれば、簡単に作れると思うであろう。初期の軽水炉ではこの方法で圧力容器は作られていた。私が論考で取り上げた原研のJPDR(動力試験炉、今は解体されて存在しない)の圧力容器も、この方法で作られていた(技術評論家の桜井淳(さくらいきよし)氏の著書「日本原子力ムラ行状記」による)。

     しかし近年の軽水炉は違う。最近の原子炉圧力容器では、円筒の縦方向に溶接をしてはいけない。原子炉を稼働する際には、圧力容器の円筒の周方向に引っ張り力が加わるため、縦方向に溶接線があると、割れる恐れがあるとASME(アスメ、アメリカ機械学会のこと)により縦方向溶接線を無くすように推奨されているのである。現在、圧力容器の筒の部分は、溶接無しの丈の短い筒を縦に数段重ねて、円周方向にグルンと溶接して作られているのである。

     継ぎ目のない円筒の作り方は、陶芸の手まわしロクロを思い浮かべればよい。鋼塊の中心に穴を開けてくり抜き、分厚いドーナッツにする。その後に高温に加熱して、回転させながら鍛造(たんぞう、高温の金属をプレス機で変形させる技術)を行い、外径を徐々に拡げてゆくのである。言うのはたやすいが、100トンを超える馬鹿でかい真っ赤に焼けた鋼塊を、大型機材を駆使して加工するのは、至難の技である。

     EPRでこの加工が難しい筒の部分にどうして問題が無いのかというと、作ったのがヨーロッパでなく、我が日本の日本製鋼所(JSW)の室蘭工場だからである。日本製鋼所は100トン以上の大型鋼塊の鍛造技術に関して、世界トップの技術力を持つ日本の誇るべきメーカーの一つだ。

    http://www.meti.go.jp/committee/sougouenergy/denkijigyou/jishutekianzensei/003_haifu.html
    資料4 (株)日本製鋼所における「技術・技能の伝承」と「人材の育成」 
    (以下は資料②とする)

     上の資料②のスライド5の中に、JSW室蘭工場で原子炉圧力容器を作る際の方法と、実際の写真が記載されている。見ただけでおよそのやり方はわかると思う。スライド5の図面に載せてあるプレス設備は、最大荷重1万トン以上の超大型の装置である。その大型プレス機の外側に巨大なリングを置いて、厚みを少しずつ減らすのだ。写真の中の人間から鋼塊リングのサイズが把握出来る。なんとも恐るべきアクロバティックなやり方で、圧力容器のシームレスリングは作られているのだ。同じものを中国でも作ろうとしたものの、ことごとく失敗したという。そりゃそうだろう。

     JSWは明治の創業以来、日本最北の室蘭で鍛造技術を黙々と磨いて来た。戦艦大和の大砲もここで鍛造されたという。JSWはざっくりいうと三井系列の兵器産業部門の中核企業である。三菱重工と並ぶ日本の国家の屋台骨を支える重要企業の一つだ。左翼連中からは兵器産業会社とか、軍産複合体の一員だとか、原発会社とか、さんざん批判されるだろうが、このような高い技術力を持つ企業が地道に活動することで、社会の安定が図れるのも疑いようのない事実だ。

    4. 圧力容器は何故割れる?
     EPRの圧力容器の作り方が悪いとして、いったい何が問題なのかを簡単に述べる。圧力容器の材料は鉄なのだが、もう少し詳しくいうと低合金フェライト鋼というもので、鉄の 中に1%ちょっとくらい他の元素を加えた合金である。水道管などに使われる安価な炭素鋼(鉄と炭素の単純合金)よりも、ニッケル(Ni)、モリブデン(Mo)、マンガン(Mn)などの特殊元素を加えて、強度を増している。資料①のスライド8に合金の成分表がある。

     EPRの圧力容器で何が問題なのかというと、運転中にバキンと割れる可能性があるかもしれない、と心配されている。金属を構造材料として使うメリットは、力を加えるとグニャリと曲がるからだ。手持ちの針金やスプーン等を探して、手で力を加えると曲がるのだが簡単には折れない(昔は関口少年のスプーン曲げとか、テレビで話題になった。わかるのはジイさん連中だけだろうが・・・・)。一方で、力を無理に掛けると、曲がらずに割れてしまうセラミックスのような材料は、構造材料としては危なくて使えない。金属に力を加えた時にグニャリと曲がる現象を、冶金学(やきんがく)では塑性変形(そせいへんけい、plastic deformation)と呼ぶ。構造材料として重要な性質は、強度が強いだけではなく、塑性変形が可能であることである。だから鉄のような金属材料が重宝されるのだ。

     鉄鋼材料は金属の中で構造材料に最も広く使われている。しかし鉄鋼材料にはある問題があって、温度が低くなると塑性変形が出来なくなり割れてしまうのである。鉄は温度が下がるとセラミックのように 、恐ろしくもバキンと割れるのだ。なんで温度が下がると鉄が割れるのか、それは鉄の塑性変形の主体となる「らせん転位(てんい)」(screw dislocation、金属の結晶の中に存在する原子1個分の線状のズレのこと)という格子欠陥(こうしけっかん、lattice defects、金属結晶中の原子の規則配置のズレの総称)の一種の動きが、温度が下がるに伴って急激に難しくなるためである。らせん転位が動きにくくなると、力を加えても鉄が変形出来なくなり、曲がるより先に割れてしまうのである。なんで、らせん転位が低温で動きにくくなるのかというと、パイエルス力という結晶周期に対応する力が転位に作用して、その大きさが低温になると・・・・・・、となる前に話をやめる。

     これがフェライト系鉄鋼材料(体心立方結晶(BCC構造)を持つ鉄合金のこと、BCC結晶についてはWikipediaとかを見てください)で生じる「低温脆性(ていおんぜいせい)」のメカニズムである。広瀬隆(ひろせたかし)よ、あんたは私が上で書いた内容を正確には理解出来ないだろう。広瀬は「原子炉時限爆弾」という本の中で、原子炉メーカーの技術者は金属材料について 全くわかっていないと、無責任にもほざいていた。私は原子力には関係無い会社にいるのだが、これくらいの金属の基礎知識は、企業研究者ならば誰でも持っている常識なのだ。いらぬ心配を拡めて世間の不安を煽るな、アホ。

     ちなみに、鉄にクロム(Cr)という元素を13%以上加えた合金をステンレス鋼と呼ぶ。クロムの作用により、鉄の表面に不動態皮膜(ふどうたいひまく)という薄い皮膜が出来て、サビにくくなるのだ。さらに鉄にクロムを18%、ニッケルを8%加えると、結晶構造が 面心立方構造(FCC構造、Wikipediaとか参照のこと)に変化して、低温でもらせん転位が動きやすくなるため、低温脆性が原理上起きなくなる。この材料がオーステナイト系ステンレス鋼と呼ばれるもので、サビにくくて低温でも割れないという、優れものの材料である。一般に18-8ステンレスと呼ばれる材料がこれである。

     こんないい材料が出来てバンザイと、最初は皆喜んでいたのだが、世の中はそんなに甘くはなく、オーステナイト系ステンレス鋼もやはり割れてしまう場合があったのだ。これが「応力腐食割れ」(おうりょくふしょくわれ、stress corrosion cracking, SCC)と呼ばれる現象である。応力腐食割れはBWR型軽水炉の部材で多発し、関係者を大いに悩ませることとなる。私の原子力の論考の第5章で触れると思う。

    5. 初めからヤバイと思っていたアレバ
     話がそれたが、鉄が低温で割れるとはいえ、通常の材料で割れるのは、零下何度の低温での話である。軽水炉の圧力容器が零度以下に冷やされるのは、ほとんどあり得ないことなので、原子炉で鉄を使うことには全く問題はない。しかし、鉄の成分が資料①のスライド8の表の値から外れて、不純物などが多数混入してしまった場合は、室温(20℃くらい)か、場合によっては100℃を超える高温でも、割れが生じてしまう場合がある。EPRの圧力容器では、これが起きる可能性が高いことが確認されている。

     上の説明のように、鉄鋼材料はある温度以下に冷えると急激に割れやすくなるのだが、この温度を延性-脆性遷移温度(えんせいぜいせいせんいおんど、ductile brittle transition temparature, DBTT と略す)とよぶ。DBTTより高い温度では鉄は割れずに、DBTTより低温になると割れやすくなるということだ。

     DBTTを評価する方法が、資料①にも記載されているシャルピー衝撃試験と呼ばれるもので、角棒形状の鉄の試験片を横に置き、その中心を振り子の先に付けたハンマーで叩き割るという、ユニークな実験である。試験片は振り子の最下部に置かれ、試験片を叩き割ったハンマーが、その後にどれ位の高さまで上がるかにより、鉄の割れやすさを判断する。割れやすい(変形しにくい)材料では、ハンマーが当たった瞬間に破断するため、その後にハンマーは高い位置まで上昇して最後に落下する。一方で変形し易い材料では、割れる前に試験片が変形してハンマーのエネルギーを吸収するため、ハンマーは低い位置までしか上がらない。試験片を叩き割ったハンマーの動きで、鉄が割れやすい(脆性)、または、割れにくい(延性)かどうかの、判断が出来るのだ。

     資料①のスライド2によると、ASN(フランス原子力局、日本の原子力規制庁に相当する組織)からの要求に従って、アレバが 米国製EPRに使用する予定の上蓋から試験片を採取して、シャルピー衝撃試験を行った。その結果がASNが定めた安全規格値を満たさなかったことが、問題が大きくなったきっかけらしい。面白いのは資料①スライド2の説明で、

    ―引用始め―

    AREVAは上蓋・下鏡を新しい方法て製造することとした。2008年以降、ASNとAREVA間て設計が妥当であることの評価方法を協議。合意を得ず、AREVAは製造開始。

    ―引用終わり―

    という記載があることだ。ASNとアレバの間で、新しい作り方について協議をしたものの、物別れとなり、ASNが疑惑の目を向ける中で、アレバは勝手に圧力容器を作り始めてしまった。そして、容器を実機に組み込んでしまった後で、衝撃試験の結果が基準に満たないことがわかったのだ。アレバのやり方はある意味、確信犯的なやっつけ仕事であり、安請け合いして仕事をミスする三流メーカーによくあるパターンだと思う。

     さて、上の引用で「新しい方法」と書かれているならば、「古い方法」もある筈である。古い作り方とは一体どのようなものなのか?おそらく誰もが察しがつくであろうが、フラマンビルの前に造り始めたEPR初号機であるオルキルオト3号機の、上蓋・下鏡の製造元はJSW(日本製鋼所)だったのだ。JSW室蘭の250トン溶解炉により最初の上下の蓋は作られたが、EPR2号機以降になるとアレバはJSWでの製造を止めて、フランスの子会社で内作させることとしたのだ。しかし、アレバの「新しい方法」がJSW等のそれまでのセオリーから離れた作り方だったため、ASNが疑問を呈した。そしてASNの危惧に全く沿う形で、実機に欠陥が見つかってしまったのだ。

     次の資料のスライド12の中に、JSWが作ったERP用の圧力容器、蒸気発生器の部材の一覧が記載されているので、確認して頂きたい。

    http://www.aec.go.jp/jicst/NC/senmon/kenkyuukaihatu/siryo/kenkyuu08/ka-si08.htm
    資料第1号 室蘭製作所における原子力発電機器用鍛鋼品の取組み
    (以下は資料③とする)

     資料③のEPRに関する表において、上下の蓋はそれぞれ①(Closure Head)、⑦(Bottom Head)に該当している。オルキルオト3号機の①⑦にはF(おそらくFinish、製造完了のことか)マークが記載されており、JSWが作ったことが確認されるが、それ以降のフラマンビルと中国の台山1の原発では、①⑦にFマークの記載は無く、JSWは上下蓋を作っていないことがわかる。そして、フラマンビル、台山は既に圧力容器の据え付けを完了して、建設工事は終盤に差し掛かっているのである。もはや、あちゃー、としか言えない状況である。(台山2号機も圧力容器は既に設置済みで、上下蓋①⑦は多分アレバ製である。米国EPRの圧力容器はまだ現地設置されていない)

    6.世界最新鋭の原発は張子の虎だった
     今回の事例から見えて来たのは、ヨーロッパでの物づくり技術力の著しい低下だ。日本で鍛造を行う場合は、JSWの技術が基準となることから、アレバのような失敗は(現状では)まずあり得ない。10年くらい前の原子力業界御用達の業界紙である「電気新聞」の記事で、EPRの建設工事を見学した技術者のコメントを読んだ記憶がある。それには、「日本の原発の建設現場に比べて、EPRではかなり時代遅れな方法が多く使われていた」、とあったと記憶している。EPRの特徴としては、旅客機が衝突しても壊れない、とか、いかなるトラブルが起きても安全性を確保できる、等の先進性が広くアピールされていた。おそらくは設計段階では、そのような性能が盛り込まれていたのだろうが、その先進性を実機の建設に反映できなかったのだ。

     EPRの概念設計はおそらく80年代から始められていたと思う。その時点では、欧州でも第2世代軽水炉の建設を経験したベテラン技術者達が多数存在し、先進的な設計を取り込んだとしても十分に実現性があると、関係者達は見込んでいたのだろう。しかし、時が経つにつれてベテラン技術者達は少しずつ現場から離れて行き、「現実の物づくりの困難さ」の認識が、開発担当者達の中で徐々に薄れてしまったのではないのだろうか。

     上の資料③スライド12によると、初号機のオルキルオト3号の圧力容器、蒸気発生器は全て、JSWで作られている。流石にアレバも、最初の1発目は信頼できるメーカーに全てを任せたのだが、2号機以降では少しずつ内作に切り替えた様子が伺える。アレバがJSWから内作に変えたのは、納期の短縮とコストダウンの必要に迫られたからだと思う。「主要機器がまともだった」オルキルオトの建設が10年以上遅れて、違約金や追加工事の予算がアレバの経営を圧迫するようになった。続くフィラマンビル、台山では、そのダメージを少しでも取り返すために、圧力容器の一部を内作に切り替えたのが、結局は仇になった、ということだ。

     この圧力容器のトラブルはアレバとEPRの致命傷といえる。EPRは張子の虎だったのだ。

     高性能のマシンを提案することは立派なのだが、商業設備ならば安く作って利益を上げることも大切だ。高性能の機械を安く作るには裏付けとなる高い技術力が必要なのだが、アレバの、圧力容器という最重要機器を作る際の技術判断をみると、あまりにもお粗末としかいえない。最近の風潮で、プレゼンテーションなどのバーチャル技術は素晴らしいのだが、現実の物作り技術が遂にバーチャルに追い付かなくなったのだろう。I to T〔Internet of Things(モノのインターネット化)〕等といった、美辞麗句で誤魔化しても、日々の地道な継続と積み重ねがなければ、現実の物はつくれないことの証明である。技術力が衰えつつある日本も他人事ではない。

    7.台山(タイシャン)原発は一体どうなる?
     他人事でない話はもうひとつあり、それは中国の台山に造られてしまったEPRだ。こちらの2基の圧力容器には、アレバが「内作」した部材が既に設置されてしまっている。彼らはこいつを、これからどうするつもりなのか?私の予想では、新規部材への交換はせず、このまま稼働させると思う。フラマンビルの方はASNが待ったをかけても、台山の稼働の判断はアレバと中国政府の取決めで決められる。おそらく手間と金のかかる交換等せずに、このまま運転するだろう。

     資料の①によるとアレバはASNに、欠陥があったとしても圧力容器が脆性破壊する(バキンと割れる)ことはない、とコメントしているらしい。一見開き直りにも思えるアレバの主張であるが、これには実は一理あり、現在稼働中のアメリカの軽水炉の中には、圧力容器の劣化が進みDBTTが100℃を超えるプラントが現れている。しかしASME(アメリカ機械学会)は、圧力容器が破壊に至るには材料の脆化以外にも、相当に厳しい条件が加わる必要があるため、これらの原発でも脆化の状況を継続監視しながら運転を行うことに支障はないと、判断しているという(桜井淳「日本原子力ムラ行状記」による)。

     日本でも九州にある玄海1号機等の旧式の原発では、DBTTが100℃を超えて上昇しており、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動して炉心が水で急激に冷やされた場合に、大きな熱応力(大きな温度差により圧力容器内部に働く力のこと)が加わり、圧力容器が割れて大惨事になるという警告を、東大金属工学科の教授だった井野博満(いのひろみつ)氏が行っている。しかし元東大教授の井野氏といえども、権威のあるASMEの判断を覆すのは難しいと思う。(結局のところ、玄海1号炉は2015年12月に廃炉が決定された)

     私の論考の第5章のネタばらしになるが、井野氏は武谷三男(たけたにみつお)の愛弟子の一人である技術評論家の星野芳郎(ほしのよしろう)が組織した、現代技術史研究会というグループのメンバーである。実は西村肇(にしむらはじめ)先生も、この研究会のメンバーである。一方で先に触れた技術評論家の桜井淳氏は、原研等で原子力実験に携わりながらも、星野芳郎に弟子入りして評論家としての指導を受けており、星野の正当な後継者を自認している。しかしその桜井氏は、井野氏を始めとする現代技術史研究会のメンバーの主張を、正当な技術論から離れた左翼政治運動の一環であると、厳しく批判しているところが面白い。ちなみに元は原発容認派だった桜井氏は、福島事故をきっかけに軽水炉の即時廃止を主張するようになった。

     話は戻るが、アレバの言うように、台山原発の圧力容器の一部が脆化していたとしても、すぐには破壊することは無いのだろう。しかしEPRは全くの新設計の原発であり、未だ運転実績はない。EPRは、他の第2世代原発のような枯れた技術による機械ではないため、「想定外」のトラブルが起きないとは言えない。仮に圧力容器が破損しても、EPRでは「受動的安全性」による多重防護装置が機能するため、他の原発よりも安全だとアレバと中国が言い張るのなら、何をかいわんやであるが・・・・

     このような状況に至ったならば、日本も台山原発が少しでも安全に稼働するように、積極的にコミットするべきだと思う。南シナ海に面した台山が事故ったならば、日本への影響も避けられまい。アレバから圧力容器の図面を入手して、独自に強度解析を行って検証するなど、先方に要求しても良いのではないのか?資料①などでは、日本の原子力規制委員会も調査は進めているようだが、静観するだけでは済まなくなるだろう。

     副島先生の新刊ではないが、今後中国が世界覇権国として台頭するならば、原発大国として米欧日に取って替わるのも、避けられない必然だ。左翼が主張するように日本の原発を全てシャットダウンしても、共産党が支配する中国、そしてロシアでの新規な原発建設を止めることは出来ないだろう。この事実を冷静に受け止めて対応する姿勢が、今の日本の識者達にあるとは言えまい。

    相田英男 拝

    タイトル
    中国で建設中のアレバ製原子炉には欠陥部品が使われている。それでも彼らは交換せずに稼働させるだろう。あとは野となれ・・・である。
  10. 1094
    2016-04-23 07:13

    参考
    http://www.fitweb.or.jp/~taka/Nyadex.html

    「反原発」異論』をめぐって 松岡祥男(「猫々だより140 2015.2)

     吉本隆明『「反原発」異論』(論争社)を読んで、その刊行の意義はじゅうぶん認める。けれど同時に、なんか嫌な感じもした。
     副島隆彦の「序文」は、「反原発」を〈正義〉と錯覚する倫理的反動を真っ向から批判している。しかし、原発(福島第一原発事故)を〈踏み絵〉にしている点では、「反原発」を主張する人たちと同じだ。わたしは、それに反対である。あの東日本大震災と福島第一原発事故で避難を余儀なくされている人々のことをおもうと、とうてい副島のように言えないと思うし、また〈事態〉に対して無力だからだ。こういうことは〈面々の御はからい〉がほんとうなのではないのか。
     たとえば、遠藤ミチロウは福島県の出身で、震災以降は、救援のコンサートを企画したりしている。彼が仮に「反原発」の立場にあったとしても、それは当然だとおもう。そうだったとしても、彼は吉本隆明を尊重する気持ちを少しも失っていないことは、先のNHKの番組(「戦後史証言プロジェクト 吉本隆明」)をみても明らかだ。吉本隆明が存命だったら、遠藤ミチロウの活動を励ますことは疑いない。
     「原子力」に対する基本的な認識と「原発事故」とは微妙に位相が違うし、その全体の構造は多岐に渡っている。それを是か非かの一点に集約して〈踏み絵〉にすることはできないはずだ。
     原発の事故に〈責任〉があるのは、誰がなんと言おうと〈政府〉と〈電力会社〉であり、地域住民はそれに対して、どんな立場をとろうと〈自由〉なのだ。そして、原発の設置や再稼動は周辺住民の〈直接投票〉で決すべきだと、わたしはかんがえる。そんなことは、今の状況では実行されることはないとしても、それが国家を開くということだ。
     それに、この大将(副島)はご立派なことに、「弟子」を従えているとのことだ。吉本隆明は「弟子」など一人も持たなかった。むろん、わたしなどそういう器量は初めから持ち合わせていない。

     「それでも原子力の研究を続けねばならない」と吉本が書き続けたので、吉本隆明の熱心な読者及び吉本主義者だったものたちまでが、吉本のこの考えに距離を置いていった。その代表は糸井重里氏と坂本龍一氏だと私は考える.
                     (副島隆彦「悲劇の革命家 吉本隆明の最後の闘い」)

     「それでも原子力の研究を続けなければならない」というのは、揺るぎない〈基礎〉的な科学的真理である.
     しかし、どうして、吉本思想の「背教者」として糸井重里を挙げるのか。わたしはこの発言に強い違和感を覚えた。
     糸井重里は、評論家でも思想家でもない.吉本隆明との関係でいえば、年齢の離れた友人みたいなものである。遠くからみていても、糸井重里は昭和女子大学人見記念講堂での「芸術言語論」という大規模な講演会の開催や、『五十度の講演』を刊行して、晩年の吉本隆明を応援してきた。多少やりすぎに見えたことはあるけど、〈善意〉の人というべきだ。その糸井重里をここで槍玉に挙げるのは、絶対に不当である。
     また、坂本龍一は音楽家で、もともとお坊ちゃん育ちの、極楽トンボなのだ。いまさら取り立てていうほどの存在ではない。どうしてもそういう人物を挙げろと言われたら、わたしなら芹沢俊介などを挙げるだろう。
     そもそも、誰が吉本隆明(その思想)と〈距離〉を置こうと、〈背反〉しようと、その人の勝手であり、そんなことは、本質的にどうでもいいことである。なぜなら、じぶんにとって、吉本隆明がどんなに重要な〈存在〉であるかが問題なのだから.
     そういう点で、副島の「吉本隆明は、敗北し続けた日本の民衆の、民衆革命の敗北を一身に引き受けて死んでいった悲劇の革命家だ」という総括に全面的に同意するとしても、その発想は党派的思考でしかない。それは政治から宗教にまでまたがる、あらゆる宗派思想の止揚をめざしてきた吉本隆明の全営為に〈逆立ち〉するものだ。それら全部を「吉本主義者」という倒錯の言葉が表象しているといっていい。
     だいたい、この本の編者も含めて、六〇年安保闘争、「反核」運動、オウム真理教事件、福島第一原発事故というふうに、象徴的なことがらを捉えて、「悲劇の革命家」といっているけど、わたしはそういうところだけで言うのは〈一面的〉だとおもう。
     吉本隆明が真に〈革命的〉な思想家であったのは、言語表現論や共同幻想論や心的現象論をめぐる〈体系的構築〉は言うまでもなく、晩年の負けると決まっている〈老い〉との闘いを最後まで止めることなく身をもって〈開示〉しつづけたことをはじめ、オウム真理教事件のことを言うなら、同時期の阪神大震災に対する的確な〈分析〉なども抜かすことはできないはずだ。そういう〈切実な課題〉に真向かいつづけたところにある。
     もちろん、ろくに読みもしないで、出鱈目なことを言いふらしたり、じぶんの限界を棚上げし、世論の動向に迎合して、吉本隆明を中傷する輩はごまんといる。だから、姜尚中みたいな連中と〈闘い〉は終わることはないのだ。

     この『「反原発」異論』に収録されているものと、「編者あとがき」で紹介されているもののほかにも、大阪で行われた「ハイ・イメージ論199X」(1993年)の講演の後の質疑応答がある。
     吉本隆明は、明確に〈敵〉(わたしにそう語った。その党派性を否定していたからだ)と位置付けたうえで、「デス・マッチをやってもいいんだぜ」というふれこみのもと、いつもそうであるように〈単独〉で臨んだのである。
     吉本隆明はどんな場合でも、講演会の主役はそこに集った〈聴衆の一人ひとり〉であるという原則を持っていたからだ。
     そして、次のように質問に答えている。

     それから核エネルギーのことですが、これはなかなか確定的な論議がしにくくて、僕も確信を持っていえないけれど、エネルギー産業だけでなく学問も技術も実際の工業も、一般的に科学技術的なものは全部、少ない費用で多くのエネルギーを得られるもの、より安全でより精度の高いものを科学技術が生み出せば、今まであった産業は衰退してしまう。これが自然科学や技術の趨勢というか、一般てきなあり方だと思うのです。だから原子力エネルギーよりも効率的で公害が出なくて、あらゆる面でこれより良いエネルギーの取りかたが可能になれば、原子力発電というものはひとりでに衰退して行くだろうと思います。仮にいくら核エネルギーに固執しようとしても、より経済的でより安全なやりかたが生まれてくれば、原子力発電みたいなものは直ちに衰退に向かうだろうと思っています。

     だから核エネルギー肯定論者でもなんでもないですけれど、科学技術というのはもっといいものを必ず生み出します。蒸気機関車から段々進んできましたし、石炭から石油になったようにエネルギー問題も段階が進んできました。必ずいいものはできますから、ある期間だけ日本は40%使う、フランスは99%使ってるというふうになってますけど、それは危険でもありますけれど、技術者がものすごく気をつけて、反対する人がその情報をよく疎通させて、少し危ないとすぐ指摘できるようなシステムを作っておけば、ある程度はそれでやれるし、止むを得ないこともあるんじゃないかと思いますから。
     僕は核エネルギーに対してやみくもに反対していないことは確かです。そういうこといつでも怒られています。「あいつはけしからん」といつも怒られています。危険なことをわざわざやらせるわけでもないし、やらせる立場でもない。僕が云って別に何が変わるわけでもないですけれど、自分の経験と考えではこういうことです。
             (吉本隆明「ハイ・イメージ論199X」質疑応答)

    タイトル
    参考<「反原発」異論』をめぐって 松岡祥男>
  11. 相田英男
    2016-04-23 07:02

    みなさんこんにちは。相田英男です。

    これからここに、5回に分けて、私の論考「思相対立が起こした福島原発事故」の第4章「理不尽すぎる審判」の全文を載せます。この章は私が最も書きたかった内容なので、読み応えがあると思います。

    実は第4章の内容は、1964年2月と3月に国会(衆議院)で開かれた3回の委員会の議事録からの抜粋です。例えば以下から議事録の全文が読めます。

    http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0068/04603120068009a.html 
    ( 第046回国会 科学技術振興対策特別委員会 第9号 昭和三十九年三月十二日)

    (注:同じ第046回国会の ① 科学技術振興対策特別委員会 第4号 昭和三十九年二月十三日、② 科学技術振興対策特別委員会原子力政策に関する小委員会 第1号 昭和三十九年二月一九日、についてはリンクが上手く貼れなかったので、国会会議検索システムから辿って下さい。
     http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/main.html )

    この中でも、3月12日の委員会こそが最大のクライマックスであり、日本の原子力の方向と福島事故への道筋が決定付けられた日です。この日の議事録を私が見つけた時の、驚きと怒りは今でも忘れません。上の議事録を読んで頂ければ別に事足りるのですが、長いし、余計な会話も多いし、登場人物達の立場などもよくわからないと思うので、以下の私の抜粋を始めにご覧ください。

    ちなみに、この中で私が最後までわからなかった、2月20日に菊池理事長がいきなり辞表を出した経緯については、ferreira(フェレイラ)という方ブログの中で先日、驚きの真実が掲載されていました。
    http://ferreira.exblog.jp/

    ferreira氏によると、当時発行された右翼雑誌「全貌」の64年5月号に、原研の裏事情が全て書かれているそうです。(私もそこまでは調査がまわりませんでした)原研のリーダーであった菊池理事長が、稚拙なマネージメントをした結果が、自らを窮地に追い込むことになったみたいです。やはり菊池は年末の国1号炉のスト事件で限界に達していたのかな、とも思えます。

    有史以来初めての、原子炉にテロを掛けられた研究所長になってしまった重圧は、相当なものだったのでしょう。育ちの良いボンボンの菊池は、追い詰められた土壇場の状況では脆かったのですね。茅誠司のような叩き上げ学者ならば、何事も無く混乱を収めることが出来たでしょうが。茅誠司は左翼学者に凄く嫌われていたので、原研理事長は無理だったのですが。

    それでも、2月19日の委員会での菊池理事長が述べた、原研の今後の技術方針は、筋の通った素晴らしい内容です。こういうプランを持っていた菊池を追い詰めた、周囲の連中が愚かだったと、私は思います。

    今回、ferreira氏と私の力で、日本の原子力開発における最大の闇の部分を切開して、光を当てられたと考えています。64年の2月と3月の出来事が、全てを決めていたのです。これらの議事録がオープンであるにもかかわらず、この内容に踏み込まなかった日本の科学史家達は、どうしようもないと思います。彼等は皆、武谷三男、広重徹の影響で、左翼バイアスが強すぎて、事実がありのままに見えなくなっているとしか思えません。

    ここで書いた事件について詳しく調査して纏めると、博士論文が書ける位の濃密な内容でしょう。但し悪名高い「全貌」からの引用は、流石にできないでしょうが。

    相田英男 拝

    *************************

    相田英男
    「思想対立が起こした福島原発事故」
    第4章 理不尽すぎる審判
    4.1 原研とはおいらん道中なのか?
    4.2 菊池正士、国会に立つ
    4.3 最強の刺客あらわる
    4.4 訪れた運命の日
    4.6 打ち出された「森山ドクトリン」
    4.6 悪いのはすべて理事長
    4.7 オセロの駒にされた原研労組
    4.8 正義は何処にある

    ************************
    第4章 理不尽すぎる審判
    4.1 原研とはおいらん道中なのか?
     
    63年末から半年の間、JPDR導入をきっかけに労使問題で紛糾した原研の様子について、科学史家の吉岡斉(よしおかさとし)は、主著である「原子力の社会史」の中で次のように記している。

    ―引用始め―

    (原研では)1959年6月以来ストライキが頻発し、(中略)労使関係が極度に悪化したため、原研首脳陣の人事面での管理能力の欠如が、クローズアップされた。このように原研という組織自体が、政・官界の強い不信感にさらされた。そうした不信感の高まりを受けて64年1月、衆議院科学技術振興特別委員会が、原子力政策小委員会(中曽根康弘委員長)を設置し、「原研問題」の調査に乗り出した。そして三ヶ月後の64年4月、特別委員会は統一見解をまとめ、原研改革の基本方針を提示した。(中略)それ以降原研は、政府系の原子力開発の中枢機関としての地位を剥奪され、研究所内の管理体制が大幅に強化された。

    ―引用終り―

    相田です。ここでの吉岡の説明はすこぶる簡単なものだが、その最後には「原研は、政府系の原子力開発の中枢機関としての地位を剥奪され(た)」という、なんとも尋常ではない記述がある。第4章では、この吉岡のいうところの、原研が「原子力開発の中枢機関としての地位を剥奪される」過程を、具体的に追ってゆくこととする。

    さて63年12月のJPDR(動力試験炉)の引取りを終えて、年が明けた64年1月には、自民党政治家達の手により原研の混乱した状況を収拾するため、中曽根康弘を委員長とする「原子力政策小委員会」が設置されたとされる。しかし、具体的な動きが公に確認されるのは、翌月2月13日の「第46回国会 科学技術振興対策特別委員会 第4号」である。議事録によると、この日は島村武久が再び登場し、社会党の久保三郎(くぼさぶろう)議員からの質問への答弁を行っている。

    久保議員の質問は原子力行政全般に関する広い内容で、ここでは特に引用は行わない。ただ、年明け以降にJPDRが停止している理由について、久保議員は「GEからの引き渡しが終わった後で、JPDRに故障が見つかったためではないのか?」と問い質した。これ対し島村は、「JPDRの停止理由は、労組との争議(ストライキ)協定が切れていることも一因であり、協定締結次第に運転に取り掛かる予定である」と回答している。

