第4章 理不尽すぎる審判(その5)

相田英男 投稿日:2016/04/21 23:24

相田です。第4章の5回目で、これで最後です。

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4.7 オセロの駒にされた原研労組

さて、午後からは質問者が社会党の原茂議員に交代して質疑が再開される。しかし、午前中の森山の質疑があまりに面白すぎるため、これ以降の委員会でのやり取りを読み進むにつれて、かったるさを感じるのは止むをえない。とりあえず、原議員の菊池への最初の質問から引用する。

―引用始め―

 最初に、菊池理事長さん、森田副理事長さんにお伺いをしたいと思います。(中略)先ほど森山委員が質問をなさいました中に、二、三これはおかしいのじゃないかなという考えを持ちましたので、これを先に解明をしていきたい。

 第一には、先ほど、六十六回ストライキがあった、森山さんの意見によると、労働組合がすこぶる不逞である、ためにストライキが何回も頻発したのだというような趣旨で、組合の側に対する質問があったようです。私は実は、もし労使間に紛争が起きるとすれば、むしろこれは経営の側のほうにおもな責任がある、六十六回ストが起きたということは、理事着各位のほうにこれを紛争なしに解決するだけの手腕とか、あるいは経綸とか、そういう意味の、情熱といいますか、そういうものに欠けるものがあった。(中略)いずれにしましても、労働組合の側にのみストライキというものの責任を負わせた考え方というものは、非常に間違いじゃないかと思うのです。この点、理事長さんにひとつお答えをいただきたいと思うのです。(中略)

(菊池参考人) おっしゃいましたとおりに、この問題が組合だけの責任であるというふうに私は考えておりません。いろいろな原子力の開発体制をめぐる客観的な問題、それから理事者側の経営のやり方、それから一方には、組合の態度――態度と申しますか、姿勢と申しますか、どういう考え方であるかという、そのいろいろなものがまじり合ってそういう問題になりましたので、これのすべてが組合の責任であるというふうに私は決して考えておりません。

(原(茂)委員) 私はもう少し、すべてがおもにやはり理事者の側の負うべき責任が多い、紛争が頻発するということに関してはそのように考えております。そう理事長さんにお答えをいただこうというわけではありませんが、まずそういう意味の立場だけ明快にしておきたいと思うのです。

―引用終り―

相田です。説明からわかるように、原議員は森山とは真逆の労組側の肩を持つ立場から質問を行っている。しかし、最終的な問題の責任を理事者に負わせる方針は、森山と同じであることに注目されたい。森山と原議員は、菊池に全ての責任を押し付けることで、お互いの立場の正当化を図っている。原議員は森山の話について「二、三これはおかしいのじゃないかな」などと疑問を呈しつつも、結論は同じなのである。全くもって腹立たしい限りである。

その後しばらく原議員は、労働法規課長の青木氏を呼んで、原研労組の振舞いが労組法上の不当労働行為にあたるのか否か、という内容について、延々と議論を行っている。労組側の不満もそれなりの理由があるのだから、杓子定規に労組法を当て嵌めなくてもよいだろう、ということである。森山にやり込められた原研労組の印象を少しでも挽回しようとする、原議員の親心的な対応であるのだが、このあたりはどうにも言い訳がましいという印象を拭えない。

さて、かったるくも腹立たしい原議員の質疑ではあるが、その中でも菊池との間で見逃せないやり取りがいくつかある。例えば以下の箇所である。

―引用始め―

(原(茂)委員)二月の上旬か何か知りませんが、おそらく理事長さんの名前か何かで、大臣(佐藤栄作科技庁長官)に対して、新しい原子力研究所の体制としてこういうふうに組織分化を行なうべきだ、部局の機構の新しいつくり方をすべきであるというようなことを何か答申されたことがあると思うのです。(中略)そのとき大臣からどう答えられて、あるいはその大臣からの意向が原子力局に伝わって、あなた方の出された意見というものがどういうふうに結末がついたのかということを、ここで第一点としてお伺いしたい。

次に、(「原研調査項目」の)下から六、七行め、「原研の理事者は経営を委任されているとはいえ、その権限は非常に幅の狭い分野に限定されており、労働組合に対しても、殆んど実体的な交渉を不可能にしているきらいがある」くしくも午前中の論議のせんじ詰めた形を忌憚なく理事者各位は反省をされて、私たちには力がないのだ、問題はどこにあるのだろうということをお考えだろうと思います。なぜ一体こんなことが堂々と――「調査項目」に正直にお書きになったからよろしいのですが、書かざるを得ないような状況になったのか。(中略)この二つを先に……。

(菊池参考人) まず第一番目の、佐藤大臣にこちらから答申をいたしましたのは、原研内部の機構の問題でございまして、国全体としての機構の問題ではございません。それから、ここにございます原子力委員会を行政機関にしたほうがいいとかどうとかいう意見は、ここに意見として出しましたけれども、とうていわれわれの及ぶ範囲ではない。これは私個人この文章については責任を持ちますけれども、個人的な考えとしてここに述べたものでございます。これを実現するということは、とても私などのできるととじゃない。これは議会その他を通じて原子力委員会設置の法律そのものから変えてかからなければできない仕事だと思いますので、これをどう実現するかということは非常にむずかしい問題であるけれども、われわれとしてはそう考えるという意味でございます。

