だからあんたはもう書くな!

相田英男 投稿日:2020/10/13 23:20

相田です。

 何だか、しょうもない駄文を繰り返して、ネットに挙げる老人が居られる。前回の投稿は、珍しくわかりやすい文章だと感心した。が、今回はいつもの何だかわからない「村上節」に戻っている。普通の一般人が、下の文章を読んで、何を書いているかを、すらすら理解できるものかね?わざとわかりにくい、御(ご)格調が御(お)高め気味の、内容がとてもありそうでありながら、その実は全く無い文章としか、私には思えない。ちなみにこれは、日本を代表する元科学史家の論考を私が期待しての感想であり、その辺の素人文筆家であれば、この程度で許されるであろうが。

 今更ながら村上は、現状の学術会議の体制について批判している。が、学術会議がこのようになった経緯と、その発足当時には高い理想を目指す科学者の中心組織であった事実は、あなたもよく知っているだろう?広重徹の「科学の社会史」を読めば明白だ。あなたも当然読んだであろう?。私にはあの本は、そのようにしか読めなかった。その高い理想が、どのようにして崩れたかを、検証して記述する事が、あなた、もしくはあなたの弟子達の責務ではないのか?

 再度ここに書くが、学術会議を批判するなら、何で「科学の社会史」を引用して、それに則ってから、論考しないのか?あなたは、広重の仕事を、意図的に無視しようとする姿勢が見え見えだ。とてもではないが、科学史家の態度では無いよ。

 駄文を重ねる程、自分の立場が惨めになる事を、早く自覚した方が、よろしいかと私は思う。

(引用始め)

続・学術会議問題 手続きの合理性と学問の自由は別次元にある

2020.10.13 WirelessWire Weekly,
村上陽一郎

 拙論(学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?)に対して、ご賛同、ご批判を多くいただいたようです。私の論点は、現政権の今回の措置への援護と受け取られた方もあったようですが、趣旨はそうではありません。注意深く書いたつもりだったのですが、何分にも急いで書きましたので、誤解が生じた向きもあったので、多少の補足をしておきます。

 学者の団体として歴史を辿れば、イギリスの王立協会、フランスのアカデミー・デ・シアンスなど、海外にも古くから類例が多々あります。最古の一つといわれるイギリスの場合、ロイヤル・チャーター(「勅許」とでも訳せばよいのでしょうか)によって成立しましたが、一応、独立の機関として発足しました。しかしフランスの場合は、王室からの支援を得て、現在では国立となっています。ロシア(ソ連邦の時代も)でも国立であることに変わりはありません。日本でも、日本学士院は完全に文部科学省管轄の国立機関です。自然科学にある程度限定すれば、英国科学振興協会(BAAS)やそのアメリカ版(AAAS)の方が、類似の団体と思われるかもしれません。

 しかし、そもそも様々な分野の学者が、国家規模で集まろうという意図を持つものでしょうか。学者・研究者の間に、そのようなインセンティヴは一般に希薄なのです。政治的な権力や強力な支援組織がイニシアティヴを取る、あるいは、その機関に所属することが学者としての高い名誉の保証となる、さらには、団結して国民全体に学問の重要性を訴えなければならない差し迫った事情がある、といったことでもなければ、学者・研究者はそうした活動に身を捧げようとはしないのが普通です。

 いろいろな事情でそうした機関が必要と考えた国家が介入する形で、機関を設定するのが、結果的に最も自然な形になります。ただし、専門学会は別です。専門を同じくする研究者が、科学者共同体を作るのはそれも自然なことで、そこで行われる研究活動の内容に、国家や政府が干渉すれば、それこそ「学問の自由」が問題になります。

 戦後の一時期の日本学術会議は、ある政党のヘゲモニー下にあった、ということは前稿で書きました。そこでは、そのイデオロギーの影響下の外にあるような学者の中には、立候補しても組織票で落選させられたり、推薦されなかったというような事態もありました。今の輿論風にいえば、そこでも「学問の自由」はなかったことになります。

 いや、そんなことをいえば、それこそ学問の殿堂であるはずの大学においてさえ、人事委員会の推薦候補が、教授会において特定の政党勢力の組織票で、「拒否」(現在の新聞用語です)された事例もありました。政治的思惑が学問の世界に介入するのは、決して稀なことではないのです。

 ただ、形式的にいえば、現在の学術会議の場合は、首相がいみじくも述べたといわれるように、予算を出し運営の支援をしているのは「国家」である、という事実は曲げられないのです。そして、その運営する機関に、誰を招きいれるか否か、という話です。戦前の一時期の日本のように、特定の思想を持つ人々を投獄、処刑したり、かつてのソ連圏のように、政権のイデオロギーに反対する学者を、投獄し処刑した、などという話とは、まったく次元の違う話です。今日の小事は明日の大事だ、という方もおられるかもしれませんが、次元の違う事柄が、繋がるはずもありません。

 個人的な「感想」をいえば、今回の推薦された候補者の中から政権が任命を見送る方々を選んだことに全面的に賛同しているわけではありません。私見をいえば、個々の方々のお仕事に関する私の無知もあるかもしれませんが、その決定を訝しく思う方が先に立ちます。何故この方が、との思いもあります。しかし、そのことと政権が推薦候補者の一部を見送ったことの合理性とは別の問題であり、「学問の自由」云々の問題に抵触することには全くならない、という点は確認しておきたいのです。

(引用終わり)

 相田です。一般の下等庶民には、さっぱり理解できない「村上節」が炸裂している。難文だ。東大の国語の入試問題に使うのには、丁度いいのかもしれないが。一応述べるが、以上の文中での村上の問いかけの、ほぼ全ての解答は、広重の「科学の社会史」を読めば、誰もがはっきりとわかる。解答が明記されているのだ。今更、ツラツラと意味あり気に書き連ねる必然性は、科学史的には全く無意味だ。

 中山茂、吉岡斉(よしおかひとし)、その他の、学術会議創世期の事情を研究した科学史家は、ほとんど亡くなってしまった。何を書こうが、今さら誰も責める者などいなくなった、シメシメ、などと、世間を舐めるのも大概にしてもらいたい。

 自分の立場を意図的に曖昧にしたままで、安全な処に逃げられると思わない方が良い。

 本来なら今回の問題について、解析と解決方法の提案について、最も責務を負うべき人物の一人が、このような軽々しい、ネトウヨレベルの文章しか書けない現実に対し、私は激しい憤りを感じる。村上の弟子筋の科学史家連中は、猛省すべきであろう。

相田英男 拝