    第3章で記したように原研では、GEからJPDRを受入れるために、11月28日に労使間の争議協定(スト実施前の24時間の猶予を設けること)が慌ただしく締結されたものの、引渡し後の12月末には協定は失効していた。年明けから原研の労使間では、新たな争議交渉が進められていたものの、未だ合意されておらず、それが解決できないとJPDRの運転は出来ないことを、島村はさりげなく訴えている。このJPDRの新たな争議交渉は、この後、様々な外乱が加わることで難航する羽目となる。

    2月13日の討論でもっと面白いのは、同じ社会党の岡良一議員と科学技術庁長官の佐藤栄作とのやり取りである。以下に議事録から一部を引用する。

    ―引用始め―

    (岡委員) いま問題になっておるのは、原研の組織と運営がこれでいいかという問題でございます。八年の間に五百億をこえる国家資金を投入しておるはずでございますし、また、原子力政策の中核として国民の大きな期待をつないでおる、原研が、現状でいいのか。あるいは原研の組織、運営の刷新、そのためには日本の原子力政策そのものがもう少しきちっとしなければいかぬ。いわば、原研にもし混乱がある、あるいは停滞があるとすれば、その大きなバック・グラウンドとしての責任は、むしろ原子力政策そのものにある、原子力委員会にある、こう申し上げたいのでございますが、この原研の停滞、混乱、紛争というものの真の原因というものを、われわれが前向きに解決しようとするならば、ここまで掘り下げて考えるべきではないか、こう思っておるわけです。この点、長官の御見解を承りたいと思います。

    (佐藤国務大臣) どうもこれは事柄の性質上、どこか責任者を明らかにしたいというお気持ちがおありのようですが、私考えますのに、第一段は、特殊法人でございますから、特殊法人内部において解決すべき事柄のように思います。さらに、それが方針を決定する立場においては原子力委員会、あるいは原子力委員長である私自身がそういうことを考えるべきですが、そう理屈っぽくならないで、今日までのところまだ基本的な方針もはっきりなっておらない、これは事実でございますから、ただいま何があるのだと言われれば平和利用という、それだけははっきりしておるから、その方向でさらにこれを掘り下げていく。これは原子力委員会等においても問題だろうと思います。(中略)

     そういう事柄と関連をいたしまして、私どもの立場は、管理者(引用者注:原研理事側のこと)に対してのいろいろの要求はできる。しかしながら、組合側に対してどうこうという問題は、これは管理者の中できめることじゃないだろうか、かように実は思っておりますので、労使双方の紛争の渦中にはなるべく入らないように注意しておるつもりです。(中略)

    問題は、やはり私どもが方針として明示するもの、これは管理者に対してする。それから労使双方の問題は管理者内部の問題である。やはり区別して考えて、組合の内部の問題まで原子力委員会の責任にするというのは少しぼやっとしておりまして、範囲が広過ぎやしないだろうか。(中略)なるべく労使双方の紛争は労使双方できめていく、そういう形でありたいものだ、かように思っております。

    ―引用終り―

    相田です。岡議員は、「原研がここまで混乱した原因は、原子力政策がきちんとしていないためではないのか、原子力委員会はこの事態の収拾にもっと積極的に取り組むべきではないのか」と、原子力委員長の佐藤大臣に迫った。岡議員の主張は、私にも大変もっともなものだと思えるが、これに対して佐藤は、「労使紛争の解決は原研内部の話し合いで行うことが筋であり、原子力委員会はこれに介入するつもりはない」と、責任をかわした。どんなに原研でもめごとが起ころうとも、労使関係という組織の内部問題には原子力委員会は関与しないと、佐藤は逃げを打った。

    しかし、このような弱腰の回答を受入れる岡議員ではなかった。少々長くなるが、岡議員の佐藤への訴えを続けて引用する。

    ―引用始め―

    (岡委員) 私が申し上げたのは、別に労使間に紛争があるということだけを申し上げたのではない。問題は、原研を現在刷新しなければならないとすれば一体どこに原因があるかということを、労使の問題をも含めて、これはわれわれにも責任があるのだから、謙虚に反省して、この反省の成果に基づいてそこに初めてほんとうの刷新ができる。(中略)本質を突き詰める必要がある。こういう本質を突き詰めることによって初めて前向きの解決ができるのだと、こう私は考えておるわけです。

     そこで、たとえば先ほど久保さんの御質疑にもお答えになられましたが、原研でいろいろな炉をたくさんつくられましたが、一体一貫性ある研究体系というか(中略)、そういう計画性のある一貫した研究体制の上に炉がつくられておったのかどうか。この点では私は非常に疑問にも思っておるし、たびたび委員会でも申し上げておったわけです。たとえば具体的に申し上げまして、日本で動力炉をつくるというので、原研の若い研究者の諸君がどんな炉の形がいいのであろうかということをいろいろまじめに検討した。ところが、しゃにむにコールダーホール型が採用された。

    かと思うと、一方ではまた国産動力炉、これは原子力委員会のほうでは天然ウラン重水型。そうかと思うと日本原子力発電株式会社は第二号炉は軽水炉型、三号炉も四号炉も電力会社にまかせて、多分軽水炉型のものではないかなというように、全然一貫性がない。原子力研究は自主的にと基本法に書いてあるのだけれども、これでは全然一貫性というものが見られない。こういうところに、やはり原子力研究所に働く人たちの、初めは非常に開拓的な精神を持って入ってこられた諸君の、いわば意欲をそぐ、士気をそぐ大きな原因があるのではないか、私はそう思うのです。(中略)

    (佐藤国務大臣) もちろん国産炉というものが、技術者によるわが国の純粋な国産炉、そういうものに非常に力を入れるべきだと思います。しかし、原子力そのものが、先進国だといいましてもどんどん改良されつつある今日でございます。その基礎的なものだけを準備した、こういうのが現在の状況でございますから、いま言われること、将来力を入れること、これなどはまた変わってくるだろう。で、ただいま実用に原子力発電所をつくる、そうして大きいものをつくる。そうしなければこれは間に合わない。おくれている。そのおくれを取り返す。それにはどうしたらいいか。それは外国の例などを見て、そうして外国が成功しているものを日本でつくってみようじゃないか、こういう形になるのが、これは普通のことではございますまいか。(中略)

    (岡委員) 御存じのように、アメリカは濃縮ウラン軽水減速冷却、フランスへいけば天然ウランでガス・クールド重水減速で、英国は黒鉛減速で天然ウランでガス・クールド、それぞれタイプを持っている。ところが、カナダへいけば天然ウラン重水一本である。しかも、そういう炉のタイプにいたしましても、長官お示しのように、やはり日進月歩にどんどん進んでおるわけです。だから、外国のものをまねようと思ってあとを追いかけていったら、これは切りがない。(中略)

    ところが、人が足りないのに、外国からあれこれの炉を入れる。こういうことで、ただ完成された自動車と燃料を外国から買って運転手を養成する機関になっているというような姿に原子力研究所が、追い込まれたのでは、私は日本の原子力研究所が真に原子力政策の拠点として、中核として発展し得ないのではないか。こういうところにやはり原研の現在の停滞、混乱の一つの大きな要因があると思うのです。

    ―引用終り―

    相田です。日本の原子力技術が外国に遅れているから、よそで成功した原子炉を入れようといっても、アメリカ、フランス、英国、そしてカナダと、それぞれ形式の異なる炉型を開発しているではないか。まねをしようとしても全てを買う訳にはいかないだろう。なぜ日本独自の、主体性をもった開発方針を原子力委員会として打ち出すことをしないのだ?という、まことにもっともな提言を、岡議員は行っている。

    ここで岡議員が懸念を示している、外国の原子力技術へのサルマネ体質は、現在の「原子力ムラ」においても一向に解決されないままであることは、誰もが理解できると思う。50年前にすでに国会で俎上に上げられたこの問題が、なぜ現在に至るまで放置されたままであるのか、その答えはもうじき本論考で明らかにされる。岡議員の質問からの引用を続ける。

    ―引用始め―

    (岡委員) なぜそういうことになったか。私はそこに原子力研究をゆがめる要因があると思う。先ほど申しましたように、なぜコールダーホールが入ってきたのか。その当時この委員会では何回も何回も問題になった。やはり、正しい研究を一本で進めようとする、その一本のレールを押し曲げようとする外部の力があった。それが原子力研究所が各国の炉の陳列会場であるといわれるような形にまで持ってきた一つの大きなあれじゃないか。

    こういうものにゆがめられたのでは、ほんとうの日本の原子力政策、一貫性のある正しい軌道に乗った発展というものは望み得ないと思う。こういうものを排除していくというくらいの大きな決意を持って、ほんとうに日本の若い科学者の意欲を満たし得るような原子力体制、研究体制というものをつくるということが、原研立て直しのまず一番のめどじゃないかと思うのです。(中略)

    私結論だけ申し上げておきますが、とにかくこれは、下世話なことで恐縮だが、日本原子力研究所はおいらん道中をしておるという話が実はある。なぜかと聞いてみましたら、とにかく花かんざしからこうがいから高げたまで、よその借りもので、見た目は非常にあでやかだ、しかし中身は遊女だ。他人のきげんきづまばかりとっておるというのが心でしょう。こういうことは私どもはまことに不快な話でございます。

     この際、長官もおっしゃられたように、やはりそういうおいらん道中ではなくて、ほんとうに自分の足で歩けるように原子力研究所の立て直しをやってもらいたい。それにはまず、日本の原子力政策というものが他の力によってゆがめられないように、同時に、こういう新しい科学の分野の研究でありますから、もっと計画性、総合性、一貫性というものを十分に尊重していく。原子力研究所内部においてもっと指導体制というものを確立してもらいたい。もうその日限りというような、右顧左べんのような姿では困る。確立し得るように予算その他の面においてもやはりめんどうを見てもらいたい。(中略)

    (佐藤国務大臣) よく伺っておきます。

    ―引用終り―

    相田です。第三章で触れたように、岡議員は精神科医から社会党の衆議院議員に転じた方であるが、原子力についても強い関心を持ち、熱心に勉強されていることが、言葉の端々から伺える。岡議員は、55年に成立した原子力基本法の提案に社会党を代表して加わっているが、その後の原子力委員会の開発方針が一貫せず、「その日限りの、右顧左べんのような姿」で彷徨い続ける状況に、強い憤りを感じていたのだろう。ちなみに岡議員の主張の合間には、佐藤大臣が何回か返答しているのだが、岡議員の話に比べるとあまりに内容に乏しいために、ほとんど引用しなかった。

    「原研がおいらん道中をしている」という箇所は、今の国会の風潮ではほとんどセクハラに近い問題発言であるが、このようなユーモラスな例えを使うことで、岡議員の発言には説得力が増している。「(日本の原子力は)見た目は非常にあでやかだ、しかし中身は遊女だ」とは、正に至言というしかない。この日の討論では、原子力委員会の怠慢を叱責する岡議員に、佐藤大臣が完全にやり込められる結果となったが、戦いはまだ序盤戦に過ぎなかった。

    続く2月19日に開かれた、「科学技術振興対策特別委員会 原子力政策に関する小委員会 第1号」では、参考人として当事者の菊池理事長が招かれて説明を行うこととなる。

    4.2 菊池正士、国会に立つ

    2月19日の「原子力政策に関する小委員会 第1号」は、原研の状況と問題点について調査することを目的として、中曽根康弘小委員長の下で開催された。原研からは、菊池理事長の他に2名の理事が参考人として出席し、主な報告と答弁は菊池理事長自身が行っている。この日の最初に菊池が述べた、原研の近況報告から引用する。

    ―引用始め―

    (菊池参考人) 最初に(中曽根小委員長が)おっしゃいました、原子力の日本における位置と原研という非常に大きな問題でございますが、私のただいま原研の理事長をやっておりますそのままといいますか、(中略)率直に私のいま原研の理事長をやっております点の感じを申し上げたいと思います。

     まず第一に、日本の原子力の出発の当時のこと、ちょうど七、八年前のことを考えてみますと、まあ非常な意欲と勇猛心をもって、短期間に諸外国とのおくれを取り戻すというような、非常な勢いをもってこれに飛び込んだわけです。(中略)当時、私は学界の側におりまして、学界の側は、これはかなり批判的であり、消極的であった。私も学界の側にありましたのですが、原子力のような事業が当時の学界のような消極的な――消極的と申すと語弊があるかもしれませんが、非常に用心深い態度だけでは、原子力というものはとても日本には芽ばえまいというふうには考えておりました。したがって、私も当時原子力委員会の参与等をいたしておりましたが、出発後にも、私は学界としてできるだけこれに協力してやっていく考え方をとってやってまいりましたのですが、とにかく非常な決心と勇猛心をもって開発に飛び込んだという状態でございました。

     それから約八年ばかりたって、現在の原研というものが置かれている状態といいますのは、私は決して弱音を吐こうとは思いませんけれども、これを戦争にたとえるならば、非常な決心でもってある部隊を送り出した。それで、非常な苦戦をしている。それに対してあとから兵たん部も補給部隊もどんどん来ればいいのでありますが、これがなかなかおくれていて、来ない、前線に取り残されて非常に苦戦をしておる、そういう感じを私は率直に申して持っております。これは決して私の弱音ではありませんが、事実そういうことになっていると思います。

    それで、いろんな労務問題、その他の関連も、こういった非常な苦戦の状態になりますと、いろいろな意味で士気も乱れます。こういう場合に、士気をまとめ、秩序を保って整然とやるということは非常な努力が要る仕事でございます。(中略)戦争の場合ならばスパイが入り込むという余地もできましょうし、いろんな問題がそこに起きるわけでございます。

     ですから、私はこの原研の問題を他に押しつけようとは決して思いませんけれども、そういった日本全体としての原子力の開発という観点からこの原研の立場を十分に見ていただいて、そして、原子力政策というものをはっきり立てていただいて、この際戦線を縮小するとか、あるいは補給部隊をどんどん送るとか、そういったような措置をここで十分とらなければ、せっかく飛び出していった先発隊が見殺しになるという事態も起こりかねないということを私はここに申し上げたいのであります。

    ―引用終り―

    相田です。この日の菊池は最初から、非常に率直に自らの考えを綴っている。中曽根予算提出に始まる原子力開発の勃興時には、学術会議を中心とする科学者達が非常に消極的であったため、菊池は「これではだめだ」と「とにかく非常な決心と勇猛心をもって(原子力の)開発に飛び込んだ」という。

    しかし菊池は現在の原研について、部隊が最前線に孤立している一方で補給が満足に得られず苦戦している状況であると、戦争に例えて話している。戦争中に海軍技師としてレーダー開発に従事した菊池らしい説明だと思う。菊池はここで「労務関係の問題も苦戦による志気の乱れに起因している」と述べ、「この際戦線を縮小するとか、あるいは補給部隊をどんどん送るとか、そういったような措置をここで十分とらなければ、せっかく飛び出していった先発隊が見殺しになるという事態も起こりかねない」という切実な要望を訴えている。それに続く菊池の説明を引用する。

    ―引用始め―

    (菊池参考人) もう少しそれを秩序立てて申し上げるならば、確かに日本には原子力委員会というものがございまして、これが原子力の政策をきめてまいります。現在原子力の開発に関する長期計画というものもできております。(中略)しかし、かなりそれが抽象的なものでありまして、必ずしもあまり具体的にはなっておりません。それから、そういう原子力政策を遂行するためには、必ずそれに伴ういろんな予算的、あるいは人員的な裏づけが必要になります。それで、私の一番感じますのは、原子力政策を立てるということと、それに伴うそれの実行計画の具体的な樹立、これが必要だと思います。

    実行計画と申しますのは、金と人の問題でございます。これを現在のごとく(中略)、原子力研究のような息の長い仕事をするためには、どう見ましても、一年ごとの概算要求の提出、それの切った張ったといったやり方、これでは大きな計画の立てようがございません。諸外国のいろんな例を見ましても、いまの日本のような予算のやり方で原子力の開発をやっている国はないといっていいと私は思います。少なくとも向こう三年くらいにわたってのはっきりした予算と人の裏づけというものがないことには、こういった仕事はできないといわざるを得ないと思います。(中略)

    私は何も原子力だけに時別な措置をしなければいかぬというところまでは言っているわけではございませんが、日本の将来のエネルギー問題として原子力のことを非常に重要視されるならば、少なくとも原子力について何かそういった考慮がしていただけないと非常にむずかしいということを感ずるのであります。

    これは決して弱音とか泣き言を申すつもりはないのでございますけれども、四年間ばかり原研の仕事をやってまいりまして、つくづく感ずるところであります。もちろん原子力委員会ともたびたびそういう話はいたしますし、原子力委員会としても十分その点は考えて、いろいろやっていてくださいます。しかし、これは単に原子力委員会とか原子力局とかだけの問題ではございませんで、日本全体のいろいろな面のあり方に関連することだと思います。そういったことが私はこの原子力をやっていく上の基本に大きな問題としてあるということを申し上げたいのであります。

    ―引用終り―

    相田です。結局のところ菊池はここで、問題の核心は原子力委員会のありかたにあるのだ、と述べている。原子力委員会という最高組織はあるものの、そこで決められる長期計画は抽象的な内容に過ぎず、具体的な予算、人員に対する裏付けがなされていないことが、実務を進める際の大きな障害になっていると菊池は説く。原子力委員会が長期的な計画を打ち出しても、予算の遂行は大蔵省の一存で決められてしまい、原研の労務費等のお金は、大蔵省が決めた単年度毎の概算要求の中からむりやり絞り出さねばならない。これでは、長期的な安定した研究開発の遂行など無理ではないか、ということである。「少なくとも向こう三年くらいにわたってのはっきりした予算と人の裏づけというものがないことには、こういった仕事はできないといわざるを得ない」という菊池の主張については、まったくもって、私も同感である。

     菊池がここで訴えた、原子力委員会が実際の研究開発の遂行に役立っていないという指摘は、2月13日の岡議員の主張と全く同じであることに、注目すべきである。続いて菊池は、今後の原研の活動方針について説明している。

    ―引用始め―

    (菊池参考人) 大局的な話はそのくらいにしまして、いま少し原研の現状を申しますと(中略)、原研には現在JRR1、2、3、4と四つ研究炉がございまして、そのほかに動力試験炉JPDRがございます。それから、それに伴っていろいろ大きな研究設備としてはホット・ラボであるとか、あるいは再処理試験場であるとか、それからまた最近はRI製造工場もどんどんできつつあります。(中略)これらのものが、今後の日本の原子力の発展のためのファウンデーションにとっては必要欠くべからざるものであろうと、私は信じております

     それから、それでは今後こういうファウンデーションの上にどういった仕事をやるのか、(中略)いま原研としてこれだけはやっていこうと思っていることで、はっきりしておりますことは、第一番目は、まずいわゆるプルーブン・タイプといいますか、現在欧米でもう十分開発された炉で、近い将来日本にどんどん導入されてくるであろうという、これは産業界を通じて、電力業界を通じて入ってくるであろうという炉型で、主としてこれはイギリスのコールダーホール、これはもう建設もなかば以上進んでおります。

    それから、二号炉としては、おそらくアメリカ式の軽水炉が入るであろう、将来ともこの軽水炉型は相当な数が入ってくるであろう。そういうようなことを目標といたしまして、こういったものに対する、たとえば今後はこれがだんだん国産化されていくことが当然考えられる。そのための国産化、それから国産に伴って、これはただ前のものをまねしてつくるだけではなく、いずれその部分、部分でありましょうが、改良しつつ国産していくでありましょう。そういったことに対する寄与、これを一つの原研の重要な目標に考えております。

    ―引用終り―

    岡議員からは「おいらん道中」と揶揄されたものの、近年稼働を開始した大型原子炉を中心とする原研の一連の「ファウンデーション」は、今後の日本の原子力の発展のために必要なものだと菊池は説く。これらのファウンデーションを用いて取り組む最初のテーマとして、菊池は「プルーブン・タイプ炉の国産化」を挙げている。

    「プルーブン・タイプ炉」とは分かりやすく述べると、「発電装置としての機能を(欧米において)実証済の原子炉」という意味である。菊池の説明にあるように、このタイプとしては、当時既に建設中のコールダーホール型(英国製)と軽水炉型(米国製)が該当する。しかし、前者の日本への導入は最初の1基のみで終わってしまったことから、プルーブン・タイプとは実質的には軽水炉を指すことになる。すなわち菊池は、原研の第1の目標として、「軽水炉型原発の国産化」への貢献が重要であると主張しているのである。何はともあれ、まずは軽水炉の技術的なバックアップが大事であるということである。

    軽水炉型原発が真の意味でプルーブン(この場合「商業設備として安全性が十分に証明されている」という意味)であるかどうかについては、原発反対派からは異論が噴出するであろう。3.11福島事故を起こしてしまうような設備が「プルーブン」であるなどとは、到底言える訳がないのだが、この問題に関してはここでは触れないことにする。

    さて菊池が想定していた、軽水炉の国産化を進めるための「ファウンデーション」となる設備とは何か?当然ながらそれはJPDRであることは明らかである。このような、まずは手近な処から技術を着実に積み上げて行こうとする菊池の方針は、極めてまっとうなもので、技術開発の王道であると自分には思える。この菊池の路線に従って、原研がその後も軽水炉の改良を継続していたら、福島事故は間違いなく防ぐことが出来たであろうと、私は断言できる。しかしながら、現実はそうはならなかった。

    菊池はこれ続く第2、第3の原研の目標について、以下のものを挙げている。

    ―引用始め―

    (菊池参考人) それから、さらに非常に遠い将来を見ましたときに、原子力の将来が高速増殖炉に置かれているということ、これはいま各国とも共通な目標であります。この高速増殖炉というものが完成いたしませんと、原子力というものの開発をやる意義というものが非常に減殺されます。(中略)これにはいろいろむずかしい技術がございますので、われわれとしても、高速増殖炉の問題はいつまでもこれを追究していき、でき得るならばやはりここにある程度の実験炉の建設を目標に、これを追究していきたいということを考えております。

     それからもう一つは、いわゆる二年ばかり前から出始めました国産動力炉の開発をひとつやる。これは遠い将来を考えますと、高速増殖炉一本ではこれに必要なプルトニウムの資源をどこからか持ってこなければならぬ。その資源を持ってくるために別のタイプの、いわゆるコンバーター・タイプの炉が必要になってまいります。(中略)こういう炉ももちろん諸外国でいろいろなタイプの炉がすでに開発されつつあります。(中略)その中でも特に日本にとってこういう種類のものが非常に重要であろうと思われるものを取り上げて、今後の国産動力炉の炉として取り上げていこうということが原子力委員会の考え方でありまして、その部会で決定されたのがいわゆる重水炉、天然ウランを基調とした重水炉ということになっております。(中略)

     現在、それでは重水炉でどういう型をやるかということについていろいろ検討中でありまして、(中略)これが決定されれば、そういった意味の国産動力炉と増殖炉の開発、それから最初に申しましたプルーブン・タイプの炉の国産化、改良、そういったことを原研の開発の主要目的としてやっていきたい、かように考えているわけでございます。

    ―引用終り―

    相田です。ここで菊池が触れている「コンバーター・タイプ炉」とは、西堀栄三郎(にしぼりえいざぶろう)による「半均質炉開発」が頓挫してからの「国産動力炉開発」の後日談である。最終的に目指す方式は「高速増殖炉」であることは変わっていないものの、その前の「つなぎ」として選定されたのがコンバーター炉である。「コンバーター」とは一般には「変える、変換する」という意味があるが、原子力においては、原子炉が運転する際の「ウラン燃料の転換」を指す。すこし説明すると、原子炉を運転する際には、ウラン235の核分裂により発生した中性子が、核分裂しにくいウラン238に吸収されて、再び核分裂を起こすプルトニウム239に「転換」される。この時の、新たに作られた核分裂性プルトニウム239の量を、「燃えて」無くなったウラン235の量で割った値を「転換比」と呼ぶ。

    通常の軽水炉では転換比は0.6であるが、「もんじゅ」に代表される高速増殖炉では転換比は1.0を超える値となる。すなわち高速増殖炉では、元のウラン燃料が無くなった後により多くの燃料が新たに作られることになる。「夢の原子炉」と呼ばれる所以である。菊池が触れた「コンバーター・タイプ炉」とは、転換比が軽水炉より上回るものの1.0には及ばない程度(だいたいは0.7~0.8程度)の性能を持つ原子炉のことである。

    このような炉が必要とされた理由は、高速増殖炉の実現には技術的な困難が高いので、その前段階の技術として、将来の高速炉の燃料に用いるプルトニウムを事前に準備するという目的が、原子力委員会と原研との間の相談で出されたためである。本当にそんなものが必要なのか?という疑問も、当時からあったようであるが、炉型としてはカナダで開発されていた、天然ウラン燃料に重水冷却材を組み合わせた原子炉(CANDU炉の前身にあたる装置)を参考に出来ることから、半均質炉のような前例のない炉型ではなく、実現性の高い堅実な方針にシフトしたと言える。この考え方を発展させることで、青森県で1978年に臨界に達した装置が新型転換炉「ふげん」である。

    実は、残りの高速増殖炉においても、当時の原研では着実な進展が現れていた。63年に原研では高速炉の反応実験を行うための臨界実験装置(Fast Critical Assembly, FCA)の予算が認可され、67年4月に臨界を達成する。さらに65年からはFCAの建設と並行して高速実験炉の設計が原研で開始され、68年には240枚の図面による2次設計図面を完成させた。原研でこの一連の高速炉開発を指揮した能澤正雄(のざわまさお)氏は、阪大菊池研の出身の非常に優秀な研究者であった。この設計図面を元に茨城県大洗海岸に建設されて、1977年に臨界に達したのが高速実験炉「常陽(じょうよう)」である。

    しかし、原研の輝かしい成果になるべき「常陽」の建設と運用は、原研から引き離されて、67年に分離独立した動力炉・核燃料サイクル事業団(動燃)に移されてしまう。この経緯については次章で述べる。

    半均質炉の失敗等の問題はあったにせよ、菊池がこの日に打ち出した原研が取り組むべき3つの目標は、技術的な重要性と実現性の観点からは非常に妥当で、当時の状況の中ではベストな考え方であったと、自分には思える。特にプルーブン・タイプ炉(軽水炉)の国産化を最初にきちんとやりぬくのだ、という目標が、福島事故を防ぐ観点から極めて重要であることは、言うまでもないであろう。

    しかし、このような菊池の前向きな決意表明に対しての、中曽根の反応はあまりにそっけないものであった。以下に引用する。

    ―引用始め―

    (中曽根小委員長) いまのお話の中で、われわれ聞きたいと思ったのは、内部の経営管理の問題です。内部機構とか、あるいは労務問題やなんか、問題がなぜ起きているか、どうしたらよいか、そういう所見をひとつ述べてください。

    (菊池参考人) それでは、まず経営管理の問題から問題点を申し上げたいと思います。(中略)非常に具体的な面で言えば、(中略)東海というところにああいう大部隊があり、そして東京に本部というものがある。この機構をどういうふうに能率化したらよいかというような問題がもちろんございます。(中略)つまり、東京本部と現地との関係が必ずしも一元的にいかない、その組織上にも多少不備な点があるということを考えております。(中略)

     それから、労働問題でございますが、これはJPDRの場合にいろいろな問題が起こりましたが、(中略)実情を申しますと、ああいうものの建設に当たる人は、相当高度の技術者あるいは研究者に近い人たちを相当多く必要とします。建設自体を、とんかちをやる人の意味ではございませんが、その研究をまとめ、建設をまとめ、そしてそれを監督し、それをつくっていく段階では、非常に高度の技術的な知識を持った人、研究者に近い人を大ぜいつぎ込んでやってきたわけでございます。

    しかし、それが一方完成して、運転という段階に入りますと、そういう人たちがただコントロール・デスクですわって運転するのでは、そういう本人の仕事として不適でありますし、十分に陣容のある外国なんかでは、そういう建設段階が済めば、すぐそれを運転のグループに引き渡すというようなかっこうで、簡単に片づいていくわけであります。

    原研では、まだ原子力に関する運転とか保守とか、そういったような要員が十分に育っておりません。そういった人たちの訓練や養成ということは、われわれも十分心がけておりますけれども、しかし、実際にそういうことができるようになるためには、そういう炉があって、そういう炉にくっついて仕事をしてそういう人は養成されていくのであります。どうしてもそういう要員の不足を生じます。したがって、仕事が非常に無理になる。あっちこっちに無理ができて、いわゆる労働条件が悪くなるというような事態もそこに出てまいります。

    それから、非常に高度の知識や技術を持った研究者に、そういった仕事を長いことやらしておきますと、そこに不平不満も出てまいります。そういったようなことがJPDRには一つの内在的な問題としてだんだんと含まれて、最後の段階にそういうことが非常に起きた。一方、原研の一般的な労使関係のよくない問題もございまして、そういうものとこういうものが結びついて、ああいうようなたいへん申しわけないような事態が起こってきた、そういうふうに考えます。(中略)

    これはしかし、こういった発展の途上やむを得ないことでありまして、その間に労使間の一般的な関係がよければお互いに協力して何でもやろうという意識がそこに生まれて、そういう問題も克服してどんどんやっていけるわけでありますけれども、その他いろいろ複雑な問題もありますし、それから先ほど申しましたような、たとえば研究の目標とか、そういったようなものについてまだ十分徹底していない点もありますために、複雑な要素が結びついてああいうことになってしまった、そういうふう見ます。(中略)

    (中曽根小委員長) どうも御苦労さまでした。

    ―引用終り―

    相田です。中曽根にとっては結局、菊池が力説した原研が取り組むべき今後の技術課題についてはどうでもよく、労組をどうやって管理するつもりなのだ、という点だけが関心の的であった。これに対する菊池の回答は、それまでの技術の説明に比べるとあまり歯切れの良いものでは無い。大型原子炉の稼働に伴って必要となる管理、保守の人材が原研では足りないため、高度な能力を持つ研究者にこれらの単調な仕事を担当させてしなったことが、不平不満を生んでしまった、というものである。菊池は11月2日付けの理事長声明で記したように、労組の対応を「暴挙である」という強いニュアンスで批判することはしなかった。ここでは菊池は明らかに労組をかばっている。願わくは、労組に対する厳しい責任追及をすることなく、この難局を乗り切りたいと思っていたのであろう。しかし自民党の代議士連中は、菊池のそんな甘い親心を見逃すことは無かったのだった。

    この日はこれ以降、菊池に対しての厳しい叱責はなされなかった。ただ中曽根は最後に、原研で起こった問題についていくつかの項目に分け、各調査項目への見解を記した報告書を提出するように菊池に要請した。中曽根は同様の調査資料を、原子力委員会でもまとめて提出することも求めた。中曽根は「これらの項目に対する御所見は、抽象的な、いわゆる大臣答弁的なものは必要はないのであって、ものごとの実体に触れた、核心に触れた御見解を御提出願いたいと思います。いわゆる大臣答弁と称するようなものは、出されても意味はありません。(中略)時期は今月一ぱいでけっこうでございますが、恐縮でございますが、なるたけ長文のものを御提出願いたいと思います」と述べた。

    この中曽根の提案を受けて3月に、原研と原子力委員会から「調査項目書」が独自に提出され、その内容が「科学技術振興対策特別委員会 原子力政策に関する小委員会」において審議されることとなった。そして3月12日の小委員会には原研から菊池が、3月19日の小委員会には原子力委員会から当時の委員の兼重寛九郎が、それぞれ出席して説明と質疑が行われた。菊池が再度登場した3月12日の委員会の日付は、奇しくも東日本大震災の翌日であるが、しかしその時には、中曽根が上で要求した「調査項目書」の内容は、もはやどうでもよくなっていた。2月21日に菊池は、他の原研理事者2名と一緒に、佐藤栄作科学技術庁長官宛に辞表を提出していたのだった。

    (つづく)

    タイトル
    第4章 理不尽すぎる審判(その1)
  12. 相田英男
    2016-04-23 06:47

    相田です。第2章の2回目です。

    *******************************

    4.3 最強の刺客あらわる

     2月19日の小委員会での菊池の説明を境として、事態は急変する。原研では労使間の争議協定が結ばれる目途が立たないことを理由に、JRR-2、3、JPDRの大型原子炉の運転が再び停止され、菊池理事長と菅田理事(労務担当)、久布白理事(JPDR担当)の理事者3名は辞表を提出した。それまで労務交渉を担当していた菅田清次郎(すがたせいじろう)理事は、菊池が信頼を寄せていた人物であったが、交渉不調を理由として引責辞任させられた後に、副理事長の森田乕男(もりたとらお)氏が、労組との交渉を菅田氏から引き継ぐこととなった。