それから、いま最後の、幅が狭いということ、これは事実でございまして、これは準政府機関として国の税金を使う機関がことごとくそうであると同じような意味で非常に狭い幅を持っております。それは確かに、一方、組合が全く民間の企業と同じ形態の労働法によって守られているという面に対して、こういうことのいい悪いは別として、国民の税金で成り立っている準政府機関共通に持っている問題だと思います。(中略)これはすぐどうしなければいけないとか悪いとかいうことを言うよりも、むしろ事実を言っているわけなんです。

たとえばベースアップ問題にしましても、国民の税金でやっております以上、国全体としての公務員に準じたベースアップ以上の大幅のベースアップをすべきではないと私どもも思っております。そういう意味で、そういう機関の性質上からくるある意味の幅がそこに当然きめられていると思います。それは、一方に組合が持っている非常に広範な労働法によって守られているものと、対立と申しますか、何といいますか、そこに非常に問題が起こる可能性があるわけであります。

(原(茂)委員) いまのおことばの中に、労働組合は三法によって保護されている、だが私たちはと言って、(あなたは)それが具体的によく説明できなかったのです。しかし、理事者の側も、原研のいまの経営のやり方や運営のしかたを見ていますと、民間の企業だったらつぶれていますよ。六十六回もストライキを起こすような状態で、労働管理の面だけでも、人事管理の面だけでも、経営は満足に運営できなかった。あなた方はとんでもない大きな力で保護されている。その点は自信を持って、誇りを持っていいんじゃないでしょうか。(中略)

したがって、そういう点は組合だけが三法によって保護されているのではなくて、組合はぎりぎり、最小限度のところを、当然憲法に保障された範囲で三法による保障があるだけなんです。もっと大きな保障というものは理事者の側にある。いま、どういうふうにしたらいいかということは政府機関全体の問題なんで、どうしたらいいかわからない、こうおっしゃったのですが、そうじゃなくて、共通の問題であろうと、どんな問題であろうとかまいませんが、そういう実体的な交渉を不可能にしているという、その不可能にしているものは一体何だろうということを、一つでも二つでも実例をあげてお聞かせ願いたい。(中略)

(菊池参考人) たとえばベースアップに例をとりますと、ベースアップの幅というもの、つまり言いかえれば、組合の側としましても、われわれの置かれている立場というものを十分に了解してもらいたいということが一つございます。そういう一つの共通の地盤の上に立って事を論じませんと、ベースアップの問題にしても、あまりにも違った土俵の上で相撲をとっているようなかっこうになってしまう。そういう意味で、不可能になる、問題がむずかしくなるということを言っております。(中略)

(森田参考人) ベースアップにつきましては、われわれとしては常々よそよりよけいとろうという努力をいたしてまいりました。二、三年前に中央労働委員会にまで持っていって、そのときはわれわれは少なくともこのくらいは出していただきたいという意欲のもとにそれを出していったわけです。しかしながら、不幸にしてそれは通らなかったということと、科学技術庁関係では横の関係がだんだん密接になってまいって、原子力局が科学技術庁の中にあります関係上、科学技術庁関係は一応こういう基準でやるのだということで大蔵省と局との間でお話し合いがついているように思いますので、これはなかなかわれわれの力ではいまのところやり得ないのじゃないか。

それから、給与全体のことにつきましては、おっしゃるとおり、原研発足の当時は当然ほかよりよけい出すべきだという相当はなばなしいスタートをしたように私は承っております。その後、中曽根さんが長官のときに一二〇、一三〇というような大体の基準をお出しになりまして、それを守り抜こうとしてそのときも努力したわけでございますが、漸次これが縮小の傾向にあるということだけは、横との連絡上、これはいまのところ結果論的にはそういうことになってまいったわけです。

―引用終り―

相田です。ようやくここで原議員は、この日の本来の審議テーマである「原研調査項目」の内容について、質疑を始めている。但し森山の質問に比べて、原議員の話は全く面白くないので、ここでは大幅に割愛している。

さて、上の菊池の答弁の中での「原子力委員会を行政機関にした方がいい」という言葉に、私は注目する。これは要するに、原子力委員会の体制を行政権を有する3条機関に変更して、提案内容に強制力を持たせて欲しいという、菊池からの要望である。菊池が述べるように、これを実現するには法律から変える必要があるため、実現は難しいものの、研究機関の最高責任者として菊池は強く望む、ということである。原子力委員会が全然役に立っていないのが、結局は問題の核心なのだ、という不満を菊池は繰り返して述べていることが、ここでもはっきりと伺える。しかし原議員もまた、菊池が訴えた原子力委員会の体制の問題について、深く追求することはなかった。

原議員はここで菊池に、組合よりも原研の理事者側の方が政府による大きな保護を受けているのだ、だから、もっと理事者の方から具体的な解決策を模索して提案するべきなのだ、と主張している。しかし対して菊池は、ベースアップ問題を例にとり、その条件を原研理事者側が決めることは困難であるのだから、その立場を組合が理解してもらわないと、解決は困難だ、と回答した。要するに、お金の問題を解決する権限は、理事者には無いのだから、一体どうすれば良いのだ!?という、単刀直入の反論である。

