あんたは黙っていればよかった
相田です。
学術会議の任命拒否に関する質疑が、国会で始まった。予想通りではあるが、並行線の議論が延々と続いている。識者から出てきたコメントの中で、あの保守の論客として知られる三浦瑠麗氏が、予想に反し、学術会議側を擁護するツイートを行い、話題になっているようだ。
(引用始め)
J -cast ニュース
2020年10月02日14時43分
国際政治学者の三浦瑠麗氏が2日(2020年10月)にツイッターを更新し、日本学術会議推薦の新会員候補の内、安全保障関連法や特定秘密保護法などで政府に異論を示してきた6人が、菅義偉首相によって任命されなかったことは「学問の自由」の侵害ではないかとされている問題にコメントした。三浦氏は
「学術会議の任命にあたり6人を排除したことは禍根を残すだろう。私の隣接分野からいえば宇野重規さん、加藤陽子さんは書き手としても優れた方だが、そもそも彼らの本など読んだこともないだろう人々が、何らかの記事をもとに名簿を浚い問題アリのチェックでも入れたのだろう」
と、任命以前の段階に瑕疵があったと推察。続けて、
「業績の中身を知りもしない人間が新聞記事程度の情報をもとに、こういうつまらない口出しをやり出したとき、社会は劣化する。学者の政治的意見で選別すべきでない。学問の自由というのは学者が必ず正しいということではなくて、不味かろうが美味かろうがパン職人にパンを作らせろということだ」
と主張した。
(引用終わり)
相田です。彼女も、流石は学者だけの事はあり、今回は、自分の立場に危機感を覚えたようだ。周りに持ち上げられている間は良いが、流れが変わって、辛い立場に立たされた時に、「総合的、俯瞰的な立場から」という判断で、説明も無くクビを切られたりするのも許されるなら、一大事である。しかし「総合的、俯瞰的」というのは、なかなかに、すごい言い訳だ。以前にトランプ大統領の報道官が、大統領のコメントに「オルタナティヴ・ファクツ」と、述べて話題になったが、あれに匹敵する名言である。人をなめるのもたいがいにせえよ、全く。
さて、今日の本論は三浦瑠麗ではなくて、以下である。村上陽一郎(むらかみよういちろう)という元学者がいる。毎日新聞に時々、何だかわけの分からない、人を煙に巻くような書評を書くので、知っている方もいるだろう。
彼の本業は、科学史であり、日本の科学史界のボス的な存在だった。その村上氏が、今回の学術会議事件についてのコメントをネットに書いていた。私は、実は、彼のコメントを密かに期待していたが、早くも収穫があった。以下に全文引用する。
(引用始め)
学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?
2020.10.07 WirelessWire News
日本学術会議次期会員の推薦候補の一部を内閣が任命しなかった事について、出発点から、「学問の自由の侵害」と捉え、糾弾するのが新聞輿論のようです。一部の学者や識者層も、その立場で動こうとしているようです。しかし、客観的に見れば、この主張は全く的外れであることは明瞭で、間違いの根本は「現在の」日本学術会議に対して広がっている幻想、あるいは故意の曲解にあります。
日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況下で総理府の管轄力は弱く、七期も連続して務めたF氏[相田注:おそらく福島要一のことだろう]を中心に、ある政党[相田注:明らかに共産党]に完全に支配された状態が続きました。特に、1956年に日本学士院を分離して、文部省に鞍替えさせた後は、あたかも学者の自主団体であるかの如く、選挙運動などにおいても、完全に政党[相田注:明らかに共産党〕に牛耳られる事態が続きました。
今、思えば、そうした状態を見ぬ振りで放置した研究者や会員に大きな責任があるのですが、見かねた政府が改革に乗り出し、それなりの手を打って来ました。1984年に会員選出は学会推薦とすることが決まり、2001年には総務省の特別機関の性格を明確にし、2005年には、内閣府の勢力拡大とともに、総理直轄、実際には内閣府管轄の特別機関という形で、日本学術会議は完全に国立機関の一つになりおおせました。
もちろん、この動きに反対する活動も無かったわけではないのですが、政党[相田注:明らかに共産党]支配に不満を持つ一部会員は、この政府の動きを支持し、一般の会員の大部分はここでも成り行きに任せた状態のままでした。
その結果として、今回、菅首相が主張する、日本学術会議は国立の機関として、首相・内閣府の管轄下にあること、その会員は(特別)公務員としての立場にあること、その任命の権限は内閣・首相にあること、といった内容は現行の規定に従えば、まず疑問の余地のないところです。
