[951]福島本部活動日誌です83
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年3月26日の日誌です。
午前7時15分、検問所方面へ、八戸ナンバーの車と春日部ナンバーの車が走っていきました。
原発へいっているようでした。
午前9時20分、燃えるゴミを捨てに行きました。
原発に向かうと思われる二台の車とすれ違いました。中の人はタイベックスーツを着ていました。
午前9時25分、電話・ネット回線代を郵便局で振り込みました。5998円でした。
郵便局の脇には、4月1日から川内村に走るらしいバス路線の、新しいバス停の標識が置いてありました。
午前9時半、牛を乗せた家畜運搬車が399線を走って、おそらく288号線に行きました。水戸ナンバーでした。
午前9時40分、古道体育館に行って見ました。中の荷物や張り紙等が無くなり、原子力研究開発機構は完全に撤収していました。
都路行政局には、新しくモニタリングポストが設置されていました。
午前9時45分、かなりの吹雪になりました。積もらないことを祈るばかりでした。
郵便局に振込みに行けておいてよかったです。
夕食は、ブロッコリーと炒めた玉葱のスパゲッティ、ご飯、海苔、梅干し、でした。
炭水化物が重なりました。
冷蔵庫を一旦何も無くそうとしているのですが、マヨネーズのみ多量にのこってしまっています。
雪は夜にかけて降りましたが、積もるまでにはなっていません。
今後の天気予報を見て、積もりそうではないので安心しました。
28日か31日、都路の警戒区域解除に関する説明会があるらしいので、行けるなら行きたいです。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月27日の日誌です。
今日は、やけに機動隊車両が行き交っていました。
洗濯をしました。
強風で洗濯物が何度も落ちました。
6時にあったはずの、28日開催の警戒区域解除に関する住民説明会の告知を聞き逃してしまいました。
夕食は、スパゲッティにオリーブオイルをかけただけのもの、カレー、でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月28日の日誌です。
朝食は、カレーでした。急いで腹に詰め込みました。
午前7時のバスで船引に、午前8時2分船引発の電車で三春に行きました。
船引小学校では、児童たちが校舎に入っていく所でした。オリエンテーションがあったのでしょうか。あるいは、原発事故の影響で出来なかった授業の補習でしょうか。
モニタリングポストは、校庭側から表示が見えるようになっていました。
(写真は帰り道で撮ったものです)
三春駅から3.2km歩いて、O観光に行き、4月28日~30日の暫定の予定を伝えました。
途中にあった小さな川が、一級河川とされていて、驚きました。雪融けの時期には水量が多いのでしょうか。
オールスター観光の近くの道を「富岡町民専用」と張り紙のしてあるバスが走っていました。
(←このバスなのですが、撮影のタイミングを逃しました)
近くに「富岡町三春出張所」という看板がありました。
帰り道では、町のホールで田村高校のオリエンテーションが行われていたようでした。近くの民俗資料館の駐車場が満杯でした。
この地点のモニタリングポストは0.267μSv/hを示していました。
自分の敷地内で、幼児を遊ばせている母親がいました。
三春町は普通の町らしい町で、普通の暮らしが戻っている様に見受けられました。
スーパーの駐車場も満杯でした。
午前11時31分三春発の電車で、船引に戻りました。
船引公民館には根雪が残っていました。
船引では、何処で「都路の警戒区域解除に関する説明会」が行われているのか、事前に調べてもわからなかったので、これに出るのは諦めました。
(そもそも私が出られるものだったのかもわかりません。)
代わりにダイユーエイトで、(壊れてもいい安い)食器を18個購入しました。他に食料品なども購入しました。
その後、午後1時55分に帰りのバスに乗り込みました。
帰りのバスの中で、運転手と都路に住んでいるという人が世間話をしていました。
「ガスがこの前値上げになったけど、それ以上に石油の値上がりが激しくて困っている」