森田副理事長も、「ベースアップ要求はこれまで行っているのだが、結局は科学技術庁と大蔵省の間の話合いで決められるのだから、如何ともし難い」と、重ねて説明している。これ以上の、どういった「具体的な解決策」を示せと、原議員は訴えるのだろうか?苦肉の策で、超過勤務手当を原研内の予算から工面して、全組合員に一律支給したものの、森山から「正常な労使慣行に反する」とバッサリ否定されてしまった。結局は外野の連中は、現場の窮状を冷ややかに見つめているだけでしか無いことが、よくわかるやり取りである。

その後も原議員からの、理事者側への責任追及は続くことになる。例えば以下のように「調査報告書」の記載に原議員はクレームを付ける。

―引用始め―

(原(茂)委員) その次に五六ページの下から三分の一ぐらいのところにありますね。いわゆる「労組活動の最終目標が経済闘争にあるのか、また、それとは異なった別の目標があるのか理解に苦しむ」とある。ほんとうにこういうふうにお考えになっているのか。(中略)違った目標というものは一体どういうところにあるのか。何を言おうとするのか。何ですか。
 
(森田参考人) これは読みようによっては非常に重大なことになりますので、私、実は東奔西走いたしておりまして、十分に私ども責任は持ちますが、読んでなかったのでございます。つまり組合活動というものは本来経済活動であるべきものだと思いますが、いままでのわれわれの組合の活動を見ておりますと、単に経済活動だけでなくて、つまり安全問題だとかいろいろ理屈に走るようなことが非常に多くて、経済活動のみでないということが言えるのではないかと思います。

(菊池参考人) これに書きましたことは、こういうことでございます。これは現在どこでもそうでございますが、原研の中にもいろいろな政治的な色彩がございます。そうしてそういった政治活動的な場がやはり原研の内部に持ち込まれている気配が十分にあるということを言っておるわけでございます。

(原(茂)委員) そうであるのでしたら、労働組合の存在理由というものは、経済的な目的を達成するために労働組合があるのですよ。その労働組合を現に認めて、理事者も相手にしているのですよ。それなのに、経済闘争に目標があるのかどうかわからないという、そんな前提に立って組合と話し合いしたら、話になりませんよ。

思想的な動きがあるとか、いわゆる政治的な動きだとか、違った目標があるとかということは、労働組合が、組合員というよりは働く者として、基本的にほんとうにそこから国全体の平和を脅かされたり何かしては話になりませんから、これは別途にやるのはあたりまえのことです。(中略)その問題をいろいろな形でやっていこうとしてもかまわない。

だからといって、それをやるからといって、何か経済闘争という目標を全然持っていない組合であるかのような思想を持っているから、労使の紛争は絶えないのです。こんなばかなことはない。経済的な目的というものを達成するための存在が組合なんだ。(中略)それを前提にして、労働組合とは相対するようにしなければいけないということであります。

(中略)そういう考え方は、そのこと自体が皆さん自身が自主性を持っていない。なぜ自主性を持たれないのか。(中略)こういう考え方がある限り、労働組合との話し合いというものは今後うまくいきません。

―引用終り―

相田です。原議員は「労組活動の最終目標が経済闘争にあるのか理解に苦しむ」とは、一体どういう意味なのだ、そんな偏見を持つことが、「理事者の自主性に欠ける」大きな要因なのだ、という批判を理事者側にむけている。ここにおいて森田副理事長が「私はそこは読んでいませんでした」という、苦しい言い訳をせざるを得なかったのが、残念ではあるが可笑しい。菊池はもはや細かな反論はせず、「そのような気配が原研の内部に持ち込まれているのは事実だ」と述べるだけであった。

原議員は「主目的は当然経済闘争にあるのだ、こんな馬鹿なことを理事者は考えるべきではない」と菊池達を責め立てるのだが、読みながら自分は「原子力潜水艦の寄港反対運動が、原研労組の経済闘争とどう関係するのか?」という疑問も、抱かざるを得ない。国会において報告書の細かな文言を追求するのも大事であろうが、もっと重要な問題もあるだろう。

理事者側に対して、厳しく責任を追求した原議員は、最後に労組側に対しても幾つかの説明を求めている。その中で争議(ストライキ)協定の問題が長引いた問題について、一柳氏は次のように回答した。

―引用始め―

争議協定の問題につきまして、これが長引いたのはなぜかというお話でございます。争議協定をめぐってごたごたいたしましたのは、最近二度ばかりあるわけでございます。一度は昨年の十一月でございます。十月の二十九日から始まったので、まあ十一月でございます。これは動力試験炉がまだ工事中でございまして、そこの施工者であるゼネラル・エレクトリックからの指令によって原子炉がとめられたわけでございます。そのときでございます。もう一度は、本年の二月の半ばから、これは新聞等の報道によりますと、原子力局あるいはその他から何かお話があってやったというふうに私は聞いておりますが、それによって原子炉がとまった、その二度でございます。

