いらん心配はいいから、さっさと映画を公開せい。オッペンハイマーのことなど日本人は誰も知らんよ

相田英男 投稿日:2023/08/02 09:59

この夏アメリカで、物理学者のオッペンハイマーを主人公とした映画が公開され、ヒット中らしい。同時期に公開された、別の娯楽映画の宣伝がこじれた影響(?)で、日本での公開時期が未だに決まっていない。大変残念なことだ。ジャニーズ事件に巻き込まれた、山下達郎みたいな立ち位置だろうか(???)

はっきり言って「君たちはどう生きるか」は、全く観る気がない私だが、「オッペンハイマー」は是非見てみたい。別に原爆実験の爆発や、赤狩りに巻き込まれて公聴会を受けるシーン、などを、見たい訳ではない。同僚やライバルとして、多数登場するだろう物理学者達が、どのように描かれているかを見たいのだ。

オッペンハイマーはプリンストン高等研究所の所長だった。この研究所は、アインシュタインを筆頭に、欧州から亡命して来たユダヤ系物理学者の受け皿となった。第二次大戦後の物理研究の頂点といえる場所だった。パウリ、ダイソン、ディラック、ノイマン、ワイル、ウィグナーなどの、著名な物理、数学者達がここに所属していた。

戦前にオッペンハイマーがドイツに留学した際には、ボーア、ハイゼンベルク、ボルン等の量子力学の立役者達との交流もあった。マンハッタン計画に参加していた際には、フェルミ、ベーテ、ファインマン達とも付き合いがあった筈だ。チョイ役で良いので、彼ら歴史に残る多くの学者達が、どのような風貌で描かれて、どんな言葉を語るのかを、是非見てみたい。私が文章で読む彼らの印象と、どのように違うのかを知りたい。それだけだ。

以下の引用記事によると、映画には日本人は登場しないらしい。そうすると、日本からプリンストンに留学した、湯川秀樹、朝永振一郎、南部陽一郎(言わずと知れた日本人物理学者の最高峰)、内山龍雄(後述のヤンより先に、一般化ゲージ理論の概念に到達した学者、阪大の伏見康治の弟子)、柳瀬睦男(日本の科学哲学会の影の主役、村上陽一郎の師匠でもある)、等の学者達も、やっぱり登場しないのだろう。残念なことである。

プリンストン研究所は頂点だけのことはあり、環境はなかなかに熾烈だったようだ。あるインド系の物理学者が亡くなった際に、アインシュタインは、お悔やみの言葉として、その奥方に「私達は御主人の御遺体については、哀悼の意を捧げます」と語ったという。驚くべき非常識さである。そのような厳しい様子を、監督はどのように表現しているのか、なかなかに興味がある。

中国人初のノーベル賞物理学者となった、チェンニン・ヤンくらいは、せめて出ていないのだろうか?素粒子物理学の分岐点となった一般化ゲージ理論について、プリンストンでヤンが初めて発表した際に、パウリが凄い剣幕で文句を言い始めたため、ヤンの発表が中断し、オッペンハイマーが仲裁に入ったという、有名なエピソードがある。映画で一度見てみたいと思うのだが、多分ないだろうな。

(引用始め)

映画『オッペンハイマー』 「原爆の父の物語なのに日本人が出てこない」のはなぜ?
8/1(火) 18:30配信

「原爆の父」ことJ・ロバート・オッペンハイマーの生涯とその時代について描かれた、クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』は高い評価を得ている。

一方で、原爆の父の物語でありながら、その原爆の被害にあった日本人が映画内にまったく出てこないのはどうなのか、との指摘もある。

アメリカによる広島と長崎への原爆投下は、戦争を終わらせるのに本当に必要だったのかーーという、原爆後の戦後史において「最も重要な議論に対峙していない」と、米誌「マザー・ジョーンズ」はノーランを批判している。

