あんたら、これからどうなるか、わかって言ってるんだろうな?俺はもう知らんからな

相田英男 投稿日:2020/11/13 22:08

相田です。

 学術会議問題については、状況が膠着している。このまま人数不足のままで、活動を余儀なくされることになりそうだ。産経新聞系のニュースは、学術会議側に厳しいコメントを出し続けている。共産党系の左翼学者達をのさばらせるとは何事か、と、激しい剣幕である。

 でも、このようなことは、これまで繰り返し起きている。以前の同じ出来事については、誰もがすっかり忘れているらしい。大学から、左翼系の学者や学生達を排除した結果、どのような事態が現出するかを、昔の事例から振り返ろう。ソフトウエア研究者の今野浩氏が書いた「工学部ヒラノ助教授の敗戦」(青土社、2012年)から、一部を引用する。

 詳しい説明は省くので、実際に本を手に取ってご覧頂きたい。

(引用始め)

 この後間もなく大学のあちこちで“ヒラノは民青だ”というビラが撒かれた。反共の斗士・福田副学長がリーダーシップを取る筑波大学で、民青のレッテルが貼られたら致命傷になりかねない。

 またある晩、駐車場に停めておいたカローラのタイヤが、鋭利な刃物で切りつけられる事件が起こった。もしこれに気づかずに高速運転していたら、タイヤが破裂していたかもしれない。(中略)

 そこでヒラノ助教授は、民青でないことを証明するため、またTCIAに守ってもらうために、学生担当教員の仕事を引き受けることに決めた。しかしこれで得たものは、“勝共連合の頭目・福田信之の手先”という、“民青”とはケタ違いの勲章だった。

 学生担当教員という言葉を耳にしたとき、一般市民は何をイメージするだろうか。恐らく10人中9人は、様々な悩みを抱える学生の相談に乗り、助言や励ましを与える心優しい教員だと考えるのではないだろうか。

 表向きはそのとおりである。しかし実際はどうかといえば、学生運動を阻止するために組織された特殊部隊、それが“学担”である。

 国が巨費を投じて筑波大学を作った理由の一つは、文部省の意向どおりに動く大学を設立し、これを足場に全国の大学への管理体制を強めることだった。この目的を達成するには、教授会の権限を弱めた上で、学生自治会を廃止するのが手っ取り早い。(中略)

 筑波大学の成り立ちを知っている教員は、このような体制を批判しようとはしなかった。それがどれほど危険なことかを熟知していたからである。(中略)

 しかし、もう一方の学生の自治権剥奪は、それほど簡単ではなかった。学生は、教員と違って失うものが少ないからである。また入学の際に、左翼学生を排除するようなことは出来ない。(中略)

 気に入らないからといって、自治会を完全に否定するのはいかがなものか。学生は子供ではないのだから、意見を述べることができないのでは可哀想だ。しかもその一方で、(福田副学長黙認の下に)反共思想を背景とする“原理運動”が勢力を学内で伸ばしていた。学生運動と原理運動を比べれば、その影響は後者の方が遥かに大きい。

 実際、ヒラノ助教授は学生担当教員として、原理運動グループから離脱を試みてリンチにあい、発狂してしまった学生を親に引き渡すまで、三日間にわたって見張らされたことがあるが、その学生の言葉の端々に、リンチの凄まじさを垣間見て、背筋が凍る思いを経験している。

 全共闘運動は納まったものの、成田空港第二期工事を巡る“三里塚闘争”がピークを迎えていた。しかし、原理のようなカルト集団に比べれば、三里塚反対運動などたかが知れている。

 八十万坪もあるキャンパスの中で、十数人の学生がプラカードを掲げて「成田空港建設反対!」と叫んだところで、どれほどの実害があるというのか。ところがこの大学では、一般学生への伝染を恐れて、立て看板もデモ行進も一切禁止である。そしてこれに違反すれば、即刻停学である。

 学担教員は、しばしば自分達を“学弾教員”と呼んでいた。学生を弾圧するのが任務だという意味である。したがってまともな教員は、なるべくこの仕事を割り当てられないように警戒していた。

 この仕事を引き受けるのは、学生運動潰しに共鳴する右派教員と、実体を知らずにうっかり引き受けてしまったナイーブな教員、そしてこれを引き受けることによって、大学の中で生き延びようとする教員の三種類に限られた。(中略)

 筑波から二十キロほど北にある「個沼青年の家」に(学担研修旅行で)移動するバスの中から、タカ派事務官による教宣活動が始まった。筑波大学にとって学生運動がいかに有害かが、移転に伴う紛争の事例を引き合いに出して、こと細かく解説された。

 “一旦騒ぎが起きれば、ジャーナリズムの批判を浴びる。そうなれば、筑波大学の存立が危うくなる。また学生運動に参加することは、学生本人にとっても大きなマイナスになる。不幸な事態を避けるために、学担要員が一致協力して、学生の動きをチェックすることが必要である”、云々。

 宿につくと、夕食のあと研修会が始まった。全共闘・革マル・中核派など、様々なセクトの成り立ちとその行動パターン、学内における不穏分子の名簿等が配られた。事務官と学担教員が行う一連のレクチャーは、まことに良く整理されたものだった。

(引用終わり)

 左翼系の学者達の活動が目に余る、と、追放した後の大学に残る風景が、上の文章に、あからさまに描かれている。こんな大学に通って勉強したいのか?自分の息子や娘を、こんな大学に通わせたいと、世間の多くの親達は願うのであろうか?

 私ならば、上のような福田副学長の大学に通うよりは、白井聡のいる大学でマルクスの講義を聞く方が、はっきりいって遥かにマシだ。究極の選択ではあるが。資本論を読んだ方が、統一協会の経典を読むより、大いに勉強になると私は思う。でも、他人の考えは定かで無い。

 極端な考えの少数人物達を排除すると、中道のバランスが取れた集団になるだろう、と期待するのは、大きな間違いである。その後に出現するのは、逆方向に振り切れた思想を持つ少数派に牛耳られた世界である。現実は甘い物ではない。

相田英男 拝