     この時期の原研で起きた詳細状況については、資料が見当たらないので不明であるが、大型原子炉3台の運転停止が菊池の意志ではないことは、少なくとも明らかである。前年の11月に同様の措置を行った際には、菊池による深刻な事態を憂慮した声明文が出されていた。しかし2月19日の国会で菊池は、労組をかばう内容の説明を行っており、11月のような厳しい姿勢で菊池が交渉に臨む雰囲気は見られない。菊池の国会説明のあとで、状況が大きく変わったと考えるべきだろう。

     おそらく私は、19日の説明で労組を厳しく批判せず、原子力委員会の方針に疑問を投げかけた菊池に対して、危機感を抱いた自民党側が理事長職からの辞任を強要し、労組との交渉窓口を自分たちの要求に従いやすい森田副理事長(同和鉱業株式会社出身)にすげ替えることで、事態の打開を図ったのであろうと推測する。そしてこの時期に、自民党側の重要メンバーとして新たに加わった人物が森山欽司(もりやまきんじ)である。森山欽司は同じく衆議院議員として、環境庁長官、官房長官、法身大臣を歴任した森山真弓(もりやままゆみ)の夫である。

    森山については、第1章の福田信之(ふくだのぶゆき)の説明の際に少し触れた。後に科学技術庁長官に就任する森山は、1974年に原子力船むつの出港を強行して、放射線漏れ事故を引き起こした張本人としてあまりにも有名であるが、「むつ」事件の十年前の64年にも原子力問題に携わっていた。そしてこの時期の森山の活動が、その後の日本の原子力開発の方針に、「むつ事件」に勝るとも劣らない決定的な影響を与えていたのである。この日本の原子力開発史における重要事実を公に主張する人物は、あまりにも少ない。

    ウィキペディアによると、森山の父親の邦雄は鳩山一郎法律事務所に所属する弁護士で、1928年の第1回普通選挙で立憲政友会から栃木県選挙区に立候補したが、落選したという。森山自身は1941年に東大法学部を繰り上げ卒業後に外務省に入省するが、直後に陸軍に入隊してそのまま終戦を迎えている。戦後の一時期に外務省に復職した森山は1年間で退職し、父親の後を継いで栃木県から衆議院議員総選挙を目指すことになる。

    1949年の第24回衆議院議員総選挙で初当選した森山が、その後の落選、再当選を繰り返しながら取り組んだ課題が労働問題であった。1958年から63年の5年の間、森山は地元栃木県の日教組(栃木県教職員組合)の切り崩しに尽力し、対抗組織である栃木県教職員協会を育てる等の活動により、最盛期には1万2千人を超える規模を擁した日教組職員を、数百人に減らすことに成功した。それと並行して、1960年12月に第2次池田内閣の郵政政務次官に就任した森山は、郵政省職員組合の全逓信労働組合(ぜんていしんろうどうくみあい、全逓)と対決する。

    森山は当時の郵政省にあった、勤務時間中に一時間以上の職場大会参加者に対してのみ戒告処分が行われてきた慣習を改めさせ、四十五分以上の職場大会参加者の全てを戒告とする処置を徹底させた。結果として森山の在任7ヶ月の間に、過去20年分にあたる組合員への処分が強行される羽目となる。また、61年の春闘において、地方の郵便局で行われていた電話交換業務が自動化されることへの反対闘争が盛り上がった際には、森山は全逓側に一切の妥協をせずに交渉に臨み、スト権を解除させることに成功する。

    このように、左翼系の過激な労働組合と対決して鎮圧することを得意とする、自民党の「労働組合潰しの専門家」が森山であった。日教組、全逓を制圧して名を挙げた森山が、原研問題を収拾するためにこの局面で登場することになる。原研労組にとっては、最強最悪の天敵と相対する事態となった。

    3月12日に原研からの「調査項目書」を審議する目的で開催された、第046回国会 科学技術振興対策特別委員会 第9号においては、委員長を自民党の前田正男(まえだまさお、後の科学技術庁長官)が務め、理事として自民党から佐々木義武(ささきよしたけ)と福井勇(ふくいいさみ)、社会党から岡良一、原茂(はらしげる、社会党左派)が出席した。佐々木は島村の前任の科学技術庁初代原子力局長であり、その後に衆議院議員に転身した人物である。そして、福井は言うまでもなく「あの秘密文書」の執筆者の一人である。秘密文書のもう一人の執筆者の駒形作次(こまがたさくじ、先代原研理事長)も、兼重寛九郎(かねしげかんくろう、東大工学部教授)と共に、原子力委員の肩書きでこの日の委員会に出席している。これに加えて、ある意味この日の主役ともいえる森山欽司が、他の委員と交代する形で、無理矢理に質問者として参加することとなった。

    他には参考人として、原研からは菊池理事長と森田副理事長、そして労組を代表して一柳勝晤(いちりゅうしょうご)組合執行委員長が呼ばれている。変わったところでは、労働事務次官として労政局労働法規課長の青木勇之助(あおきゆうのすけ)という名前も見られる。これに佐藤栄作科学技術庁長官と中曽根が加わっていたならば、間違いなく当時の原子力行政に関するオールスターキャストと呼べる陣容であった。しかし、このVIP二名だけはこの日の出席者の中に名前がみあたらない。この日に起こるであろう深刻な事態を予測して、いらぬ言質を取られないように、この二人は敢えて出席を見送ったのだと、私は思う。

    なぜならこの日、日本の原子力行政を代表するメンバー達の前で繰り広げられたのは、菊池正士の公開殺戮ショーとしか呼べないものあったからだ。

    4.4 訪れた運命の日

    これからの内容は、1964年3月12日に開かれた、第046回国会 科学技術振興対策特別委員会 第9号 の議事録から引用して解説する。相当な長文引用になることを御容赦頂きたい。

    この64年3月12日の国会の議事録を、日本で最も読み込んだのは私だろうと断言できる。自分がこの50年前の国会でのやり取りを、最初に目にした時の衝撃は、今でも忘れない。その後に、この議事録を読み返す度に、最初に読んだ時と全く同じ、怒りと、切なさと、やり切れなさと、悲しみが、何度でも自分の中に込み上げてくるのを感じる。

    自分は本論考を書くと決めてからずっと、この日の国会でのやり取りに関する資料を探していた。しかし、書籍などからは全く確認出来なかった。福島事故以来の一連のテレビ報道でも、この64年3月の出来事については、全く触れられることはなかった。私がほとんど諦めかけた時に、過去の国会での議事録がネットで公開されていることを知り、辿ってみたところ見つけたのが、この議事録であった。以下に紹介するその内容は、真に驚くべきものである。

    原子力推進派も反対派も共に、この議事録を刮目して読んでみればよい。先人達が如何に愚かなやり取りを繰り返し、その結果、致命的な誤ちを犯してしまったのか、その事実がここには余すことなく記されている。

    午前10時44分に始まったこの日の委員会では、初めに菊池により、前回2月19日以降の原研の状況について説明が行われた。以下に引用する。

    ―引用始め―

    (菊池参考人)いろいろとお騒がせしまして、たいへん恐縮に存じております。まず、先般来の原研の争議協定は成立いたしました。そのことから申し上げますと、この争議協定は、今後一年間の期間で成立いたしました。しかし、(中略)一年後にはまたこの問題が繰り返されることは明らかであります。それで、私の考えでは、この原子力関係の施設に対しては、はっきりとした法的規制でストの予告というものは必要であるということにしていただきたい、これは私は強く要望しておきます。

    これは原子力研究所に限りません。将来原子力に関するいろいろな施設がだんだんできてまいります。これに対して、発電所などはすでに公益専業としてそういうことができておりますけれども、そうでない、たとえば今度原燃公社の再処理試験所であるとか、あるいは原子力船であるとか、あるいは原研の内部でも、いままでやっております炉のほかに、放射性物質をやっております場所とか、再処理の試験所とか、いろいろございますから、そういった全般の施設に対する規制というものは私はぜひあるべきだという考えを持っております。(中略)

     それから、その他の問題でございます。この協定ができましたから炉がすぐ動き出すというわけではございません。このほかにまだ超勤協定、直に関する勤務態様、それに関連する手当の問題がやはりこの三月一ぱいで切れます。これから三月末日までの間に極力組合と協議して、支障なく四月から運転できるようにしたいと思っておりますが、いろいろと困難な点も予想されますので、四月に入りましてもすぐに運転を続けられるかどうかという点について、ここでまだはっきりと申し上げられないような段階にございます。(中略)

    ここでただ一つだけぜひお願いしたいと思っておりますことは、たとえば、ああいうような大きな施設やものをつくっていく事業をやります関係上、少なくともいまから先五カ年ぐらいにわたっての具体的な計画が実際持てるようなかっこうで仕事をやらしていただきたい。と申しますのは、その間にどれだけの人がつぎ込めるのか、またどれだけの金がつぎ込めるのか、そのことを前もって承知の上で、それに合わせたような計画を立てていきたいということが、われわれの前々から非常に強く希望しているところでございます。これが現在のように毎年毎年の予算で査定されていくことになりますと、事業と金、人のアンバランスがどうしても生じるということでございます。

    それの使途その他について政府その他から強い規制を受けること、これ自体は私は当然受けるべきだと思っております。ただ、その計画を立てる際に、その間に投入し得る金とか人というものが、あらかじめ少なくとも五カ年ぐらいにわたってはっきりしたものがありませんと、第一年度をどうやら動き出しても、あとが続かなくなって事業がやれないというようなことで、とかく支障が起こりがちでございます。そういうことを私は一番強くここで将来の日本の原子力の開発をしていくためにぜひお願いしたい、こう申し上げたいのでございます。そのことがまたいろいろな面で労務問題その他にもつながってくるということを強く感じる次第でございます。 以上でございます。

    ―引用終り―

    相田です。2月19日の説明に比べると、菊池の話には余裕が無くなり切迫感が感じられる。これは菊池が既に、理事長を辞めることで責任を取る腹を決めているからであろう。菊池がここで訴えているのは、大きくは二つで、一つは原子力施設への争議協定、もう一つは原子力開発予算の長期安定化についてである。

    原子力施設への争議協定というのは、改めて確認すると、「原子力施設を運用している職員達が原子炉にストライキを打つ際のルール」のことである。菊池の提案は、職員達が「原子炉に対してストライキを打つ」場合には、24時間前に予告を行うことを「法律により明文化せよ」、ということである。しかしである。一般常識的な観点からして、「原子炉に対してストライキを打つ」という行為が、許されるものなのだろうか?そんな「行為」が、通常の常識感覚を有する技術者達の手で「現実に行われる」などということを、施設管理者は果たして想定しなくてはいけないのであろうか?

    菊池はここで、そんな「行為」を考えることなど技術者として論外だ、あるまじきことだ、と激しく訴えているように私には思える。そしてこの菊池の憤りは、一流の実験物理学者として学会をリードしてきた研究者の実感として、至極まっとうで、正当なものであると自分は感じる。

    菊池はさらに、「争議協定」が問題とされるに至った要因が、原研への予算の不安定性によるとし、「少なくとも五カ年ぐらいにわたるはっきりしたもの」を前提にしないと、原子力開発に支障をきたすことになる、と主張している。単年度で猫の目のように予算が変えられると、人員予算の方にしわ寄せが来てしまい、それが今度のような激しい労使紛争に至った要因だ、ということである。2月19日の説明でも同様の話を菊池は訴えている。

    この主張も、当時の状況を客観的に見た上で、至極まっとうなものと思える。これについては、原子力委員会のそもそもの構成であるとか、当初は体制側が原研職員への高待遇をほのめかしながら、実際には大蔵省はバッサリ人件費を切った、等の問題が別に存在するのだが、ここではその説明は控える。

    菊池がここで触れた2つの訴えは、技術的な観点から非常に重要で、正当な内容であると自分には思えるのだが、これ以降は、菊池のこの主張がきちんと取り上げられることは無かった。この後の議論は、菊池の訴えから大きく逸脱した、異様な方向に変質してゆくことになる。

    菊池の次に、原研労組の組合執行委員長の一柳氏が挨拶行っており、一部を引用する。一柳氏の説明は、原研設立から生じた様々な問題について、労組側からの解釈を総括した内容になっている。

    ―引用始め―

    (一柳参考人) 原子力研究所が発足いたしまして八年ばかりたっております。その間、私たちは、わが国唯一の原子力センターに働く者として一生懸命働いてまいったわけであります。その間、私、労働組合の委員長という立場でありますので、主として労働問題という観点から見ましても、種々の問題が発生いたしております。御承知のように発足後二年たちました昭和三十二年には、主として東海村の生活環境の不備という問題を中心にいたしまして、いわゆる人権闘争というのが起こっております。こえて昭和三十三年になりますと、発足当時のはなばなしいかけ声に反しまして、給与とかあるいは人件費とか、そういう面に関しましては、すでに息切れの現象が出てまいりまして、給与の先細りというふうなことが問題になり始めたわけでございます。

     昭和三十四年になりますと、その当時東海村におきまして急速にふくれ上がってきました東海研究所の機構あるいは研究体制の不備の問題、そういう問題と一緒になりまして、ついに六月には、原研始まって以来のストライキに発展いたしたわけでございます。この給与の先細りという問題は、とうとう中労委にまで持ち込まれまして、昭和三十四年の十二月には、公務員に対しまして百二十あるいは百三十という中山あっせん案というものが御承知のように出てまいりまして、一応のケリがついたというふうなことになっておるのでございます。ところが、この中山本格あっせん案と申しますものは、わずか一年足らずの寿命に終わりまして、三十六年になってまいりますと、その骨子がすでにくずれてまいっております。給与も、じり貧と申しますか、相対的にだんだん下がっていくということが急速に表面化してまいるわけでございます。

    このころ問題になりましたのが、原研の理事者側の自主性の喪失とか、あるいは原子局とか大蔵省の壁、こういう問題が問題になったわけでございます。この問題は、昭和三十六年度のベースアップにおきましては、再び中央労働委員会にまで持ち込まれたのでございますが、とうとう決着がつきませんで、組合のほうは、中労委の勧告を守ってくれ、所のほうは、守れない、ということで、昭和三十七年度のベースアップについて、四月には給与の一方的改定の強行という事態が起こっておるわけでございます。給与の一方的改定の強行ということが非常に悪い契機になりまして、その後原研の労使間には、不信感と申しますか、そういうものが急速に大きくなってまいりました。労使関係がその後急激に悪化しておるわけでございます。(中略)

    当時の組合の機関紙などを見ましても、給与に関するそういう自主性の喪失というものは、外堀を埋められたようなものである、次に来るのは、予算を通じての研究統制あるいは人員を通しての人事統制というものが来るのではないか、そして原研の経営が全体として主体性を失ってしまうのではないか、こういう警告が出されておるわけであります。(中略)

    その後の経過を見てまいりますと、(中略)JRR2のCP5型、あるいはJPDR動力試験炉、こういう大型の原子炉の運転開始に伴う諸問題がその後起こっております。そういう問題を通じて明らかになってまいったわけでありますが、原子炉はできたけれども、運転のための要員がなかなか十分に確保されない、あるいは直勤務に関する種々の厚生問題、そういうものがなかなか片づかない、あるいは原子炉を使っての研究計画がなかなかうまくいかない、しかも基礎的な研究部門から原子力部門へ人間がどんどん引き抜かれていく、あるいは基礎部門から何か新しいプロジェクトなどにコネをつけておかないと予算や人員が満足についていかない、そういうようないろいろ行き詰まりの現象があらわれてきたわけであります。そういう中で、今後も新しい原子炉、JMTR国産動力炉とか、そういうものをつくっていく、そういうはなばなしい計画が発表されるわけであります。

    そういうわけで、一体そういうことになるのはなぜだろうという素朴な疑問が原研の各部門で起こってきたわけであります。こういう議論をかわしておりますと、行きつく先ははっきりしておりまして、原研の自主性というものはどうも初めからなかったのではないか、現在の原子力政策のもとでは、原研は必然的にそういう運命を負わされておるのではなかろうか、それでは困るのじゃないか、こういう声が全所的に起こってまいったわけであります。

    先ほどからのお話で、原研は曲がりかどに来ておるということをよくいわれております。しかし、私たちの目から見ますと、これは原子力なら原子力、あるいは科学なら科学にはそれぞれそれ自体の発展の法則というものがあります、そのような自然の発展の形に比べますと、現在までの原子力政策に基づいて引かれておる路線というものはややずれておるのではないか。それが八年たってそのままきたものだから、現実との乖離が大きくなってきて、急に転換する必要をしいられておる。そういうことで、これは曲がりかどというものではないのではないかというふうに私どもは考えておるわけでございます。

    ―引用終り―

    相田です。一柳氏の話は、第3章で私がまとめた原研の状況とほぼ同じであり、特に追記することは無い。一点書くならば、菊池が訴えた「原子炉へのスト問題」については全く触れられておらず、菊池が辞表を提出するに至った経緯について、組合側は責任を全く感じていない、ということである。

    ここからこの日の主題となる、森山欽司による質疑が始まる。森山は初めに、労使間での争議協定が結ばれるまでの経緯と、協定書と共に発表された「共同声明」について質問した。

    ―引用始め―

    (森山委員) 本日は、科学技術振興対策特別委員会に、参考人として、日本原子力研究所の理事長さんをはじめとして、関係者の方々がお集まりになっております。おそらく、この参考人においで願うという企画は、だいぶ前から当委員会で立っておったと思うし、特に原子炉が従来停止しておった、それについてこれを再開するという目的をもってこの参考人の招致になったと私は思うわけでございます。しかるところ、最近この労使間において原子炉の再開に関して協定書が成立した、これで当面の問題が解決したような新聞の記事が出ております。それで、この際特に理事者側からこの点についての御説明を詳細に伺いたい。

    まず第一番に、共同声明なるもの――これは私は異例だと思いますが――共同声明なるものを出した。どういう共同声明を出したか。それから、争議協定書ができております。そのあらましをごくかいつまんで、御説明を願いたいと思います。

    (森田参考人) 御承知のとおり、昨年の十二月九日にJPDRをアメリカからわれわれのほうへ引き取りました。そうして、そのときの争議協定というものは引き取りまでということになっておりましたので、そこで争議協定というものはなくなったわけなのです。そこで、われわれといたしましては、そのときの引き取り前のいろいろの問題があった状況から非常に落ちついた状況になりましたので、このままある程度の運転をしつつ争議協定を結ぼうじゃないかという腹がまえはあったのでありますが、いろいろわれわれのほうでも考えまして、とにかく組合の良識を信ずるということにつきましては、組合もまさかストライキを理由に事前通告を短かくしてやるような組合ではないというような観念のもとにそう考えたのではありますが、これはわれわれの主観的の判断であるので、これではどうしてもいけないから、この際争議協定ができるまでは大型炉をとめる。少なくともわれわれの生活のサイクルの二十四時間というものはわれわれとしてはどうしても持たなくては、安心して炉を動かすことはできない。

    いろいろ説をなすものは、三十分でも一時間でも間違いなく炉は安全にとまるというような議論はあるにいたしましても、万が一これがどうかなった場合につきましては、菊池先生おっしゃるように、この付近に自分が住んでおったとしても安心して住めないということまで言われます。こういう状態ではいけない。とにかく二十四時間というものをわれわれにとるということで、国民を安心させ、われわれも安心して炉を動かすということが絶対必須条件であるということを感じまして、とにかく炉をとめて、いちずに争議協定の締結をやろうじゃないかということで、実は私二月の二十日ごろから労務担当になりまして、二十六日ごろから組合側と折衝をいたしました。(中略)

    いろいろ組合側からも要望が出たりいたしまして、じんぜん日を費やしましたが、(中略)とにかくすべて従来正常ならざることが多かった原研において、少なくとも二十四時間の事前通告をとるということは一歩正しきに近づくんだという信念のもとに、共同声明を出しまして、争議協定を結んだ。それが三月の十日に相なったわけでございます。 共同声明は御承知のとおりでございまして、一応読ましていただきますと、

    「原子炉が停止している状態は原研の社会的使命をはたす上に大きな障害をきたしている。炉の停止措置が事態の収拾をますます困難にしている現実を反省し、労使間の誤解を正し、正常な労使慣行を今後とも尊重することを相互に確認し、原研の自主性のもとに事態を収拾することを申し合わせた。」

    こういう共同声明を出しまして、協定書に入ったのであります。この協定書につきましては、昨年炉が動いておりますときに協定をいたしました協定と同様のもので締結をいたしました次第でございます。

    ―引用終り―

    相田です。森山からの質問に答えたのは菊池でなく、副理事長の森田氏である。森田氏は、2月の20日頃に労務担当となり、組合との折衝にあたったという。翌21日は菊池が佐藤栄作長官に辞表を提出したとされる日であることから、おぼろげながら状況が見えて来る。先に記したように、菊池に見切りをつけた自民党議員達が、民間企業出身の森田氏を代わりに据えて、組合に強く当たりながら争議協定を強引に纏めるように指示したのであろう、ということである。後に森山は、原子炉の運転を再開しようとする菊池と森田氏の対応は軽率すぎるというコメントを、何度も繰り返しているが、森山のこの発言からも、大型炉3基(JRR-2、JRR-3、JPDR)を全て停止した理由が自民党からの横槍であることが、推測される。ちなみに新たに締結された争議協定書の内容は、森田氏のコメントにあるように、前年11月にJPDR引取りを目的に締結された協定と、ほとんど同じ物であった。上の森田氏の説明に対する森山の質問から引用を続ける。

    ―引用始め―

    (森山委員) そういう共同声明を出されて、当面の争議協定ができたわけですが、これによって原子炉の停止を解除するということになるわけですか。

    (森田参考人)お説のとおりに、炉を動かすにつきましてのいろいろな手当の問題その他につきまして、この前の十二月末のときに、これは三月末日までそういう諸般の規定はそのままにしておこうということで――三月中は間違いなく炉の運転をすることができるので、すでにJPDRも運転の準備をいたしておるはずでございます。

     そこで、一つ心配いたしますことは、四月一日から協定すべきものは、一つには超勤の問題です。超勤問題の規定がどうしてこれに影響があるかと申しますと、三直やっております場合に、ラップして三十分オーバータイムがつくわけです。それから、一人の者が休んだ場合に、前の直の者が次の直に直結して二直働くという場合がある。そういう場合に超過勤務というものはどうしても必要になってまいります。しかしながら、超過勤務手当の規定がこの三月三十一日で切れますと、御承知のとおりに、これは組合との協定がなければ支払うことができないという問題が一つ。

    それから直勤務の問題がからんでまいります。結局三交代をやるについての勤務状態でございますから、これもまた組合と協定をしてやらなければならない問題になってまいる。(中略)組合と話し合いをしなければ、協定がなければ直勤務というものはできないのではないか。それから、もう一つございますのは、従来原子炉運転手当というものを出しております。これは大蔵省当局とお話をいたしまして、これを改定して管理手当と交代手当というものに分けて、(中略)廃止することになっておるのでございます(中略)しかるに、JPDRにおける従来の運転手当をこれにかえますと、一部従来より減額される従業員が出てまいる。(中略)この三つの問題が、四月一日からの運転に支障を来たす三つの条件になっているわけでございます。

    (森山委員)そうすると、現在は原子炉を運転すべくその準備をしている。しかるに、四月一日からは超勤の問題、交代勤務の問題、それから原子炉運転手当の処置の問題等について組合と話がつかなければ――またつかない心配がある、ということは、炉がとまるかもしれない、こういうことですね。

    (森田参考人) さようでございます。

    (森山委員) 私は、「原子炉が停止している状態は、原研の社会的使命をはたす上に大きな障害をきたしている。」という共同声明のこの一項については全く同感でございます。しかしながら、この今回の争議協定が成立したというだけでもって、四月になればすぐにまたとまるかもしれないという公算がきわめて大きい現在に、一体原研の理事者は直ちに炉の再開準備に入るなんていうようなことは、軽率じゃないですか。ひとつ菊池理事長に御返事を伺いたいと思います。

    (菊池参考人) いま森田副理事長から申し上げましたように、すぐ準備に入ると同時に、いま副理事長が申し上げましたようないろいろなことが解決されなければ四月一日から炉は運転できない、そういうふうに考えます。ですから、軽率とおっしゃいました意味がどういうことか、そこを十分確かめた上で運転を再開したいと思います。

    (森山委員) あなたは私の言うことがわからないらしい。とにかく争議協定ができたからといって炉の再開準備を始められた。動かすつもりだ、こういうことが森田さんからお話があったのです。しかし、超過勤務の協定の問題、交代勤務の問題、原子炉運転手当等の処置の問題について、組合との折り合いがつかない場合に――つかない公算はかなり大きいということを森田さんは言っておるのです。そうすると、もう一回とまるかもしれない。わずか二十日間か十五日間しかやらないでまたとまるという事態が予想されるならば、いまお動かしになるのは適当であるかどうか、こういうことを私はお伺いしている。理事者としてはっきりした確信を持たないで動かした、またとまった、というような事態をまたおやりになるのですかということを私は伺っておる。(中略)

    この際、原子力局長がおいでになるようだから伺いたいと思うのです。炉の停止については、原子力研究所のほうから通報を受けているだろうと思う。監督官庁ですか、あるいは原子力委員会の事務局というのですか、わかりませんが、通報は受けていると思う。しかし、この際、すぐ先に、もう一カ月、三週間あるいは二週間以内に問題が起きるようなことについて、はっきりしないうちに炉を動かそうとされるいまの原研理事者の安易なやり方についてあなたはどう考えているか、ひとつ伺いたいと思うのです。

    (島村政府委員) まず第一点でございますが、(中略)ただいま御質問になり、あるいは菊池理事長からお返事のありましたような意味での炉の運転の状況の報告、あるいは予定というものは従来とっておりません。私どもが承知いたしておりますのでは、JPDRも本年に入ってできるだけ早く、おそらく二月の上旬ということになっております。そのころから動かすという予定を承知いたしております。先般来の紛争に伴いましてさらにいろいろこちらからお尋ねした結果、争議協定が結ばれれば動かすというふうに承知いたしております。(中略)ただ、すべての炉の運転計画というものは、森山委員がお尋ねになりましたような意味で通報を受けるようなシステムにはなっておりません。それが第一点でございます。

     第二点、四月一日からまたとめなければならないような不安定な状態において、いまこれを動かす準備を始めるということについてどう思うかという点でございます。この点につきましては、私どもといたしましては、すべての問題が労使閥におきまして円満に解決されましてその上で動かす、あるいは動かす準備を始めるというのが一番望ましいことだと考えております。現在は争議協定こそできておりますけれども、まだスト権は確立されっぱなしというふうな状況でございまして、私どもの目から見ました場合に、原研の労使関係が現在安定した状況にあるというふうには残念ながら見ることができないのではなかろうか、そういうふうに考えております。

    しかしながら、争議協定ができ、少なくとも二十四時間前の通告を受けることができる、あるいは保安要員が確保されるということでありますれば、従来の理事者側から伺っております。(中略)つまりすべてが解決した上で動かすのが一番望ましいことでありますけれども、すべてが解決しなくても、理事者の責任において安全が保持できる状態まできたから動かすと言われることに対しましては、私どもは格別疑義を感じていないわけであります。

    (森山委員) いま原子力局長はすべてが解決してとおっしゃいましたが、私はすべてというのをそれほど広くは解してないのです。少なくも森田副理事長が言われましたように、超勤手当の問題、交代勤務の問題、原子炉運転手当の処置の問題等、当面の問題ですね。すべてといえば、あとからお話しいたしますが、もう驚くべき状況になっておるのです。それはあとで申し上げます。

     そんなことまでやれとは言っていないが、少なくもこの程度の問題は片づけてやる。そして、こま切れ運転にしてやっていくようなことに、もしこのままの情勢でやっていきますと、今度は菊池理事長も十分御心痛のように、原研はすでに今回の問題で二名の理事が退任しておる。非常に大きな一つの社会的批判も受けておる時期です。いままでのようなだらだらしたやり方をやってはいかぬと私ははっきり考えておる。しかるに、今度の炉の再開はきわめてだらだらしたやり方であると私は思う。(中略)こんなやり方で、いままでとやり方が違うのですか。その点ちょっと伺っておきたいと思うのです。心がまえとしての問題です。

    (菊池参考人) 私はいままでとやり方を十分違えているつもりでおります。今度のことも、いま森田副理事長が言われました三つの協定を結ぶについて、いままでのような態度でなしに、はっきりこちらの納得がいくような態度をどこまでも強く持していきたい、そういう意味で、態度はいままでとはさらにその点十分変えていくつもりでおります。はっきりしていくつもりでおります。

    (森山委員) 口ではっきりすると言われましても、いまのようなことをしておられると、私どもはまわりから見てあまりはっきりしているとは思っておりません。しかし、なぜはっきりしていると思わないかということはまた後ほど、これから続ける質疑の中で私は申し上げたいと思う。

    ―引用終り―

    相田です。争議協定は締結されたものの、森田副理事長は、超勤の問題、交代勤務の問題、それから原子炉運転手当の処置等の、組合との未解決の問題が残されていると説明した。これを受けて森山は、理事長の菊池に対して、「大型炉の運転準備に取り掛かるのは軽率すぎる」と、菊池の対応を強く批判している。森山は当時47歳であり、還暦過ぎの菊池とは干支が一回り下になるのだが、物理学会の重鎮として名を成す菊池に対しても、「あなたは私の言うことがわからないらしい」等と、全く臆するところはない。大型炉を早く動かそうとする原研の対応に、ここでの森山は大きな懸念を示し、釘をさしている。繰り返すが、これらの森山の対応は、菊池の辞表提出を始めとする2月後半から急変した原研の厳しい状況が、自民党政治家たちの圧力によることを裏付けているように思える。

    原子力局の原研への管理状況を質した森山に対し、局長の島村から「争議協定ができ、少なくとも二十四時間前の通告を受けることができる、あるいは保安要員が確保されるということでありますれば(中略)、理事者の責任において(中略)動かすと言われることに対しましては、私どもは格別疑義を感じていないわけであります」と、菊池への助け舟となるコメントが出された。しかしその後も森山は、「こんなやり方で、いままでとやり方が違うのですか、(中略)心がまえとしての問題です」と、菊池への厳しい姿勢を変えることはなかった。

    ちなみに森山は、この日の議題であった筈の原研からの「調査項目書」について、これまでの質問の中で全く触れていない。後にわかるように、森山は実はこの「調査項目書」を読んでいなかった。それどころか存在そのものも知らないままで、森山はこの日の国会に臨んでいたのだった。質問者としてそんなことが許されるのか?という気もするが、森山は「調査項目書」には頼らずに、自らが「独自のルート」で調べた資料を元に、この日の質疑を行っていた。

    (つづく)

    タイトル
    第4章 理不尽すぎる審判(その2)
  13. 相田英男
    2016-04-23 06:43

    相田です。第4章の3回目です。

    ******************************

    4.4 訪れた運命の日(つづき)

    次いで森山は「共同声明」の内容について、原研管理者(森田氏)と労組(一柳氏)の両方に質問を行った。

    ―引用始め―

    (森山委員)そこで、次の問題に入りまして(共同声明の文章の中に)「正常な労使慣行を今後とも尊重することを相互に確認し、」こういうことがございます。正常な労使慣行というのは、どんなことをもって正常な労使慣行としておるのか。ひとつ使用者側から承りたい。

    (森田参考人) たとえば組合の時間内の活動だとか、組合活動等につきまして、これはここで申し上げるのはまことにわれわれ使用者としてもお恥ずかしいのでございますが、現在のところ規制が行き届いておらないというようなことでございます。それを正常ならざるものだとわれわれは感じております。

    (森山委員) それは不正常なお話なんだ。正常な労使慣行とはどんなことをやっておったのかと聞いておるのです。今後尊重するというから、どんなことをこれからあなた方は尊重してやるのか、承りたい。

    (森田参考人) 正常なる慣行と申しますれば……。

    (森山委員) 森田さんちょっと返事に困られるようですから、聞きますまい。不正常な労使慣行は今後は尊重しない、そういう意味ですね。そういうように逆に読んでいいわけですね。

