エミー・ネーター

相田英男 投稿日:2020/04/08 20:31

相田です。コロナには全く関係しないが、ぼやきで副島先生が女性の科学者達について触れられたので、関係して書きます。

副島先生が言われるように、ノーベル賞を取るような有名な物理学者には、殆ど女性はいない。ノーベル賞をもらった有名処では、キュリー夫人(マリー・キュリー)と、娘のイレーヌ・ジョリオ・キュリーくらいではなかろうか?最近はリサ・ランドールとかいう女性物理学者が、「超ひも理論」について書いたりしているが、私は殆ど知らない。

物理学に名を残す女性で、最大の功績を挙げた人物は、おそらくは、エミー・ネーター(1884~1935年)だろうと、私は思う。いわゆる「ネーターの定理」を提案した学者だ。一般の方々は誰もネーターの事を知るまい。私もネーターの定理について、その存在を知ったのは、大学を卒業した後だった。女性だというのを知ったのは、実はごく最近だ。

ネーターはドイツに生まれたユダヤ系の女性学者だ。彼女の本職は物理ではなく、数学である。数学者としてのネーターは、20世紀を代表する天才の一人と認識されている。私もウィキペディアで読んだだけなので、偉そうには書けない。が、ヒルベルト、フェリックス・クライン、ヘルマン・ワイル、そしてアインシュタインといった、泣く子も黙る錚々たる天才学者達が、ネーターの業績について賛辞を惜しまないのは、学者としての彼女の、恐るべき実力を物語っている。

ネーターの物理の発見は「ネーターの定理」の一発のみだ。だが、その物理学への影響力はかなり凄い。「ネーターの定理」だけで軽くノーベル物理学賞を貰える重みがある。シュレーディンガー方程式や、ディラック方程式に匹敵するインパクトが、「ネーターの定理」にはあるのではなかろうか?残念ながらネーターは、ノーベル賞をもらう前に癌で亡くなっている。その物理学上の真価が発揮されるのは、第二次大戦を過ぎた後の事だった。時代があまりにも早過ぎた。

ネーターの定理とは、実は非常に短い、わかりやすい日本語で、書くことができる。

「ある物理系に対称性がある場合は、それに対応して、何らかの物理量の一つの保存則が存在する」

たったこれだけだ。対称性というのは、例えば、並進対称性、回転対象性、時間が経過することによる対称性、とかいう物だ。それぞれの対称性に、運動量保存則、角運動量保存則、エネルギー保存則が対応して存在する、というのがネーターの主張だ。「何だ、たったそれだけの事か、アホらしい」等と、最初は誰でも思うだろう。

でも、よくよく考えてみると不思議である。対称性とは、モノの形といったの幾何学的な考えなのだが、それに対して、ある物理量が一つだけ保存される、というのだ。幾何学と物理量が一対一で対応している、とネーターは語っているのだ。だんだん何だかわからなくなって来る。

ネーターの定理とは、ラグランジュやハミルトンが提唱した「解析力学」に出て来る概念である。解析力学で使う関数の中には、位置座標と物理量をセットで組み込んで展開する形式が、数多く出て来る。そこから想像すると、素人でもネーターの考えに何となく思い至らない事もない。日本語の説明は単純だが、ネーターの定理の証明には、厳密な数式を使う事は言うまでもない。

ちなみに、私が持っている原島鮮(はらしまあきら)や小出昭一郎が書いた、初心者向けの解析力学の参考書には、ネーターの定理は出て来ない。学部レベルの物理には必要ないからだ。その真の価値が発揮されるのは、素粒子物理学である。

ここから先は、私もよく理解出来ていない内容なので、そのつもりで読んで頂きたい。素粒子物理学では戦後に、「群論」という難解な数学を使うようになった。群論の概念からは、通常では想像出来ないような、数式上の様々な対称性が提案される。それらの10種あまりの対称性に対して、異なる素粒子や物理法則が対応する事が明らかになり、盛んに研究された。対称性自体が、素粒子物理の主要課題の一つになったのだ。

さらには、それまで「ある」と信じられていた対称性が破られると、そこに新たな物理の発見がもたらされる事となる。1956年にリーとヤンという中国人物理学者コンビが、パリティ対称性(空間反転対称性?)が破れる、という論文を発表し、実験で確認された事で、翌年にノーベル物理学賞を速攻で受賞することとなった。

1957年には、それまで謎とされていた超伝導現象を説明するための「BCS理論」が発表された。かの南部陽一郎その人は、BCS理論の真髄は「ゲージ対称性の破れ」であることをただ一人見出し、1960年に超伝導現象を素粒子物理に拡張した理論(自発的対称性の破れ)を発表する。これが突破口となり(その後に15年以上の年月を費やしたが)、ヒッグス、ワインバーグ、サラムによるの「素粒子物理の標準理論」の完成に繋がるのである。

これら一連の、研究の流れの骨格になるのが「ネーターの定理」になる訳だ。うーん、あまりにも壮大で、凄すぎる。そう思うのは、私の大いなる勘違いに過ぎないのだろうか?

ネーターは頭の中に、数学の新たな発見が次々に思い浮かぶため、それを整理するのに日頃から苦労していたらしい。自分のアイデアを、気前よく他の学者に教えてあげたそうで、彼女の力を借りて多くの他人の論文が出来たという。マリーとイレーヌ・ジョリオの母娘も相当の堅物だったが、共に結婚して子供もできた。が、ネーターは独身のまま、頭の中にあるアイデアと格闘しながら生涯を終えている。ネーターの方が、キュリー母娘よりも、変人の度合いは上回っていたようだ。天晴れな事である。

相田英男 拝