あんたは自然死するだろうが、科学はまだまだ生き残ると俺は思うぜ。爺さんよ、頼むから要らぬ心配をするな。

相田英男 投稿日:2020/11/10 17:14

相田です。

くだんのご老人が、学術会議のコメントを追記していた。せっかくなので引用する。私のコメントは、かったるいので文中に直接書き込んだ。

(引用始め)

続・学術会議問題 手続きの合理性と学問の自由は別次元にある
2020.10.13 村上陽一郎

[10月22日 追記]

いろいろと、私の目に触れないところで、私論に対して激しい批判があるとのこと。不思議でなりません。
  →(相田書込み)そりゃ批判文を読まずに内容を把握していなけりゃ、不思議でならんであろう(書込み終わり)

私の論点は、極めてシンプルです。今度の出来事で「誰か、実際にご自分の研究の自由を侵害された被害者がおられますか?」この一点です。
  →(相田書込み)別に研究の自由の侵害が、今回の主要問題とは、私も思わない。杉田官房副長官の悪巧みを公にせよ、と大勢が求めているのだが。あんたも相当な「論点ずらし」の使い手だわな。加藤官房長官に手ほどきを受けたか?(書込み終わり)

かつて、学術会議が政党的な力に支配されていたとき、そうでない傾向を持つ研究者は、意図的に排除される傾向にありました。私は、それを「研究の自由」の侵害とは見ていません。最初の文章でも、そう書いたつもりです。「今の論調からすれば、『学問の自由』の侵害になるのでしょうが」という意味の書き方はしましたが。それは、そのことで、その人が研究遂行上何の害も被っていなかったからです。「被害者」(あくまでも、研究遂行上の、です)はいない。だから、論理的には、抽象的な「学問の自由」論で攻めても、政府側は痛くも痒くもないのは当然です。
  →(相田書込み)だから、学問の自由の侵害は、主要問題じゃないんだってば(書込み終わり)

もちろん、問題を「学問の自由」論に読み替えることで、政府の失点を稼ごうという政治的意図であるならば、それは一つの政治上のマヌーヴァ―でしょう。そして、そのマヌーヴァ―は、新聞世論の人々の同調を得る意味では成功していますが。
  →(相田書込み)なんでそうやって、妙なカタカナ言葉を使いたがるかね?「マヌーヴァ―」だって。普通に「策略」と書けばそれで済むだろう。漢字を知らんのか?「マヌーヴァ―」と書けば、何やら神妙な、奥深い意味が隠れているかもしれん、とか、読者に思わせるのを期待してるのか?アホの世界よ、全く(書込み終わり)

本来、筋が通った戦いの攻め口は、今までは曖昧な形で慣行とされてきた「仕来り」を、今回は何故破ったのか、という一点でしかないはずなのです。そこは、追求してみて欲しいと思っています。
  →(相田書込み)ここの部分だけは、俺も内容に同意する。それにしても、よくもここまで、持って回った、わかりにくい、思わせぶりな記述が書けるものだ。ホトホト感心する(書込み終わり)

(引用終わり)

相田です。さて、今回も短いけど、何やらようわからん思わせぶりな文章やねえ。とはいえこの爺さん、他人の書いた批判文は結構気にするみたいなので、これで頭が「カ~ッ」となって、また面白い文を書くのを期待している。

村上の弟子達の科学史家連中も、最早、村上の一連の文章を無視したままで、今回の学術会議問題に触れる事はできまい。自分達もネトウヨの片棒を担ぐことになるからだ。大変楽しみな事であるよ。

相田英男 拝

(追記)

本投稿のタイトルは、村上陽一郎が雑誌「論座」に先日書いた、「日本の科学研究が衰弱死する」という論考への当てつけである。論考の中身は私は読んでいない。が、読まずともほぼわかる内容だろう。

爺さんが見てきた「科学」とやらは、巨大な存在の中のごく一部に過ぎない。日本の科学は極めて頑強だ。爺さんが心配せずとも、「衰弱死」などする訳がない。あんたの知識は、所詮はあまりにも狭く、偏り過ぎている。妄想に浸りすぎである。

以上