[926]福島本部活動日誌です76

吉見 おさむ 投稿日:2012/03/23 23:39

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年3月10日の日誌です。
情報の取捨選択が出来ていませんが、ご容赦下さい。・・・これでも非常に削りました。

午前6時に起床し、外出する準備をしました。外に積もっているかなりの雪は、そのままにしておくしか有りませんでした。
午前7時、バスに乗って船引駅に行き、磐越東線で郡山駅に行きました。

午前8時、郡山駅に着きました。
駅には予備校の宣伝と、テレビの地上デジタル化についての広告がありました。福島も3月31日でアナログ放送が終了します。
なお、地デジカを見ると、ネット上のAAであるクマー(英語圏ではPedobear)を思い出してしまいます。

郡山駅前では、雪の5センチ積もったバスが走っていました。

午前8時半、郡山駅前では「郡山元気発信フェスティバル」というイベントの準備がされていました。
お笑い芸人やミュージシャンを呼んで行われるイベントのようでした。

ふくしまFM、生協、その他企業などのテントがありました。

その中でも、郡山の陸上自衛隊のテントが、開始前からがかなりの数の人が尋ねていました。
活動中の写真や作業服、それにマスクや手袋等が展示されていました。















最初のステージでの演奏が、郡山の陸上自衛隊による演奏が予定されていたこともあり、ステージ上で打ち合わせをしていました。

駅前から少し離れた通りでは、商工会議所のテント、飲食物を用意したテント、田村市船引町のテントなどが設営されていました。


午前9時半、「郡山元気発信フェスティバル」の開催式がありました。



市長など、代表して挨拶をした4人の中に、遠藤雄幸川内村村長がいました。
(写真の向かって一番右に写っている人です)

午前10時、郡山駅前のビッグアイでやっていた「原発いらない地球のつどい」という反原発のイベントに行きました。

(あらかじめ申し上げておきますが、私はこの集会に来た人の大部分とは、かなり考えが違います。念のため。
彼らの主張も聞いておきたかったので、行ってみました。
・・・ただ、こういうイベントに出るということは、反原発の人間だとみなされてしまうのでしょうか・・・。)
エレベータ付近の部屋では、食品の放射能測定が行われていました。

来ている人は、独特の雰囲気を持っている人が多かったです。(わかりにくい例えですが、経産省付近に行った時、道を歩いていたスーツ姿の人達と反対の雰囲気でした。)
3月11日もそうだったのですが、マスクをしている人が1割いました。

福島の空気は吸いたくない、という気持ちなのでしょうか・・・。

大会議室では、大型のシンポジウムが行われていました。
第一会議室では、原発関連の映画の上映会がおこなわれていました。

第三会議室では、「ふくしま集団疎開裁判」の会による記者会見があったそうです。
特別会議室では、健康相談をしていたそうです。

私は午前10時から午後0時20分まで、第二会議室で行われた「福島原発の現状は?」という説明会に行って、話を聞いていました。
これがとても良かったです。
講演者は、チェルノブイリの事故後に反原発運動をしてきたらしい「たんぽぽ舎」の、原田裕史氏でした。

原田氏は冷静に、東電のサイトの情報を使って話をしていました。(正直、原田氏の後も、こういう話を聞きたかったのですが・・・)

