ようそんな、白々しい事が言えるもんやねえ
相田です。
アゴラというサイトの記事に、以下のような文があった。見過ごそうかとも考えたが、やはり看過できない。きっちり反論しよう。
(引用始め)
学術会議問題はゴリラ研究のようには論じられない
2020年10月27日 20:00
八幡 和郎
日本学術会議の前会長で京都大学元総長でもある山極寿一氏が、京都新聞で「学問の自由とは何か」を語っているが、そのなかで、
『そもそも「学問の自由」とはいったい何からの自由であるのか。それは国家権力からの自由である』
と断言している。
山極先生の理屈だと、ヒトラーやスターリンやイスラム原理主義者が、大学教員の多数派になってとんでもない学問をやったり、気に食わない研究や研究者を排除しても、学問の自由の侵害にならないし、国は黙って金を注ぎ込み大学の自治を尊重しなければならないことになる。
山極氏が長年研究してきたゴリラの世界では、そういうグループのなかでの強い者勝ちが正義なのかも知れないが、人間の世界ではそういうものではあるまい。
山極氏は
「アカデミック・フリーダムとユニバーシティ・オートノミー、すなわち学問の自由と大学の自治であった。いかに国家の圧力から研究する自由、発表する自由、教育する自由を確保するか、そしてそれを実現するためには大学の自治が不可欠ということである」
という。
たしかに、国家権力が学問にとって最大の脅威であることは確かであろう。しかし、宗教や思想団体、政党や政治団体、マスコミや大衆運動など学問の自由を脅かす脅威は多様である。
筑波大学助教授が何者かに殺害された悪魔の詩訳者殺人事件はイスラム過激派によるものとされているし、紅衛兵や学生運動の過激派によってどれだけ学問の自由は侵害されてきただろうか。(以下略)
(引用終わり)
相田です。八幡氏の御年齢を私は承知していないが、自分達の事情をさておきながら、こんな強気な主張がよくも出来るな、と、感心する。
『山極先生の理屈だと、ヒトラーやスターリンやイスラム原理主義者が、大学教員の多数派になってとんでもない学問をやったり、気に食わない研究や研究者を排除しても、学問の自由の侵害にならないし、国は黙って金を注ぎ込み大学の自治を尊重しなければならないことになる。』
私は、山極先生に恩がある訳でもなんでも無いが、上の八幡氏が述べる文章の内容は、紛れもない事実として、過去に起きたであろう?偶然にも、八幡氏が引用している筑波大学の設立時に、何があったのかを、よもや忘れた、とは、私は言わせない。三輪知雄(みわともお)、宮島龍興(みやじまたつおき)、福田信之(ふくだのぶゆき)、の初期の三学長の時代に、筑波大学内で何が行われたか、年配の学者達は皆、今でもしっかりと、忘れずに覚えている。
学術会議員に多くの共産党学者が残っていて、政治運動に走るのをウンザリながら横目で眺めつつも、マジョリティではこれまで見過ごされて来た。その理由を、はっきりとここで言おう。学術会議員に共産党学者が誰もいなくなると、福田信之のような人物がまた現れて、学術界を蹂躙するのではないか、と、年配の学者達は心底恐れているのだ。
福田信之がどういった人物であったか、アゴラの主要な執筆者達は、十分に知っているだろう。あなた達の多くが敬愛して止まない、故渡部昇一が師匠として尊敬していた物理学者だ。その真の姿は・・・・・私が敢えて書く事もあるまい。知らない多くのカタギの方は、「工学部ヒラノ教授の敗北」というエッセイ書を読む事だ。八幡氏が上の『 』で述べた状況が、皮肉にも、1970年代から80年代半ばの筑波大学で実現していた事実が、はっきり書かれている。
「そんな事は無かった、あの当時も今も、素晴らしい、立派な大学ではないか」と、これからも貴方達は、白々しくも、言い張り続けるか?
福田信之の要請に中曽根康弘が応じて、数十億円規模のミラー型核融合実験設備(実際には高エネルギーのプラズマ発生装置。核融合反応などは到底起こせない、真空容器と電磁石と発電機の単なる塊)を、筑波大学に作っただろう。福田の希望に中曽根はまめに答えて、金も援助し、大学の自治も認めていたぞ。
あの福田信之に比べたら、学術会議での福島要一の所業等は、児戯に等しいレベルだ。
私が高校生の時に受験校を探していて、姉に「筑波大学ってどうかな?」と話を持ちかけたことがある。すると姉から「あそこは止めなさい」と、ピシャリと言われた。当時は姉の言う理由について、全くピンと来なかった。が、後年になり、その真の意味を知った時には、慄然とするものがあった。福田信之が、元は武谷三男の愛弟子であり、朝永振一郎の研究協力者だった事も、私には相当なショックだった。
サイレントマジョリティの存在を無視し、舐めたままでの言いたい放題が過ぎるのは、あまりにも見苦しい。
この件も、その内に詳しく補足する。
相田英男 拝