忘備録①

相田英男 投稿日:2021/08/29 10:30

相田です。

あちこちサイトを眺めていたら、とある場所に「島村原子力懇談会(通称)」の会話記録が、丸々アップされているのを偶然見つけた。以前から私が読みたいと探していた資料だ。ありがたく、私のPCに全ファイルをダウンロードさせて頂き、眺めている。アップしたサイトの管理者は、内容について全くコメントしていない。読んでも何が語られているのか、理解できなかったのだろう。

全文は膨大なので(A4で620ページ)読み切れていないが、気になった箇所を引用する。これからも何回か続くだろう。

下記の島村武久(しまむらたけひさ、戦後の原子力導入時期に活躍した大物官僚)と、物理学者の大塚益比古(おおつかますひこ、大阪大学の伏見康治の教え子)の会話を読みながら、「ああ、昔からみんなわかってたのか」と、私はため息をつく。

島村と大塚は、日本の科学技術には「メタフィジックスが足りないのだ」と、はっきりと認識している。今の私が言い換えるとそうなる。メタフィジックスに裏打ちされた技術を持つ欧米と競争しても、日本は容易には追いつけない、と、二人は以下の会話で語っているのだ。

心ある理科系の読者の方々は、読みながら何事かを感じるだろう。文科系の、ようわからんままで「原発反対」とか「ワクチンうつとすぐ死ぬ」とか、騒ぎまくる左翼や、「日本の科学技術は中国、韓国に泥棒されている」とか、ヤフコメにあげ続ける右翼連中は、読んでも無駄だ。

あんたどんは、読まんでよかとばい。なんのこつか、いっちょんわからんやろけんな。

(引用始め)

(対談は1985年9月26日)

島村: そこで話は変わるんですけど、さっきの学術会議の雰囲気ですね。原子力をやられる 推進派もおられたかわりに、全体的な何は否定的なあれが一時は少なくとも強かったわけですね。予算も付いてやると決まったから、条件付けたと言う形になっちゃってるわけで。予算でも出なかったら、まだまだ議論が。

大塚: そうだと思います。

島村: そこの、何ですか、これは割に新しい8月の末の、27日の新聞に、鈴木治雄さんが書 いてるんですよ。最後のところだけ読むと、「ともかく量子力学が原爆を製造し、かくして 現在世界を核の恐怖のもとにおののかせていることになっている」と、「そこで、物理学者には原罪感に似た感情があるのではなかろうか。つまりそれに由来した良心が、多くの物理学者を平和主義者に導いているのであろうと想像される」と、昭和電工の鈴木さんにしちゃね、ちゃんとしたことを書いておられると、こういう気がするんですが。

確かにそれが非常に強い何だと思うんです。戦争直後だし、日本の物理学者が原爆つくって広島に災害生んだわけでは全然ないけれども、かなり考えてみると、学者も戦争に駆り立てられてて、もう三度と政府のあれに乗って、戦争に協力するようにはしないぞという空気が強かったことは、確かだろうと思うんだけれど。

(それでも)私みたいな、そういう崇高なあれでなくて、疑い深い人間にとっては、原子力なんか始めたら、研究者がそっちに取られちやう、というような気分の人もいたんじゃないだろうか、という気もするんですが。その、研究体制が不十分な何なんでという辺のニュアンスは、どういうことなんだろうか。研究体制が不十分な日本でというのは、何もさっき鈴木さんが言う良心とはあまり関係ない理由の、 おそらくどういうことなんだろうか、という気がするんですけど。

大塚: だからさっき申しましたように、平和利用の問題っていうのは、自分の職業離れっていうか、日々のこと離れて、皆持ってるわけですけど。実際はここに大きな、何十億も、当時何十億はすごい金ですけど、そういうので原子力づくりが始まると、ただでさえ困ってる基礎研究、原子核研究その他が相当マイナスの影響受けるだろうとは、皆思ってたんだと思います。

