[996]カザフスタンについて

会員番号5533 投稿日:2012/06/25 00:30

 会員番号5533です。福島では,私は二本松の温泉にもつかり,数日間,硫黄のにおいが肌に残り本当に鉱泉という感じがしました。旧ソ連では,ロシアとカザフスタン国境近くのアルタイや,タジキスタンのパミール高原の温泉が有名です。万病が治ると言われ,いずれも山岳地です。アルタイは,「ウラル・アルタイ語族」と言われるように,日本人の祖先の地と言われます(マンモスを追って,魚好きは極東に行き日本人となり,肉好きはカザフに残ったと,カザフ人は言います)。
 さて,前回ベラルーシを紹介して,「学問道場的に(吉見さんいわく)」もう少し書きたいことはあるのですが,とりあえず,もう1つの関連の国,カザフスタンについて書きます。カザフのセミパラチンスクでは,ソ連時代に地下を含め核実験が450回以上行われ,人体への後遺症も含めて,データは全てモスクワに送られた,と言われます。
 私は,かつてカザフスタンの首都アスタナにいました。アスタナは,フルシチョフ時代に小麦栽培地として開拓され,「Целиноград(ツェリノグラド,ロシア語で処女都市)」と呼ばれました。停滞の象徴のように言われたブレジネフ書記長もカザフのアルマティにいたことがあり,地方開発(「自然大改造計画」)には意を尽くしたようです。
 アスタナは,冬はマイナス30度にもなりますが,空気も清潔で,きちんと着こめば大丈夫です。カザフは,旧ソ連時代,「カザフスタン及び中央アジア」と呼ばれ,自分たちは,ロシアに次いで,少し別格なのだと言う意識があります。一時は,ロシア系住民が5割を超え,今も,他の中央アジア諸国と比べて多いので,小ロシアの感があります。ナザルバエフ大統領は,首都アスタナに近い,炭鉱都市カラガンダの製鉄所の労組議長からのしていき(現在はインドのミッテル社が所有),ソ連解体を阻止しようと努めました。ゴルバチョフの後は,ソ連の大統領になるはずだった,と言う人までいます。91年12月,独立国家共同体(CIS)会合も,カザフのアルマティで開催されました。カザフは,ソ連は解体してほしくなかった国の1つです(ちなみに,副島先生の著書で,カザフの写真の説明には違っているところがあります)。
 カザフ人の顔つきは日本人に近く,赤ん坊のお尻には蒙古班も出ます。ロシア人の血も混じっているのか,なかなか美男美女です。ロシアにならって(?),技術革新に力を入れようとしていますが,ものづくりの力は強くないと思います。でも,石油,ウラン,レアメタルが豊富にあり,「実物資産」の時代を知っているのか,結構いばりがちです。東芝他,日本企業(銀行含む)は2006年以降進出を加速しましたが,カザフ人にとっては,「おー,よく来たな」と言う感じです。
 というのも,2000年代前半から石油価格の高騰に支えられ,外貨を貯める一方,金融面では世界銀行から顧問を招き,基金を設立し,その運用に努めてきました。自分たちは,中進国で特別なのだ,というプライドも極めて強く,日本に対して勤勉さや技術力ではかなわないと思う一方,独特の「選民思想」から,非資源国を下に見る傾向もあると思います。
 ロシアを恐れる意識はやや弱まる一方,中国への恐れ(単なる資源供給地となることへの反発)も強いです。ロシア,ベラルーシとともに関税同盟を構成しているので,ロシアを支える意識ももちろんあります。
 アメリカとの関係は,独立当初,ナザルバエフ大統領にアメリカからの資金が渡ったという「カザフゲート」事件が,昔からささやかれていて,そこが,アキレス腱とも言われます。
 数年前に,首都アスタナに,その名も「ナザルバエフ大学」が設立されましたが,学長には日本人で,前・世銀副総裁(勝茂夫氏)を呼びましたが,いつも勤務しているのかどうかわかりません。また,アスタナには,「ユーラシア思想」を唱えたグミリョフにちなんで,グミリョフ名称ユーラシア大学があり,ユーラシア大陸の中心を自負しています(ただし,経済・学術は南の旧首都アルマティの方が進んでいます)。
 カザフは,かねてから国連に,援助機関設立の支援を求めています。2006年にはユーラシア開発銀行(れっきとした国際機関です)をロシアと設立し,旧ソ連を中心とした加盟国に対する財政支援やインフラ整備などの融資を始めています。本行はアルマティにあります。ただし,貸付金の回収を重視し技術的実施可能性をあまり重視しない点は,欧州復興開発銀行(EBRD)に近く,世界銀行やアジア開発銀行とは異なると言われます。
 カザフ人の友人から,世界のトップクラスが,秘密裏にカザフに金融センターの設立を決めたと,という話を聞きました。 なるほど,副島先生の言われることは,いろいろ補強材料が多いかなと感じています。