    (森田参考人) さようでございます。

    (森山委員) それでは組合側に承りますが、「正常な労使慣行を今後とも尊重する」というのは、どういうことをあなた方は考えているのですか。(中略)

    (一柳参考人) 労働者と申しますか、それに働いております者が、私どもの労働条件につきまして、経済的地位とか、そういうものの向上をはかる、そういうような点に関する団結権、団体行動権、団体交渉権、そういうものを信頼しないということが不正常な労働関係であるというふうに思っております。

    (森山委員) 労働組合運動というのは労働者の経済的地位の向上を目ざす、そんなことは、組合があればわかり切っている。ただ問題は、ここに労使慣行ということが書いてある。どんな慣行をやっておったのか。正常な慣行として今後あなた方が維持したいのはどんなことか、言ってください。(中略)

    (一柳参考人) その点につきましては、現在所側との懸案事項は非常にたくさんございます。(中略)しかも、その交渉が、(中略)所側のほうのそういう問題に関する主体性のなさと申しますか、そういうところからくる硬直した態度と申しますか、そういうものによって非常に交渉が長引いております。(中略)こういう事務折衝というのはほとんど連日やらなければ問題が片づかないというふうな状況でございます。そういうのが現在まで続いておったわけでございます。

     それが正常であるかどうかということは若干問題があると思います。しかし、これは現在までの原研の中におけるひとつの労使関係というものの歴史的な事実というものから見ましてやむを得ないのではないか、というふうに考えております。

    (森山委員) 時間内の組合活動というようなものについて、あなたは、問題があるかと思うが、しかしこれはやむを得ないといっても、そういうものは、いまこれから詳しく入りますけれども、あなたはそれでいいと思っているの。それは正常な労使慣行だとあなた方は主張したいのですか。すぐこの次に具体的に入りますから、返事を慎重にやってくださいよ。

    (一柳参考人) (中略)そういう時間内の組合活動というものについても、私も多過ぎて困っておると思っておる。しかし、やはりこのままでは労使間の問題はどうしても解決していかない。その話し合いをやはり続けていかなければならない。そういうような状況の中にありますので、そういうふうな慣行はやっていかなければ問題は片づかない、そういうふうに考えております。

    (森山委員) いまの返事で私は満足しませんけれども、ひとつ具体的にそれでは入ってまいりたいと思います。

    ―引用終り―

    相田です。森山と参考人の間で「正常な労使慣行とはいかなるものか?」というやり取りが幾度も繰り返されるが、議論の内容が段々と科学技術とは何ら関係ない方向にそれ始めている。「労働問題の専門家」としての森山の、原研労組への厳しい追及がここから本格的に開始される。

    ―引用始め―

    (森山委員) 先ほど森田副理事長が、心配なのは四月一日からの超勤協定の問題だ、こういうお話がありました。それで、その超勤協定について現在の原研の労使間の協定書というものを読ましてもらったのですが、どうもこれだけだとよくわからない。

     三十八年三月三十日に結んだ時間外及び休日労働に関する協定書、昭和三十八年三月三十日、三八の一八号というものです。それを三十八年十一月十六日に、三八の一〇二号というので三月三十一日まで延期をしている。これまで大体三カ月ごとにやっておる。何回やっているのかわかりませんが、三回か四回超勤協定を結んでおるようですね。

     そしてその内容にいろいろなことが書いてある。これも読んでみると、どうもこれでもずいぶんゆるふんだなと思うんだが、どのくらいの超勤手当をやるのかということは、これには書いてないですね。何かあなたのほうには、労使間だけでもって、よそに見せない秘密協定をやっているのじゃないですか。どういう超勤協定の実情になっているか、この際ここで説明をしていただきたい。要するに、現在どういう形でやっておるのかということを説明していただきたい。

    (森田参考人) 大体超過勤務手当というものは、本来は実績でもって超過勤務をいたした者に対して支払うべきものであると観念をいたしておるわけでございますけれども、われわれのほうでは、当初研究が主体をなしておったというような関係もありましてある程度予算がついている範囲内で平均化して超過勤務をしない人に対しても、あたかも給与のごとくに支払われておる部分があるのでございまして、これまで東海村では十三時間の平均がついておる、こういうことをいたしておりました。これは全体の超勤のワクの中でパンクすることは明らかだと存じまするし、また超過勤務という性質上からも、こういうことは許すべきではないということで、これは正しきに戻すべくただいま早急に案を練っております。昨日も大体の骨子を完成いたした次第でございます。

    (森山委員) いまのお話だと、一時間も超過勤務の実績がない者でも、十三時間分の超過勤務手当をやる、現状はそういうやり方でおやりになっているのだということですね。

    (森田参考人) さようでございます。

    (森山委員) そういうものは正常な労使慣行とお認めになりますか。そういうことを外部には発表しない覚え書きでおやりになっているらしいですね。

    (森田参考人) これはまことに汗顔じくじたるものでございまして、こういう支払いをしておったのは当然理事者の誤りだと思いますから、これは正しきに戻すべくやるつもりでございます。

    (森山委員) 菊池理事長は、こういう問題をどうお考えになりますか。正常な労使慣行とお思いですか。

    (菊池参考人) いいえ、思いません。

    (森山委員) 労働組合の委員長はどうお考えですか。

    (一柳参考人) これはやはり一つの歴史的な背景からそういうものが出てきておるということでございます。(中略)つまり昨年度のベースアップのときになかなか話がつきにくかった。それで、こういうことを申し上げるのは内部の恥のようなものでございますけれども、なかなか話がつかないというのは、原研の理事者の給与に関する主体性というものが非常に制約されておるので何ともならないのだ。だけれども、超勤ぐらいについては何とかやっていけるから、そういうもので少しカバーしよう、というような経緯でこういうものがついてきたのだ、こういうふうに私は考えております。(中略)

    確かに超勤自体をとってみますと、それが実績時間に並行しないということはおかしなことでございますが、そういう経緯を考えた上でなければこういう問題は解決できないと思います(中略)そういうようなものは暫定手当というふうな形に直してしまうとか、そういう形で私どもとしては労働条件の切り下げにならないようにものごとを解決していただきたい。そうしなければ話はあまりうまくいかないのではないかと考えております。

    ―引用終り―

    相田です。森山は組合との間の超勤協定(通常勤務時間外に業務を行う際の賃金の取り決め、要するに残業代のこと)の具体的な内容について、自らの「独自の入手資料」を用いて問い質した。労使間の協定書が僅か三か月の短期間で次々改訂される割には、具体的な手当の金額がそこに書かれていないのは、非公開の秘密協定があるのだろうという、森山のあまりに鋭い指摘に対して、森田副理事長は超過勤務をしない組合員に対しても、平均十三時間分の手当てを毎月支払っていた事実を認めざるを得なかった。

    これはかなり姑息なやり口のようであるが、大手の民間会社等では、給与の上乗せのような意味合いで、組合員への一律の残業手当を支払う事例は割と多いと思う。ただし、特殊法人である原研は、給与金額の絶対値は別としても、公務員と同様の給与規定に従う必要が当然あることから、実体のない残業代の支払いが「正常な労使慣行である」と主張できる筈などなかった。森山の指摘に対して森田、菊池の両名が、この慣行が問題であり正すべきものと認めた。

    労使間の秘密の覚書の下で、非公開の残業代が支給されていた事実が明らかにされたことで、労組の立場はいきなり苦しい物となる。そもそも原研の労使関係が揉めた理由は、給与の水準が約束よりも低いからだと組合が主張していたにもかかわらず、実際にはヤミ手当のようなものをもらっていたとなると、労組の主張には説得力を失ってしまう。協定が秘密裡であるとすると、各組合員が本当は幾ら給与をもらっているのかもはっきりしなくなる。

    これに対し一柳委員長は、我々組合員の給与が約束よりもずっと低く抑えられてきたのだから、理事者側の裁量でせめて出せる範囲で、何とかやりくりしているのだ。暫定的な手当のようなもので、本来の約束された給与水準に達するまではもらう権利がある、と開き直りのような回答を行った。

    しかしこの後に出た、先代原子力局長の佐々木義武からの質問によって、労組はさらに厳しい立場追い込まれることになる。

    ―引用始め―

    (佐々木(義)委員) 関連。ただいま歴史的な結論というお話でございましたが、ちょっとお伺いしたいのです。創立以来いままで原研ではストは何回やっておりますか。

    (森田参考人) これまたお恥ずかしいのですが、六十六回やっております。それから、昨年中だけで四十四回やっております。

    (佐々木(義)委員) 組合の委員長に聞きたいのですが、そういう歴史的な結論の結果を尊重すべきだ、こうおっしゃるのですか。

    (一柳参考人) 昨年四十何回というお話でございますが、これはどういう勘定のしかたか、私ちょっとあれなんでございます。つまり、私どもが通告してストライキをやっておりますのは、具体的に申しますと、昨年以来大きくもめました問題というのは三つでございます。

     一つは、七月にJPDRの直勤務手当を切り下げる。それからもう一つは、五班三交代の約束の時期を延ばすということでごたごたが起こりまして、(中略)これがストライキの通告という回数でまいりますと十日ばかりになっておりまして、その日ごとに出すわけであります。そういうことになっておりますので、そういう勘定をすれば十回ほどということになるかもしれません。しかし、これは一まとまりのそういうものでございます。

     それから、もう一つもめましたのは、昨年の暮れの期末手業でございます。この期末手当と申しますのは、所側のほうから一昨年の支給率を二割程度下回る案を出してこられたのであります。それで、これでは困る、これ以上お金はないということで、もめてしまいまして、そのときも一波、二波というふうにやっておりますから、それも二回という所側の勘定になればそうでありましょうが、それも一まとめのものであります。

     もう一つは、昨年十月からやっておりますベースアップに関する問題であります。これにつきましても一波、二波あるいは部分という形でやっておりますので、それを一つずっと勘定すれば四十何回ということになるかもしれませんが、もめております問題というのはその三つであります。

     その三つも多いとかなんとかいうことはありましょうが、そういうもののうち、ベースアップ及び期末手当につきましては、政府関係機関労働組合協議会というのがありまして、結局統一行動が大部分でございます。(中略)

    (森山委員) この問題については意見が違うわけですから、四月一日から起きる超勤手当の問題について、すでにこれを正常な慣行と見るか見ないかということについて大きな相違があるということがはっきりしたわけです。したがって、このままでいくと四月一日までに簡単に話がつきそうにないということになりますと、原研の労働組合というのは、先ほどお話しのように大きな事件は三つかもしれないけれども、その間にあやのごとく、昨年中でも四十四回のストライキをやっておるのですから、大小取りまぜてやっておるわけです。これによって炉がとまることがないとは保証されない、それだけは私は言えるだろうと思います。

    ―引用終り―

    相田です。原研労組がストを行った回数は、創立以来66回、そのうち63年だけで44回であるという衝撃的な数値が、森田氏から報告される。一柳氏はこれに対してたまらず、細かいストの回数は問題ではなく、大きな流れとしては3回だけである。原研の方に通知した回数を全て数えると多く感じるのだが、実態は3回なのだ、という趣旨の回答を行っている。しかし一柳氏の話は、どうにもつらい言い訳にしか聞こえない。大きな流れの中とはいえ、10日に1回以上のペースでストが起きる職場というのは、凄まじい状況というべきだろう。

    これを受けて、森山の労組への追及が更に激しさを増すことになる。

    ―引用始め―

    (森山委員) それから次に、私は、これはごく簡単に一、二の例として聞いてみたい。時間内の組合運動に対してはどういうふうな申し入れをしておるかということを、ひとつ経営者側に承りたいと思います。(中略)この問題についての資料はいまちょっと手元にございませんけれども、私の記憶で御確認を願いたいのです。たしか組合総会とか組合大会とかいうのが年に何回か認めておりました。それについては年次有給休暇の中から認める。それに評議員会とか中央執行委員会とか、そういうようなものについてはまた幾日かの、たとえば中央執行委員会なんというのは週に一日ぐらいではなかったかと思いますが、(中略)そしてそれについては覚え響きとして外部に発表しないという案でもって、賃金カットをしないのだ、まあそういう案です。そういう案を私はお出しになったように記憶しておるのですが、その辺どうですか。

    (森田参考人) これは世の中の一般の通念からいって当然おかしいものだとわれわれは十分に了解いたしておりますので、これは全部撤回いたすことに私きめたわけでございます。

    (森山委員) この勤務時間内における組合活動についての提案は、ここ数年来何回も出ておるようですね。その経過を私が調べたところでは、組合の総会ぐらいは年次有給休暇の中からこれを転用するということにしておるようですが、その他の大部分の評議員会とか中央執行委員会とかその他いろいろな組合活動は相当な回数及び時間これを認め、賃金カットをしないという、外部に発表しない覚え書きがいままでは出ておるじゃないですか。そういう事実をお認めになりますか。

    (森田参考人) さきに出したものについては、相当そういうことになっておったように記憶いたしております。それではとうてい困るということで、撤回することにいたしたのでございます。

    (森山委員) ちょうど労働省の労働法規課長が来ておりますが、時間内の組合活動で、賃金カットをしないで年次有給休暇に振りかえ、または賃金カットにならないで認めているような例が他にございますか。

    (青木説明員) 賃金カットをしているかしておらぬかという実態は、各それぞれの事業場の内部問題がございまして、われわれの調査では明らかになっておりません。しかし、御存じのように、労組法の第七条第三号におきましては、一定の事項、すなわち勤務時間中の団体交渉あるいは経営協議会などの協議、そういう法で認められます事項以外の組合活動について賃金を支払うことは禁止されております。

    (森山委員) そうなると、労働組合運動というものは相互不介入、自主運営の原則の上に立っておる。そういうものに原子力研究所は月給をやって、時間内の組合活動を野放しにいままでしておったというやり方、また二月における提案と同様の趣旨を認めるようなやり方は、ある意味におきましては労組法上の不当労働行為になりませんか。

    (青木説明員) 法の規定の純法理論的に申しますと、そういう結果になります。

    (森山委員) 菊池理事長に伺いますが、なぜとのような不正常な労使慣行を従来やってこられたか。それを承りたい。

    (菊池参考人) これは、いまおっしゃったとおり、純法理論的には認められないことは私も承知しております。(中略)一番大きな原因は、やはりわれわれは非常に大きい、たとえばこの間の動力試験炉というようなものをかかえております。これについては、一日おくれればどれだけの補償を払うというようなペナルティーのついた仕事をかかえております。そういう場面で、いよいよ超勤協定が切れた。それで組合との各種の交渉が始まる際に、どうしてもそっちのほうを何とかやらなければいけないという気が強くなりまして、そのためにやむを得ずそういうことを知りつつやった。そのために、その協定の期間が二週間とか一月とかの短いもので、次の段階になると、また同じようになる。

    そういうことが繰り返され繰り返されまして、去年のJPDRの引き渡し直前に、これではどうにもいけないというので、引き渡し前でありますが、私はあえて炉をとめて、労使の正常化をはかろうという決心をしたわけであります。その後いろいろないきさつもございまして、とにかくJPDRは受け取ろうということで、三月一ぱいの、先ほど問題になりました協定を引き渡しまで延ばしまして、やってきたわけでございます。

     それで、ここで、いまおっしゃったようなほんとうの正常化をやらなければならぬように考えております。だから、ただいままでそういうようないきさつで、非常にゆるふん的な態度であったことをわれわれははっきり認めます。そういう態度ではいけないと思っております。

    (森山委員) 理事者側は、正常な労使慣行にあらず、時間内の組合運動は正さなければならないというお考えのようでございます。

    ―引用終り―

    相田です。残業代のヤミ支給問題に続いて、森山は勤務時間内の組合活動の実態について質した。労組の専従者以外の組合員の大勢が、勤務時間であるにも係らず組合活動に時間を割いており、その間の給与は原研側から支給されているのではないのか?その内容は「例のごとく」非公開の取決め書にのみ書かれており、法律上の不当労働行為にあたるのではないのか、という、あまりにも厳しい追及である。

    準備万端の森山はこの時のために、労働省の労働法規課長の青木氏をわざわざこの場に呼んで、原研の対応は労働組合法に違反するものだ、という発言を青木氏にさせている。これに対して理事長の菊池は、悪いとはわかっていたものの、JPDR等の大型装置を計画通りに設置して稼働させることを優先せざるを得ないことから、わかっててやってしまった。非常に「ゆるふん」な対応であり、正すべきである、と森山に頭を下げるしかなかった。

    確かに森山の言う通りなのだが、こんな情けない言い訳をさせてしまうまで、菊池を追い込んでしまうのも、一体どうなのかと思ってしまう。菊池を国会に呼び出してその名声に泥を塗り、恥をかかせるために原研理事長として招聘した訳ではないだろう、菊池がやるべきことはこんなことでは無いはずだ、という無念さと憤りを、自分は読みながら感じずにはいられない。

    森山はこの問題を、一柳氏に直接質すことになるが、森山の度を越した厳しい追及に、会場は一時騒然となる。

    ―引用始め―

    (森山委員) そこで、組合の委員長に承りたいが、いままでのような野放しの、野放図な労働組合運動、時間内の労働組合運動、すなわち専従制度さえもまだ認めてない、すなわち組合の委員長以下相当数の人間がこの組合運動に相当専念していることは明らかな事実でございます。にもかかわらず、俸給は組合からもらうのじゃなくて、原子力研究所から俸給をもらって組合運動に没頭しておる。その他の各種組合活動におけるところの勤務時間のロスというものを、一切賃金カットをしないというような従来のやり方について、これを正常な労使慣行と考えておるかどうか、承りたい。

    (一柳参考人) 労使間の諸問題を解決していくための諸手続とか、あるいは諸機関とか、あるいは団体交渉とか、種々の委員会とか、そういうものがございます。こういうものをちゃんとやっていくということは、これはいい労使慣行である。そういうふうに私考えております。いままでいろいろ協議とか事務折衝とか、そういうことがありました。そういう問題が、現在まで生々発展してまいりました原子力研究所の中では、労働条件その他についても変更がたびたびございます。(中略)そういうことは正しい労使慣行であると思っております。したがって、そういうことはやっていかなければならない。そうしなければ問題は解決していかないし、問題はますます混乱するばかりである、そういうように考えております。

    (森山委員) どうもあなたの言うことはわからない。原子力研究所が設立されてすでに八年たっておる。その間に専従制度すらない。組合運動は野放しである。こういう実情をあなたは正常な労使慣行と考えておるのか。
      〔「参考人に対してそんな言い方は失敬じゃないか」と呼ぶ者あり〕

    (前田委員長) 森山君、もう少し静かに、ひとつお願いします。
      〔発言する者あり〕

    (前田委員長) お静かに願います。

    (一柳参考人) 先ほどから申し上げておりますように、労使間のいろいろな問題がございます。その問題を解決するためにやっておりますいろいろな会議とかいろいろな委員会とか、そういうものは正常な労使慣行であると思っておりますので、そういうものは私どもは今後やっていかなければ、原研の当面しておるいろいろなむずかしい問題は解決していかないと思います。(中略)

    (森山委員) あなたの返事はよくわからないのですがね。ただ、専従制度がなくて八年も経過していることは正常だと思いますか。あるいは組合運動が野放しになって、何回やってもよろしいし、また何回やってもこれは賃金カットの対象とならないようなやり方は正常だとお考えなんですか、こう聞いているのです。イエスかノーか、聞かしていただきたい。

    (一柳参考人) いまのおっしゃり方では私ははなはだ困るのでございますが……。

    (森山委員) 答えやすいように聞いているのですから、ちゃんと答えてください。

    (一柳参考人) 先ほどから申しておりますように、労使間の諸問題を解決するための諸手続、それから諸機関、それからそういうものに関する調査活動とか、そういうものに関しましては、これは正常な労使慣行であるし、したがって、これは今後やっていかなければならないと思います。

    (森山委員) それでまた、正常な労使慣行について理事者側とこういう常識的なことにおいても違うという事実が明らかになった。

    ―引用終り―

    相田です。文章からでは詳細はわからないが、のらりくらりとはぐらかす一柳氏に対し、途中で森山が激高して声を荒げて、会場が騒然となったことがわかる。最早、原子力を議論するのではなく、原研の労働問題を問い質す場になってしまっている。森山のワンマンショーと化している。

    4.6 打ち出された「森山ドクトリン」

    森山の労組への最後の問いかけは、労働協約の問題である。以下に引用する。

    ―引用始め―

    (森山委員) それからもう一つ、最後に伺います。原研が発足して八年目だというが、労働協約がない。私ちょっと拝見しますと、ばらばらの協約を、三カ月か二カ月あるいは一カ月、こま切れのようにばらばらにやっている。しかし、総合的な長期にわたる労働協約をいままでも締結してなければならないと私は思いますし、これからも早急に締結しなければならないと思うが、これについて原研の理事者はどう考えるか、御返事を承りたい。

    (森田参考人) 労働協約がないということはまことに不正常になるゆえんであると考え、われわれも労働協約の締結についてはあらゆる努力をいたしてまいったわけでありまして、まさに協定の寸前にまで至ったことも二、三回あるのであります。最後は三十七年くらいにまさに締結しそうになったのでありますが、遺憾ながら、その当時組合の執行部の期限といいますか、それが半年ごとの更改になっておったわけです。

    労働協約を締結するためには半年ぐらいはどうしても話し合いをしなければならないので、そうすると、まさに寸前のところに至って、向こうが選手交代というようなことになりますので、数回そのチャンスを逸していままでに至っておるような実情で、まことに遺憾のきわみと存じます。

    (森山委員) 労働法規課長がおられるので、労働省に承りたいのです。この程度の規模の、二千人近い組合員を擁するところの組織において組合活動が行なわれ、そして労働協約がかくも長期間締結されないなどという事態は、一体ありますか。少なくとも正常な事態ではないように私は思う。(中略)

     私が先ほど声を荒らげて質問しましたことは、その点はおわびを申し上げなければなりませんけれども、どうもあまりにも常識と違うことを平然としてお答えになるものですから、義憤にかられて声を大きくしたということでございまして、ひとつ委員長において御了承を願いたい。

    (青木説明員) 全国的な調査というものは行なっておりませんが、一昨年民間の事業場単位の労働組合につきまして、協約の実態調査を行ないました。その結果によりますと、千人以上の規模の事業場におきましては約八九%が労働協約を締結いたしておりまして、この労働協約によって労使関係を規律するということに相なっております。(中略)

    この労働協約の締結のしかたにつきましては、個別協約を積み上げていく方式もございます。しかし、一般的にわれわれは総合的に労働条件の分野、その他ただいまここで問題になっております組合活動の分野、あるいは争議関係の分野、そういうものをひっくるめて、総合的な労働協約を労使間で締結をしていただきまして、これによって労使関係の正常化をはかっていくのが最も正常なあり方じゃないか、こういうふうに考えております。

     なお、組合活動の規制の関係につきましては、この調査によりますと、協約で規定いたしておりますものが千四百九のうち九百十五ございます。その規制の内容はまちまちでございまして、一応届け出によってできるもの、あるいは許可、承認によってできるもの、そういうふうにまちまちになっておりますが、現在約七割以上が協約でもってそういうことを規制しておるというのが、実態調査の結果の数字でございます。

    (森山委員) こういう労働協約を結ぶのは常識的であり、正常ないき方だと私は考えるわけだし、いまの労働省の調査の結果の報告を見ても、これは明らかであります。組合の委員長としては、労働協約の締結についてはどう考えるか。

    (一柳参考人) この問題については、前々から私どものほうとしても結びたいということで、やってきたわけでございます。だけれども、なかなか意見が合わなかったり、そのほかにいろいろ問題がありまして、どうも途中で中断してしまってだめになったりするわけであります。

     ただ、労働協約がないというお話でありますが、私どもは、ないのではないと思っております。御承知のように、労働約協には債務的なものと規範的なものがございます。そのうち規範的の、いわゆる労働条件とか、そういうものに関する部分、それについては全部あるわけでございます。ただ、そのあるのが、いわゆる個別協定方式、いま言っておられましたが、そういうふうなことの積み重ねということでできておるわけでございます。債務的な部分について欠けておるところがあるということなのでございます。

    それが、たとえばこの間できました争議協定というものもその一部分でございまして、そういたしますと、それによって追補されていくという形になっております。したがって、全くないというのは、そういうことではないのであって、債務的部分のうち欠けておる部分がある、そういうことであります。

    (森山委員) あなたと論争するつもりはございませんが、ただ私の感じでは、とにかくばらばらである、しかもこま切れであって、もっと労働協約としてまとまったもので、労使間がしっくりいくような協定を結ぶ必要があるということを申し上げた。世にいわゆるその意味の労働協約というものはないじゃないか、こういう議論を言っておるわけです。その点については、これ以上申し上げません。

    ―引用終り―

    相田です。ここでの森山の主張は、「原研のような大きな組織では、労使の間で総合的な長期にわたる労働協約を結ぶべきではないのか?」というものである。「なぜ1ケ月、3カ月などのこま切れの協定をばらばらと結ぶのだ?これでは、いつまでも交渉事が減らずに、業務が停滞し続けるのではないのか?」という、これもまた、あまりにもっともな内容だと思える。要するに、協定がばらばらであるがゆえに、労使間の協議に多大な時間が費やされ、ずるずると就業時間内の組合活動が公然化され、協定の度に組合の新たな要求が出されて、更なる協議の時間を費やすというような、組合ペースの悪循環が続くのだろう、ということである。ある意味で原研の労使問題の核心であるといえる。

    ここでも森山は青木労働法規課長を呼んで、「民間企業における千人以上の規模の事業場では、約八九%が労働協約を締結しており、調査結果を準備させており、労働協約によって労使関係を規律するのが一般的だ」という調査結果を説明させるという、念の入りようある。労働組合潰しの専門家としての森山の力量が、如何なく発揮されている。

     労働協約がない理由について森田副理事長は、「これまでに協定の寸前にまで至ったことも二、三回あるのだが、組合執行部の期限が切れて担当者が交代してしまうので、そのつど仕切り直しする羽目になる、誠に遺憾である」という、情けない言い訳をここでも繰り返す羽目となった。一方の一柳委員長からは、「労働協約は無いわけではなく、個別方式の積み重ねとして規範的なものはあるのだ。労働条件はそれで規定されているから良いのだ」という、現状を肯定する趣旨の回答がされている。切り貼りの協定の積み上げでも実態はカバーできているのだから、別に問題はないだろうという、開き直りともとれる発言である。

     ここまでの、森山の作り上げた一連の筋書きにより、原研内部の労使間に信頼関係が全く存在しないこと、労使間の交渉は組合のペースでグダグダに進められていることが、白日の下に晒されてしまった。自民党側の作戦勝ちである。森山は自らの主張に説得力を持たせるため、さらなる証拠を取り出して追及を行った。

    ―引用始め―

    (森山委員) なお、参考のために、私はいま書類を取り寄せてまいりましたのですが、この一月三十日付に菊池理事長名で勤務時間内の組合活動に関する申し入れ書というのを出しておる。それについて二月末協定成立を目途として別紙案によってやりたい。そこに協定案ができまして、そして例によって外部に発表しないという覚え書きをつくっておる。

    その覚え書きの内容によると、労働組合の組合活動を勤務時間内に行なうことができるものとして、総会年二回以内、一回の時間午前九時から午後五時五十分までの必要時間、この場合、原子力研究所は労働組合の組合員から年次有給休暇の請求があったときは了承する。それから、大会というのがありまして、年に八回以内、一回の時間四時間以内。それから、評議員会として年に八回以内、一回の時間四時間以内、ただし闘争委員会設置期間中は認めない。回数は闘争委員会設置期間に応じ減ずる。それから執行委員会としまして、闘争委員会を含む、週一回以内、一回の時間四時間以内。執行活動、ただし専従制に移行する段階の暫定措置として、その期間は一年以内とする、原則として特定の五名以内とする、というようなこと等が規定をされておるわけです。

    しかもこれが、年次有給休暇と特に明示してあるもの以外は、全部原子力研究所で月給をもらいながらこれらの組合活動に専念するというようなたてまえになっておるように私どもは了解をいたしておるわけです。すなわち、賃金カットをしないというふうな提案になっておるようでございます。

    それで、私は、そういうことはおかしいではないか、しかもこういうような協定ができておらない現状については、専従もなければ、総会であろうと、大会であろうと、評議員会であろうと、執行委員会であろうと、あるいは専従にその仕事をしておる人たちであろうと、これらが全く野放し状態になっておって、しかも月給は全部原子力研究所からもらっておる。今日の原子力研究所の労働組合の財政的基礎に対してとにかく月給をやっておる。組合活動に金を出しておるわけですから、相互不介入、自主運営の立場からあまりにおかしいじゃないか、労働法上の不当労働行為になるのではないかということを私は質問し、それに同意の意見が労働省からあったわけでございます。やや具体的に皆さまの前に一応御報告を申し上げておきたいと思います。

     そこで、私はこういうような点から見まして菊池理事長にお伺いをしたいと思います。(中略)原子力研究所の研究方向をどう持っていくかということは、私は大きな問題だと思います。私は原子力問題についての専門家でございませんから、その問題について私見をこの際申し上げることは差し控えさせていただきたい。しかし、研究所であれ工場であれ、とにかくたくさんの人が集まって仕事をするというところでは、今日労働組合ができるのはもう当然でございます。そして、その労働組合というものに折り目がちゃんとついていかなければならない。折り目が正しくなければならない。

    いま見ますと原子力研究所の労働運動というのは、総合的労働協約はもちろん、勤務時間内の労働組合運動は全く野放しにされているというような状況になっておるわけです。もしたくさんの人が仕事をするにしても、組合というものが結成されて、そういう形における労使関係がないならばまた別ですが、組合というものが結成されておりながら、折り目、筋目の正しくないような組合運動を放置しておっては、どんな方向に研究方向を持っていこうとされましても、ちょうど、イソップ物語だったか何かにありますように、砂の上に皆さま方が楼閣を築こうとするようなものであろうと私は思うのです。まずたくさんの人が集まって仕事をするについては、その基本になるところの労使関係というものががっちりしておらなければ、その上にどんなりっぱな建物を建てたって、下がぐらぐらしておったら、それは全部こわされてしまうと私は思うのです。

    その意味において、今日の日本原子力研究所の労使関係の実態というものは、まずこれを手直ししていかなければ、これを改善していかなければ、またがっちりした労使関係の基礎をつくっていかなければ、日本原子力研究所はその業績をあげることができないのではないかというふうに私は考えるわけでございまして、この点についての菊池理事長の御見解を承りたい。

    菊池理事長も、主任研究員の方々も、原子力研究所の今後の方向ということについていろいろと御苦心をなさっておられるわけでございます。菊池先生は、特に私どもの学校の先輩でもございますし、その道の大家でございます。かねてから御尊敬を申し上げておるのでございますけれども、しかしながら、どういう方向に原子力研究所の方向を持っていかれるにいたしましても、たくさんの人と一緒に仕事をし、そのたくさんの人が労働組合を結成して、そういうものとの労使関係の上に立って仕事をしなければならないとするならば、その労使関係というものについてはっきり折り目、けじめをつける必要があるのではないか、折り目を正す必要があるのではないか。それなくしていかなる原子力研究所の運営方向というものも、どんなりっぱなものができても、くずれ去るであろうと私は思います。そういう意味で一つ御意見を承りたいと思います。

    (菊池参考人) 御説のとおりと思います。

    ―引用終り―

    相田です。森山が準備して読み上げた「勤務時間内の組合活動に関する申し入れ書」に書かれている内容は、概ね事実だったのだろう。原研労組は森山が言うところの「協定ができておらない現状で、専従もなければ、総会であろうと、大会であろうと、評議員会であろうと、執行委員会であろうと、あるいは専従にその仕事をしておる人たちであろうと、これらが全く野放し状態になっておって、しかも月給は全部原子力研究所からもらっている」という状況でありながら、「給与が約束より少ないのは許せない」という理由をさらに持ち出して、JRR-3への「30分前予告スト」を決行した、ということだ。少なくとも菊池は、それが事実であることを否定することは出来なかった。

    ここで森山は、原研が困難な状況に至った理由として、菊池がこれまで訴えていたような、政府の原子力研究の方針が定まらない、原子力委員会の権限が弱い、大蔵省査定の単年度予算では十分な計画が立てられない、などというような考えに対し、「そうではない」と反論を始めていることに注目すべきである。原研が混乱しているのは、理事者側が過激な組合活動を十分に管理できないからで、労使関係にきちんと折り目がつけられることで、はじめて上手く組織が回ってゆくのだ、という方向に、関係者の目を向けるのに、森山は見事に成功したのである。労組側の活動がエスカレートし過ぎたことが、森山に反論を許すきっかけと証拠を与えてしまったと言えると思う。