それはやっぱり皆切実に、今に至るまで加速器は、加速器はまあでかくなり過ぎてるんですけども、常に欠乏感はあるような感はいまだにあるわけですから。当時なんかは、全部海に沈められて加速器一台もないわけですから、その時の飢餓感っていうのは皆さん大きかったんです。そこへ原子炉がいきなり現れたんでは。

島村: だから、学者の良心から学術会議が否定的な空気にあったのか、その他の事情もあったのかと、いうようなこと考えておったんですけど。なぜ学術会議が。それはもう明らかに、鈴木治雄さんが言ってたような理由も基本的にはあっただろうと、そう思うんですけど。

しかし、たった30年ぐらいの間だけど、ずいぶん変わるもんですね。もし学術会議が否定しておったら、またさらに10年ぐらい遅れてたんでしょうな。あなたがおられる時は、阪大は菊池(正士、きくちせいし)先生はもうおられなかったのかな 。

大塚: いえ、菊池先生は原子核研究所長に出る1955年まで、阪大におられました。

島村: 原子核研究所つくるときに移られたわけ。

大塚:ええそう、そうです。

島村: だから、菊池先生はどっちかというと実験物理だな。

大塚: そうです。どっちかっていうとよりは、実験物理の親玉だったんです。

島村: 素粒子とか何とか言うほうは、理論物理ですな。その頃、戦前の理論物理っていうのは、どうだったんですか。

大塚: 戦前はだめです。僕は知識と批判能力がない。(笑い)

島村: それじゃ大塚さんおられた頃までのあれで見ると。やはり日本は相当遅れとったんで すか。日本も仁科先生もおられるし菊池先生もおられるし、まあまあだったんですかな。いろんな先生が沢山おられて、それこそ、原子核の連絡会か何かあったんでしょ。

大塚: そうそう。

島村: 核物理っていうものの研究がやっておられたわけなんだ。

大塚:ですけどその、まあ決して進んではいなかったですよ。

今村: 最近ちょっと読んだ本で、本当か嘘か知りませんけれど。アメリカもマンハッタン計画をやっとったわけですが、理論物理はそう進んでなかった。そういうときに研究者がオーガナイズされて、むしろ原爆つくろうと。日本もまあ同じような状況だったんで、蓋を開けてみたら、理論面ではそう差がなかったという風に書いてありました。本当かどうか知りませんけれ ども。

大塚: アメリカの原爆の時に理論面を指導したのは結局、よく知られているようにフェルミ、オッベンハイマー、ベーテ。だけどウィグナーとかフェルミは亡命者ですし。だからその当時は、アメリカは物理学の先進国でなかったことは確かです。その当時はヨーロッパであって、アメリカ には別段物理学の権威は、そんなにいなかったんじゃないですか 。

今村: いずれにせよ、やはり戦争があって、勝った国も負けた国も戦争協力の方からやってたんで、理論的なことは―。

大塚: それと、原子核理論とか素粒子論の興味から言えば、原子爆弾の理論なんていうのは、 物理としてはどうでも、あれはそんな面白い、学問的に興味のある話ではないですもん。

島村: 理論物理なんて難しいこと言わなくたって。

大塚: そうです。ただ、臨界になるかどうかの、中性子の吸収、核分裂断面積を測らにゃいけませんけど、そういうのはしかし、むしろ実験でしょ。

B: 実験するということには、そういう設備はやはり向こうの方が良かったんでしょうな。

大塚: いやだから、結局マンハッタン計画に20億ドルの金を戦時中に出して、あれだけのことやったわけですから。

島村: 何故そんな音のことに興味を私が持つかというのは、ひとつは歴史的にどうであった か、ということを知っておきたいということだけではなくて、数年前にドイツに行ったんです。ドイツの連中と話をした時に、あなたの話にもあったように、日本もドイツも原子力を禁止されてた。日本のほうがちょっと、どっちかっつうと少し早めに解除になったんです。ドイツの方が少し遅れてて、まあほぼ同じ時期に解除になったと考えていいでしよう。それから出発して、日本の原子力は、相変わらず技術導入ばっかりやってて、ドイツの方は約30年近い間に、逆に原子炉を輸出するようなあれに変化した。ドイツ側としては何故だと思うかと。