「岩井沢にある工場や加食センターは、地震で設備が目茶目茶になった。加食センターは、原発の影響もあって、事業を取り止め更地にするそうだ」
「米は兎も角、畑で野菜類は作って自家消費していいようになった、という話を訊いた。本当かどうかはわからない。どっちにせよ作っても売れないし、怖いので作らない」
「農地は遊ばせておいても仕方ないのだが・・・」
「会津まで米を買いに行った」
「孫が休みの時期にも帰ってこなくなった」
「都路の人は仮設を貰っているので、戻ってこない」
「原発は暫く収束しないだろうし、もう一度地震が来たら本当にやばいんじゃないか」
「バスは川内村まで延びるけど、途中の道路が壊れている所は、バスの運転手としては通れるか不安だ」
「川内村の村長は偉いよ。国会まで行って首相と手を組んできて」
と言っていました。
船引保健センターで、都路の警戒区域の解除に関する説明会が行われていたそうです。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120329k0000m040097000c.html
行けなくて、悔しかったです・・・。
明日、加藤さんのイベントが午前9時から船引であるので、出来ればそこで話を聞きだしたいです。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月29日の日誌です。
午前4時、ご飯だけは炊いておきました。(ただ、無駄になってしまいました。)
午前6時に、加藤さん、菊池さん、それからお名前のわからないもう一人の方が来ました。
饅頭とお茶をお出ししました。
午前8時15分から、加藤さん達に同行させて貰い、船引の仮設住宅に行きました。
自治会長さんと待ち合わせをして、午前10時から始まることになりました。
仮設住宅の集会場には、原発事故に関する無料訪問相談会の知らせが貼ってありました。
仮設住宅の駐車場に車を停めて、4人で待ち合わせをしていると、以下のようなチラシを渡してくる人がいました。
仮設内には、犬の糞への注意書きが出来ていました。
その近くでは、5歳くらいの子供と老人が遊んでいました。
駐車場には赤十字の車が停めてありました。
集会場の入り口付近には、東京都足立区などからの応援メッセージが貼ってありました。
その中に広告に近いようなものがありました。(これ位はいいのでしょうか)
仮設住宅の一部の部屋は、それなりの規模の改修工事がされているようでした。
午前9時5分から9時35分まで、時間潰しのために、すき屋に寄りました。
朝食のメニューを見て、微妙に高い・・・、と思いました。
午前9時55分、加藤さん達によるバグパイプ等の演奏イベントが始まりました。
場所は仮設住宅の集会場内で、始まる前に自治会長さんの挨拶がありました。
20人ほど観客がいました。仮設の集会場内では、バグパイプの音はかなり大きかったかもしれません。
菊池さんはフルートを演奏しました。
http://www.youtube.com/watch?v=LQJLt0Hv4Ik&feature=relmfu
演奏終了後、お茶を飲んで地元のお年を召された方々と話したのですが、
「どこかでみたことあると思ったら、あの都路のとこの人かぁ」
と言われました。
終了後、仮設近くのファミリーマートで加藤さん達と別れました。
仮設住宅の近くに、新しい肉屋が開店していました。
常葉町に本店がある肉屋で、商機を見るに敏です。
仮設住宅から一番近い酒屋は、灯油も販売しているのですが、確かに価格が上昇していました。
リオンドールとダイユーエイトで、食品、安い食器8個、使い捨てのプラスチック皿60枚、を購入しました。
バスに乗り、午後3時に事務所に戻りました。
午後3時40分、検問所に行きました
神奈川県警の警察官でした。
「4/1で都路の警戒区域が解除になるけど、288号線の検問所は大熊との境になるのですか?」
と訊いてみたのですが、
「すみませんが職務に関する事ですので、お答え出来ません」
と返ってきました。
この後、2つの別な質問をしても、
「職務に関する事ですので、お答え出来ません」
と返ってきました。
(この返答ですが、逆に「職務だから答えなければならない」と思うのですが・・・)
(注:後日聞いてみたら、警戒区域の解除自体を知らなかった、とのことです。)
(転載終わり)