    ここで森山により提唱された、「組織における労使関係に正しい折り目を付けることで、原子力の研究開発を正しい方向に進めることが出来る」という考え方を、私は「森山ドクトリン」と呼ぶことにする。この日の議論で初めて「森山ドクトリン」が披露されたのだった。

    (つづく)

    タイトル
    第4章 理不尽すぎる審判(その3)
  14. 相田英男
    2016-04-23 06:39

    相田です。第4章の4回目です。

    ******************************

    4.6 悪いのはすべて理事長
     
    ここからは遂に、この日の議論のハイライトとなるやり取りを引用する。かなり長いが、一気に読み進めると思う。この場面こそが、それまで日本の原子力開発に残されていた僅かな希望を打ち砕き、災いの種をまき散らした、まさにその瞬間である。

    ―引用始め―

    (森山委員) そこで、私は組合の委員長に今度は承りたいと思います。

     私の調査したところでは、原子力研究所にははっきりした日本共産党員が二十名、これは公安調査庁で一人一人の名前をあげることができるような確実な党員がおります。巷間伝えられるところによると、三十名か四十名あげております。その中には一柳さんは入っておられない。しかし、その同調者の筆頭にはなっておる。いわゆるシンパですね。これも相当なシンパと見られるような御業績がおありになることは事実でございます。(中略)いずれにしても、昨日公安調査庁の次長からの電話によると、日本共産党員は、原子力研究所に二十名は確実に名前をあげることができる、そしておよそその五倍の同調者がおるということでございます。そうすると、大体百二十名くらいの共産党員及びそのシンパ、同調者がいる、こういうふうに私は考えられるわけでございます。

     こういうところからいくと、私も実はその原子力研究所の労働組合の運動方針はどんなふうな運動方針を掲げておるかということで、研究してみたのです。要約すると、主要闘争目標は、大幅五千円の賃上げ、諸手当の新設、増額等を掲げる一方、原子力基本法の平和利用三原則が米国核戦略の一端や軍事研究、軍事利用の既成事実化の前に空文化されようとしておる、として、内部的には、原研の中心的研究である原子力発電の動力試験炉、いま問題になっている略称JPDR作業の勤務条件改善を名にしたスト強行、外部的にはアメリカ原子力潜水艦の寄港絶対反対を打ち出して、そして政府の施策に対決するかまえを示しておる、というふうに私どもはあなたのほうの運動方針を理解しておるのでございます。

    特に一柳君は、日本共産党の機関紙の「アカハタ」にこの原子力発電に対する態度と安全性保証要求について記事を書いておるではないかというあれがありましたが、私はそれを読んでいないから、確認はしていないのです。前の委員長さんがお書きになったものは私は読んでおります。そういうことで、本日御列席の委員長並びに労働組合の人たちが非常に日本共産党の影響を受けるところが大きいということを私は痛感いたしておるものでございます。

    それで、私は一柳さんを委員長とする組合というものにそういう認識を持っておるのだが、そういう認識は間違いでしょうか。ちょっとその認識についてあなたの御見解をごく簡単に承りたいと思います。

    (一柳参考人) 私も似たようなものを、反共雑誌でございますが、最近何かそういう雑誌で見たことがございます。所内でもそれを見まして、何だこれはというので、だいぶ失笑を買ったような始末でございます。私どもの労働組合といたしましては、別にそういう思想性の問題とかいうことについて調査したこともございませんし、そういうことをやったことはございませんので、何人くらいおるかということについては全然わかりませんし、また私も存じておりません。そういうことでございます。

    (森山委員) あなたとしてはその程度のことしかおわかりがないと思うが、私のところにも実は「全貌」というものを送ってきまして、幾日か前にそれを見たら、一柳君もシンパと推定されるものの筆頭に載っておるのです。私がいま申し上げたことは、この雑誌からじゃないのです。この雑誌じゃなくて、別の調査で調査をした。その数字において、私はいま申し上げましたように、公安調査庁という名前まであげて正式に申し上げておるのですから、私の言うことについて裏づけがほしいならば、いつでも裏づけができるような態勢にございますから、それはそれでいいのです。この雑誌を見てあなたにそういう話をするのではないのだから、その点お間違えなく……。

     それから、組合の運動方針については、さっきのような運動方針ではないのですか。

    (一柳参考人) 現在の組合の運動方針というのは、四つございます。一つは、原子力平和利用三原則を守り、原研の自主性を回復しようというものでございます。二つ目は、原子炉その他の施設の安全を守り、そして国民とわれわれを放射線の障害から守ろうというのであります。三番目は、組合員に対する種々の弾圧をはね返そうというのであります。四番目が、われわれの労働条件を改善しようというのでございます。その四つでございます。そういうことでございまして、いまお話しのものはどこからおとりになったのか、ちょっと私わかりません。

     しかし、そこで問題になってまいりますことは、一番上の自主性を回復しろということが運動のスローガンに入っておるということであります。この点につきましては、これは私ども経済条件を改善しようということで、前々から一生懸命やっておったわけでございます。ところが、これは理事者のほうから最近お出しになっている原研白書にも書いてございますように、やはり給与に関する自主性がどうもないということがだんだんはっきりしてきたわけでございます。

    そういうことになってまいりますと、なぜ一体そういうふうに自主性がないのだろうかということで、そのうしろにあるものは何であろうかということに当然なってまいります。そこで、それはいままでの原子力政策のままでは、これは原研には自主性が与えられないのではないかというふうにわれわれは考えざるを得ない。したがって、その原研の自主性を回復しろ、それがもし経済的条件といったものでできないというのならば、それの自主性を回復してもらうということが私ども運動方針の中の一つの基調になっているわけでございます。

    (森山委員) 日本原子力研究所労働組合の運動方針がございますが、そういうものの中にそういう考えはみな書いてありますよ。経済要求ももちろん書いてあります。五千円のベースアップに始まって、いまのような運動方針とか、いろいろ周囲の環境を含む問題とか、みな書いてありますが、私は要約して申し上げた。だから、私の定義づけに御不満ならば、またあらためて、私どもの組合はそういう性格ではないのだということで、そちらからお話があれば、私個人でお伺いする気持ちはございます。いずれにしても、私どもはそういう見方をしているということをごく簡単に申し上げておきます。

     そこで、そういうお考えでいけば、いわゆるマルクス・レーニン・スターリン主義、その基本的な問題としまして、一つの階級闘争的な考え方を持つ。そうすると、労使間の安定というものはなかなかないのですから、すぐ伝家の宝刀であるストという剣を抜きっぱなしになる。たまに抜くから伝家の宝刀だが、どうも開所以来六十六回、昨年だけでも四十回というのでは伝家の宝刀ではない。そういうやり方をあなた方の組合はしてこられたと思うわけです。

    昨年四十回のストライキをされたかどうかについては御異論があるようだけれども、しかし、森田副理事長は四十回とおっしゃる。あなたはそんなにやらないとおっしゃるが、数えてみると四十回くらいだろう。いずれにしても、容共勢力の増大、とにかく私どもはそういう思想的なことは申し上げませんが、しかし、それによって組合運動が非常に不正常になって、そして業務が非常に停滞しているというようなことはゆゆしき一大事であるといわなければなりません。事実、業務は停滞したと思います。この点は間違いがない。

     こういう組合のやり方を、今後どうするのですか。こういうことは、あなた方組合運動の立場からいえば納得できるかもしれないが、皆さん方の研究所は、八千万国民の税金によって運営されているのです。そういう重い国民に対する責任を考えたら、単に自分の組合だけの立場で業務停滞をさせるというようなことは、私はとるべき道ではないと思います。その点、委員長であるあなたの所感を伺いたい。

    (一柳参考人) その点につきまして、私どもはストライキをやるたびに、実は非常に残念であるということをいつも申しておるのでございます。と申しますことは、何といいますか、いま、すぐストに突っ走るというお話でございますけれども、すぐストに突っ走るということではないのであります。

    たとえば昨年の七月にJPDRのところでストライキが起こりましたけれども、これは先ほど申しましたように、JPDRの直勤務に関します協定を延期し、それからそれの手当を切り下げるという問題が発端でございまして、何日も交渉しているわけでございます。その結果、とうとう徹夜の団交が決裂しました。決裂しまして、協定の期限が切れてしまった。協定の期限が切れますと、これは通常の勤務に戻るのが普通である。通常の勤務に戻るのが普通であるにもかかわらず、通常勤務以外の部分について労使協議のととのわないことについて業務命令をお出しになった。したがって、やむを得ぬから、そういう通常の勤務時間からはみ出す部分についてストライキを指命したというのが実情でございます。

     それから、期末手当のときの問題も、何といいますか、昨年の支給実績を非常に下回っている案を出してこられまして、そうしてこれでおしまいなんだ、これ以上金はないというようなお話でありまして、私どもの計算ではあったのでございます。それでは困るということで、何度も何度も交渉した結果そういうことになっております。そういうことでございます。

     それから、ベースアップにつきまして、ベースアップの第一波は、これはやや唐突に行なわれております。スト権を集約いたしましたのが十月の二十四日、その次の二十五日に第一波のストライキを行なっております。しかし、この点に関しましては、積年の問題と申しますか、積年のうらみと申しますか、ことしのベースアップに関しましてはわれわれは異常な決意を持つものであるということは、これは大会でも議決されておりますし、そういう異常な決意を示したいということでそういうことになったのでございます。

     こういうふうに、種々のごたごたが起こるということは、労働組合が先鋭であったり、あるいは何か先ほどからおっしゃっておられますように、共産党ですか、そういう指導がよく行き届いておるとか、そういうことではないのでございます。そういうことはないけれども、こういうことになってしまう一番大きな問題といいますのは、やはり原研の給与というものが現在非常にじり貧であるということ、あまり上がっていかないということ、その相対的に低下している給与について、理事者側が主体性を持っていないということ、ここに最も大きな原因がある、そういうふうに私考えております。決してそういうお説のようなものではない、そのように考えております。

    (森山委員) あなたの意見を聞きにおいで願ったのですから、あなたと論争するつもりはありません。しかし、そういうようなお考えでも、事実こうストばかり頻発して業務が停滞してしまう。政府関係機関は原子力研究所だけではない。他にもたくさんある。中には激しいのも一、二あります。しかし、大部分はそんな状況にない。あなたのところだけが激しい。私は見たことはないが、あなたのところは特に激しい。

    見たことはないが、あなたのところの東海村なんかの職員宿舎なんか非常にりっぱだ。たいへんりっぱだと感心して帰ってこられる人の話ばかりだいぶ聞いておるので、人間は不満を言っては切りがない。どんどん幾らでも不満が出ます。そういう不満を取り上げて組合運動の名のもとに、どういう御意図をお持ちか知らぬけれども、トラブルを起こしてくるというやり方をやっていかれては、これはいつまでたっても労使間の安定はないように私は思います。

    そういう意味において、昨年の一年間業務の停滞が非常に激しかった、今年はそういうことのないようにしたいものだ、何とかならぬかという話を私はしたわけですけれども、どうも先ほど来のお返事のようなことでございますから、これ以上の質疑をすることはやめたいと思います。

    ここで最後に、私は原研の管理者にお伺いをいたしたいのです。労働組合運動をこのように野放図に走らせたものは、もちろん組合にもいろいろ問題がございます。けれども、多くの場合、労使関係の不安定の原因は管理者がだらしがないからだ。それが一番大きな原因です。そういう問題について、菊池理事長はどうお考えになります。この際ひとつ立場を鮮明にしていただきたい。

    (菊池参考人) 私はこの原研に赴任いたしましたのは四年前でありますが、それ以来のいまおっしゃたような業績を見まして、全くどうにもこうにもできなかったことについて深く責任を感じております。すでにいまおっしゃいましたような意味で私は管理者として落第だと思っております。

    (森山委員) 私は管理者として落第である、こう思われたということだけでは済まないのでして、先生のような国家の宝である碩学が、責任をもっておやりになった団体、研究所がこういう状態になって、もう一回先生のお力で立て直すように努力をしていただきたいと私は思います。特に研究方面においてはわが国原子力研究の将来を考えると、どうしても先生のお力をかりなければならない状況だということでございます。私は理事長がもう少し腹を固められて事に当たらなければならないのではないかと思います。(中略)

    まだこまかいことをお聞きすれば数限りなくありますけれども、要約して、一つの私の質問のデッサンだけを皆さんの前に申し上げたわけでございます。これは要するに、日本原子力研究所の現状は、労使関係がきわめて不安定であるということ、その不安定な基礎の上に、いかなる方向づけというものも意味をなさない。よく、原子力研究所をどういう方向に持っていっていいかわからないからうまくいかぬのだ、という議論を聞くのだけれども、そんなことよりも何よりも先に、まず常識的な労使関係を打ち立てなさい。それをやらなければだめなんだということを私は強調したわけです。

     しかし、この点については、理事長、副理事長から完全な御同意を得られたものと思いますので、私の質疑を終わりたいと思います。

     最後に一言申し上げたいことは、日本原子力研究所は、申すまでもなく日本科学技術の先端として国民が大きな期待を寄せておる研究所でございます。そうして、その財政的基礎はあげて国民の税金によってまかなっておる。国民はこの原子力研究所の行くえに厳粛なる監視の目を怠っていないということをお忘れなく、今後の運営に当たっていただきたいと思います。

     質疑を終わります。

    (前田委員長) この際、一時三十分まで休憩いたします。(午後零時五十一分休憩)

    ―引用終り―

    相田です。ここの文章を最初に読み終えた時に、自分の中に強烈な脱力感とやるせなさが込み上げてきたことを覚えている。

    ここだ、ここで全てが決まったのだ、と。

    菊池が森山に「自分は管理者として落第です」と謝罪しまったこと、すなわち、技術を正しい方向に何とか戻そうとする科学者達の代表たる菊池が、ヤクザな自民党政治家に屈服してしまったことが、日本の原子力開発の方向が歪んでしまった原点なのだと、私は断言する。

    一読して誰もが感じると思うが、ここに書かれている森山と一柳氏のやり取りは、(公開されている範囲の)日本の原子力に関する資料の中でも、群を抜いて激しく、また面白すぎる内容である。

    森山は原研労組に対し「お前達は共産党の影響下にある左翼政治活動集団に過ぎない」と、真っ向から決め付けたのに対し、一柳氏は「雑誌などに書いてあるのは、単なる与太話であり、あの内容は組合員の間でも失笑を買っている」と返答した。しかし納得しない森山は「自分の話は雑誌ではなく、公安調査庁に依頼して調べさせた情報なのだ。内容に文句があるなら何時でも証拠を出してやる」と、さらにたたみ掛けている。

    一柳氏は「組合の運動方針は、原研の自主性を回復すること、安全を守ること、組合員への弾圧をはね返し、労働条件を回復することで、共産党とは関係ない」と繰り返すものの、森山は「お前達の方針は、マルクス・レーニン・スターリン主義に基づく、階級闘争的な考え方なのだ。だからストライキばかり起こすのだ、だから原研は業務が停滞するのだ」と、バッサリと斬って捨てている。まさに森山の言いたい放題である。科学技術振興対策特別委員会で議論する内容とは到底思えないものの、今読んでも物凄いインパクトはある。出席者は全員が眠気が吹っ飛んだのではないか。

    しかし、よくよく読んでみると、ここでの議論で最も重要な箇所は、実は共産党云々の話ではないのである。森山が菊池に対して放った「労働組合運動をこのように野放図に走らせたものは、もちろん組合にもいろいろ問題がございます。けれども、多くの場合、労使関係の不安定の原因は管理者がだらしがないからだ。それが一番大きな原因です」という問いかけが全てである。

    ここでの議論は一見すると、森山と一柳氏の間で激しい非難合戦が繰り広げられているようであるが、その実は森山により「原研の責任者がだらしないからだ」という主張に、話が落とし込まれていることに気がつく。要するに森山は、原研労組を責めているように見せながらも、巧妙に、原研の統括者である菊池に、全ての責任を押し付けている。「全ては菊池が悪いのだ、だらしないからなのだ」ということである。

    そもそも一月前の2月13日のこの委員会では、社会党の岡議員が「日本の原子力行政の方針に主体性が無いことが問題だ」という主張を、佐藤栄作科技庁長官に強く訴えていた。続く2月19日には、菊池もやはり「原子力委員会の方針に具体性が乏しく、長期的な予算の確保が難しいことが、研究が混乱する原因だ」という趣旨で、原子力行政への批判を述べている。社会党議員と原研理事長という立場の異なる両名が、同じような批判を行ったことで、自民党議員を中心とする体制側に強い危機感が生じたことだろう。苦境に追い込まれた体制側が、最後に飛び道具として持ち出したのが森山だったのだ。森山の登場は、おそらくは中曽根からの協力要請によると自分は推測している。

    飛び道具としての森山の威力は絶大だった。まさに核兵器級のインパクトを与えることとなった。それまでの行政体制に問題があるという、岡議員や菊池の主張は吹き飛ばされて、問題の中心は「原研の理事者がダラけた組合を厳しく管理しなかったためなのだ」と、見事にすり変えられた。

    更に見過ごせないのは、組合側も「理事者に主体性が欠けているのが、原研が混乱した理由なのだ」と、混乱の責任を菊池に押し付けていることである。「理事者が政府に対し強く予算を要求出来ないことが、給与が上がらない最大の問題であり、我々がストに至るのも仕方が無いことだ」という主張を、一柳氏は崩すことはなかった。この構図は菊池にとっては相当に辛い。森山からは「理事者が組合に強く対応出来ないのがだらしない」と非難され、労組からは「理事者は主体性を持って予算の獲得に当たれ、さもなくばストだ」という真逆の要求を突き付けられるからだ。

    結局のところ一柳委員長も森山(自民党議員)も、自分達が所属する組織がそれまで重ねてきた行為の後ろめたさを誤魔化すために、結託して菊池に責任を押し付けたといえる。どちらもが、自分達の組織の歪んだ正当性を押し通すために、無理やりに菊池を追い込み、潰したのだ。ここにおいて、左翼も自民党もグルであり、日本の原子力の将来に最も必要だった人物を、自分達の組織を延命させるために生け贄にしたのだと、私は断言する。両者は同罪であり、その罪はあまりにも深い。

    菊池の一体何処が悪かったのだろうか?

    はっきり言って技術的な観点からは、菊池は全く間違ってはいない。2月19日の委員会で菊池は、原研の今後のやるべき課題として、軽水炉、国産動力炉(コンバーター炉)、高速炉の3つに注力すると表明したが、この方向性は当時としては極めて的を得た、適切な判断であった。もしも菊池がここで踏ん張ることが出来て理事長として2期目(次の4年間)を全うしていたならば、福島事故は起こらなかっただろうと、私は断言出来る。しかし、技術的に極めて真っ当であった菊池は、技術とは全く無関係の問題を背後から突き付けられて、無惨にも潰された。

    「何故こんなことになったのだ?!」という静かな怒りが、自分の中からは消えない。こんな不条理を起こしておきながら、その関係者達は、右も左もどちらもが、素知らぬ顔でその後を過ごし、さらにその後継者達は、「自分達は哀れな一般市民のために、世の中の不正義と戦うのだ」、と「事実を隠蔽したまま」ぬけぬけと叫び続けているように、自分には思える。

    「お前らたいがいにしろよ」と、心の中で叫ばずにはいられない。「お前らも皆全員が、福島事故を起こした共犯ではないのか?後ろめたさを全く感じないのか?」と。

    菊池については、まだまだ書き足りないのだが、ここでは3月12日 の出来事についての話を続ける。

    (つづく)

    タイトル
    第4章 理不尽すぎる審判(その4)
  15. 相田英男
    2016-04-21 23:24

    相田です。第4章の5回目で、これで最後です。

    *****************************

    4.7 オセロの駒にされた原研労組

    さて、午後からは質問者が社会党の原茂議員に交代して質疑が再開される。しかし、午前中の森山の質疑があまりに面白すぎるため、これ以降の委員会でのやり取りを読み進むにつれて、かったるさを感じるのは止むをえない。とりあえず、原議員の菊池への最初の質問から引用する。

    ―引用始め―

     最初に、菊池理事長さん、森田副理事長さんにお伺いをしたいと思います。(中略)先ほど森山委員が質問をなさいました中に、二、三これはおかしいのじゃないかなという考えを持ちましたので、これを先に解明をしていきたい。

     第一には、先ほど、六十六回ストライキがあった、森山さんの意見によると、労働組合がすこぶる不逞である、ためにストライキが何回も頻発したのだというような趣旨で、組合の側に対する質問があったようです。私は実は、もし労使間に紛争が起きるとすれば、むしろこれは経営の側のほうにおもな責任がある、六十六回ストが起きたということは、理事着各位のほうにこれを紛争なしに解決するだけの手腕とか、あるいは経綸とか、そういう意味の、情熱といいますか、そういうものに欠けるものがあった。(中略)いずれにしましても、労働組合の側にのみストライキというものの責任を負わせた考え方というものは、非常に間違いじゃないかと思うのです。この点、理事長さんにひとつお答えをいただきたいと思うのです。(中略)

    (菊池参考人) おっしゃいましたとおりに、この問題が組合だけの責任であるというふうに私は考えておりません。いろいろな原子力の開発体制をめぐる客観的な問題、それから理事者側の経営のやり方、それから一方には、組合の態度――態度と申しますか、姿勢と申しますか、どういう考え方であるかという、そのいろいろなものがまじり合ってそういう問題になりましたので、これのすべてが組合の責任であるというふうに私は決して考えておりません。

    (原(茂)委員) 私はもう少し、すべてがおもにやはり理事者の側の負うべき責任が多い、紛争が頻発するということに関してはそのように考えております。そう理事長さんにお答えをいただこうというわけではありませんが、まずそういう意味の立場だけ明快にしておきたいと思うのです。

    ―引用終り―

    相田です。説明からわかるように、原議員は森山とは真逆の労組側の肩を持つ立場から質問を行っている。しかし、最終的な問題の責任を理事者に負わせる方針は、森山と同じであることに注目されたい。森山と原議員は、菊池に全ての責任を押し付けることで、お互いの立場の正当化を図っている。原議員は森山の話について「二、三これはおかしいのじゃないかな」などと疑問を呈しつつも、結論は同じなのである。全くもって腹立たしい限りである。

    その後しばらく原議員は、労働法規課長の青木氏を呼んで、原研労組の振舞いが労組法上の不当労働行為にあたるのか否か、という内容について、延々と議論を行っている。労組側の不満もそれなりの理由があるのだから、杓子定規に労組法を当て嵌めなくてもよいだろう、ということである。森山にやり込められた原研労組の印象を少しでも挽回しようとする、原議員の親心的な対応であるのだが、このあたりはどうにも言い訳がましいという印象を拭えない。

    さて、かったるくも腹立たしい原議員の質疑ではあるが、その中でも菊池との間で見逃せないやり取りがいくつかある。例えば以下の箇所である。

    ―引用始め―

    (原(茂)委員)二月の上旬か何か知りませんが、おそらく理事長さんの名前か何かで、大臣(佐藤栄作科技庁長官)に対して、新しい原子力研究所の体制としてこういうふうに組織分化を行なうべきだ、部局の機構の新しいつくり方をすべきであるというようなことを何か答申されたことがあると思うのです。(中略)そのとき大臣からどう答えられて、あるいはその大臣からの意向が原子力局に伝わって、あなた方の出された意見というものがどういうふうに結末がついたのかということを、ここで第一点としてお伺いしたい。

    次に、(「原研調査項目」の)下から六、七行め、「原研の理事者は経営を委任されているとはいえ、その権限は非常に幅の狭い分野に限定されており、労働組合に対しても、殆んど実体的な交渉を不可能にしているきらいがある」くしくも午前中の論議のせんじ詰めた形を忌憚なく理事者各位は反省をされて、私たちには力がないのだ、問題はどこにあるのだろうということをお考えだろうと思います。なぜ一体こんなことが堂々と――「調査項目」に正直にお書きになったからよろしいのですが、書かざるを得ないような状況になったのか。(中略)この二つを先に……。

    (菊池参考人) まず第一番目の、佐藤大臣にこちらから答申をいたしましたのは、原研内部の機構の問題でございまして、国全体としての機構の問題ではございません。それから、ここにございます原子力委員会を行政機関にしたほうがいいとかどうとかいう意見は、ここに意見として出しましたけれども、とうていわれわれの及ぶ範囲ではない。これは私個人この文章については責任を持ちますけれども、個人的な考えとしてここに述べたものでございます。これを実現するということは、とても私などのできるととじゃない。これは議会その他を通じて原子力委員会設置の法律そのものから変えてかからなければできない仕事だと思いますので、これをどう実現するかということは非常にむずかしい問題であるけれども、われわれとしてはそう考えるという意味でございます。

    それから、いま最後の、幅が狭いということ、これは事実でございまして、これは準政府機関として国の税金を使う機関がことごとくそうであると同じような意味で非常に狭い幅を持っております。それは確かに、一方、組合が全く民間の企業と同じ形態の労働法によって守られているという面に対して、こういうことのいい悪いは別として、国民の税金で成り立っている準政府機関共通に持っている問題だと思います。(中略)これはすぐどうしなければいけないとか悪いとかいうことを言うよりも、むしろ事実を言っているわけなんです。

    たとえばベースアップ問題にしましても、国民の税金でやっております以上、国全体としての公務員に準じたベースアップ以上の大幅のベースアップをすべきではないと私どもも思っております。そういう意味で、そういう機関の性質上からくるある意味の幅がそこに当然きめられていると思います。それは、一方に組合が持っている非常に広範な労働法によって守られているものと、対立と申しますか、何といいますか、そこに非常に問題が起こる可能性があるわけであります。

    (原(茂)委員) いまのおことばの中に、労働組合は三法によって保護されている、だが私たちはと言って、(あなたは)それが具体的によく説明できなかったのです。しかし、理事者の側も、原研のいまの経営のやり方や運営のしかたを見ていますと、民間の企業だったらつぶれていますよ。六十六回もストライキを起こすような状態で、労働管理の面だけでも、人事管理の面だけでも、経営は満足に運営できなかった。あなた方はとんでもない大きな力で保護されている。その点は自信を持って、誇りを持っていいんじゃないでしょうか。(中略)

    したがって、そういう点は組合だけが三法によって保護されているのではなくて、組合はぎりぎり、最小限度のところを、当然憲法に保障された範囲で三法による保障があるだけなんです。もっと大きな保障というものは理事者の側にある。いま、どういうふうにしたらいいかということは政府機関全体の問題なんで、どうしたらいいかわからない、こうおっしゃったのですが、そうじゃなくて、共通の問題であろうと、どんな問題であろうとかまいませんが、そういう実体的な交渉を不可能にしているという、その不可能にしているものは一体何だろうということを、一つでも二つでも実例をあげてお聞かせ願いたい。(中略)

    (菊池参考人) たとえばベースアップに例をとりますと、ベースアップの幅というもの、つまり言いかえれば、組合の側としましても、われわれの置かれている立場というものを十分に了解してもらいたいということが一つございます。そういう一つの共通の地盤の上に立って事を論じませんと、ベースアップの問題にしても、あまりにも違った土俵の上で相撲をとっているようなかっこうになってしまう。そういう意味で、不可能になる、問題がむずかしくなるということを言っております。(中略)

    (森田参考人) ベースアップにつきましては、われわれとしては常々よそよりよけいとろうという努力をいたしてまいりました。二、三年前に中央労働委員会にまで持っていって、そのときはわれわれは少なくともこのくらいは出していただきたいという意欲のもとにそれを出していったわけです。しかしながら、不幸にしてそれは通らなかったということと、科学技術庁関係では横の関係がだんだん密接になってまいって、原子力局が科学技術庁の中にあります関係上、科学技術庁関係は一応こういう基準でやるのだということで大蔵省と局との間でお話し合いがついているように思いますので、これはなかなかわれわれの力ではいまのところやり得ないのじゃないか。

    それから、給与全体のことにつきましては、おっしゃるとおり、原研発足の当時は当然ほかよりよけい出すべきだという相当はなばなしいスタートをしたように私は承っております。その後、中曽根さんが長官のときに一二〇、一三〇というような大体の基準をお出しになりまして、それを守り抜こうとしてそのときも努力したわけでございますが、漸次これが縮小の傾向にあるということだけは、横との連絡上、これはいまのところ結果論的にはそういうことになってまいったわけです。

    ―引用終り―

    相田です。ようやくここで原議員は、この日の本来の審議テーマである「原研調査項目」の内容について、質疑を始めている。但し森山の質問に比べて、原議員の話は全く面白くないので、ここでは大幅に割愛している。

    さて、上の菊池の答弁の中での「原子力委員会を行政機関にした方がいい」という言葉に、私は注目する。これは要するに、原子力委員会の体制を行政権を有する3条機関に変更して、提案内容に強制力を持たせて欲しいという、菊池からの要望である。菊池が述べるように、これを実現するには法律から変える必要があるため、実現は難しいものの、研究機関の最高責任者として菊池は強く望む、ということである。原子力委員会が全然役に立っていないのが、結局は問題の核心なのだ、という不満を菊池は繰り返して述べていることが、ここでもはっきりと伺える。しかし原議員もまた、菊池が訴えた原子力委員会の体制の問題について、深く追求することはなかった。

    原議員はここで菊池に、組合よりも原研の理事者側の方が政府による大きな保護を受けているのだ、だから、もっと理事者の方から具体的な解決策を模索して提案するべきなのだ、と主張している。しかし対して菊池は、ベースアップ問題を例にとり、その条件を原研理事者側が決めることは困難であるのだから、その立場を組合が理解してもらわないと、解決は困難だ、と回答した。要するに、お金の問題を解決する権限は、理事者には無いのだから、一体どうすれば良いのだ!?という、単刀直入の反論である。

    森田副理事長も、「ベースアップ要求はこれまで行っているのだが、結局は科学技術庁と大蔵省の間の話合いで決められるのだから、如何ともし難い」と、重ねて説明している。これ以上の、どういった「具体的な解決策」を示せと、原議員は訴えるのだろうか?苦肉の策で、超過勤務手当を原研内の予算から工面して、全組合員に一律支給したものの、森山から「正常な労使慣行に反する」とバッサリ否定されてしまった。結局は外野の連中は、現場の窮状を冷ややかに見つめているだけでしか無いことが、よくわかるやり取りである。

    その後も原議員からの、理事者側への責任追及は続くことになる。例えば以下のように「調査報告書」の記載に原議員はクレームを付ける。

    ―引用始め―

    (原(茂)委員) その次に五六ページの下から三分の一ぐらいのところにありますね。いわゆる「労組活動の最終目標が経済闘争にあるのか、また、それとは異なった別の目標があるのか理解に苦しむ」とある。ほんとうにこういうふうにお考えになっているのか。(中略)違った目標というものは一体どういうところにあるのか。何を言おうとするのか。何ですか。
     
    (森田参考人) これは読みようによっては非常に重大なことになりますので、私、実は東奔西走いたしておりまして、十分に私ども責任は持ちますが、読んでなかったのでございます。つまり組合活動というものは本来経済活動であるべきものだと思いますが、いままでのわれわれの組合の活動を見ておりますと、単に経済活動だけでなくて、つまり安全問題だとかいろいろ理屈に走るようなことが非常に多くて、経済活動のみでないということが言えるのではないかと思います。

    (菊池参考人) これに書きましたことは、こういうことでございます。これは現在どこでもそうでございますが、原研の中にもいろいろな政治的な色彩がございます。そうしてそういった政治活動的な場がやはり原研の内部に持ち込まれている気配が十分にあるということを言っておるわけでございます。

    (原(茂)委員) そうであるのでしたら、労働組合の存在理由というものは、経済的な目的を達成するために労働組合があるのですよ。その労働組合を現に認めて、理事者も相手にしているのですよ。それなのに、経済闘争に目標があるのかどうかわからないという、そんな前提に立って組合と話し合いしたら、話になりませんよ。

    思想的な動きがあるとか、いわゆる政治的な動きだとか、違った目標があるとかということは、労働組合が、組合員というよりは働く者として、基本的にほんとうにそこから国全体の平和を脅かされたり何かしては話になりませんから、これは別途にやるのはあたりまえのことです。(中略)その問題をいろいろな形でやっていこうとしてもかまわない。

    だからといって、それをやるからといって、何か経済闘争という目標を全然持っていない組合であるかのような思想を持っているから、労使の紛争は絶えないのです。こんなばかなことはない。経済的な目的というものを達成するための存在が組合なんだ。(中略)それを前提にして、労働組合とは相対するようにしなければいけないということであります。

    (中略)そういう考え方は、そのこと自体が皆さん自身が自主性を持っていない。なぜ自主性を持たれないのか。(中略)こういう考え方がある限り、労働組合との話し合いというものは今後うまくいきません。

    ―引用終り―

    相田です。原議員は「労組活動の最終目標が経済闘争にあるのか理解に苦しむ」とは、一体どういう意味なのだ、そんな偏見を持つことが、「理事者の自主性に欠ける」大きな要因なのだ、という批判を理事者側にむけている。ここにおいて森田副理事長が「私はそこは読んでいませんでした」という、苦しい言い訳をせざるを得なかったのが、残念ではあるが可笑しい。菊池はもはや細かな反論はせず、「そのような気配が原研の内部に持ち込まれているのは事実だ」と述べるだけであった。

    原議員は「主目的は当然経済闘争にあるのだ、こんな馬鹿なことを理事者は考えるべきではない」と菊池達を責め立てるのだが、読みながら自分は「原子力潜水艦の寄港反対運動が、原研労組の経済闘争とどう関係するのか?」という疑問も、抱かざるを得ない。国会において報告書の細かな文言を追求するのも大事であろうが、もっと重要な問題もあるだろう。

    理事者側に対して、厳しく責任を追求した原議員は、最後に労組側に対しても幾つかの説明を求めている。その中で争議(ストライキ)協定の問題が長引いた問題について、一柳氏は次のように回答した。

    ―引用始め―

    争議協定の問題につきまして、これが長引いたのはなぜかというお話でございます。争議協定をめぐってごたごたいたしましたのは、最近二度ばかりあるわけでございます。一度は昨年の十一月でございます。十月の二十九日から始まったので、まあ十一月でございます。これは動力試験炉がまだ工事中でございまして、そこの施工者であるゼネラル・エレクトリックからの指令によって原子炉がとめられたわけでございます。そのときでございます。もう一度は、本年の二月の半ばから、これは新聞等の報道によりますと、原子力局あるいはその他から何かお話があってやったというふうに私は聞いておりますが、それによって原子炉がとまった、その二度でございます。

    昨年の十一月のときには、これは御承知のように、後に訂正されましたけれども、日本人技術者のミスオペレーションの問題であるとか、そういうふうな問題に関するGEに対する理事者の主体性の問題であるとか、こういうふうな問題がひっからまりまして、それと、いまちょっと前におられますので少々あれなんですが、毎週週末になると理事者が東京に帰っておしまいになったというふうなことがありまして、長引いたわけでございます。

    今回の二月の場合には、この争議協定の問題に関しまして、炉がとまる前に、それに先立ちまして労使間で非常に平和裏に話し合いをやっておったわけでございます。話し合おう、そういうことになっておりまして、やっておったわけなんでございますが、そこへ突然炉がとまっちゃった。せっかく話し合ってやろうというときに炉をとめて、その問題についてやろうというのは、これは一種の所のほうのストライキみたいなものでございまして、しかもそういう行為というものが、交渉等によって聞くところによりますと、あるいは新聞報道等によりますと、理事者の主体的な意思ではない、よそから何かやられたものらしいというふうなことで、話し合いの空気というものは非常にこわれたわけでございます。しかも時を同じくしまして、たまたまその前のJPDRの事件につきまして、労務の担当の理事の方が辞表を提出されたり、あるいは労務担当の理事がかわられたりした。ちょうどそれが同じ時期にきましたので、この間お休みみたいなことになりまして、早く片づかなかったというのが表面的な理由でございます。

    ―引用終り―

    相田です。昨年11月の問題というのはJPDRの運転開始の話で、これについては第3章で触れた通りである。年明けの2月においては一柳氏によると、当初は平和裏に話合いが持たれていたものが、突然に大型炉が止められ、労務担当理事も辞任、交代するという、非常に雰囲気を壊す行為が、理事者側から一方的に行われたという。これらの理事者側の態度の急変は、自らの考えではなく、外部からの圧力によると、組合側はみなしているという。一柳氏のここの指摘は非常に重要で、自民党議員達によるテコ入れが原研に行われた事実を裏付けるものと考えられる。

    但し一柳氏が、11月の問題の際に交渉が長引いた理由を、週末になると理事者が東京に帰ってしまうかからだ、と無責任な説明をしている事はいただけない。菊池が東京に帰ってしまうので話が纏まらないとは、何という言い草であろうか。ならば、菊池が東海村にずっといたならば、話が付いたとでもいうのだろうか?

