[931]実業と政治の本質

加地 龍太 投稿日:2012/03/31 14:23

「副島隆彦の学問道場」学生会員 会員番号7416番
加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下「~だ。~である。」調にて、実業と政治の本質について思考したことを記載します。

政治家は、国家を運営する国家経営者である。
実業家は、自分の商いを経営する経営者である。

政治は悪魔の所業と言われる。国家という人間集団を経営する以上、
公共の福祉の名の下にマイノリティー(少数派)を犠牲にして前進してゆくことが正しいことだとされる。
政治家に取って最も大切なことは経世済民(経済)である。
経世済民とは「世の中を治め、人民の苦しみを救うこと。」である。
即ち、「国民の経済活動を守ること=国民を飢えさせないこと」である。(小室直樹先生 著作「日本いまだ近代国家に非ず」 参照)

この政治家に取って最も大切な経世済民を実行するために、敵対する政治家を犠牲にし、その人物に扶養されて生きている人間たち(家族や秘書や秘書の家族など)を犠牲にすることになったとしても、公共の福祉の名の下に政治家として無慈悲に決断し行動することが正しいとされている。

その政策活動によってマイノリティー(少数派)が犠牲になったとしても、
マジョリティー(多数派)である国民大多数が得をすれば、その政策を実行した政治家は英雄である。
以上のように、現実政治を動かすのは「人情」ではなく、徹底的に「政略」である。

実業は諸々の経済活動のことである。現在の経済学が研究の対象にしているのは、専ら「近代資本主義=アメリカ資本主義」である。
近代資本主義を成立させている原理は「淘汰」である。諸々の経済活動をしてゆく過程で、社会で需要が認められない会社は倒産(破産)し、需要が認められない個人は失業する。
この倒産(破産)と失業こそが、近代資本主義を成り立たせている原理である。(小室直樹先生 著作「小室直樹の資本主義原論」 参照)
以下に、参考にした「小室直樹の資本主義原論」から文章を引用する。

引用始め

市場の最大の機能は淘汰にあり。すなわち、失業と破産にあり。
市場は企業を淘汰して破産させる。労働者を淘汰して失業者とする。
破産した企業は市場から退出する。失業した(元)労働者も市場から退出する。市場から消え去る。淘汰されなかった企業と労働者だけが市場に生き残る。
生き残った企業は、資本主義市場に相応しい企業である。
生き残った労働者は、資本主義市場に相応しい労働者である。
いま、「資本主義市場に相応しい」企業を単に「企業」、同じく「資本主義市場に相応しい」労働者を単に「労働者」と呼ぶことにすれば、つぎの命題(文章)が成立する。

- 市場は労働者を作る。 -
また、
- 市場は企業を作る。 -
では、如何にして。
- 淘汰によってである。 -

資本主義は、労働者と企業とから作られる。資本主義のメンバーは、労働者と企業である。労働者と企業とがなければ、資本主義は生成も存続もできない。その労働者と企業とは、市場における淘汰によって作られる。
市場淘汰こそ資本主義の生命である。
市場で淘汰された労働者は失業者となる。市場で淘汰された企業は破産する。
ゆえに、
- 失業(者)と破産こそ資本主義の生命である。 -
という命題(文章)が成立するのである。

引用終わり

加地龍太です。このことからも明らかなように、実業を動かすものも
「人情」ではなく「実益」であるということが判る。
以上の観点から、実業と政治の本質は「悪」である。

極道者の世界=暴力界では、しばしば「人情」がヤクザ者=暴力団員たちを動かす原動力になることがあるようである。
尤も、暴力団も1つの人間集団である以上、集団として存続して集団として機能するために経済活動をしなければならない。集団が集団として機能するための要件は「資金源の確保」である。

それゆえ、暴力団員が「人情」で動くといっても、それは身分が低い連中がやることであって身分の高い連中は「組の実益」を行動の目的に据える。
これは実業家が「会社の実益」を行動の目的に据えるのと同じことだ。
そして、政治家(民族指導者)が「国益」を行動の目的に据えるのと同じことである。
私は暴力団の存在を容認する気はないが、政界も実業界も暴力界も
「実益=金銭」で動いているという現実を見れば、やはりこの世では「金銭を動かす権力者」が一番強いことになっているのだろうと思う。

この原理に基づき、今の所 世界の頂点になっているのはウォール街だ。
だが、今後数十年が経過すればユーラシア大陸が世界経済の中心地になっているのだろうと思われる。(副島隆彦先生 著作「中国バブル経済はアメリカに勝つ」「中国は世界恐慌を乗り越える」 参照)

以上のように、実業と政治の世界では「人情」は二の次だ。
第一に優先されるのは「実益」だ。「人情」は冷酷に言い切ればツールにすぎない。
尤も、現実的に考えて「人情」を蔑ろにする人間は成功しないだろう。
しかし、「人情」が実力を持つのは「実益」が確保されていることが前提である。
実業と政治は綺麗事では済まないのだ、と考えた。

何かご意見がありましたら私のアドレスにメールを送って下さい。
宜しくお願いします。

加地 龍太 拝