昨年の十一月のときには、これは御承知のように、後に訂正されましたけれども、日本人技術者のミスオペレーションの問題であるとか、そういうふうな問題に関するGEに対する理事者の主体性の問題であるとか、こういうふうな問題がひっからまりまして、それと、いまちょっと前におられますので少々あれなんですが、毎週週末になると理事者が東京に帰っておしまいになったというふうなことがありまして、長引いたわけでございます。

今回の二月の場合には、この争議協定の問題に関しまして、炉がとまる前に、それに先立ちまして労使間で非常に平和裏に話し合いをやっておったわけでございます。話し合おう、そういうことになっておりまして、やっておったわけなんでございますが、そこへ突然炉がとまっちゃった。せっかく話し合ってやろうというときに炉をとめて、その問題についてやろうというのは、これは一種の所のほうのストライキみたいなものでございまして、しかもそういう行為というものが、交渉等によって聞くところによりますと、あるいは新聞報道等によりますと、理事者の主体的な意思ではない、よそから何かやられたものらしいというふうなことで、話し合いの空気というものは非常にこわれたわけでございます。しかも時を同じくしまして、たまたまその前のJPDRの事件につきまして、労務の担当の理事の方が辞表を提出されたり、あるいは労務担当の理事がかわられたりした。ちょうどそれが同じ時期にきましたので、この間お休みみたいなことになりまして、早く片づかなかったというのが表面的な理由でございます。

―引用終り―

相田です。昨年11月の問題というのはJPDRの運転開始の話で、これについては第3章で触れた通りである。年明けの2月においては一柳氏によると、当初は平和裏に話合いが持たれていたものが、突然に大型炉が止められ、労務担当理事も辞任、交代するという、非常に雰囲気を壊す行為が、理事者側から一方的に行われたという。これらの理事者側の態度の急変は、自らの考えではなく、外部からの圧力によると、組合側はみなしているという。一柳氏のここの指摘は非常に重要で、自民党議員達によるテコ入れが原研に行われた事実を裏付けるものと考えられる。

但し一柳氏が、11月の問題の際に交渉が長引いた理由を、週末になると理事者が東京に帰ってしまうかからだ、と無責任な説明をしている事はいただけない。菊池が東京に帰ってしまうので話が纏まらないとは、何という言い草であろうか。ならば、菊池が東海村にずっといたならば、話が付いたとでもいうのだろうか?

続いて、菊池がこだわっていたストライキの事前予告時間について、一柳氏は次のように語った。

―引用始め―

 それから、二十四時間の意味であります。二十四時間の意味という点に関しましては、団体交渉の席上でも問題となったところでございますが、別にこれは安全性ということとは関係はございません。つまり、炉をとめるのに何分である、それからそれを連絡するのに何分である、そういうふうに積み上げた値ではないのでございます。現にJRR2という原子炉は、三千キロワットで運転しておるときに一分でとまります。それからその後、炉心の熱除去のためには、ポンプを一ないし二時間回しておればよいということでございます。それからJRR3、国産一号炉という原子炉は、一千キロワットの運転時に自動制御計によってとめますが、それには大体三分で出力を下げ、次の一分で化学反応は停止する。それから後三十分ばかり炉心の熱除去をやるということになっております。それから、動力試験炉JPDRに関しましては、さきの争議協定期間中に一度とめたことがございますが、そのときには大体二時間ぐらいでとまったという実績がございます。

 それから、三十分前予告のストライキのお話がございました。これは昨年の十月の二十五日に行なわれましたベースアップの第一波の争議のことであると考えます。この日は午後二時にストライキの実施を所側に通告いたしまして、現場において直ちに保安要員の交渉に入ったわけでございます。交渉成立後、炉がとまってからストライキに入るということにいたしまして、所側の手で炉の停止が行なわれております。それで二時三十九分に完全に停止いたしましたので、二時四十分から保安要員を残して退出したということになっておりますので、これは安全上は何ら問題はない、こういうふうに考えております。

―引用終り―

相田です。ここでの一柳氏の説明は、12月の委員会で小林議員が島村武久に述べた内容から、全く変わっていない。スト開始前の24時間の猶予時間には安全上の意味は無い、そして実験炉(JRR-3)へのスト開始30分前予告でも、炉は安全に停止したので、何も問題など無かったのだ、と一柳氏は明言した。菊池が最も懸念を表明していた問題に対して、労組はここに至っても、対立する姿勢を変えるそぶりを見せなかった。このような労組の対応に、菊池は大きな落胆と失望を抱いたことであろう。2月19日の委員会での説明で菊池が労組をかばったことが、菊池が辞表を出すに至った最大の要因の一つと推測されるにも係らず、組合からのこの冷酷ともいえる菊池への仕打ちである。菊池がやる気を失った理由の一つが、この頑なな労組の姿勢にあったことは否定できないと、私には思える。

今現在も日本原子力開発機構の中の原研労組(旧名称のままで存在する)に所属する方々が、この日の一柳氏の話の内容をどのように考えるか、自分は機会があれば是非とも聞いてみたいと 望んでいる。