私は、私にもし責任があるとすれば、あやまらなければならんけれども、技術導入によって何でも輸入してやろうとしたんです。例外は国産一号炉ぐらいのもんです。ドイツは最初から国産でやろうとした。その違いがやはり、今日に出てきたんではなかろうか、と私は思ってたんだけど、それに対してドイツ人の意見は、ドイツは戦前から物理学なんかで原子力を研究しとった、だから早かったんだと 。そういう話を向こうはしたんです 。

日本だって、やってないわけじゃない。大阪大学、京都大学のあれまではよく知らなかったけど、少なくとも仁科さんのサイクロトロンが東京湾にぶち込まれたぐらいのことは、知っておるわけでしよう。 ドイツがその頃やっとったくらいの何は、日本もやっとったんじゃなかろうかという気もして。日本は本当はどうだったのかしらんと。

大塚: これは忘れぬうちに言っておきますが、1954年の秋に伏見先生が中央公論に書いてますけれども、三原則が出た後のあれですけど、日本は理論物理は外国の理論物理の文献を見て勉強した。実験物理屋さんは外国の実験物理のレポートを見ながら実験した。物理の世界でも理論屋と実験屋は別々にやっとった。日本の実験を見ながら理論を組むわけでもないし、日本の理論屋の刺激を受けて実験を計画するわけでもない。まして今度は理学と工学は、理学のベースに立って工学をやるわけでもないし、皆それぞれ独立に、外国のイミテーションでやっとるって話が、そこにも出てますけど。

僕が今先生に言われたことで勝手に思ってるのは、ドイツって言う国は、さっきも申しましたように戦争負ける前は、ヨーロッパにおいて機械工業その他で、とにかく世界の先頭を一度切ってるわけです。第一次世界大戦以後でしょうが、戦争に負けるその前に。要するにドイツは、ある時期世界の先頭切って自分たちの科学、自分達の工学でもって物をつくり出し、何とかした経験を持ってるわけです。そういう国は、戦争に負けて研究が禁止されたり何かしたことがありましても、そういう先頭を切った経験と体質を持ってますから、解除になったら時間のロスを防ぎ時間を稼ぐために、情報を買ったりいろいろなことはするにしても、物を自分達で考えて自分達でつくるという伝統を持ってる人たちは、やはり自分達でつくるんだと思います。

ところが日本は、戦前がそういう風に全て買ってきて、その上に乗っかってつくる。理論屋も外国の理論の論文を見ながら、それにヒントを得ながら仕事をする。実験屋も外国の実験の論文を見ながら仕事を。まして産業界や工業界は、戦争前は日本の学者なんか全然相手にしないで、皆向こうから買ってきてやった経験しかないわけです。そういう国は、その継続をするんだろうと思います。

島村: 私も実は、そういったような考え方を持っておったんです。てのは、1956年に、私は大屋敦ミッションについてぐるっと世界を回ったんです。井上五郎さんも一緒だったし、木川田一隆さんも一緒だった時です。ドイツに行って、RWE(西独最大の電気事業者)に行ったんです。休みの日で、偉い人は出てきてくれなくて、技師長が、なんて名前だったか調べてみたけど、原産の視察団の報告にもその名前が出てないんです。そこに行ったんですが、一行は二十数名だったんだけど、そこへ行ったのは電力会社の人だけだったんです。 私も付いていったんです。

その技師長さんが、いろいろドイツの会社でやってることを説明してくれてすぐわかったのは、日本側は 「あなた方が計算したところによると、発電コストは、コールダーホールがいくらになりますか、日本でも我々も計算やっとんだけど 」っていうようなことを訊いたわけだ。電力屋さんらしいわな。ところが技師長さんが言ったのは、「いや我々は、コストまで調べてない、我々が発電炉をつくりたいと思っておるのは、早く英米に追い付くためにはどうすりゃいいか。どこの技術をもらい何するか。日本も同じだろうけど、そのうちに必ず追い付いてみせる」と。そういう気持ちでやっておるので、初めてつくる炉のコストがいくらになるかなんてことは問題じゃないと、こう言ったわけ。