無論、ノーランは「大量破壊兵器を使用することは悪いことだ」との考えを表明している。

だが、同作品内でノーランは「“日本への原爆投下に正当性はなかった”という考えへの支持を明らかにしていない」ため、「太平洋戦争を終結させてアメリカを救ったのは、オッペンハイマーが発明した2発の爆弾だった」という物語にも読み取れるという。

同作ではオッペンハイマーが戦後、赤狩りの渦中で公職から追放されたことと、機密保持許可公聴会に焦点が置かれているが、このように仕上がったのは、ハリウッドの関心が偏っているせいではないかと、米紙「インテリジェンサー」は報じている。

また、ノーランに限らず、多くのアメリカ人が「戦時中の日本人について漠然とした考えしか持っていないからでは」と述べている。

ハリウッドが好きな戦争ネタは「ナチス、共産主義者、そしてそのスパイ」

一般的に、戦時中の日本人は「特攻隊員と、戦いが終わった後も長くジャングルで戦い続ける盲目的に忠実な兵士たちによって定義されており」、軍人ではない市井の日本人については知られていない。アメリカを攻撃し、戦争に持ち込んだのはナチスではなく日本人だったにも関わらず、ハリウッドは「ほとんど関心を寄せていない」という。

これについては、ハリウッドにはユダヤ系が多いこと、また、日本は他のアジア諸国の人々は迫害したが、オッペンハイマーしかりアメリカにも多数いるユダヤ人を迫害した歴史は持たないことが少なからず関係しているのではないかと示唆している。

もっとも、原爆は当初ヒトラーへ対抗するために開発された。だが、ナチスが敗北したことでターゲットは日本へ向けられた。

ノーランが作ったのはユダヤ系アメリカ人であるオッペンハイマーについての映画で、そのなかで必ずしも「日本人を忠実に描かなければいけないわけではない」。だが、オッペンハイマーを語るうえで「核」を外せないのと同様に、彼の人生と日本は切っても切れないものであるはずだと述べている。

ノーランは「オッペンハイマーが人類を核の時代へと導き、人類に初めて自らを破壊する能力を与えた。この事実に懸念を持つ」と語ってるが、一方で「その核の遺産(核の犠牲者たち)については曖昧だ」。核の破壊力の凄まじさ、およびそれが歴史の転換点になりうる可能性を示すシーンとして、作中では人類初の核実験「トリニティ実験」が描かれているが、それらを最も示すのは、トリニティ実験ではなく、一瞬にして焼却された、もしくは放射能中毒で(1945年末までに)死亡した広島と長崎の約22万人の犠牲者だと同紙は主張する。

実際に、この「核」によって、アメリカは戦後の世界の覇権を握ったわけだが、それはつまり「アメリカの世紀の幕開けは日本の犠牲者なくしては起こらなかったということだ」

そして、この視点がいまなおハリウッド、およびアメリカ人には欠けていると指摘する。

その証拠としてあげているのは、同作公開後に作家兼コラムニストであるカイ・バードの、同作公開後の米紙「ニューヨーク・タイムズ」への寄稿文だ。

バードはピュリッツァー賞を受賞した「オッペンハイマー『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」のほか、日本への原爆投下に関する著書などで知られる人物であるが、彼はこう書いている。

オッペンハイマーの人生の「本当の悲劇」は、(原爆の脅威を目の当たりにして、核開発に反対する主張を訴えるようになったことから)ソ連のスパイ容疑をかけられ、公職から追放され、屈辱を与えられたこと。そして、それがほかの有能な科学者たちを「公的な知識人として、政治の舞台に立ち、声をあげるのを思いとどまらせたこと」だと。

これに対し、インテリジェンサーは「本当の悲劇」は、彼のたぐいまれな頭脳が、すでに彼にとってもアメリカにとっても、ほとんど脅威ではないと分かっていた国(日本)の破壊に使われたこと、しかも、その22万人以上の犠牲者の大多数が洗脳された特攻隊員でも兵士でもなく、武器を持たぬ市井の人々だったことだと述べている。

COURRiER Japon

(引用終わり)

相田英男 拝