[944]コミュニタリアン=グローバリストの市場に対する接し方は正しいか

加地 龍太 投稿日:2012/04/15 23:44

「副島隆彦の学問道場」学生会員 会員番号7416番
加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下「~だ。~である。」調にて文章を記載します。

「コミュニタリアン=グローバリストの市場に対する接し方は正しいか」

共同体は、社会・諸団体・国家などの人間集団のことである。
個人は、国家または社会集団に対して、それを構成する個々別々の人のことである。

マイケル・サンデル氏が代表するコミュニタリアン(共同体優先主義者)たちは、
個人は共同体があってこその個人であり、非常に失礼ながら力の弱いとされる人間たちにも最低限度の人間らしい生活を政府が提供するために政府の権限を増大させることを望む。
コミュニタリアンがそう主張する理由は、ウォール街の権力者たちの世界経営のための布石である。
グローバリストは、「福祉優先主義=国家優先主義」の名の下に増税して集めた税金を予算として国防総省にまわし、ウォール街の海外権益を守るために海外派遣されている米軍の資金にアメリカ国民の金銭である税金を使用している。そして、現地で殺人をしている(米軍人側が殺される場合も含めて)のである。

ゆえに、マイケル・サンデル氏が代表するコミュニタリアンとは、グローバリスト(地球支配主義者)の手下であり、繰り返すがグローバリストたちの世界経営のための布石になる仕事をしているのである。
このような事実を知らない人間たちが、マイケル・サンデル氏の著作や白熱教室などによって思想を植えつけられ、政府の権限を巨大化させ、政府が市場や個人を抑圧する中央集権主義を肯定しているのだと思われる。
そして、コミュニタリアン=グローバリストは市場の法則を無視して政府が商品価格を決定したりする「統制経済」を敢行することを肯定する。

市場には、法則がある。コミュニタリアン=グローバリストは、「自然現象の法則」は人間の力ではどうすることも出来ないのだ、と認めている。
しかし、「社会現象の法則」は人間の力でどうにか出来るのだと考えている。それが間違いなのだ。
無論、リバータリアン派の人間ならば、ベンサマイト・リバータリアン(人定法=ポジティブ・ロー派)であれ、ロッキアン・リバータリアン(自然権=ナチュラル・ライツ派)であれ、バーキアン・リバータリアン(自然法=ナチュラル・ロー派)であれ、「社会現象の法則」である「市場の法則」は人間の力ではどうすることも出来ないのだ、ということを知っているはずだ。

しかし、現在の世界ではグローバリスト側の方が強いので、破産した企業に公的資金(税金)を注入するなど、国家が市場に介入する行為をする方が正しいということになっている。
市場の法則を無視すると、市場の報復を受けることになるのである。
以下、参考にした「小室直樹の資本主義原論」から引用する。

(引用始め)

●米価安の諸色高に水野忠邦はいかに対処したか

大岡忠相にもまして、「市場には法則あり」ということを、如実に、立証してくれたのが水野忠邦(1794~1851年)であった。
物価高で武士の生活が困窮するのは、幕藩体制の宿瘊(しゅくあ)=持病であった。
支配階級たる武士の貧困化にともなう士気の退廃でどうにもならないところまできてしまった。幕府も諸藩も財政破綻。いや、破産寸前。この点、平成九年の日本と同じ。
ちがう点は。平成時代の大蔵省役人とはちがって、幕府の権力者は、財政危機を拱手傍観(こうしゅぼうかん)したりしなかった。指をくわえて見ていたりはしなかった。何とかしなければならないと必死の努力を重ねたのであった。
さながら、アメリカの権力者(政府と議会)のごとし。

とくに、老中首座水野忠邦は、幕政改革(天保の改革)によって幕藩体制の危機をのり切ろうとした。異常な熱意と自信でのりだした。
幕藩の財政危機と武士の貧困化の原因は何か。米価は下落するのに、(その他の)物価は上がる。原因はここにあると忠邦はにらんだ。
では如何にするべきか。幕府の命令によって、この原因を除去しようとした。
これが実は、とんでもない間違い。忠邦は、「市場には法則あり」ということが、どうしても理解ができないのであった。
そのために、市場の報復(マーケット・リベンジ)をうけて、享保における大岡忠相よりもずっと大きな失敗をする羽目になった。スターリンや大蔵官僚と同じ陥穽に落ちたのであった。
米価安の諸色(その他の物価)高に幕藩体制の危機(財政破綻と貧困化)は由来する。
米価が基準物価として、(その他の)物価と相関して動くあいだはよかった。
ところが、だんだんと、米価と他物価との相関関係が小さくなり、米価は下がるのに諸色(他物価)は下がらないという傾向がつよくなったのである。

サアたいへん。一大事、幕藩体制の一大事。収入は減り支出だけが増大する。財政は破綻し、支配者たる武士は貧困化する。何としてでも物価を下げなくては。忠邦は決意した。
物価を騰貴させた原因を何か。風俗が華美になり、生活が奢侈(しゃし)になったからである。忠邦はこう考えた。生活を統制して贅沢をやめさせるにある。忠邦は、改革の政策目標をここにおいた。物価を下げるために贅沢追放。これを権力者の命令によっておこなうことにしたのであった。忠邦は、スターリンをはじめとする後年のソ連の指導者のごとく(人間)疎外を理解していなかったのであった。
社会(現象)には法則がある。この法則は自然法則のごとくに客観的なものであるから、
人間の意志ではどうすることもできない。無理に意志を押し通そうとしたってどうなるものではない。いやあるいは、社会の報復をうけることだろう。

「生活が奢侈(しゃし)に流れた」ことがいけないと言われたって。いったん身についた「贅沢」は、それが習い性となってしまえば、その習い性から当人じしんもすでに疎外されているのだから(客観的事実となりきっているのだから)これ一種の「本能」みたいなものである。命令されたってどうしたって、止められるものではない。

小室直樹先生 著「小室直樹の資本主義原論」 P14~15

(引用終わり)

加地 龍太です。
このように、人間には市場の法則をどうにかすることなど出来ず、無理にそれをどうにかしようとすると「市場の報復(マーケット・リベンジ)」を受けることになるのである。
3月24日の定例会での副島隆彦先生の公演で指摘された「ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント(ゴールドマン・サックスの系列会社)」のジム・オニール会長や、ECB(ヨーロッパ中央銀行)のマリオ・ドラーギ総裁などが、イギリス古典派経済学の始祖アダム・スミスが唱えた「神の見えざる手」を否定し「神の見える手」を唱えているようだ。
彼らは、市場の法則を無視し、市場介入罪という犯罪をしている。そして、その方が正しいのだ、と主張しているようである。

私は、上に述べたようにジム・オニール氏やマリオ・ドラーギ氏たちの考えに異を唱える立場であり、その方が正しいと考える。
従って、コミュニタリアン=グローバリストの市場に対する接し方は正しくない、と考える。

何かご意見があれば私のアドレスにメールを送って下さい。
宜しくお願いします。

加地 龍太 拝