一柳氏は最後に、勤務時間中の組合活動の状況について、以下のように述べた。

―引用始め―

それから、私どもの労働組合の活動につきまして、朝から晩まで何かかってにやっておるような印象を与えるということでございます。その点につきましては、私どもといたしましてはそういうことはないのでありまして、先ほど労働省のほうからも、大会等まで金を出すのはおかしいというお話がございましたが、私どもの大会は全部賃金カットされております。それから、職場大会、分会その他はいずれも時間外に行なっております。ただ、先ほどから申しておりますように、交渉事項が非常に多い。たくさんある。現在労使間でペンディングになっておる問題が二十ばかりあるかと思いますが、非常に多い。だから、しようがない、毎日一生懸命詰めてやっておる。その準備等のために執行委員のうちのある部分はずっと仕事をしなければならない。そういう状況でありまして、大会その他一般組合員の活動につきましては、全く賃金カットされております。全く正常に行なわれておる、そういうふうに考えております。

―引用終り―

相田です。ここまでの一柳氏の話を聞いていた森山が、こらえきれずに議長に発言を求めた。

―引用始め―

(森山委員) 一つは組合のほうから、賃金カットをしているとかしていないとかいう具体的なお話があったのですが、勤務時間中の組合活動については、三十三年十月三十一日案、三十六年八月一日案、三十六年十一月一日案、三十七年十二月二十八日案、三十八年四月二十二日案、それからことしに入っての三十九年一月三十日案と、何回も案を出して、まとまっておらなかったことは御承知のとおり。そして一番最近のものは三十九年の一月三十日案でございます。

 それで、ことしの一月の案と去年の四月の案の差はどういうことかと申しますと、総会は年二回やる。要するにこういう問題について、回数の規定もなければ、どのくらいの時間そういうことを時間内にやることについて認めるかということについても規定がなかったから、おそらくきめようとしたのだろうと思います。それによると、総会は年二回やって、一回の時間が九時から十七時半までの必要時間、これはカットすると書いてあります。ただし年次有給休暇の請求があればこれを認める、この場合にはカットしない、こういうことです。これは年次有給休暇という意味でカットしないのですから、これは当然のことです。

それから大会というのがあって、これが四月の案では年十二回ということで理事者側が提案した。今度はことしの一月には八回に減らして、一回の時間は四時間、スト権が集約されている時間を除きこれはカットしないということになっております。それから評議員会は、四月の案では年十二回、一月の案では八回に減らしております。一回の時間は四時間以内、これはカットしないということになっておるのであります。だから、いままでもこれはもちろんカットしていない。大会でも評議員会でも、回数も無制限、カットもしていない。大体理事者が十二回を八回に回数を減しただけで、カットしていないのです。

それから執行委員会の場合ですが、月に六回、これが去年の四月案です。本年の一月案は、週一回、一回の時間四時間以内、これもカットしないというふうになっておるわけです。そういうふうに、もう理事者側の提案すらも、これらの問題についてカットしないなんという驚くべき提案を本年の一月三十日までしてきた。したがって、ただ回数を十二回を八回に減らすというまことにだらしのない提案を経営者側がしている。だから、実情はやっていないのでしょう。こういうのは当然のことであって、それを組合委員長が言うといかにもカットしたような印象を与える。こういう種類のことはたくさんございますが、私は一々これを論駁いたしません。

もう先ほどの組合の委員長の話について納得できないことが多々あるわけでありますが、ここは論争の場でありませんから一々申し上げませんが、手元にありました資料について、理事者側の提案から推してこういうことであるのでしょうということを私は具体的に申し上げるわけでございます。

そこで、もう一つだけ。「原研調査項目」というのができておるのをきょうまで存じませんでしたが、原委員の御質疑で、理事者の裁量権に制約があることが労使紛争の根本原因だ、一体そうですかと詰め寄られたと思う。理事長はそれについて、「根本的原因であり」、という書き方について適当でない点をお認めになったようです。これは三六ページですが、五二ページに「原研の労使関係が不安定とされるものは、経営者に与えられた権限と経営の体制が、原研の体質の流動的な発展に追いつけない程固定されたものであること。」そのほか二項目をあげられておるわけです。

この問題は私は午前中に申し上げたことであって、確かに予算によって制約を受け、経営上の制約がなかなかあることは事実でございます。特に経理関係について。ところが、他方において組合は労働三法によって労働権はほぼ完全に保障された要求をすることができてくるわけだ。そこで非常に苦しいということは私どもはよくわかるわけだが、一体原研のいまの労使関係の不安定というものは、そういう制度上の問題であろうかどうかということになる。すなわち根本原因であるかどうかということになると、私はそうでないと今朝来申し上げておるのでございます。

労働問題というものに対する認識が全くない。その一例として超勤の手当の問題もあげ、それから時間内の組合運動の問題も野放し状態、それから労働協約一般の従来の取り扱いの問題も、大体組合運動のイロハがなっていないじゃないか。そういうことは予算上の制約とかなんとかいうことと関係がないことだ。そういうイロハができていない。