    続いて、菊池がこだわっていたストライキの事前予告時間について、一柳氏は次のように語った。

    ―引用始め―

     それから、二十四時間の意味であります。二十四時間の意味という点に関しましては、団体交渉の席上でも問題となったところでございますが、別にこれは安全性ということとは関係はございません。つまり、炉をとめるのに何分である、それからそれを連絡するのに何分である、そういうふうに積み上げた値ではないのでございます。現にJRR2という原子炉は、三千キロワットで運転しておるときに一分でとまります。それからその後、炉心の熱除去のためには、ポンプを一ないし二時間回しておればよいということでございます。それからJRR3、国産一号炉という原子炉は、一千キロワットの運転時に自動制御計によってとめますが、それには大体三分で出力を下げ、次の一分で化学反応は停止する。それから後三十分ばかり炉心の熱除去をやるということになっております。それから、動力試験炉JPDRに関しましては、さきの争議協定期間中に一度とめたことがございますが、そのときには大体二時間ぐらいでとまったという実績がございます。

     それから、三十分前予告のストライキのお話がございました。これは昨年の十月の二十五日に行なわれましたベースアップの第一波の争議のことであると考えます。この日は午後二時にストライキの実施を所側に通告いたしまして、現場において直ちに保安要員の交渉に入ったわけでございます。交渉成立後、炉がとまってからストライキに入るということにいたしまして、所側の手で炉の停止が行なわれております。それで二時三十九分に完全に停止いたしましたので、二時四十分から保安要員を残して退出したということになっておりますので、これは安全上は何ら問題はない、こういうふうに考えております。

    ―引用終り―

    相田です。ここでの一柳氏の説明は、12月の委員会で小林議員が島村武久に述べた内容から、全く変わっていない。スト開始前の24時間の猶予時間には安全上の意味は無い、そして実験炉(JRR-3)へのスト開始30分前予告でも、炉は安全に停止したので、何も問題など無かったのだ、と一柳氏は明言した。菊池が最も懸念を表明していた問題に対して、労組はここに至っても、対立する姿勢を変えるそぶりを見せなかった。このような労組の対応に、菊池は大きな落胆と失望を抱いたことであろう。2月19日の委員会での説明で菊池が労組をかばったことが、菊池が辞表を出すに至った最大の要因の一つと推測されるにも係らず、組合からのこの冷酷ともいえる菊池への仕打ちである。菊池がやる気を失った理由の一つが、この頑なな労組の姿勢にあったことは否定できないと、私には思える。

    今現在も日本原子力開発機構の中の原研労組(旧名称のままで存在する)に所属する方々が、この日の一柳氏の話の内容をどのように考えるか、自分は機会があれば是非とも聞いてみたいと 望んでいる。

    一柳氏は最後に、勤務時間中の組合活動の状況について、以下のように述べた。

    ―引用始め―

    それから、私どもの労働組合の活動につきまして、朝から晩まで何かかってにやっておるような印象を与えるということでございます。その点につきましては、私どもといたしましてはそういうことはないのでありまして、先ほど労働省のほうからも、大会等まで金を出すのはおかしいというお話がございましたが、私どもの大会は全部賃金カットされております。それから、職場大会、分会その他はいずれも時間外に行なっております。ただ、先ほどから申しておりますように、交渉事項が非常に多い。たくさんある。現在労使間でペンディングになっておる問題が二十ばかりあるかと思いますが、非常に多い。だから、しようがない、毎日一生懸命詰めてやっておる。その準備等のために執行委員のうちのある部分はずっと仕事をしなければならない。そういう状況でありまして、大会その他一般組合員の活動につきましては、全く賃金カットされております。全く正常に行なわれておる、そういうふうに考えております。

    ―引用終り―

    相田です。ここまでの一柳氏の話を聞いていた森山が、こらえきれずに議長に発言を求めた。

    ―引用始め―

    (森山委員) 一つは組合のほうから、賃金カットをしているとかしていないとかいう具体的なお話があったのですが、勤務時間中の組合活動については、三十三年十月三十一日案、三十六年八月一日案、三十六年十一月一日案、三十七年十二月二十八日案、三十八年四月二十二日案、それからことしに入っての三十九年一月三十日案と、何回も案を出して、まとまっておらなかったことは御承知のとおり。そして一番最近のものは三十九年の一月三十日案でございます。

     それで、ことしの一月の案と去年の四月の案の差はどういうことかと申しますと、総会は年二回やる。要するにこういう問題について、回数の規定もなければ、どのくらいの時間そういうことを時間内にやることについて認めるかということについても規定がなかったから、おそらくきめようとしたのだろうと思います。それによると、総会は年二回やって、一回の時間が九時から十七時半までの必要時間、これはカットすると書いてあります。ただし年次有給休暇の請求があればこれを認める、この場合にはカットしない、こういうことです。これは年次有給休暇という意味でカットしないのですから、これは当然のことです。

    それから大会というのがあって、これが四月の案では年十二回ということで理事者側が提案した。今度はことしの一月には八回に減らして、一回の時間は四時間、スト権が集約されている時間を除きこれはカットしないということになっております。それから評議員会は、四月の案では年十二回、一月の案では八回に減らしております。一回の時間は四時間以内、これはカットしないということになっておるのであります。だから、いままでもこれはもちろんカットしていない。大会でも評議員会でも、回数も無制限、カットもしていない。大体理事者が十二回を八回に回数を減しただけで、カットしていないのです。

    それから執行委員会の場合ですが、月に六回、これが去年の四月案です。本年の一月案は、週一回、一回の時間四時間以内、これもカットしないというふうになっておるわけです。そういうふうに、もう理事者側の提案すらも、これらの問題についてカットしないなんという驚くべき提案を本年の一月三十日までしてきた。したがって、ただ回数を十二回を八回に減らすというまことにだらしのない提案を経営者側がしている。だから、実情はやっていないのでしょう。こういうのは当然のことであって、それを組合委員長が言うといかにもカットしたような印象を与える。こういう種類のことはたくさんございますが、私は一々これを論駁いたしません。

    もう先ほどの組合の委員長の話について納得できないことが多々あるわけでありますが、ここは論争の場でありませんから一々申し上げませんが、手元にありました資料について、理事者側の提案から推してこういうことであるのでしょうということを私は具体的に申し上げるわけでございます。

    そこで、もう一つだけ。「原研調査項目」というのができておるのをきょうまで存じませんでしたが、原委員の御質疑で、理事者の裁量権に制約があることが労使紛争の根本原因だ、一体そうですかと詰め寄られたと思う。理事長はそれについて、「根本的原因であり」、という書き方について適当でない点をお認めになったようです。これは三六ページですが、五二ページに「原研の労使関係が不安定とされるものは、経営者に与えられた権限と経営の体制が、原研の体質の流動的な発展に追いつけない程固定されたものであること。」そのほか二項目をあげられておるわけです。

    この問題は私は午前中に申し上げたことであって、確かに予算によって制約を受け、経営上の制約がなかなかあることは事実でございます。特に経理関係について。ところが、他方において組合は労働三法によって労働権はほぼ完全に保障された要求をすることができてくるわけだ。そこで非常に苦しいということは私どもはよくわかるわけだが、一体原研のいまの労使関係の不安定というものは、そういう制度上の問題であろうかどうかということになる。すなわち根本原因であるかどうかということになると、私はそうでないと今朝来申し上げておるのでございます。

    労働問題というものに対する認識が全くない。その一例として超勤の手当の問題もあげ、それから時間内の組合運動の問題も野放し状態、それから労働協約一般の従来の取り扱いの問題も、大体組合運動のイロハがなっていないじゃないか。そういうことは予算上の制約とかなんとかいうことと関係がないことだ。そういうイロハができていない。

    もう組合が特殊の性格の組合でありますから、これは私からそういうことを組合に言ってもしょうがありません。

    しかし、この組合が悪いのは、これは管理者がぼやぼやしているからだ、管理者が認識不足だ、おざなりだ、親方日の丸で眠っているからこういうことになったのだ、それが根本原因なんじゃないですか。そういうことを私は午前中に申し上げた。そういう点お考えになられたから、理事長は、これを根本原因だというふうに、すなわち機構にその責任をおっつけるということにちゅうちょされたのではないか。私たち国民の税金によって立ち、国民から大きな期待と関心の目をもって見られているということに対する心がまえが足りなかった。労働問題とか労務管理というものに対する真摯な姿勢が正されていなかったということが根本問題じゃないかということを私は午前中に申し上げた。

    そういう点を御考慮になって、根本問題、すなわち制度にその責任をすりかえるということをちゅうちょなさったのではないかと私は思うのですが、理事長、いかがでございましょうか。

    (菊池参考人) 午前中御返事したとおりでございます。そういう意味で私、非常に責任を感じているということであります。

    (森山委員) そういう心がまえの問題だということで……。

    (菊池参考人) が大きな責任でございます。

    ―引用終り―

    相田です。原議員の質問の間、労組ペースで進んでいたムードを盛り返すために、森山がここで割って入った。ここでの森山は、午前中に述べた就業時間内の不正な組合活動の話を繰り返しており、新しい内容を述べている訳ではない。一柳氏による「就業時間内で組合活動を行う際の賃金は全てカットされている」との説明に対して、森山は自らのルートで入手した原研労使間の従業条件の覚え書きの内容から、「実情は賃金カットなどされていないのだろう」と、強く反論している。実際の証拠資料に基づく森山の主張の方が、一柳氏の主張よりも説得力があるように思えるのは、やむを得ない処である。

    しかし、ここでも森山の本当の目的は、組合側の主張を論破することではなく、問題の責任が原研理事者の管理方法にあるのだという方向に、話を誘導する点にあることを、読者はよく理解するべきである。森山は自らの話の前半において、労組側の就業管理のルーズな対応を激しく糾弾しつつも、それを枕詞にして、原研理事者への責任追及への道筋をつけることを、怠っていない。相当に練りに練ったストーリー創りであり、作戦だと思う。

    原研理事が直面する労務管理の難しさについては、後の3月19日に開催された小委員会において、原子力委員の兼重寛九郎が次のように語っている。

    ―引用始め―

    労務問題につきましては、原研は、前に述べましたとおり、その経営を行なうにあたりまして、特殊かつ困難な諸条件があるということは認めなければならないと思うのであります。特に原研の労働関係は、労使対等の原則に立脚した一般労働法規の適用を受けます反面、給与、諸手当等の労働条件の主体をなすものにつきまして国の監督に服するという、民間企業と異なった制約があります。

    ―引用終り―

    相田です。上で兼重が述べるように、原研の労組は一般労働法規の適用を受けることで、理事者側と対等の条件で交渉できる一方で、給与、諸手当等の経理条件は、国(大蔵省)の監督に従って決められてしまう。結果として、理事者側の対応策が民間企業よりも著しく限定されてしまうことが、原研の労使問題の本質であることは、兼重を含めた関係者の誰もが認めるところであった。

    しかし、森山はこのような原研理事者側の苦しい事情は認めつつも、途中から「一体原研のいまの労使関係の不安定というものは、そういう制度上の問題であろうかどうかということになる。(中略)私はそうでないと今朝来申し上げておるのでございます」と話の方向を変える。そして「これは管理者がぼやぼやしているからだ、管理者が認識不足だ、おざなりだ、親方日の丸で眠っているからこういうことになったのだ、それが根本原因なんじゃないですか」と、結論を落とし込むのである。最後には、菊池から「そういう意味で私、非常に責任を感じているということであります」という証言を、ここでも引き出すという、念のいった演出まで行っている。

    この日の状況を冷静に観察すると、原研労組の一連の反抗的な行動が、森山の「問題の原因が体制にあるのではなく、原研理事者の管理の仕方にある」という主張に、説得力を持たせるための道具として使われたことがわかる。組合が激しく抵抗すればするほど、森山の主張の説得力は増すのである。

    2月13日と19日の委員会では、岡議員と菊池により体制側の問題、特に原子力委員会の指導力の無さが問題であることが主張されていた。しかし森山は、労組が激しく体制側に抵抗してきた経緯を逆手にとって、体制の問題ではなく、原研理事者が組合に弱腰だったのが混乱の理由なのだと、話を見事にひっくり返した。あたかもオセロゲームの白黒を一気に裏返すように、この日の森山は「原研労組というコマ」を使って、自民党を大逆転に導いたのである。

    4.8 正義は何処にある

    森山の質問に続いて、この日初めて岡議員が発言を求めた。岡議員は最初に前回2月13日の質問と同じく、原子力委員会の対応があまりに鈍い点を質した。

    ―引用始め―

    (岡委員) ほかにも質問の方がおられますので、私は特に労使紛争というふうな形でこの問題の経過をあまり取り上げたくはありません。ちょうど兼重さんも来ておられますが、原子力委員会は、原子力研究所の紛争というものに対する責任を感じておられますか。どうもぼやっとしておられるように思うのだが、感じておられるのだろうか。

    (駒形説明員) 原子力委員会は、原子力の政策というものを通して日本の原子力を推進するという任務を持っておるのでございます。日本原子力研究所は、この原子力の推進ということについては、非常に大きな役割りを果たしているものでございますから、そういう意味から、原子力委員会というものも、原子力研究所が円滑に運営されていくということをはからなければいけないのじゃないか。でありますから、原子力委員会の立場はそういうふうにすべきであると思います。

    (岡委員) いま駒形委員の言われたことを聞くと、原子力委員会は、原子力政策を企画し、決定する機関である、原子力研究所は、原子力政策を推進する中核であるから、この紛争、その停滞に対しては責任をとると言われるのか、とらないと言われるのか。ここをひとつはっきり言ってもらいたい。

    (駒形説明員) それぞれやはり担当すべき部門があって、責任をとる、とらぬということの御質問でございますけれども、当然われわれがやるべきことに対して責任をとる、こうお答え申し上げるよりいたし方ありません。

    (岡委員) それでは、原子力委員会は一体ことしになってから正規な委員会を何回開かれましたか。そしてこの問題を取り上げられましたか。(中略)とにかく、原子力委員会の常勤の方が二人もこの間まで外国へ行っておられたというようなことは、少なくともいまあなたのおっしゃったように、日本の原子力政策を推進する中核機関がこういう紛争を起こしておるときに、海外へ行っているということ自体、私は非常に不謹慎だと思う。

    ―引用終り―

    相田です。ここでの岡議員の口調は、2月13日での佐藤大臣への質問に較べると、かなり穏やかであり、厳しく追求するような姿勢ではない。自分では自民党を追い込んでいたつもりであったのが、森山に完全にひっくり返されたことで、「やられた、もう取り返しが付かない。うかつだった」と、諦めの境地だったのではないだろうか。対する先代原研理事長の駒形からの回答が、あまりにも中身のない官僚答弁に終始しているのも、会場に漂う空しい雰囲気を際立たせている。更に引用を続ける。

    ―引用始め―

    (岡委員) それから、実は私もきょうは、この春さき、気候もいいし、ほのぼのとした委員会だと思ってきましたところが、昼前にわかに春のあらしどころか、マッカーシー旋風が吹きまくって、たださえノイローゼぎみの菊池さんはじめ、たいへんなことで、私も精神病者の専門で、非常に心配です。マッカーシー旋風が吹きまくってオッペンハイマーが追放された。アメリカにはそういうこともある。しかしこれは、要するに原子兵器をつくる国のできごとである。日本では原子兵器をつくらないのだから、何もマッカーシー旋風が吹く必要もないのに、ことさら吹いてくるところを見ると、何かそういう気がまえでもないかという錯覚に襲われたということを、正直に告白しておきたい。

     それはそれとして、菊池理事長にお尋ねしたい。あなたのほうの共同声明の中で、原子炉の運転をとめたことは紛争の解決上きわめて遺憾であったと反省するという趣旨のことばがございました。これは、あなたも長く理事長をしておられたのだから、そういうとほうもないことを無理無体にやるということは、原研の内部の事情から見てもおもしろくないということは、二月二十二日に炉をとめられない前、あるいは炉をとめるときにそういうお気持ちではなかったかと思うのですが、正直なところをお聞かせ願いたい。

    (菊池参考人) 最初その方針でやっておりました。その後いろいろ、これは決して委員会や局からの指示ということではなしに、ただそれでよいかどうかということについて、突っ込んで原子力委員会のほうとも、島村局長とも話し合いをいたしました。そしてその結果、そこに至るまでの私の行なってきた言動から照らしましても、そういうやり方は今回とるべきでない、私はそういうように考えました結果、あの段階で確かにその方針を変えたわけでございます。しかし、これは十分委員会や原子力局、島村君と話し合った末、私も確かにそうだという信念で変えたのでありまして、指示によって変えたというわけではございません。

    (岡委員) ちょうど私ども十四日に原研へ参りまして、非常に皆さんにお世話になりました。そのときの私どもの印象では、JPDRの準備はもうほぼでき上がっている、一両日にでもこの運転ができると、現場の責任者も言っているし、理事者の方もその点チヤフルに言っておられた。あの労組の諸君も、処遇上いろいろ不満はあるけれども、炉をとめるというような非常手段に訴えなければならぬような雰囲気でもなければ、情勢でも全然なかった。ところが、JPDRどころか、他の炉も全部とめてしまう。こういうことは原研理事長としての責任を逸脱したことだと思う。そこまでやることは、いまおっしゃいましたが、原子力委員会と御相談の上でおやりになったのですか。

    (菊池参考人) 十分に意見を伺いました。そして、ごもっともな意見でもあると思いました。そういう意味で、相談というよりも、御注意をいただき、それを検討したということです。

    (岡委員) とにかく(二月の)十三日の日には、島村局長は、この委員会でこういう答弁をしております。JPDRについては、準備の整い次第、争議協定が結ばれ次第に運転をする、そう言っておられる。ところが、さて争議協定が結ばれたかどうか。現地へ行けばもうほとんど一両日で運転ができるという状態にあった。ところが二十日に、いま申しましたように、他の炉も全部運転を停止して、そして争議協定というものが大きく浮かび上がった。(中略)きょうはああいうとほうもないマッカーシー旋風というものが吹いている。推理小説じゃないが、一連の関連があると感ぜざるを得ない。

    原研の炉の停止というものを組合側に責任があるかのようなそういう形において、まじめな研究者団体の権威なり名誉というものを棄損するような方向に原子力政策を振り向けていかれるならば、これまた重大問題だと思う。こういう点もこれ以上申し上げませんが、いずれ小委員会等で十分に究明をしたいと思います。これで私は終わります。

    ―引用終り―

    相田です。相変わらずのユーモラスな例えを使っての岡議員の説明であるが、この日の委員会が修羅場になってしまうことを、岡議員は全く予想していなかったらしい。ひと月前の自分が質問した委員会の翌日2月14日に、岡議員は東海村まで出向いたという。組合員からも話を聞きつつ、原研が明るい雰囲気であることに安心していた筈であったのが、まさかの「マッカーシー旋風が吹き荒れる」展開になってしまったようである。

    おそらくは、自分と相通じると期待していた菊池が、無残な仕打ちを繰り返し受ける様子を見ていて、つらくなったのだろう。岡議員は原議員のように、菊池の責任を厳しく問い質すことはしなかった。ただ、大型炉を全部止めたことは、原子力委員会の了解を得たものであるのかを、岡議員は訊ねた。

    これに対して菊池は、原子炉を止める判断は原子力委員会との間で、十分に相談した結果であると述べている。しかし、私は菊池のこの説明は嘘だと思う。年明け以降の原研では、労組に厳しく対応する必要が無いと菊池が感じていたことは、2月19日の菊池の話から明らかだ。岡議員が「推理小説じゃないが、一連の関連があると感ぜざるを得ない」と述べているように、自民党議員達からの圧力が菊池にあったと考えるのが妥当だと思う。しかし、ここでの菊池はもはや「真実を主張する」ことを放棄していたのだろう。

    この日の菊池は、ほとんどの質問者からの集中砲火を浴びて、満身創痍となって国会を去ることとなった。一体、菊池はなぜ、ここまで激しい批判にさらされることになったのだろうか。おそらくそれは、菊池が最後まで「自分の筋」を通そうとしたからだ、と私は思う。原研が混乱した原因について菊池は、「原子力委員会の指導力が不足しているからだ」と、体制側の欠陥を挙げる一方で、30分前予告ストを断行した労組の行動に対しては、「暴挙である」と強く批判した。しかし体制側、労組側にそれぞれ向けられた菊池の鋭い批判は、両組織の正当性を揺るがす危険なものであった、ともいえる。自分の発言が窮地を呼び込んでいることに気付かなかったことが、菊池の失敗だったのだろうか。

    体制側(原子力委員会)が菊池を受け入れて、大蔵省と折衝して原研の予算を3年間または5年間確保させる(これは法律上難しいであろうが)か、あるいは、労組が菊池を受け入れて、争議協定を1月中に締結する、等の措置を取っていれば、このような悲劇には至らなかっただろう。しかし体制側、労組は共に菊池に歩み寄ることをせず、あたかも「阿吽の呼吸」をもって、混乱の全ての責任を菊池に押し付けることに成功した。原子力委員会と原研労組の間に根回しがあったとは流石に思えないが、結果として、両者の共同謀議(コンスピラシー)により、理事長の菊池がカモにされて詰め腹を切らされたのだ、と言えるだろう。

    ここに至って私は、正義は一体どこにあるのだ、と考えずにはいられない。

    さて、岡議員が言及した「この間まで外国に行っていた」原子力委員の一人は、兼重寛九郎であった。3月19日の小委員会における、原子力委員会が作成した「調査項目」書の審議の際には、兼重自身がその説明を行った。そこで兼重は、原研が窮地にあった最中に海外に出張して不在にした理由について、苦しい言い訳を強いられている。しかしこの日の委員会に岡議員は出席しなかった。別件で用があったのだろうが、今さら兼重を問い質したところで、大勢(たいせい)を変えられないと判断したのであろう。

    この3月19日の委員会では、前回12日の会議を欠席した佐藤栄作と、中曽根康弘の二人が、白々しくも二人そろって出席している。修羅場が終わって危険が去ったと見たのだろう。前回の主役である森山もこの日の後半に再び登場し、原子力委員や佐藤に向けて「原研労組の活動は、共産党に大きな影響を受けていることを認識すべきである」と、(腹立たしくも)主張している。

    ところが面白いことに、この時の佐藤は森山に対し「個々の組合員にも思想の自由はあるのだ。ただそれが他の政治活動を主にするような運動で、現実に問題を引き起こすならば、社会的な批判もあるだろう」と回答した。ここでの佐藤は明らかに、「個々の組合員にも思想の自由はある」と、森山の過激な発言に釘を刺している。後年のノーベル賞受賞者としての、佐藤の度量の深さの一端なのであろうか。今回の一連の問題で、原子力委員長としての佐藤が指導力を見せたのは、記録に残る形ではこの発言だけのように自分には思える。

    (第4章終わり)

    相田英男 拝

    タイトル
    第4章 理不尽すぎる審判(その5)
  16. 相田(Wired)
    2014-11-23 23:42

     みなさんこんにちは、相田です。
     南部の話の後半を投稿します。

     前回よりもさらに色々と危い内容になっていますが、南部の仕事を一般の方々向けに解説するという無謀な試みを、とりあえず見守って下さい。

    ++++++++++++++++++++++++++++++

    題目「思想対立が引き起こした福島原発事故」

    第1章 素粒子論グループの光と影

    1.8 〔番外編〕南部陽一郎、朝永門下生のキリスト(その2) 

     さて、前にも述べたが、ここの話は全て西村肇先生が「現代化学」という雑誌に書かれている紹介記事「南部陽一郎の独創性の秘密をさぐる(1)(2)(3)」の受け売りである。西村先生は応用化学の権威である一方で、素粒子物理学に関しても造詣が深く、南部の実力についてかねてから注目されていたという。自らを「南部の追っかけ」であることを公言されている。

     南部が問題の論文で計算した方法は、朝永の「超多時間理論」とは異なり、以前のダンコフが試みたモデルであったという。ダンコフは電子の「自己エネルギー」を計算する際に、計算項の一部を抜かしてしまい、結果として発散が残ってしまった。計算間違いが無ければ10年前に、ダンコフにより「くりこみ」は完成した筈であった。南部は朝永の講義を聴きながらダンコフのモデルの筋の良さを見抜き、自分一人で朝永グループとは異なる手順で、ラムシフトの計算を秘かに行っていたという。

     西村先生によると、南部論文の驚くべき点は朝永グループとの人数差だけではないらしい。電子の「自己エネルギー」を計算する際には、電子から電磁波(光、photonと同じ)が放出され「中間状態となった電子」が、再度電磁波と反応して別の安定状態に至るが、その過程のエネルギー変化を全て計算で求めることになる。朝永グループの計算は「中間状態となった電子」を「通常の電子」1種のみとしているが、南部の論文では「通常の電子」と「反粒子=陽電子」の場合の二通りを考えて計算を行っているという。「中間状態となった電子」が2種類ある場合は、理屈から計算量が3倍に膨らむことになるのだが、その結果として朝永グループとの人数差と合わせると、南部は通常の研究者と比べて何と10倍以上の速度で計算を行っていると、西村先生は述べられている。

     朝永グループも別に皆アホではなく、当代一流の物理学者の集団である。それを相手に10倍以上のスピードでの計算が可能とは、信じがたい話である。しかし南部の元論文(ネットでダウンロード出来る)を見ると、彼の計算の速さの理由が素人の私でも少し見えてくる。

     南部は論文の中で、電子がエネルギーのやり取りを行うそれぞれの過程について、矢印を用いた独特の略図を用いて区別している。西村先生によると南部のこの略図は、当時まだ未発表であった、R.ファインマンが発明したファインマン・ダイアグラムと呼ばれる、素粒子反応の計算方法と同じ物であるらしい。ファインマンは朝永と同じ「くりこみ論」により、ノーベル賞を同時受賞している著名な物理学者である。「ご冗談でしょうファインマンさん」等に代表される、軽妙なエッセイの著者としても知られる。

     ファインマン・ダイアグラムとは、素粒子の生成、消滅反応を、矢印、波線、丸等の単純な記号の組合せて描いた、一見にして子供の落書きのようにしか見えない図形である。しかしながら、それぞれの記号の位置に、定められたルールに従って数式を当て嵌めると、素粒子反応を記述する極めて難解な数式がいとも容易に導かれるという、手品のような物理数学のテクニックである。量子力学の創始者であるN.ボーアは、学会で初めてファインマン自身からこのダイアグラムの説明を聞いた時に、内容があまりにふざけていると感じて激怒したそうである。

     南部は彼自身の論文で、ファインマン・ダイアグラムに近い技法を、何と自ら編み出して、事前に電子のエネルギー変化の過程を厳密に整理、分類した後に、ラムシフトの計算を行っていたらしい。この当時の南部は、まだ20代後半の駆け出し研究者である。真実であるならば、南部の物理センスの凄まじさは言葉を失うレベルである。

     ただし、南部がラムシフトを計算したこの論文に関しての解説は、西村先生以外には見当たらず、南部自身ですらも何故か全くコメントしていないようである。実際の南部の論文を眺めると、西村先生の説明のとおりの内容と私には思えるが、朝永への遠慮とかの様々な支障があって、あえて触れないのであろうか? 南部自身は、武谷、坂田等のように、物理に直接関係ない話をベラベラ主張することを全くしない人なので、「論文に全て書いてあるからそっちを読めばわかる」ということなのであろう。たとえ読んだところで、何が書かれているか全くわからない者が(私を含めて)ほとんどなのであるが・・・・

