レアメタルの話(追記あり)

相田英男 投稿日:2019/12/27 21:57

相田です。
今日は真面目な技術の話です。

副島先生の新刊に、レアメタルでディスプロシウムという元素が最も重要だ、という記載があったので、説明する。

ディスプロシウムとは、ネオジム磁石と呼ばれる材料に必要な元素である。ネオジム磁石とは、現在の世の中では、最も強力な磁力を持つ磁石である。ハイブリッド車や電気自動車の車輪を駆動するためには、力の強い効率の高いモーターが必要となる。それに使われる最強の磁石が、ネオジム磁石である。

ネオジム磁石を開発したのは、佐川真人(さがわまさと)という日本人技術者である。佐川は、富士通の研究所の材料技術者だった。佐川は富士通で、ネオジムと鉄とホウ素(ボロン)の3元素を組み合わせると強い磁石になると考えて、実験を開始した。しかし、組織の中であまり大事にされない性格のせいか、佐川は実験の途中で上司と喧嘩してしまい、会社を辞める事となる。

その後に佐川は、関西の住友特殊金属という会社に移り、ネオジム磁石を完成させた。佐川の磁石の性能は史上最強であり、アメリカでの学会発表で一躍注目の的になった。ただし、室温でのネオジム磁石は極めて強力だったが、100℃以上の高温に加熱すると、磁力が大幅に低下する欠点があった。この現象を熱減磁(ねつげんじ)という。磁石をモーターに組込んで動かすと、100℃以上に熱くなる場合がかなりある。(モーターの設計にもよるが)このままでは、実用モーターにネオジム磁石は使えない。

佐川達は、周期律表のあらゆる元素をネオジム磁石に添加して、特性の変化を調べた。その結果、熱減磁を起こさないために、最も効果があったのが、中国で産出されるディスプロシウムだった。その当時のディスプロシウムには、特に使い道などなかった。佐川達は、中国から安く大量にディスプロシウムを購入して磁石を作り、大きな利益を挙げる事ができたのだった。

しかし時が過ぎて、中国の技術力、経済力が高まると、話が変わる。自国のディスプロシウムの価値に気付いた中国は、ネオジム磁石を国産化する一方で、ディスプロシウムの輸出に制限を掛けるようになる。当たり前の対応だ。何事にも、上手い話がずっと続く訳では無い。

日本も中国に対抗して、ディスプロシウム使わずに磁力低下を防ぐ技術を追求して、問題を解決した、と言われる。しかし、日本が苦労の末、技術革新によりディスプロシウム量を減らしても、中国ではディスプロシウムをちょっと入れるだけで、磁石のベースの性能を簡単に上げる事ができる。中々に悩ましいものがある。

ネオジム磁石を超える高性能の磁石についても、盛んに研究されて来た。が、結局の処、成功していない。鉄とニッケルを組合わせた、変わった結晶構造の物質が、隕石の中に僅かながら存在し、ネオジム磁石を超える磁力を持つ、とか言われる。しかし、地球上では実験室で作るのが非常に難しいらしく、実用化の目処は全く立っていないという。

佐川はもう70歳過ぎだと思う。彼があと10年長生きすれば、間違いなくノーベル物理学賞を受賞するだろう。

最近のノーベル物理学賞も質が落ちて、出すネタが無くなりつつある。これまでは、南部陽一郎のように、素粒子分野で数年おきに受賞者が出ていた。今の素粒子物理学の最先端は「超ひも理論」というもので、多くの学者がこれに群がっている。しかし「超ひも理論」では、誰もノーベル物理学賞を取れないだろう。理論の結果を加速器による実験で検証する事が、最早不可能になってしまったからだ。現代の技術では到底作れない、超高出力の加速器を使わないと、「超ひも理論」の結果を検証出来ない。実験で検証出来ない研究には、賞を与えないのが、ノーベル賞のルールだ。