もう組合が特殊の性格の組合でありますから、これは私からそういうことを組合に言ってもしょうがありません。

しかし、この組合が悪いのは、これは管理者がぼやぼやしているからだ、管理者が認識不足だ、おざなりだ、親方日の丸で眠っているからこういうことになったのだ、それが根本原因なんじゃないですか。そういうことを私は午前中に申し上げた。そういう点お考えになられたから、理事長は、これを根本原因だというふうに、すなわち機構にその責任をおっつけるということにちゅうちょされたのではないか。私たち国民の税金によって立ち、国民から大きな期待と関心の目をもって見られているということに対する心がまえが足りなかった。労働問題とか労務管理というものに対する真摯な姿勢が正されていなかったということが根本問題じゃないかということを私は午前中に申し上げた。

そういう点を御考慮になって、根本問題、すなわち制度にその責任をすりかえるということをちゅうちょなさったのではないかと私は思うのですが、理事長、いかがでございましょうか。

(菊池参考人) 午前中御返事したとおりでございます。そういう意味で私、非常に責任を感じているということであります。

(森山委員) そういう心がまえの問題だということで……。

(菊池参考人) が大きな責任でございます。

―引用終り―

相田です。原議員の質問の間、労組ペースで進んでいたムードを盛り返すために、森山がここで割って入った。ここでの森山は、午前中に述べた就業時間内の不正な組合活動の話を繰り返しており、新しい内容を述べている訳ではない。一柳氏による「就業時間内で組合活動を行う際の賃金は全てカットされている」との説明に対して、森山は自らのルートで入手した原研労使間の従業条件の覚え書きの内容から、「実情は賃金カットなどされていないのだろう」と、強く反論している。実際の証拠資料に基づく森山の主張の方が、一柳氏の主張よりも説得力があるように思えるのは、やむを得ない処である。

しかし、ここでも森山の本当の目的は、組合側の主張を論破することではなく、問題の責任が原研理事者の管理方法にあるのだという方向に、話を誘導する点にあることを、読者はよく理解するべきである。森山は自らの話の前半において、労組側の就業管理のルーズな対応を激しく糾弾しつつも、それを枕詞にして、原研理事者への責任追及への道筋をつけることを、怠っていない。相当に練りに練ったストーリー創りであり、作戦だと思う。

原研理事が直面する労務管理の難しさについては、後の3月19日に開催された小委員会において、原子力委員の兼重寛九郎が次のように語っている。

―引用始め―

労務問題につきましては、原研は、前に述べましたとおり、その経営を行なうにあたりまして、特殊かつ困難な諸条件があるということは認めなければならないと思うのであります。特に原研の労働関係は、労使対等の原則に立脚した一般労働法規の適用を受けます反面、給与、諸手当等の労働条件の主体をなすものにつきまして国の監督に服するという、民間企業と異なった制約があります。

―引用終り―

相田です。上で兼重が述べるように、原研の労組は一般労働法規の適用を受けることで、理事者側と対等の条件で交渉できる一方で、給与、諸手当等の経理条件は、国(大蔵省)の監督に従って決められてしまう。結果として、理事者側の対応策が民間企業よりも著しく限定されてしまうことが、原研の労使問題の本質であることは、兼重を含めた関係者の誰もが認めるところであった。

しかし、森山はこのような原研理事者側の苦しい事情は認めつつも、途中から「一体原研のいまの労使関係の不安定というものは、そういう制度上の問題であろうかどうかということになる。(中略)私はそうでないと今朝来申し上げておるのでございます」と話の方向を変える。そして「これは管理者がぼやぼやしているからだ、管理者が認識不足だ、おざなりだ、親方日の丸で眠っているからこういうことになったのだ、それが根本原因なんじゃないですか」と、結論を落とし込むのである。最後には、菊池から「そういう意味で私、非常に責任を感じているということであります」という証言を、ここでも引き出すという、念のいった演出まで行っている。

この日の状況を冷静に観察すると、原研労組の一連の反抗的な行動が、森山の「問題の原因が体制にあるのではなく、原研理事者の管理の仕方にある」という主張に、説得力を持たせるための道具として使われたことがわかる。組合が激しく抵抗すればするほど、森山の主張の説得力は増すのである。

2月13日と19日の委員会では、岡議員と菊池により体制側の問題、特に原子力委員会の指導力の無さが問題であることが主張されていた。しかし森山は、労組が激しく体制側に抵抗してきた経緯を逆手にとって、体制の問題ではなく、原研理事者が組合に弱腰だったのが混乱の理由なのだと、話を見事にひっくり返した。あたかもオセロゲームの白黒を一気に裏返すように、この日の森山は「原研労組というコマ」を使って、自民党を大逆転に導いたのである。

4.8 正義は何処にある

森山の質問に続いて、この日初めて岡議員が発言を求めた。岡議員は最初に前回2月13日の質問と同じく、原子力委員会の対応があまりに鈍い点を質した。

―引用始め―

(岡委員) ほかにも質問の方がおられますので、私は特に労使紛争というふうな形でこの問題の経過をあまり取り上げたくはありません。ちょうど兼重さんも来ておられますが、原子力委員会は、原子力研究所の紛争というものに対する責任を感じておられますか。どうもぼやっとしておられるように思うのだが、感じておられるのだろうか。