実際、今回の件で、自分の学問の自由を奪われた人は、一人もいません。強いていえば、任命を見送られた方の中で、学術会議会員の資格の欲しかった方は、希望の就職の機会を奪われたことになるわけですが、それも就職の際には、常に起こり得ることと言わねばなりませんし、どんな推薦があっても採用されないという人は出るものです。採用されなかった人に、その理由を細々と論って説明する義務は、選考側には通常は無いはずではないでしょうか。
そうした事情を抜きにして「学問の自由」を訴えるのは、完全に問題のすり替えであって、学問の自由の立場からすれば、却ってその矮小化につながる恐れなしとしません。むしろ、学術会議の会員になること自体が、ある立場[相田注:明らかに菅総理と自民党政治家等に繋がる学者達]からすれば、学問の自由に反する行為になる可能性さえあるのですから。
村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)
上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。
(引用終わり)
相田です。村上にしては、意外にもわかりやすい内容の文章である(皮肉)。それでも、村上特有の、意図的に記述をボカした部分があるので、私の方で[]を後付けして、説明を追加した。この方が、村上の考えが明白になる。私は、曖昧さを許さない。
読んでわかるが、村上は学術会議側に手厳しい批判を浴びせている。共産党に牛耳られている集団を成敗する、菅首相の対応の何処が悪いのだ、と村上は断定する。確かに事実は、村上の言う通りではあるのだろう。
ただしである。私は訊ねるが、あんたは元は、日本の科学史界の頂点にいたのではないか?科学史という学問は、科学と一般社会の間を繋ぐ事が、重要な役割の一つでは無いのか?日本学術会議は、国家の自然科学の方針を定める重要な場所の一つであろう。その組織が深刻な問題を抱えている事を、現役の若い時から(現在は80台半ばの老人)よく知っていたにも関わらず、あんたはそのまま見過ごして来た。その対応は、一流の科学史家として、如何な物であろうか?
他の研究分野ならば言い訳もできよう。しかし、あんたは科学史家だった。(今はリタイアしただろうが)科学史家ならば、学術会議の深刻な問題について、論文や著作を書く事で、状況の改善を図るのが、当然の責務だったのではないか?国家と社会の利益の為には。現に広重徹は、学術会議の発足以来から抱える問題を、文章に詳しく書き残している。広重がやれて、あんたにやれない理由は、いったい何だ?科学史家の位置付けとして、広重の後を継いで、科学史界をリードして支えるのが、あんたの役割だったのではないのか?私は、ずっとそう思っていた。
それを、現役の時には、何も書かないで放置して、いざ、学術会議が世間から叩かれ始めてから、自分はリタイア気楽な立場から、共産党だなんだと批判する。こんな対応は、如何な物であろうか?こんな短い駄文では無く、詳しい論文にして、分析と問題提起を何故しないのだ?この駄文が「元科学史家」としての、責任ある対応と言えるのか?せめて、広重の「科学の社会史」の記述を引用して、何かコメントしろよ。
以下、ある団体が出した、政府の対応についての声明文を引用する。
(引用始め)
内閣総理大臣による第25期日本学術会議会員候補の任命拒否について
科学技術社会論学会理事会は、表記の件について日本学術会議が菅内閣総理大臣宛に提出した「第25期新規会員任命に関する要望書」 (2020年10月2日)に賛意を表明し、①推薦された会員候補者が任命されない理由の開示と②任命されなかった会員候補者の速やかな任命を求めます。
意見の多様性と批判に開かれていることを尊重する当学会は、日本学術会議の使命に共感するとともに、政府の一方的な排除の姿勢と議論の不足を深く憂慮します。
2020年10月6日
科学技術社会論学会会長
調 麻佐志(しらべまさし)
(引用終わり)
相田です。村上氏には、直接の弟子や、著作により影響を受けた、多くの若い研究者達がいる。科学技術社会論学会とは、彼らの多くが所属して、論文を書いて活動している組織の筈だ。私はそのように認識している。その学会から、「学術会議の使命に共感する」と明記された声明文が出されるのは、一体どういう訳であろうか?村上の意思に反して、科学技術社会論学会の会員達は、共産党に寝返ってしまったのであろうか?はたまた、共産党の強い圧力に屈して、不本意ながらも、一時的に賛意を表明しているだけ何だろうか?
私には、あまりにも不可解である。
あんな駄文をネットに挙げる前に、村上は自分の弟子達を「共産党に寝返るな」と、説得に行くべきだろう、と、心配するのは、私の要らぬ世話であろうか。
今回、はっきりしたが、村上陽一郎は、東大が育てた体制擁護の御用学者達の、首魁の一人である。その明白な証拠が、今回の駄文だ。この文章は、科学史家としての村上にとっての自殺行為である。何も書かないで、やり過ごすべきだったが、歳をとって分別が無くなって来たのか。
明らかな記録として、村上の文書をここに残す。
相田英男 拝