こっちから行った人たちは、「ああやっばし技師は駄目だな」って顔しとるわけです。「経営者じゃなきゃだめだな」って顔してたけど、僕はそれ見て、「この技師長さんは偉い」と思ったんです。それが今あなたの仰ることに通ずるし、日本はもうとにかく、買ってくるということだけ考えとるわけでしょう。開発していこうという気がない。それは、メーカーが言うなら話わかるんですよ。ところが電力会社の人がそういってるんですから。そのへんの国民性の違いっていうのは 。

大塚: それは、僕は国民性だとは思わないです、国が経てきた経験だと思うんです。だから こういうの、島村さんに言うのはちょっと恥かしいですが、結局彼らは一度世界の先頭切って、つまリカンニングしたくたって何もないところを、自分達で歩いて来た訳です。その人たちは戦争に負けたために、そこで大きなギャップができた、それを埋めさえすれば、自分達はまた戦前の栄光ある状態にもう戻るのは、当たり前だと思ってるわけです。自分たちで考えて。

彼らは ASME(米国機械学会基準)じゃなくて、もともと自分の技術基準 (DIN:Deutsche lndustrie Norm) を持ってるわけですから、やっばリドイツの基準にあわせてやってかなきゃいかんし。ものの発想が、たまたま戦争負けた時だけが異常なことであって、全て自分で考えて自分でつくるのがむしろ正常な、かつて皆もやってきたし、その時代の人たちは生き残ってるわけですし。

だから、その異常な戦後だけをどう乗り切るかだけを、彼らは考えておってやるのに対して、日本は前から技術を買ってやってきました。 だから戦争負けていよいよ今度再スタートする時は、また同じように買ってやる気になるから、それこそライセンス契約だって、期限を切るようなことやらんわけです。いつまでも仲良くする。

向こうは、ドイツだってフランスだって、期限を切ってそこへ来たらもうそこでおしまいで、いよいよ後は独立するのは彼らは当然と思ってるわけです。だからそれは国民性じゃなくて、一度先進的な経験をした民族だからで。 だから日本だっていずれ電子工業かどっかの分野で、右見ても左見てもカンニングするもの、お金を払っても買えるものがない、本当の意味の世界の先頭切れば、必ず僕はそういう状態が出てくるんじゃないかと思う んです。

島村: それは、まだまだ勝負がつくのは早いんで。明治維新の時のように何もかんも入れて、そして追いついて、それを今度は追い越してという、日本は経験持っておるから、全てそういうやり方で。原子力についてもどんどん入れて、入れてやっとる方が結局勝つのか、どうかっていうけど、少なくとも30年経った今日では、かなりいいところまで来ている。

(引用終わり)

最後に加えるが、福島原発事故が起こった原因は、日本の原発技術にメタフィジックスが無かったからだ。メタフィジックスが無かったので、電力会社は、GEが作った設計スペックを錦の御旗にして、自分達で、勝手に、神棚に祭り上げて、「畏れ多くも一言一句、この文言を修正する事はまかりならん」「はは~、仰せの通りに致します」と、福島1号機を導入した当初から、延々と崇め奉った訳だ。そしたら、御教祖たるGE様から「ここに置いておくように」と、ありがたい御宣託を受けた、地上に露出した非常用のディーゼル発電機が、見事に津波に流されて、メルトダウンしたのだ

後からなら、「バッカじゃ無かろか」と誰もが思うだろう。でもそれは、原発技術者達がバカだ、というよりも、日本人の技術の背景に「メタフィジックス」が不足しているからだ。私はそのように断言する。メタフィジックスとは、外人から教わることなく、カンニングせずとも、自らの手と頭で、製品を作り上げる能力の事だ。日本人が自分達の頭を使わずに、すぐに外人に頼るのが問題なのだ。

ディフォルメして書くとくさ、上んごたるこつやけん。ちっとは物を考えてみらんね、あんたどんは。

相田英男 拝