(駒形説明員) 原子力委員会は、原子力の政策というものを通して日本の原子力を推進するという任務を持っておるのでございます。日本原子力研究所は、この原子力の推進ということについては、非常に大きな役割りを果たしているものでございますから、そういう意味から、原子力委員会というものも、原子力研究所が円滑に運営されていくということをはからなければいけないのじゃないか。でありますから、原子力委員会の立場はそういうふうにすべきであると思います。

(岡委員) いま駒形委員の言われたことを聞くと、原子力委員会は、原子力政策を企画し、決定する機関である、原子力研究所は、原子力政策を推進する中核であるから、この紛争、その停滞に対しては責任をとると言われるのか、とらないと言われるのか。ここをひとつはっきり言ってもらいたい。

(駒形説明員) それぞれやはり担当すべき部門があって、責任をとる、とらぬということの御質問でございますけれども、当然われわれがやるべきことに対して責任をとる、こうお答え申し上げるよりいたし方ありません。

(岡委員) それでは、原子力委員会は一体ことしになってから正規な委員会を何回開かれましたか。そしてこの問題を取り上げられましたか。(中略)とにかく、原子力委員会の常勤の方が二人もこの間まで外国へ行っておられたというようなことは、少なくともいまあなたのおっしゃったように、日本の原子力政策を推進する中核機関がこういう紛争を起こしておるときに、海外へ行っているということ自体、私は非常に不謹慎だと思う。

―引用終り―

相田です。ここでの岡議員の口調は、2月13日での佐藤大臣への質問に較べると、かなり穏やかであり、厳しく追求するような姿勢ではない。自分では自民党を追い込んでいたつもりであったのが、森山に完全にひっくり返されたことで、「やられた、もう取り返しが付かない。うかつだった」と、諦めの境地だったのではないだろうか。対する先代原研理事長の駒形からの回答が、あまりにも中身のない官僚答弁に終始しているのも、会場に漂う空しい雰囲気を際立たせている。更に引用を続ける。

―引用始め―

(岡委員) それから、実は私もきょうは、この春さき、気候もいいし、ほのぼのとした委員会だと思ってきましたところが、昼前にわかに春のあらしどころか、マッカーシー旋風が吹きまくって、たださえノイローゼぎみの菊池さんはじめ、たいへんなことで、私も精神病者の専門で、非常に心配です。マッカーシー旋風が吹きまくってオッペンハイマーが追放された。アメリカにはそういうこともある。しかしこれは、要するに原子兵器をつくる国のできごとである。日本では原子兵器をつくらないのだから、何もマッカーシー旋風が吹く必要もないのに、ことさら吹いてくるところを見ると、何かそういう気がまえでもないかという錯覚に襲われたということを、正直に告白しておきたい。

 それはそれとして、菊池理事長にお尋ねしたい。あなたのほうの共同声明の中で、原子炉の運転をとめたことは紛争の解決上きわめて遺憾であったと反省するという趣旨のことばがございました。これは、あなたも長く理事長をしておられたのだから、そういうとほうもないことを無理無体にやるということは、原研の内部の事情から見てもおもしろくないということは、二月二十二日に炉をとめられない前、あるいは炉をとめるときにそういうお気持ちではなかったかと思うのですが、正直なところをお聞かせ願いたい。

(菊池参考人) 最初その方針でやっておりました。その後いろいろ、これは決して委員会や局からの指示ということではなしに、ただそれでよいかどうかということについて、突っ込んで原子力委員会のほうとも、島村局長とも話し合いをいたしました。そしてその結果、そこに至るまでの私の行なってきた言動から照らしましても、そういうやり方は今回とるべきでない、私はそういうように考えました結果、あの段階で確かにその方針を変えたわけでございます。しかし、これは十分委員会や原子力局、島村君と話し合った末、私も確かにそうだという信念で変えたのでありまして、指示によって変えたというわけではございません。

(岡委員) ちょうど私ども十四日に原研へ参りまして、非常に皆さんにお世話になりました。そのときの私どもの印象では、JPDRの準備はもうほぼでき上がっている、一両日にでもこの運転ができると、現場の責任者も言っているし、理事者の方もその点チヤフルに言っておられた。あの労組の諸君も、処遇上いろいろ不満はあるけれども、炉をとめるというような非常手段に訴えなければならぬような雰囲気でもなければ、情勢でも全然なかった。ところが、JPDRどころか、他の炉も全部とめてしまう。こういうことは原研理事長としての責任を逸脱したことだと思う。そこまでやることは、いまおっしゃいましたが、原子力委員会と御相談の上でおやりになったのですか。

(菊池参考人) 十分に意見を伺いました。そして、ごもっともな意見でもあると思いました。そういう意味で、相談というよりも、御注意をいただき、それを検討したということです。

(岡委員) とにかく(二月の)十三日の日には、島村局長は、この委員会でこういう答弁をしております。JPDRについては、準備の整い次第、争議協定が結ばれ次第に運転をする、そう言っておられる。ところが、さて争議協定が結ばれたかどうか。現地へ行けばもうほとんど一両日で運転ができるという状態にあった。ところが二十日に、いま申しましたように、他の炉も全部運転を停止して、そして争議協定というものが大きく浮かび上がった。(中略)きょうはああいうとほうもないマッカーシー旋風というものが吹いている。推理小説じゃないが、一連の関連があると感ぜざるを得ない。