南部陽一郎は、歴代日本人物理学者の頂点の人だったが、武谷三男の弟子でもあった。武谷の有名な三段階論は、科学の発展を、経験、実体、本質、の順に進歩するとした。武谷の薫陶を受けた南部は、素粒子物理の進み方について、ローレンス・湯川モード、アインシュタインモード、という、彼独自の分類をしている。アーネスト・ローレンスとはサイクロトロン等の、原子核実験で使われる、高出力の粒子線加速器の技術を確立した学者だ。マンハッタン計画でウラン濃縮を行う際にも、ローレンスが設計したカルトロンと呼ばれる、巨大な電磁石を使った電磁式分離装置が使用された。

物理の問題を解く時に、理論に不備はあるものの、湯川秀樹の中間子のような仮想粒子をまずは考えて、最新型の加速器を使ってその存在を検証する。このやり方がローレンス・湯川モードである。

対してアインシュタインの相対性理論のように、全てを完全に記述出来る理論式を、最初に提示する。その理論に合うような物理現象を予測して、実験で確認するやり方を、アインシュタインモードと呼ぶ。アインシュタインモードはトップダウン型、ローレンス・湯川モードはボトムアップ型の考え方といえる。

実際の素粒子物理は、ローレンス・湯川モードで進んで来た。全ての素粒子の挙動を完全に記述する理論は、今でも存在しない。なので、試行錯誤で研究を進めるしか無かったのだ。しかし、「超ひも理論」に至った現状では、ローレンス・湯川モードは素粒子の問題解決法としては、有効で無くなっている。

ちなみに有名な話だが、湯川秀樹本人は、中間子論を完成させた後では、自らの湯川モードを捨ててしまった。湯川は、極微細な領域では量子力学が成立しないと考えて、量子力学を超える新たな理論の構築を目指していたのだった。このやり方は、アインシュタインモードである。当時はドイツのハイゼンベルクも、同じように、量子力学の適用には限界があり得る、と言っていた。なので、湯川の意気込みも、あながち荒唐無稽とは言えなかった。

そんな湯川を横で見ていた武谷は、「無茶な事はしないで、素直に、地道に研究を進めるべきだ」と、湯川を諭すために「三段階論」を提示したという。この事は西村肇先生の「自由人物理」の中に書かれている。しかし、武谷を超えるへそ曲がりだった湯川は、武谷の忠告を全く受けつけなかった。結果、中間子論以降の湯川は、新たな発見に至る事なく生涯を終えた。

湯川の開拓した素粒子物理学は、その後に、くりこみ、NNG(中野・西島・ゲルマン理論)、クオーク、自発的対称性の破れ、と進歩を続けて、標準理論とされるワインバーグ・サラム理論(実は南部の、自発的対称性の破れ、の焼き直し理論に過ぎない)として、70年代半ばに一応の完成を見た。ローレンス・湯川モードによる着実な進歩の成果だった。

湯川の晩年に、弟子の小林誠(2008年ノーベル賞受賞)が、京都大の湯川研究室のゼミで、ワインバーグ・サラム理論について説明した。その説明の途中で湯川は「そんなおかしなな考えは、聞いた事がない」と、いきなり激昂し、物凄く小林を怒りだしたという。世の中色々あったらしい。

さて、ローレンス・湯川モードが役に立たない現在、ノーベル賞受賞を目指して、「超ひも理論」の研究に日々励む学者さん達には、御愁傷様としか私にはいえない。一方で、レベルの低い学者達には、素粒子で賞が出せない今は、絶好の受賞のチャンスだ。日本のマスコミ界では、まだまだ、ノーベル賞が相当にありがたがられている。なので、佐川も出来るだけ長生きするよう、日々、摂生すべきだろう。徳川家康作戦か?

最後に、実験で検証出来ない「ノーベル経済学賞」は、一体何なのだ?という疑問が自然に湧く。あれは多分、ノーベル賞には到底値しない分野なのだ。世の中はいかがわしさで満ち溢れている。

相田英男 拝