     南部の物理学者としてのスケールの大きさは日本には収まりきらず、その3年後にはアメリカに渡っている。南部はシカゴ大学に迎えられ、素粒子物理学の教授 ―あのE.フェルミと同格の― として、数々の偉大な業績を残すこととなった。南部のノーベル賞受賞の対象となった「対称性の自発的破れ」という理論は、私の学力では理解がおぼつかない難解さである。それでもいえることは南部のこの理論は、固体物理学で知られる超伝導現象を素粒子物理に適用したモデルということである。超伝導とはある種の金属やセラミックス材料の電気抵抗が、一定温度以下の低温でゼロとなる現象である。

     20世紀初頭に発見された超伝導現象のメカニズムは長らく不明なままであったが、1950年代の後半に、バーディーン、クーパー、シュライファーの3人のアメリカ人物理学者により、物質中の2個の電子が組み合わさって運動することで、ボーズ・アインシュタイン凝縮という最低エネルギー状態に落ち込む現象が生じて、超伝導が発現するというモデル(BCS理論)が発表された。当時アメリカに移っていた南部はそのニュースを間近で聞きながら、BCS理論の背後に素粒子物理学との深い相関があることを予感したらしい。数年の考察を経た南部が、1960年に発表した理論が「対称性の自発的破れ」である。

     世の中に存在する物質は莫大な数の原子により構成されており、個々の原子は陽子、中性子、電子等の素粒子により構成される。さらに陽子、中性子の内部にはクオークと呼ばれる微細粒子が存在するとされている。このように物質を構成する要素を微細化、単純化することで自然の本質に迫ることを目的とした学問が、日本の湯川を始祖とする素粒子物理学である。

     それまで多くの物理学者は、個々の素粒子まで自然を単純化してモデル化することで、多数の原子が組み合わさって構成される実際の物質の挙動を、精密に予測し得ると考えていた。しかし南部は、素粒子の持つ性質を突き詰めると、その背後には超伝導と同じ現象が存在していると主張した。言い換えると、物質を究極的に微細化・単純化してゆくと、そこを支配する法則は何と、マクロな物質(多体粒子による構成体)で生じる法則が再び現れるのだという、それまで誰も考えもしなかった破天荒で逆説的な考え方を、南部は導入したのである。

     今盛んに報道されている「ヒッグス粒子」に関するP.ヒッグスの論文は、南部の「対称性の自発的破れ」に関する論文の、ほとんど焼き写しであることはよく知られている。南部の論文に示唆を受けたヒッグスは、自らのアイデアを論文に纏めて多数の学会誌に投稿するものの、掲載を全て拒絶されてしまったという。しかしある論文誌の査読者を務めていた南部自身がヒッグスの論文を目にして、「いい内容だ、がんばれ」と勇気づけた(encourageした)という。この論文がヒッグスのノーベル賞受賞の対象となった。

     さらにそのヒッグス論文のモデルを用いて、グラショウ、ワインバーグ、サラムの3人の物理学者が、電磁気力(電磁気的相互作用)と弱い相互作用という二つの現象を併せて記述できる「弱電統一理論」というモデルを60年代後半に提案した。70年代になりこの弱電統一理論により予測される粒子が加速器実験により確認されたことで、提案者の3人は1979年にノーベル賞を受賞し、素粒子物理学の理論体系は一応の完成を見たとみなされるようになった。しかし、これらの一連のモデルのそもそもの起源は、南部による超伝導現象(固体物理学)と素粒子物理学の融合という、他に類を見ない独創的な発想にあるのである。

     南部がこの理論を考え付いた理由の一つに、彼の出身大学が東大だったことが挙げられる。東大は素粒子物理学では湯川、朝永、坂田を輩出した京大に出遅れていたが、統計物理学や固体物理学等の多体現象を扱う分野が伝統的に強い。伏見康治も統計物理学の専門家である。朝永教室に通う前の南部も固体物理学を深く学んでいたことから、BCS理論が発表された当時に、そこに潜む重要性を直感で見抜くことが出来たといわれる。

     しかし戦後の東大は、南部やその同世代の若手の素粒子物理学者達を冷遇し、彼らを全て大阪市立大学等の地方の新設大学等に放逐してしまった。武谷は当時、彼ら東大の若手素粒子物理学者達の才能を惜しみ、東京に残してくれるように大学側に何度も懇願したが、聞き入れられなかったという。その後に彼らの幾人かは東大に戻されたが、アメリカに渡った南部は二度と日本の大学に帰ることはなかった。

     南部がノーベル賞を受賞した際に、文科省が「あれはアメリカ人の仕事だ」と南部の業績を軽くあしらったのは、南部の実力を見抜くことが出来ずに追放してしまった東大学閥OBの思惑も関係している。南部は60年代末に国籍をアメリカに移してはいるが、南部の非凡な才能は東大時代に既に開花していた。

     ちなみに南部の業績はこれだけではなく、クオークの性質に「色」という新たな「自由度」の概念を持ち込んだ「クオーク色力学」の創生と、素粒子の挙動が点ではなく、一定の長さを有する「ひも」として記述されるという「ひも理論」の開祖もまた南部なのである。「クオーク色力学」「ひも理論」それぞれが、ノーベル賞に値する優れた発見であると言われる。

     日本の「歴代の物理学者」の中で最もスキルが高いのは、仁科でも湯川でも朝永でも坂田でもなく、南部なのだとプロの物理屋の中では語られている。その一方で、南部のノーベル賞受賞は80歳を過ぎてからとあまりにも遅かった。南部の凄まじい才能に脅威を覚えた、アメリカの物理学者達の働きかけがその一因にあるとも言われている。

     戦後に若手科学者達が貧しい日本から、海外に頭脳流出することが問題にされた際に、武谷は「(物理学者では)南部以外は、別にいなくなってもどうってことない」と、コメントしたそうである。一方の南部は、研究に取り組む際には単なる数式上の整合性だけではなく、「自分のモデルが実体として存在する場合にどうなるか?」と、つねに考え続けていたという。武谷三段階論が科学の方法論として有効であるのならば、南部の一連の研究成果こそは、坂田のそれをも上回る三段階論の理想が結晶化した姿であると、おそらくはいえるのだろう。

     あの大変口の悪い益川氏も、ノーベル賞を南部と共同受賞する件を聞かれた際には、感動が込み上げて人目も憚らずに涙を流したという。当然ながら益川氏は、南部の実力についてよく知っている。益川氏のひねくれた物腰を私は好きではないが、南部のことを思った際に思わず出た、自分の気持ちに正直な態度には好感が持てる。

    (番外編終わり)

    相田英男 拝

    タイトル
    番外編の投稿:重掲[1694]の続きの続き
  17. 相田 (Wired)
    2014-11-19 22:53

     突然お邪魔します。相田といいます。

     以下の書き込みは、重掲[1694]で書いていた原子力開発に関する論考の続きです。今回の内容は原子力に全く関係しないため、番外編としてこちらに投稿します。

     この話を投稿するべきか、私は相当に悩みましたが、恥を忍んで載せてみます。下に記すように、今回の内容は実は、西村肇先生が「現代化学」という雑誌に書かれた紹介文の丸々引き写しだからです。それでも、南部陽一郎(なんぶよういちろう)の生様(いきざま)を、物理に関係ない方々に、何とかわかりやすく説明するべく纏めてみました。

     プロの方からは突っ込みの嵐だと思いますが、もっと正確に、わかりやすく説明できる方がおられたら、ぜひとも御指摘頂きたく・・・・

    +++++++++++++++++++++++++++++++++++

    題目「思想対立が引き起こした福島原発事故」

    第1章 素粒子論グループの光と影

    1.8 〔番外編〕南部陽一郎、朝永門下生のキリスト 

    以下の章では湯川のライバルとして名高い朝永にゆかりのある人物にスポットをあてる。最初に南部陽一郎(なんぶよういちろう)という学者についてふれる。ここでの南部の話は、原子力開発とはほとんど関係のない、はっきり言って余談である。本論考は別に、私の素粒子物理学の薀蓄(うんちく)を述べるのが目的ではなく、そのような資格も私には全くないことも自覚している。しかし、日本の素粒子物理の歴史に触れるからには、南部の話はどうしても入れたいと、自分の不勉強を重々承知の上で、私は思った。

     さらにここでの話は、西村肇先生が「現代化学」という雑誌で書かれた南部の紹介文「南部陽一郎の独創性の秘密を探る(1)(2)(3)」からの、完全な引き写しであることを素直に告白する。ただし、西村先生の話は、基本的にはプロの研究者に向けて書かれた内容であり、一般の方々にはやはりハードルが高いと私には思える。

    南部はまだ存命であり、長年暮らしたシカゴの自宅を引き払って、今では大阪豊中で静かに暮らしているらしい。大変失礼な言い方ではあるが、南部がまだ健在なうちに(既に90歳を越えている)、学問の世界で彼がどのような位置づけにある人なのかを、一般の方々にも少しでも理解して頂ければと、この欄を加えた。

     ちなみに私は素粒子物理学の基礎となる「場の量子論(ばのりょうしろん)」については、全く理解できていないことを告白しておく。マルクスの「資本論」を読んで「場の量子論」を勉強したりすると、とてもではないが、仕事の合間にこのような論考を纏める時間など、自分には無くなってしまう。それを考えると武谷、坂田等が20代でこれらの知見に精通していたことは、誠に偉大であると素直に思う。

     さて、私が南部の名前を知ったのは、バブルが弾けた後の私が社会人になりたての時期に、アメリカ留学から戻ったとある研究者の方と知り合った時である。その方から私は、「シカゴ大学に、素粒子物理に関するカリスマ的な実力と存在感を持つ南部という日本人学者がいるが、日本では一般に全く名前が知られていない」、という話を聞いた。その方はシカゴで、南部と会って話したことがあるとも言われた。私がその後に南部の話に触れたのは、西村先生が副島先生との幻の対談の中で、南部について「ものすごい実力を持つ学者だ」とコメントされていたのを読んだ時で、やはりそうなのかと私は思った。

     2008年に南部は、益川、小林と3名同時にノーベル物理学賞を受賞したことから、一般にも多少はその名が知られるようになった。ノーベル賞受賞時には益川氏のインパクトが強すぎて、マスコミの南部の扱いは地味なものであった。しかしながら、物理学者の間では3人の中では南部への評価がダントツに高い。他の二人は南部にノーベル賞を渡すためのサクラというか、引き立て役の印象が強い。あまり知られていないが、あの時のノーベル賞の賞金は、半分を南部が受け取り、残りの1/4ずつを益川、小林で分け合っている。益川、小林の発見は二人の共同作業によることが理由であるが、南部と他の二人では研究のレベルが違うことを、ノーベル財団がはっきり認めているともいえる。

    実は南部は武谷三男との関係も非常に深く、武谷三段階論の有力な支持者でもある。南部は自身の回顧録やインタビューの中で、「自分が物理モデルを考える際には武谷の三段階論を参考にしている」と、度々言及している。そのようなこともあり、以下の話は武谷に関するスピンオフ的な話として、読んでいただければと思う。

    南部の生まれは東京であるが、幼少時に関東大震災に遭遇した一家が、父親の故郷の福井県に疎開したことで、東大入学まで南部は福井で過ごしている。南部の東大時代は太平洋戦争の真っただ中であったため、1年間早く大学を卒業させられた南部は、終戦まで陸軍に入隊して過ごした経歴を持つ。終戦後の荒れ果てた環境で東大に戻った南部は、大学の研究室に泊まり込みながら、多くの先輩や仲間と共に研究活動に没頭したという。

    東大には京大と違って、素粒子物理学に詳しい教授は非常に少なく、南部は東大の主流であった統計物理学や固体物理学を学んでいた。しかし、友人の木庭二郎(こばじろう)が理研の朝永の弟子となり素粒子物理学を専攻したことから、南部も一緒に朝永の勉強会に参加することになった。

    当時は理研に所属していた武谷が、湯川の弟子の一人で東大に移って来た、素粒子論グループの世話役でもある中村誠太郎(なかむらせいたろう)に会うために、頻繁に東大を訪れていたという。武谷と南部は次第に懇意となり、議論を交わすこともしばしばあったらしい。そこで武谷の哲学を繰り返し聞かされた南部は、否応なく武谷の三段階論を受け入れることになったと、後のインタビューでコメントしている。但し、南部が武谷から受け入れたのは三段階論の方法論のみであり、左翼思想についての関心は特に無かったらしい。

    武谷については好意的な南部であるが、研究に左翼思想を頻繁に持ち込む坂田昌一(さかたしょういち)には厳しいコメントも残している。南部はアメリカでインタビューを受けた際に坂田について触れている。そこで南部は、晩年の坂田が研究を止めてしまい政治活動にのめり込んだ結果として、日本の素粒子物理学は坂田に批判的な関東を中心とするグループと、坂田を擁護する関西・西日本グループの東西に2分されてしまったと述べている。南部自身は武谷流の「実体」を重視する哲学を持っていたのだが、「自分は東大出身であったためか、何故か関東グループの一員とみなされてしまった」、ということである。
     
    ここで南部の師ともいえる朝永振一郎の研究について触れる。朝永は終戦後には活動の場を理研から東京文理科大(後の東京教育大学で現在は筑波大学に改組される)に移しつつあった。

     朝永の研究課題は、マックスウェルの電磁場方程式と量子力学を組み合わせた「量子電磁気学」である。当時、マックスウェル方程式により電子等の電荷を持つ素粒子を扱う場合には、量子力学との間で深刻な矛盾が存在していた。問題をごく簡単に説明すると、電子が有する電磁気エネルギーは、電子からの距離rに対して1/rで減少するのだが、電子は大きさを持たない「点」であるため、極限まで電子の中心に近い領域では、電子1個の持つエネルギーが計算上は無限大に増加してしまうのである。

     また電子は、それ自体が周囲に光を放出して他の電子と、場合によっては自分自身ともエネルギーのやり取りを行う。これを電子の自己相互作用(じこそうごさよう)と呼ぶ。素粒子の持つエネルギーは、アインシュタインの相対性理論から導かれるE=mc2の関係式から、その一部が質量mに転化される場合があるのだが、電子の自己相互作用のエネルギー変化を厳密に積分計算すると、電子の質量もまた無限大となってしまうという、これまた厄介な結果が待ち受けていた。電子1個の持つエネルギーや質量が無限大になることなど、現実の世界ではあり得ないため、理論に矛盾があることは明らかであった。

     この電磁気学と量子力学を組み合わせた際に現れる、積分の無限大を解決するために考えられた方法が「くりこみ」である。「くりこみ」の厳密な内容については、私の今の理解では満足いく説明は不可能であるため、ここでは話を端折って進める。一つの例えでは「くりこみ」とは、『電子の中心のエネルギーが無限大に増加するのであれば、電子の質量は逆に「負の無限大」となるように積分の項を再構成して、正負の無限大を足し合わせて有限の値を得ること』、であるらしい。

     こんな説明では「一体なんだそれは!?」と誰もが怒ると推測するが、ここではこの内容で勘弁して頂きたい。積分内部の無限大となる項を上手に整理して、計算結果を有限の値に戻してしまう数学的な操作である。説明は簡単であるが、単なるその場しのぎの計算テクニックではなく、数式に対する深い物理的な理解に裏打ちされた理論である。

     「くりこみ」の可能性については、朝永以前からアメリカの物理学者達によりしばしば提案がなされていたそうである。「無限大の発散」の問題について初めて指摘したのは、後にアメリカの原爆開発のリーダーとして活躍するオッペンハイマーである。1937年にオッペンハイマーの弟子のダンコフという物理学者は、1個の電子が発生する「自己相互作用」の効果について逐一仮定、計算して、くりこみの実現を狙ったが、結局は無限大を解消出来ずに終わった。

     一方で電磁場を量子化する理論式は1930年代に、コペンハーゲンのハイゼンベルクやパウリ、ディラック等により体系化されていたが、朝永はこの理論式がアインシュタインの相対性理論との対応ができていないことが問題だと推測し、戦争中に理論の再検討を行い、「超多時間理論」という洗練された理論を編み出した。「超多時間理論」のわかりやすい説明は私には不可能なのだが、この過程では無限大となる積分項の分類と、数学的な振る舞いの詳細な検討が、朝永により行われたようである。

     戦後に東京文理大学で、弟子たちとの物理の勉強会を再開した朝永は、残された「無限大の発散」の難題を解決するべく議論を進めていった。当時、湯川の下を離れて名大に移った坂田から、「C中間子」という仮想的な粒子を導入することで、発散が解消できるとの報告がなされた。坂田の話に当初は半信半疑であった朝永であったが、弟子たちの計算によりC中間子の効果で、無限大の積分項の一部が解消することが示された。この経験から朝永は「くりこみ」の有効性に注目し始めたという。

     折しも1947年にアメリカより一つのニュースがもたらされた。ラムとレジャフォードにより、水素原子中の特定の軌道の電子について最新の測定技術でエネルギーを調べた結果、ディラック方程式から導かれる理論値から約 1000 MHz のエネルギー差があることがわかった。この電子のエネルギーのずれは「ラムシフト」と呼ばれたが、その理由としては、電子の電磁気エネルギーが自分自体に影響する「自己相互作用」の影響と予想された。

     ラムシフトを理論計算で導くには、積分で発散を生じない量子電磁気学的なモデルが必要となるため、アメリカ中の物理学者によりラムシフトの導出が進められた。この知らせを聞いた朝永グループは、それまでの研究から完成した「くりこみ論」を用いて、ラムシフトの計算に取組み、正確な値を得ることに成功し、後年の朝永のノーベル賞受賞に繋がった、とされる。

     ここまでの話が一般に語られている、朝永のノーベル賞受賞に至るまでの所謂「顕教(けんきょう)」であるのだが、その裏でほとんど注目されていない一つの事実があることを、西村肇先生は指摘されている。

     朝永グループによるラムシフトの値を1076MHzと計算した論文は、1949年4月に出版された日本の英文雑誌「Progress of Theoretical Particle Physics」に掲載された。この論文誌(略称PTP)は、戦後に湯川が日本の理論物理学のレベル向上を目指して、半ば自費出版の形で始めた雑誌であり、素粒子論グループの研究成果の多くはPTPに発表されている。しかし朝永グループの論文発表の3か月前のPTPの1月号には、ラムシフトの値を1019MHzと計算で導いた論文が既に掲載されているのである。論文の投稿者は南部陽一郎である。

     文理大の勉強会では朝永グループの一員として計算に協力することは無く、後ろの方でただ講義を黙って聞き続けていた南部であるが、自ら一人で朝永グループと別にラムシフトの計算に取り組んでいたのである。驚くべきことに朝永論文では、朝永自身を含む5人以上で計算を分担したのに対し、南部の計算はたった一人だけ、にもかかわらず、南部は朝永グループよりも先にラムシフトの値を導き出し、論文に纏め上げている。論文の投稿日は南部の方が1ケ月早い。

    (つづく)

    タイトル
    番外編の投稿:重掲[1694]の続き
  18. 澤田 正典
    2014-11-05 02:32

    澤田正典です。会員番号2953です。今日は平成26年11月5日です。

    つづき
     地殻電流は、地殻内部の地下水を電気分解します。

     地震は、地下水の電気分解で発生します。

     地下水が電気分解されると、帯水層の下側に水素が、上側に酸素が発生します。

     次第に電気分解が進むと、最後に重水が残ります。

     花崗岩の中にある天然ウランで重水素が核融合反応を起こすとき、電磁パルスが発生します。

     これを観測すると地震予報が可能です。

     電磁パルスは大気中にイオンを発生させます。

     宏観現象の原因にもなります。

     地震雲も作ります。

     ナマズも暴れます。

     電波のシンチレーションの原因にもなります。

     ヘリウムもできます。

     電気分解が最終段階を迎えると、発生した酸素ガス、水素ガスが電気抵抗となるので、地殻電流が縮小します。

     このとき、帯水層を中心にコンデンサが形成され、電荷が蓄積されます。

     すると等電位ポテンシャル面が沈み込みます。

     これは電離層にも影響が及ぶので、やはり電波のシンチレーションの原因になります。

     また、地電流の変化をはじめ、多くの地震電磁気学的現象の原因となります。

     このコンデンサの絶縁が破壊するとき、いっせいに常温核融合反応の臨界条件が整い、地震になります。

     地殻には、もともと圧力がかかっています。

     核爆発の初期段階においては、圧縮軸方向へ向かっては、爆圧は進行できません。

     もっとも圧力の弱い、圧縮軸の直角成分にだけ、爆圧が進行します。

     このとき爆心地は空隙になっています。

     それまで一軸圧縮の圧力を支えていた質量が爆心において消滅しています。

     圧縮軸成分においては爆心に向かって変位します。

     そのあとで、核爆発の成長に伴い、圧縮軸方向へも爆圧が進行します。

     結果として、地震に特徴的な「押し領域」、「引き領域」が形成されます。

     火山爆発も同じプロセスです。

     御嶽山のように。

     どうやれば自分の身を守れるのか、もう、わかりますね。

     かつてマグニチュード9ほどの威力のある核爆弾が存在しました。

     ツァーリ・ボンバーという、旧ソ連が実施した核実験で使われた3F爆弾です。

     重水素化リチウムの量を増やす、ウラン238の量を増やす、それだけで3F爆弾の威力を幾らでも上げらます。

     天然の重水がプレート境界や地殻内部や火山体にあれば、それを電磁パルス兵器で起爆できます。

     また、電離層にマイクロ波を照射すると、オーロラが電離層に当たったときと同様に、極超長波ELF波の周波数の電磁波が放射されます。

     この長い波長の電波は、地殻内部まで届きます。

     地殻内部に、もし地震の準備段階にあるコンデンサがあるとき、
    ELF波は、このコンデンサに蓄積された電荷を振動させます。

     すると、コンデンサの両極に強い電圧がかかります。

     これがコンデンサの絶縁を破壊し、地震を発生させます。

     気象兵器は簡単な原理です。

     マイクロ波のビームを低仰角で放射すると、電離層で全反射して、地球全体にビームを伸ばせます。

     二方向から照射して、目的地でクロスさせることもできます。

     もともと、台風や低気圧、積乱雲のあるところでは電離層が下向きに飛び出ています。

     そこでマイクロ波は吸収され、成層圏の大気を電離させます。

     電磁レンジでプラズマを作る実験と同じです。

     これで電離層から対流圏に向けて正電荷(プラスイオン)を直接的に供給できます。

     狙ったところの大気電流や地殻電流を意図的に大きくできます。

     台風を巨大化させ、異常発達した積乱雲を生成できます。

     竜巻も作れます。

     移動もできます。

     停止もできます。

     地殻内部に電流を多く流すことで地下水の電気分解を促進し、地殻内部に重水の濃縮を促すこともできます。

     地球の中心は正電荷、そのまわりに負電荷。

     地殻電流 = 大気電流

     太陽風は地球の極域に正電荷と負電荷を吹き入れる。

     太陽風の正電荷は電離層へ、負電荷は電位差に従って、マントルから電離層のあいだの、どこかへ移動する。

     電気分解により水素が発生する。

     この水素が、酸化された有機物を還元して、炭化水素や炭素を作る。

     メタンハイドレート、石炭、石油の生成過程がわかります。

     解明してみれば、そんなに難しい仕組みではありませんでした。

     地球の仕組みを悪用して、罪亡き人を津波と地震と火山爆発と集中豪雨で殺し、脅迫して、金を奪いつくした。

     そんな人の魂には、消えない重い罪が残ります。

     覚悟しろ。

    澤田正典 拝

    タイトル
    地球の電気8
  19. 澤田 正典
    2014-10-19 19:59

     澤田正典です。会員番号2953です。今日は平成26年10月19日です。

     常温核融合に、イギリスの13歳の少年が成功して、重水素からヘリウムを作り、それまでの14歳の少年が持っていた史上最年少記録を塗り替えたとのニュースが今年の3月くらいにあったようです。

    「史上最年少! 13歳の少年、核融合が可能な原子炉を作る(動画あり) : ギズモード・ジャパン:」
    http://www.gizmodo.jp/2014/03/13_11.html

    「史上最年少! 13歳の少年、核融合が可能な原子炉を作る(動画あり) – ライブドアニュース:」
    http://news.livedoor.com/article/detail/8605651/

    「13歳少年、核融合炉の作成に成功 – CNET Japan:」
    http://japan.cnet.com/news/society/35044845/

     また、別の話題として、常温核融合のプロセスを用いた兵器関連の情報もユーチューブで得られます。

    「常温核融合による小型核爆弾起爆テクノロジー – YouTube:」
     https://www.youtube.com/watch?v=l5LGLcrrkeU

     別件です。月面における放射線の大きさは、次のような計算手順で求められそうです。試算方法の一つとして。

    計算手順1

    静止軌道上における太陽風の観測データから得られた、太陽風の密度と速度

    密度 1立方センチメートルのなかに、おおむね5個以上。
    速度 秒速400km前後以上。
       =秒速40,000,000cm以上

    計算手順2

    1秒間あたりの1平方センチメートルあたりの粒子数
    40,000,000 × 5 = 200,000,000

    1分間あたりの1平方センチメートルあたりの粒子数
    200,000,000 × 60秒 = 12,000,000,000

    計算手順3

    ベータ線の1分間当たりカウント数(cpm)からシーベルト(Sv)への換算式(ただし地上で放射性物質が出すベータ線の場合)

    (0.187μSv/h)/1000cpm
    (0.187ナノSv/h)/cpm

    計算手順4
    静止軌道において太陽風によるベータ線被爆のシーベルト換算
    0.187 × 12,000,000,000
    = 2.244Sv/h

     太陽風の速度がベータ線の速度、威力となりますから、地表に静止している放射性物質がポツッと出すベータ線などと比べたら、太陽風のほうが、やっぱり威力は強そうだ。とすると、実際の被ばく線量は、下手すると即死レベルかと懸念します。

     ヴァンアレン帯から離れた静止軌道上において、太陽が静かな場合ですら、これくらいの数値が見積もられそうですので、1969年に、月面で、宇宙服を着て、月の探検をしたというお話は・・・

     澤田正典 拝

    タイトル
    常温核融合とアポロの月面着陸について
  20. 澤田 正典
    2014-09-06 09:47

    澤田正典です。会員番号2953です。今日は平成26年9月6日です。

    つづき
     マグマについて説明します。マグマは高温高圧で水分を多く含む液体の岩石です。これは地殻内部において実に不思議な動き方をするので、火山学者たちが、そのメカニズムを解明するために四苦八苦しています。これを解明します。

     マグマは、高温であるうちは、電気抵抗が非常に低いです。これが重要な意味を持っています。そして、同じように電気をよく通す、地殻の層の下部に控えている、豊富な電子量を持つマントル層との間における、電気的な接続の有無によって、その動的活性が決まります。マグマの温度が下がって電気抵抗が大きくなったり、もしくはマントル層との間において、何らかの原因により電気的な断線が発生すると、そのマグマは動的活性を失います。

     地殻層最下部、つまりマントルとの境界面から、はるばると地殻表面付近まで浮上してきたマグマは、冷たい地殻に触れながら上昇してきますので、そのままでは温度が次第に低下して固まってしまいます。粘性が大きいですから、はるか彼方、地下60km以上もの深部にあるマントル層とのあいだで、対流によって熱交換しながらマグマに熱を連続供給することはできません。構造体内部における熱伝導は可能ですが、運搬できる熱量に限界があり、地殻に冷やされる速度と釣り合った部分で温度が平衡状態になります。この時点でマグマの動的活性も失われます。マグマがさらなる動的活性を獲得できるためには、別の方法で加熱されるメカニズムが求められます。

     マグマは、高温の状態かつ、マントル層との電気的な接続が維持されている条件下においては、電圧の加わった電線と同じ状態になっています。マグマと地殻との間に形成された境界面のことを火道と呼びますが、火道の周囲には、電離層から大気経由で供給されたプラスの電荷が集まります。この境界面からマグマの中に電流が流れることにより熱が作られて、マグマに熱量を与えます。(ニクロム線に電気を流して発熱させるメカニズムと同じです。電位差が大きいので、電流が少なめであったとしても、電力は大きくなります。)

     マグマは、地殻から冷却されながら強い圧力で抑えつけられていますから、熱量が追加供給されなければ動けないのです。

     地殻が、基本的には水平成分に積み重なった地層の集積になっていることと対照的に、マグマは鉛直成分の強い構造を持っており、多くの場合、マントル層との電気的な接続が成立しています。地殻内部には電気抵抗の小さい層が含まれており、こういった層と火道との交点において効率よく電流が流れることにより、地震を引き起こすような、極端な電荷の蓄積を回避できる場合があります。そのため、火山性地震が発生しない場合においても、マグマは動的活性を獲得できる場合があります。事実、表面上なんの前触れも無いにも関わらず、いきなりマグマが動いたかのような現象が発生している様子です。

     マグマの動的活性は、電離層から大気経由で供給されるプラスの電荷の量に比例します。(捉え方の問題ですから、マントル層からのマイナスの電荷、つまり電子の供給量に比例すると言い換えても、同じ意味です。ただ、電離層から大気を介して供給されたプラスの電荷の分だけしか、マグマの中の電子も移動できません。)

     火山活動も地震活動と共通したエネルギー供給のメカニズムを持っていますから、電波の伝播異常や電離層のモニタリングといった手法で、火道に供給された電荷等の電気的なエネルギーの積算量を求め、マグマに追加された熱量として換算できる可能性があります。そこから噴火予測までは、少し基礎研究が必要になりそうですが、熱量がわかれば、糸口は十分に掴めています。地殻変動の監視は、ここで役に立つと思います。なぜなら、どの程度の熱量が加わったときにマグマ溜りが体積変化を起こすのか、対応関係が掴めるからです。マグマ溜りの体積変化と噴火活動との時間的、規模的な関係は、火山ごとに経験的なパターンを観察する意味がありそうです。

     群発地震についても、同様のメカニズムに基づいた推理をする価値がありそうです。ただ、群発地震の場合、要因となる物質が複数あるようです。マグマなのか、水なのか、別要因なのか、ケースごとの分析が求められます。

     プレート境界型の大地震が発生すると、そのプレート境界周辺の火山の活動が活発になる傾向があるといわれています。これは、地震を起こした絶縁体の周囲に集められていたプラスの電荷の一部が、その周囲にある火道へと移動して、マグマの加熱に用いられることによります。火道がある場合、水平方向にも電場が存在するので、電荷も水平方向に移動できることになります。プレート境界型の地震に限らず、火山活動と地震活動は、同領域において同時に活発化しやすいことが知られています。

     海底火山や火山島の場合、陸上にある火山とは少し、電気的な環境が異なります。海水が良導体で電気をよく通すため、周辺海域のかなり広い範囲を対象として、大気から受け取ったプラスの電荷を吸収できるようです。ハワイ島の火山が、そのパターンです。四六時中、マグマが溢れ出ています。もちろん、マントル対流の効果も加わっているのでしょう。
     (小笠原諸島の西方にある、西ノ島という火山島において、昨年から大量のマグマの流出が続いております。この火道によって、周辺海域の電気的なエネルギーを吸収している可能性があります。)

     火山が噴火すると、火山雷といって、噴煙の中で活発な放電現象が見られることがあります。これはマグマが電子を大気中に放出するためです。電離層と火口との間で、大気を介した電流が流れます。どちらも電極のようなものです。

     雷に関して言えば、私たちが普段経験する夏の積乱雲による雷や、北陸地方における秋から冬に見られる雷も、意味は同じです。赤道付近の、熱帯地方における雷も、同じです。地殻や海面から放出された電子を、大気を介して電離層へと届けているのです。例外として、移動性の積乱雲の中に蓄積された大量の電子の、ほんの一部だけが、地面との距離の短さと、大きな電位差によって、落雷として地殻表面に逆流する場合があります。

     電子は、必ず、地殻から電離層へと移動します。電子は、電離層から地殻へ向かっては、動きません。そのような電場は存在しません。大気の成層圏においてみられる、スプライト等の放電現象では、対流圏の最上面である圏界面から電離層へ向けて電子が移動しています。
    つづく

     澤田正典 拝

    タイトル
    地球の電気7
  21. 澤田 正典
    2014-09-04 07:54

    澤田正典です。会員番号2953です。今日は平成26年9月4日です。

    つづき
     地殻深部にプラスの電荷が蓄積されていくと、その地点における地上側において少しずつ電子量が減少していきます。等電位ポテンシャル面が沈み込んでいくためです。この沈み込みにしたがって大気中においてはプラスの電荷の存在比率が次第に大きくなっていきます。これをモニタリングすると地震予知が可能です。