原研の炉の停止というものを組合側に責任があるかのようなそういう形において、まじめな研究者団体の権威なり名誉というものを棄損するような方向に原子力政策を振り向けていかれるならば、これまた重大問題だと思う。こういう点もこれ以上申し上げませんが、いずれ小委員会等で十分に究明をしたいと思います。これで私は終わります。

―引用終り―

相田です。相変わらずのユーモラスな例えを使っての岡議員の説明であるが、この日の委員会が修羅場になってしまうことを、岡議員は全く予想していなかったらしい。ひと月前の自分が質問した委員会の翌日2月14日に、岡議員は東海村まで出向いたという。組合員からも話を聞きつつ、原研が明るい雰囲気であることに安心していた筈であったのが、まさかの「マッカーシー旋風が吹き荒れる」展開になってしまったようである。

おそらくは、自分と相通じると期待していた菊池が、無残な仕打ちを繰り返し受ける様子を見ていて、つらくなったのだろう。岡議員は原議員のように、菊池の責任を厳しく問い質すことはしなかった。ただ、大型炉を全部止めたことは、原子力委員会の了解を得たものであるのかを、岡議員は訊ねた。

これに対して菊池は、原子炉を止める判断は原子力委員会との間で、十分に相談した結果であると述べている。しかし、私は菊池のこの説明は嘘だと思う。年明け以降の原研では、労組に厳しく対応する必要が無いと菊池が感じていたことは、2月19日の菊池の話から明らかだ。岡議員が「推理小説じゃないが、一連の関連があると感ぜざるを得ない」と述べているように、自民党議員達からの圧力が菊池にあったと考えるのが妥当だと思う。しかし、ここでの菊池はもはや「真実を主張する」ことを放棄していたのだろう。

この日の菊池は、ほとんどの質問者からの集中砲火を浴びて、満身創痍となって国会を去ることとなった。一体、菊池はなぜ、ここまで激しい批判にさらされることになったのだろうか。おそらくそれは、菊池が最後まで「自分の筋」を通そうとしたからだ、と私は思う。原研が混乱した原因について菊池は、「原子力委員会の指導力が不足しているからだ」と、体制側の欠陥を挙げる一方で、30分前予告ストを断行した労組の行動に対しては、「暴挙である」と強く批判した。しかし体制側、労組側にそれぞれ向けられた菊池の鋭い批判は、両組織の正当性を揺るがす危険なものであった、ともいえる。自分の発言が窮地を呼び込んでいることに気付かなかったことが、菊池の失敗だったのだろうか。

体制側(原子力委員会)が菊池を受け入れて、大蔵省と折衝して原研の予算を3年間または5年間確保させる(これは法律上難しいであろうが)か、あるいは、労組が菊池を受け入れて、争議協定を1月中に締結する、等の措置を取っていれば、このような悲劇には至らなかっただろう。しかし体制側、労組は共に菊池に歩み寄ることをせず、あたかも「阿吽の呼吸」をもって、混乱の全ての責任を菊池に押し付けることに成功した。原子力委員会と原研労組の間に根回しがあったとは流石に思えないが、結果として、両者の共同謀議(コンスピラシー)により、理事長の菊池がカモにされて詰め腹を切らされたのだ、と言えるだろう。

ここに至って私は、正義は一体どこにあるのだ、と考えずにはいられない。

さて、岡議員が言及した「この間まで外国に行っていた」原子力委員の一人は、兼重寛九郎であった。3月19日の小委員会における、原子力委員会が作成した「調査項目」書の審議の際には、兼重自身がその説明を行った。そこで兼重は、原研が窮地にあった最中に海外に出張して不在にした理由について、苦しい言い訳を強いられている。しかしこの日の委員会に岡議員は出席しなかった。別件で用があったのだろうが、今さら兼重を問い質したところで、大勢(たいせい)を変えられないと判断したのであろう。

この3月19日の委員会では、前回12日の会議を欠席した佐藤栄作と、中曽根康弘の二人が、白々しくも二人そろって出席している。修羅場が終わって危険が去ったと見たのだろう。前回の主役である森山もこの日の後半に再び登場し、原子力委員や佐藤に向けて「原研労組の活動は、共産党に大きな影響を受けていることを認識すべきである」と、(腹立たしくも)主張している。

ところが面白いことに、この時の佐藤は森山に対し「個々の組合員にも思想の自由はあるのだ。ただそれが他の政治活動を主にするような運動で、現実に問題を引き起こすならば、社会的な批判もあるだろう」と回答した。ここでの佐藤は明らかに、「個々の組合員にも思想の自由はある」と、森山の過激な発言に釘を刺している。後年のノーベル賞受賞者としての、佐藤の度量の深さの一端なのであろうか。今回の一連の問題で、原子力委員長としての佐藤が指導力を見せたのは、記録に残る形ではこの発言だけのように自分には思える。

(第4章終わり)

相田英男 拝