     大阪市立大学名誉教授の弘原海 清氏は、この方法で地震予知に成功されました。

     大気中のプラスの電荷の存在比率が次第に大きくなるにつれて大気中の電子量が減少するため、この領域だけ電波の減衰率が低下します。これをモニタリングすると地震予知が可能です。

     北海道大学地震火山研究観測センターの森谷武男氏は、この方法で地震予知を実現されました。

     等電位ポテンシャル面の凹みは電離層にも影響を与えます。電離層はプラズマで構成されるので長周期の電波であれば鏡のように反射します。この電離層も、等電位ポテンシャル面の凹みに従って、下向きに凹みます。このことが原因となって、VLF帯の電波の伝播時間の短縮といった伝播異常が発生します。この異常をモニタリングすれば、地下の電荷の分布がわかりますから地震予知はできます。

     電気通信大学名誉教授の早川正士氏は、この方法で地震予知を実現されています。

     地下に潜んでいる、極めて電気抵抗の大きな層における電荷の蓄積が進んでいくと、その境界面には次第に大きな電圧が加わっていきます。やがて、少しずつ絶縁が破れてわずかずつ電流が流れ始めます。これは放電現象ですので、非常に広帯域の電波ノイズを放出します。電界の変動ノイズですから、周囲に伝播していくことになります。電離層にも影響して上空にある電波の鏡面が震動します。すると、ここに当たった電波の帯域が拡がるという現象を起こします。これを観測する方法でも、地震予知はできます。

     八ヶ岳南麓天文台台長の串田嘉男氏は、この方法で地震予報を実現されています。

     等電位ポテンシャル面の凹みが大きくなると、水平方向の成分において大きな地電位の変化が起きます。これを捉えるのがVAN法という地震予知方法です。ギリシャでは高い成功率を誇る地震予知方法です。

     理化学研究所の上田誠也氏が取り組まれた手法です。

     電離層が下に凹むとき、その部分の電離層内部における電子量に変化が生じます。凹んだ部分に流れ込むように、電離層上部にある電子が集まってきます。これを捉えることでも地震予知が可能になる可能性があります。

     北海道大学の日置教授による研究があります。
     GNSS連続観測点等の観測データなどを用いても、電離層の電子量をモニタリングできます。

     実際には、もっと沢山の、官民の研究者たちが地震予知を実現なされている様子です。また、NPO法人の日本地震予知協会の佐々木洋治氏による佐々木理論がすばらしい。もちろん、他にも大気電気学等広い学問分野において、大勢の優秀な研究者たちが沢山おられます。たとえば上下成分の地電位の変化を観測した研究者などがおられました。とても大切な研究だった。

     大気中の電荷密度の変化は、生命体の体内に含まれる電子量の変化にも繋がります。生命体の体内における情報伝達は電気的に行われているでしょうから、電子量が減ると生命活動において緊張感が漂うはずです。当然、宏観現象として多くの生命体の行動の異常が確認されることになります。
     従って、宏観現象に基づいた地震予知研究も当然、正しいと思われます。

     ・・・地震雲の発生メカニズムについては、のちほど解明を試みます。
    つづく

     澤田正典 拝

    タイトル
    地球の電気6
  22. 澤田 正典
    2014-09-03 20:56

    澤田正典です。会員番号2953です。今日は平成26年9月3日です。

    つづき
     地震のメカニズムを把握する上で、地殻内部における電気の流れ方が重要になります。地殻は半導体です。電気抵抗が大きいので、大きな電圧がかからないと電荷が移動できません。

     最初に述べたとおり、地球の中心は強力なプラスの電荷を持っており、その周辺には電子が高密度に集まっているとの仮説に立てば、地殻は下側に強力なマイナスの電荷を抱えていることになります。そして大気上空には電離層が強力なプラスの電荷を持っています。対流圏の内部も、プラスの電荷のイオンが優位的になっています。

     つまり、地殻には上下方向に強い電場が加わっていると考えられます。この力により、地殻内部においては電気抵抗が大きいながらも、上下方向においては、一方向限定とはいえ、やすやすと電荷が移動できる仕組みになっています。対して、水平方向には電場が掛かっていませんのでほとんど移動できません。

     大気中を漂うプラスの電荷が地表に到達したとき、地殻表面から電子を奪っていきます。電子を奪われた地殻表面は、電圧を受けていますから、奪われた分だけ地殻内部から電子を引き出します。この電子の動きは地殻深部へ向けて連鎖していき、やがて、地下に潜んでいる、極めて電気抵抗の大きな層に到着します。この層の地表側において、プラスの電荷は捉えられて蓄電されていきます。

     プラスの電荷が地下へ移行するといっても、たとえば何らかの物質が地下にもぐりこんでいくわけではありません。大気中を漂っていた、プラスの電荷を持つイオンが、地殻表面の電子を引き抜いた分だけ、地殻内部に電子密度の低下した領域が発生し、時間と共にその領域が地下深部へと移行していくことを意味します。
    つづく

     澤田正典 拝

    タイトル
    地球の電気5
  23. 澤田 正典
    2014-08-31 23:17

    澤田正典です。会員番号2953です。今日は平成26年8月31日です。

    つづき
     地球では電気の流れ方において、いくつかの方式があります。

     まず、導体の中を電子が移動する方式があります。海水や電離層においては導体と同様に、電子の運搬は速やかに進行します。

     次に、半導体の中を電子が移動する方式があります。導体ほどには電気抵抗は小さくないが、絶縁体とは異なり強い電圧が加われば電子が移動します。地殻は、場所によって電気抵抗の異なる部分が層をなしている、半導体の集合として構成されています。電気抵抗が大きくなるほど絶縁体(誘電体)の性質が強くなり、電荷を蓄えやすくなることで、地震の原因となる場合があります。断層やプレート境界は絶縁体(誘電体)になっていると想像されます。

     また、絶縁体(誘電体)の中でも電子が移動する方式があります。これは静電気として大容量のマイナスの電荷を蓄えた微粒子が集団で移動することで行われます。大気中におけるマイナスの電荷の移動は、主にこの方式で行われています。(ちなみに、地上付近の雲は地面から湧き出したマイナスの電荷の流れによって生成されるため、常にマイナス側に帯電しています。雲は、地殻との間に働く電気的な斥力によっても浮力を得ています。実際、雲の底面は、まるで見えない境界面があるかのように平らになることが多くあります。)
     なお、太陽風によってプラスの電荷が地球に過剰供給された場合も、この方式でプラスの電荷が電離層下部において拡散していきます。

     絶縁体(誘電体)においては、雷や地震といった、大電圧による絶縁破壊によって電子が移動する場合もあります。この場合、蓄えられた電荷のエネルギーが劇的に解放されることで大音響や強い振動も伴います。

     ・・・実は、もう一つだけ、絶縁体(誘電体)においては、電子の移動手段がありそうです。
    つづく

     澤田正典 拝

    タイトル
    地球の電気4
  24. 澤田 正典
    2014-08-31 08:20

    澤田正典です。会員番号2953です。今日は平成26年8月31日です。

    つづき
     次に、マイナスの電荷に偏った高速の太陽風プラズマが地球にやってくると、やはりオーロラを作りながら荷電粒子は速度を落とします。マイナスの電荷の正体は電子なので地球大気を構成する微粒子に出会うとその表面に付着して静電気となり、大気深部も含めて拡散していきます。このとき、もし地球内部がそれ以前にプラスの電荷の過剰供給を受けていて、大気や地殻内部の電荷分布が全体的にプラス側に傾いていた場合には、電気的な平衡状態へと移行する目的で、このマイナスの電荷を大気や地殻内部が受け取ります。

     太陽風の形で地球外部からプラスの電荷を偏って与えられたときは、プラスの電荷は大気から受ける浮力と電気的絶縁に遮られるために、電離層下部において広範囲に分散された後で、時間をかけて大気深部から地殻内部へと移動していきます。ところが、マイナスの電荷を偏って与えられたときは、マイナスの電荷は、かなり集中的に北極や南極といった極域において地殻内部へ移動していく特徴があります。結果的に極域では、全体的に見ると電気を一方向に流しやすくなっているので、ダイオードのような働きを示します。

     極域から地殻に入り込んだマイナスの電荷は、地殻内部で分散されながら、次の電気的な平衡状態へ向けて移動していきます。地殻内部において絶縁体(誘電体)となっている部分にはプラスの電荷が蓄積されている場合が多いので、特にそういった箇所に多く集まり、次第に電荷を蓄積していきます。ここでは、コンデンサのような働きを示します。

     このように、太陽風から地球に与えられる電荷の、その時々におけるプラス側、もしくはマイナス側への偏りが不連続かつ非定期的に行われることによって、そのたびに地球では大気や地殻内部に抱える無数の電気的な境界面(電気抵抗の疎密が面的な分布を示すところ)において電荷分布の平衡化を行う必要に迫られます。

     これが、地学的な領域における電気エネルギーの流れであるとイメージされます。
    つづく

     澤田正典 拝

    タイトル
    地球の電気3
  25. 澤田 正典
    2014-08-30 21:44

    澤田正典です。会員番号2953です。今日は平成26年8月30日です。

    つづき
     この平衡状態は外部から破られる場合があります。太陽風は、水素原子と電子がバラバラのプラズマ状態で、高速の微粒子の集合として地球にやってきます。太陽風では内部において粒子密度に疎密があることはもちろんですが、電荷分布も疎密を持ちます。太陽風を構成する巨大な高速粒子の集合体のサイズに対して、地球の大きさは微々たるものですから、太陽風のうち地球に衝突した部分においては、構成粒子の電荷がプラスもしくはマイナスのどちらかに偏っていることが普通だと思います。(実際、太陽風の磁場の向きは北向き、もしくは南向きに偏ることが多いのですが、これは太陽風の高速プラズマ構成粒子の電気的な偏りの実在を示していると思います。)これにより地球の電気的な平衡状態が崩れます。地球は、偏って侵入してきた電荷を平衡状態に至るまで地球全域に分散させる必要に迫られます。

     プラスの電荷に偏った高速の太陽風プラズマが地球にやってくると、まず北極と南極の上空の地球大気に衝突して、電離層においてオーロラを作ります。そして運動エネルギーを電磁波と熱のエネルギーに変換しながら、速度を落とし、電離層の一部になります。プラスの電荷の正体は、基本的に電子を失った水素原子なので非常に軽いため、粒子としてはこれ以上大気の奥まで進入できません。これにより電離層は全体として電荷がプラスに偏り、電離層の下面に集まります。(※ここでの電荷の移動は、荷電粒子自体の移動として行われます。電気回路において導体中を電子が移動するときの電流のイメージとは少し異なります。それよりも、静電気の移動と考えたほうがよく、帯電させたプラスチックの板やウールのセーターを手に持って移動するようなイメージのほうが近いです。これも電荷の移動そのものですから電流となり磁場を発生させます。)

     地殻表面では、上空の電離層にプラスの電荷が強くなったことを受けて、大気電場の強度が上昇します。そして地面や海面からマイナスの電荷が電離層へ向けて上空へと引き寄せられます。このようにして、プラスの電荷は平衡状態へと向かう過程において必要な範囲で、電離層から地殻内部や海中に移動していきます。地殻内部には部分的に、電気を流しにくい絶縁体(誘電体)の性質の強い領域があるので、プラスの電荷の一部はそういった境界面に蓄積されます。なお、海水は地殻よりも電気抵抗がずっと小さいので完全に導体の扱いとなり、海底まですみやかにプラスの電荷が移動したあとで、そこから地殻内部にプラスの電荷が移されていきます。

     このように、地球に過剰に加わったプラスの電荷は電離層から成層圏、対流圏、地殻へと地球全体に拡散されながら、全体として地球は次の電気的な平衡状態へと移行していきます。
    つづく

     澤田正典 拝

    タイトル
    地球の電気2
  26. 澤田 正典
    2014-08-30 13:54

    澤田正典です。会員番号2953です。今日は平成26年8月30日です。

     いつも皆様の興味深い投稿を楽しんでおります。私は専門家ではないのですが、地学の分野に関連した投稿をさせていただきます。

     地学の分野では、気象学における雷や極地研究におけるオーロラ、そして地電流を除くと、「電気」の作用について論じられることが稀だったと思います。そこで、地球の電気のふるまいについて、何回かに分けて考察を試みます。どういうわけか、地学の教科書では電気がほとんど出てこないのです。

     地球中心は、重金属を含む高温高圧であり、原子間距離が圧縮されています。そのため、電子が外側へ追い出されて、地球中心に至るほどに強いプラスの電荷を持っている可能性があります。何分、直感的ではあります。ただ、電子雲みたいなふわふわしたものが、高温高圧化において、原子周辺に留まれるようには感じないのです。水をたっぷり含んだスポンジをギュッと握り締めたら、水はスポンジの外に追い出されます。(高温高圧下の物性研究はダイヤモンド製の加圧部品を用いる方法により研究室レベルで急速に進化を続けているようです。この仮説の実証は、これから可能になるかもしれません。)

     仮説を基にすれば、地球中心では電子密度が小さくなるので強いプラスの電荷を持ち、その周辺では電子密度が大きくなるので強いマイナスの電荷を持ちます。ここでは電子密度が極端に高くなることで電気抵抗が小さくなる領域が現れますので地電流が大規模に流れ続け、地磁気を発生させています。この高い電子密度を持つ領域は地球固体を表面から観察したときの電場の特徴を作りますので、地球のどこでも、基本的には大気電場は上向きになっています。海面・地面がマイナス、上空がプラスです。そして大気という絶縁体(誘電体)を介してその上空に広がる電離層では静電誘導によって下面はプラスに、上面はマイナスになります。

     以上が、地球全体における基本的な電荷・電場分布とイメージしています。(実際には境界面がまだまだ沢山、多層に存在しますし、赤道付近の電離層における電流や北極・南極域におけるオーロラ電流があると思いますので、メカニズム解明へ向けた継続した分析を必要とします。)外部からの刺激がなければ、多少の局所的な静的、動的な放電現象を起こしながら、時間とともに地球全体としては電気的な平衡状態に落ち着いていきます。
    つづく

    澤田正典 拝

    タイトル
    地球の電気1
  27. 大城義和
    2012-12-11 08:42

    大城義和です。
    パーソナル・メディア時代について、問題提起します。

    今、世界政治金融経済圏は、崩壊しつつある。すなわち、近代資本主義が、終焉する。そこで、新思想が必要であると思い、パーソナル・メディアという概念を提起する。パーソナル・コンピューター・メディアは、仮想空間の世界政治金融経済圏を、電子頭脳として、ハードウェアとしての金融・経済、ソフトウェアとしての金融・経済、ネットワークとしての金融・経済、総体的には政治学情報ハイウェイとして、クライアント・サーバー/データベース/サーバー=パーソナル・メディア人間になる。パーソナル・メディアである人間は、パーソナル・コンピューターやマッキントッシュ、あるいは、スマートフォンで、リアル世界政治金融経済圏と、仮想空間世界政治金融経済圏と、パーソナル世界政治金融経済圏を、パーソナル・リアルタイムMIX/REMIXしてゆく、そして、世界政治金融経済圏は、情報通信革命ユビキタス時代でもある。ダイナミックでスタティックな世界像Graphical User Interfaceでは、情報の意志の最適化、インフォメーション・テクノロジーによる、パーソナル・コンピューター・メディアで、パーソナル人間の勝利を宣言する。

    大城義和拝

    タイトル
    パーソナル・コンピューター・メディア
  28. 齊藤利之
    2011-11-27 13:08

    会員の齊藤です。
    朝日新聞の朝刊の一面トップを見て、爆笑しました。
    やっぱり行ってないんじゃないか。馬鹿馬鹿しい。

    —–(転載貼り付けはじめ)—–

    現在位置:asahi.comニュースサイエンス記事2011年11月27日3時4分印刷

    月面着陸地点は「米の財産」 NASAが立ち入り禁止案

    NASAが「遺産」に指定しようとしている月面に残してきた米国旗=NASA提供

    NASAが「遺産」に指定しようとしている月面に残してきた月探査車=NASA提供

    NASAが「遺産」に指定しようとしている月面に残してきた宇宙飛行士の靴跡=NASA提供

     人類が初めて月に降り立った米アポロ計画での着陸地点を「歴史的遺産」として立ち入り禁止にする指針を米航空宇宙局(NASA)が検討していることがわかった。国連の宇宙条約はどの国も自由に宇宙空間に立ち入りできるとしている。月面での活動や土地利用の国際ルールはなく、議論を呼ぶ動きだ。

     米国は月の有人探査計画を中止したものの中国やインドが進めているほか、民間の探査計画も出ていることが背景にある。NASAは着陸地点や月面に残した機器類が近い将来、壊される恐れがあるとして「米国の財産」保護のためだという。朝日新聞に対し「指針に法的な拘束力はない」と説明するが、月での活動を制限する先例になる可能性がある。

     アポロ計画では、1969~72年に計6回、宇宙飛行士を乗せた宇宙船が月に着陸した。それ以降、人類は月に行っていない。朝日新聞が入手した指針案では、着陸地点や月面の機器類を「歴史的・科学的にかけがえのない遺産」と位置づけている。

     なかでも最初のアポロ11号(69年)と最後となった17号(72年)の着陸地点は価値が高いと判断。それぞれ半径2キロ以内の上空を飛行禁止とした。月面でも着陸時に活動した範囲を含む半径75メートル(11号)、225メートル(17号)以内の立ち入りを禁じる。

     さらに研究目的などでNASAと事前協議をした場合を除き、月面の機器類について、汚染を避けるため接触を禁じる。対象には月探査車や宇宙船の離着陸に使った台座など大型機器から、米国旗、衣類、食品、排泄(はいせつ)物まで含まれる。

    —–(転載貼り付け終わり)—–

    齊藤利之

    タイトル
    行っていない事が、更に明らかになりました。
  29. 横澤
    2010-12-20 16:30

     副島氏の『人類の月面着陸は無かったろう論』はその通りだと思います。私はこの11月にヒューストンのジョンソン宇宙センターへ行き、レベル9ツアー(施設の5つくらいを五時間かけて回る)に参加してきました。そこにはアポロ11号当時の管制室やサターンVロケットが展示されています。また、月着陸船とアポロ11号の先端部分は、ワシントンDCのNational Air and Space Museum に展示されていました。これらの感想は「地球の歩き方」サイトで、ヒューストンを検索すれば見られます。
     それにしても、上記の本の表紙の写真、不思議ですね。月面は水も空気もないのに、サラサラ、しっとり粒子の細かな砂の上にクッキリと足跡が残るのですから。しかも足跡はたくさんつくはずなのにこの写真一枚しかないみたいです。

    タイトル
    ヒューストンへ行ってきました
  30. 横澤善秋
    2010-12-20 15:55

    ヒトは海で泳いだり潜ったりして進化したのです
    ~『日経サイエンス』2010年5月号「なぜヒトだけ無毛になったのか」への反論~

      定期購読している『日経サイエンス』に、ペンシルバニア州立大学のジャブロンスキーという人が書いた、副題にある「論文」が載った。巻末に「掲載ご希望の原稿は・・・メールで」とあったので、私はさっそくこの論文への反論を書いてメールで送った。ところが数日後に届いたメールでは「当社では原稿を募集しておりません。云々」とあった。
     現在「ヒトの進化はサバンナで起こった」という説が一般的であるが、「ヒトは海で進化した」(アクア説)という説もある。後者はオックスフォード大学の海洋学者、サー・アリスター・ハーディによって一九六〇年に発表された。その短い論文は当時の学会で見向きもされなかったようだ。その後オックスフォード大学出身の劇作家でウーマンリブ闘士?、エレイン・モーガンが『女の由来』、『人は海辺で進化した』などでハーディの説を積極的に展開した。これらはベストセラーになってアクア説は一気に広まった。しかし学者の間では依然としてこの説は無視され続けている。私はかなり前から進化論に興味を持ちいろいろ読んできたが、アクア説を支持している。
     さてこの『日経サイエンス』に載った「論文」であるが、サバンナ説に立っているためにその特徴をいかんなく発揮している。すなわち、①自分の説を展開する上でまずいと思われる最近の研究成果は無視する。②説明できないことには踏み込まない。あるいは気づかないふりをする。③アクア説にはヒステリックに反応するがケチをつけれる枝葉の部分にだけ少し噛み付いてサッと逃げる等々である。
     プロの将棋差しが、①最近の棋譜を研究していない②相手の作戦に構わず、ひたすら自分の駒組みをする③しかも始末の悪いことに、とっくに必死がかかり詰んでいるのに負けを認めないのである。
     このような作文が論文と呼べるかどうかはともかく、私は以下のような反論を試みたわけである。

     一、「ヒトへ進化した」と言っている年代がちがう
     この5月号の文章の要点は以下のことに尽きると思います。
     300万年前の寒冷期で森林がサバンナへ変わった。その結果ヒトの祖先は森でのんびりとした生活からサバンナを常に長距離移動する生活になった。そして食料や水を求めて長い距離を旅しなければならなくなり、体温が上がりすぎないようにするための適応として汗かきになり毛皮を失った。さらに、260万年前には武器による狩猟も始まり体型も変わった。
     つまり、ヒトがチンパンジーとの共通の祖先から分かれたのは、300万年前以降と読みとれます。
     しかしアウストラロピテクス・アファレンシスは360万年前には直立二足歩行していたことは明かですし、600万年前のオロリンの大腿骨化石、700万年前のサヘラントロプスの歯の化石もすでにヒト的な特徴を示しているのです。(『別冊日経サイエンス』人間性の進化)
     つまり類人猿のヒト化への物語は、寒冷化する300万年前以前から始まっているのです。さらにサバンナはヒトが食料を求める環境としては過酷すぎて、そこを移動しながら生活したとは私にはとても思われません。
     今日ヒトの化石が発掘されているところは、アフリカ北部のアファール地方やツルカナ湖、オルドヴァイ峡谷さらにチャド湖の岸辺だったりと、すべて大地溝帯の川のほとりか大きな湖に面したところです。サバンナを長距離移動していたという証拠はないし、実際問題として、まだ家や武器を作る技術もなく、火も使わないようなヒトの祖先がサバンナで暮らしていたとは思われません。ヒトの祖先がサバンナを長距離移動していたと考えるなら、ラクダやヌーなど長距離を移動する動物が裸にならなかった理由も証明する必要があると思います。
     さらにこの文章では意図的に抜かしていることがあります。それは、①ヒトは体毛を失ったと同時に、厚い皮下脂肪を持っているということ。②大量の汗を流すと同時に尿や涙で大量の水分を排出するということ。しかもそれらが塩分を含んでいて、そのためには大量の水と塩分を摂取しなければならないということ。③ヒトだけが移動する手段として直立二足歩行をし、しかも600~360万年前ころには完成していたということです。
     これらを説明するためには、サバンナで進化したと考えるには無理があります。ヒトはサバンナへ武器を携えて進出する前に、水辺や海で進化したと考えればスッキリ説明できます。
     二、ヒトは体毛を失うと同時に皮下脂肪を発達させた
     筆者も書いているように、体毛を失うということは紫外線や他の動物の攻撃などで傷つきやすいなど、草原で狩猟採集生活を営むのには極めて不利です。また犬や猫は傷を負って血を流したとしても、間もなく傷口が塞がるようです。ヒトは体毛がないため傷をつけやすいばかりでなく、皮膚にくっついた皮下脂肪があるため傷が塞がらず治りづらいのです。しかもアフリカのサバンナという環境は寒暖の差が激しくて、夜間はかなり冷え込みます。体毛は日中の直射日光と同時に夜間の寒さからも身を守ってくれます。ヒトと同じくジャングルから追われたサバンナモンキーのように、体毛を失わない方が生活にとってずっと有利です。
     ヒトが体毛を失ったことを論ずるのであれば、同じ環境で暮らしている他の哺乳動物はなぜ失っていないのか、なぜヒトだけが皮下脂肪を持っているのかを説明しなければなりません。皮下脂肪はクジラやアザラシなど水生動物は共通に持っています。また、サバンナで生活する哺乳動物ではゾウ、カバ、サイが体毛を失っています。これらも元々水生動物だったのです。
     三、ヒトは大量の水分と塩分を摂取し、排泄する
     ヒトは汗を冷却装置としていることは否定しません。しかし大量に流すのは汗だけではありません。ヒトは尿や湿った大便さらに涙として大量の塩分を含んだ水を排泄します。これらの水分と塩分を補うために、ヒトは頻繁に「ワニと攻撃的なカバ」がいる水辺へ近づき、さらに頻繁に塩を舐めなければなりません。人間は穀物・肉・野菜等の食事をするたびに塩分や水分を必ず摂取しています。
     つまりサバンナで暮らして汗を流すということは、体温調節に役立つ以上に生命維持にとって極めて危険なことなのです。なぜ他の霊長類のように体内で水を大切に保つような仕組みをやめて、水分を浪費する体へ進化したのでしょうか。サバンナは日本のように川がいたるところにあるわけではありませんし、ラクダや馬のようにヒトは一度に大量の水を飲むことはできません。
     ヒトは大昔進化の過程において大量の水と塩分を摂取できる環境で暮らしていて、余分な塩分を排出するために大量の真水を飲み、汗や涙・尿として排泄する仕組みを作ったのです。
     なお、ヒトだけがエクリン腺を発達させたなど、汗の問題については筆者が嫌うエレイン・モーガンが20年以上も前に詳しく書いています。彼女は当時の学者の研究論文を読みあさり、結論づけています。このジャブロンスキーという「学者」は、20年以上前にモーガンが読んだ論文も読んでいないのでしょうか。
     四、霊長類の中でヒトだけが直立二足歩行になった
     「長距離を移動するために」なぜヒトだけが直立二足歩行へ進化したのでしょうか。ヒトが無毛になったという以前にルーシーやラエトリの足跡化石からして、このことを真っ先に解明しなければなりません。この文章では長距離を移動するようになると自然に直立二足歩行になったかのように、ぼやかしてごまかしています。
     二足歩行は四足歩行に比べて不安定すぎるし、走るスピードもサバンナで暮らしているどんな草食動物や肉食動物にも負けるでしょう。たとえばウサギでも危険を見極めるために二本足で立って周囲を見回すことがありますが、そのあとはすぐに四本足で走ります。チンパンジーも二本足で立つことがあっても、危険を感じると四本足で逃げます。ゴリラも川を渡るときには二本足になったとしても、渡ってしまえば四本足になります。(『直立歩行』クレイグ・スタンフォード)つまり長距離移動のためなら四つ足のほうが断然有利なのです。
     また、机もベッドも四本足に決まっています。重いものを乗せてもひっくり返ることはありません。四足動物は四本の脚を背骨で繋いで、背骨から重い内蔵をぶら下げているのです。陸上生活する体としてはもっとも理にかなっているのです。
     チンパンジーやゴリラの二足歩行からヒトの二足歩行まで、いったいどれだけ練習しなければならないのでしょう。ヨロヨロバタンを数万年、数百世代繰り返してようやく身につけたのでしょうか。しかもこの筆者は水辺にはワニがいて危険だけれども、サバンナは全然危険でないように思っているようです。ケニアのモンバサからナイロビまでの鉄道は、別名「人食い鉄道」と呼ばれています。工事中に毎晩労働者の前にライオンが出現し多くの人たちが犠牲になったからです。
     チンパンジーやゴリラが餌を見せられ訓練して二足歩行するのと、ヒトの直立二足歩行とは全然違うのです。あるいはたまたまゴリラが川を渡るとき二本足で歩いたとか、他を威嚇するとき二本足で立ち上がったとかと、ヒトの直立二足歩行とは決定的に違うのです。なぜならヒトの股関節と膝関節は百八十度一直線に伸びています。背骨はゆるいS字型になっていて骨盤や足の形も違います。また四つ足で歩く能力や木にスルスル登ったり腕渡りする能力も失っています。四つ足でハイハイするヒトの赤ちゃんですら、チンパンジーのようなナックルウォーキングはしません。
     ストレートが得意な投手が、フォークボールを練習するうちに肝心のストレートを投げられなくなったのです。そういう投手は一軍のマウンドに立つ前に、二軍でガンガン打たれて消えていくのと同様、ヒトはサバンナで二足歩行選手としては決してデビューできなかったでしょう。つまり人は、ときどき二足歩行はするけれど四足歩行の類人猿たちとは、進化の過程においてまったく違う環境で暮らしていたと考えなければなりません。
     五、エレイン・モーガンの限界
     私はエレイン・モーガンにも限界があると思っています。彼女は汗や涙や体毛の問題を当時の研究論文を参照して詳しく論じていますが、直立二足歩行に関してはテングザルの類推で浅瀬を歩き回って餌を探しているうちに獲得したように書いています。しかしこれならば浅瀬から上がるとまた四足歩行にもどってしまうと思います。
     私は日中の大半を海で泳ぎ、潜るという生活をしていたのではないかと思います。たいていの水生動物(魚やペンギンやアザラシ、トドなど)は、泳いだり潜ったりするとき頭から足あるいはしっぽまでを一直線にしています。
     アザラシやトドの祖先は平地を四足歩行していた動物です。しかしヒトの祖先は元々樹上で暮らしており、そのためにグルグル百八十度回せる腕と、前にも後ろへも広げられる脚と、木の枝をつかめる平べったい手のひらと足を持っていました。
     アフリカ大陸では約一千万年前に地殻変動が起こり、大地溝帯が形成され始めました。その結果、大地溝帯の東側では熱帯雨林がしだい後退し、ジャングルに棲んでいたヒトの祖先(プロコンスル)はそこから追われたのです。多くが絶滅したのでしょうが、幸運なグループが海辺(アフリカ北部アファール地方)へたどり着き、そこが地殻変動で島として取り残されたのです。そして彼らは食料を求めて海辺で貝や小魚をあさる生活を始めたのです。その場合二足歩行する方がより深いところまで餌を探せますし、手は貝を探りつかむのに適していました。しだいに深くまで歩き回り、泳ぐこと、さらに潜ることを覚えたのです。その方が効率よく食料を得られるからです。
     つまり腕と手のひらで水を掻き、脚と足はバタ足やカエルのように使って水を蹴ることによって泳ぐことを覚えたのです。海での生活を数千年数万年続けていくうちに、身体的にもそれに適したものへ変わっていったのです。体毛を失って皮下脂肪を付けたこと、足の親指が他の四本とくっついたこと、長い脚、柔軟な背骨、水中でも上下左右を間違わない方向感覚、自由に呼吸を止めること、鼻の形などです。
     ブルック・シールズ主演の『青い珊瑚礁』という映画では生まれたばかりの子供が、海の中で両目を開けて楽しそうに潜っています。人間は生まれたばかりのころ、平気で水に潜ったり泳いだりできるのです。
     私は直立二足歩行の謎に関する文はけっこう読んでいます。しかしサバンナあるいは疎林で直立二足歩行を獲得したという文では、どれも納得できるものがありません。学者の間でも定説はまだないと思います。さらに汗や涙や体毛、犬歯の喪失、木登りや四足歩行ができないなどを説明した文には出会ったことはありません。ヒトの祖先が武器を持って狩りを始める以前に何を食べていたのかという問題もそうです。屍肉とか腐肉とかでしょうか。ハイエナとかハゲタカと競ってこれらを手に入れるのはすごく危険だと思いますし、たとえそうであっても犬歯の喪失は説明できなくなってしまいます。
     ヒトはサバンナへ進出する以前に、海で比較的安全に貝や蟹や小魚あるいは海草や水辺の植物を食べて過ごしていたのです。こう考えることによって初めて、体毛の喪失、犬歯の喪失、大量の真水を飲み塩分を排泄するために大量の汗や尿を出す、呼吸を自在に止められやがて音声言語を操れるようになったこと、そして直立二足歩行に適した様々な身体的特徴を獲得していったことを説明できます。また貝やウニを食べるために石や棒を道具として使うことも自然に覚えたのです。
     ときどきモーガンに対する批判を読むことがありますが、それらはきちんと彼女の文を読んでいません。ウェゲナーの大陸移動説に対する当時の学者達の反応と同じです。
     なおこれらの私の説は、拙著『ミッシング・リンク~失われた環』(文芸社刊)に書きましたのでぜひご一読下さい。また、栗本慎一郎氏が『パンツを脱いだサル』(現代書館)の中で展開しています。
     ヒトの祖先はサバンナあるいは疎林で直立二足歩行をマスターしたとお考えでしたら、前述したヒトの特徴の全面的な説明を試みて下さい。あるいはそのようなことを書いてある論文を探してみて下さい。 
     

    タイトル
    日経サイエンス五月号掲載論文への反論