原田氏の話で覚えているものを書き出しますと
「現場には1.5mSv/h(1500μSv)という場所もあり、原発作業員が「去年までとは桁が違いすぎる」と言っていた。去年までは20mSvになるのは全国で十数人だったのだが、今年は作業員が片っぱしから20mSvになってしまっている」
「原発労働者は、一ヶ月どころか、数日で20mSv溜まってしまう。電力会社での仕事は1ヶ月ごとの契約なので、そうなるともう、被爆労働ができなくなってしまう」
「ICRPの勧告によると、一年当たり20mSvの被爆を50年間受け続けると、5%の人が癌になる」
「今働き盛りの人が、「20mSvになったから、貴方はもうここで働けない」と言われて、納得するかという問題になる。自分も、「65歳で癌に5%なるけど、仕事する」と言われれば、仕事をする方を選ぶと思う」
「3月から、作業員は250mSvまでOKという話があった。(←聞き間違い?)本当は、緊急事態でも100mSvまでなのだが・・・」
「原発労働者は、12月に終息宣言が出てから、危険手当が出ていない。東電も年度末なので予算をケチっていて、それで更に水漏れ等で被爆が増えている。これはネットに載った情報や、作業員に直接聞いた話」
「20mSv/yの基準だと、明らかに作業員が足りなくなるだろう。来年には足りなくなるだろう。人数自体を増やすか、20mSvという基準を緩和するか、になる。かといって、強制は出来ないので、原発での作業が、皆が仕事したくなる所にしなければならない」
「放射性物質の農作物からの検出は、思ったより低い」
「福島の人間が黙っているのに、東京の人間が郡山ででもやるな、と言われた。福島の人が声を挙げてもらえないと・・・」
「海に流れた放射性物質は、対策は無い。海の底に沈んでいくのを放置するしかない。水産資源についてだが、ひじきでは出ているけど、三陸のわかめでは出ていないなど、局所的な影響」
「(原発は米国の技術なのだから、指揮系統も米国に任せたらどうか、という意見に対して)米のメーカーの設計だけれど、それが米政府の責任かと言うとそうではない」
「(仏の核技術についての質問に対して)私は仏の核技術を信用していない。ぼられるだけ」
「原発作業員の日当は、¥12000らしい。三年前の放射性業務従事者は75988人で、殆どは1mSv以下。7人だけが20mSvをover。今年のデータがどうなるか怖い」
「放射線の害にはもちろん閾値が無いが、小さければ小さいほど問題ない。100mSvを下回るデータは、誤差が大きくなりすぎて、よくわからなくなる」
「放射線業務従事者は、20mSv/yが50年間続くと、5%の人が、その仕事を選んだという理由で死ぬが、大人がきちんとした説明を受けて、それでその仕事を選ぶか、という問題になる。もっと危険な職業は一杯ある。「これくらいの危険がありますが、貴方はこの給料で働きますか?」と言われて、NOと言う自由があるのなら、それでいいじゃないか、というのがICRPの考え方。リスクを引き受ける人と利益を受ける人が同一人物ならば、リスクと利益は見合っているか、という問題になる」
「実は医療で使われるレントゲンからの被爆は相当に大きく危険な作業。ある英の学者の計算では、日本の癌の3%はレントゲンによるものだとしている」
「(今後の見通しを訊かれて)少なくとも10年くらいは落ち着かないだろう。今にも倒れそうな建物中に、使用済み燃料があるのは、とても不安。2年以内に取り出し始めて欲しい。本当は、使用済み燃料を取り出しても、安心できないのだが。融け落ちた燃料を回収するのは、何十年とかかるだろう」
「自分はどうも安全寄りに見る癖があるようで・・・甘かったら申し訳ない・・・」
「(余震について訊かれて)今の福島第一原発の状況だと、大して強くない余震でも大事になりそうなので心配。今一番心配なのは4号機。東電はプールの下に鉄骨入れてコンクリートを流し込んだようだ」
「(はやぶさについて)はやぶさを喧伝することに疑問があるというのは、はやぶさの成功というのは、実は日本が、大陸間弾道弾の技術を完成させたということ、つまり、潜在的核抑止力を持ったということ。それを世界に示しているから」
「潜在的核抑止論の立場から見ても、2基の東海村にある型の原発があれば大丈夫。54基も軽水炉を持っておくのは、国防上疑問」
「(コンクリートを突き抜けているのではないかと訊かれて)私はそれは無いと思う。一年経って抜けていないのだから、これからも突き抜けることはないと思う」
「東電が放射性物質を撒き散らした事はとても許せないが、致命傷でないものにどれだけのコストと労力をかけて対応できるかは、非常に難しい。社会全体で余裕が有れば、その分だけ皆の被爆を減らしていける」
といったものでした。
質疑応答で
「郡山で新幹線を降りたら、放射能の影響か、空気が痛いと感じた」
「放射線の線量が高い所に行くと、喉がひりひりするとか、頭痛がするとか、そういう体験が私にはある」
という質問者がいました。
「それは、標高が少し高いからか、あるいは排ガスのせいじゃないのか、あるいは、偽薬効果ではないのか」と突っ込まれたらどうするんだろう・・・とは思いましたが、自重しました。
是非、国道399号線の北半分を通って、体がどの地点でどのように反応したか、記録していただければ幸いです。(冗談でなく、ちゃんとした記録になると思うのですが・・・。)
(・・・ところで「放射能は知覚出来ないから怖い」のではなかったのでしょうか?)

原田氏の講演が終わった後、第一会議室で上映されていた映画の一つを作った日本人と、アイルランド人の反核活動家(?)の人が、飛び入りで挨拶をしました。

前者の日本人は
「例えば、事故の後に鼻血が出た子供たちが多く出たというのは事実であり、それは放射能とは関係無いという知ったかぶりをしている学者はたくさんいるが、そういう人の話は聞く必要はない。僕ら自分自身が感じていることを大事にして欲しい」
と言っていて、かなり退きました。
(話を聞いて反論するべきだと思うのですが。それは思考停止では・・・。)
外国人のカメラマンと思われる人もいました。

終わった後に原田氏は、講演を聞いていた人と話していて
「原子力とは太陽信仰。1950年代に科学者は『太陽のエネルギーを自分たちも使えるようになった』と思った」
「もちろん東電が放射性物質を拡散させたことは大変腹が立つし、責任を追及しなければならないが、放射性物質による人体への害はどうも無さそうだ」
と言っていました。

午後0時半、大会議室を覗いてみました。

経産省前の反原発テントで見かけたバッジが売っていました。

緑の党のチラシが配布されていました。

私が気になったのは、とあるチラシに書いてあることでした。(写真を撮っておけなかったのが失敗でした・・・)
そのチラシの団体は、自分達の活動の一つとして、風力発電に反対しているようでした。
私自身も風力発電には反対ですし、堂々としていて立派だと思いました。
それでも、今後のこの団体は脱原発の中で肩身が狭くなってしまわないか、少し心配しました。

午後0時50分、郡山駅前を通りがかった際、郡山駅前の寄せ書きはカラフルになっていました。

(下の画像は、それから2時間弱経ってからの画像です。女性を撮影しているカメラマンの人がいました。)

午後1時から午後2時まで、「郡山元気発信フェスティバル」の食品を売っているテントを覗いてみました。

出ているテントが多すぎたので、迷ってしまって、結局食べないでしまいました。
相馬双葉漁協か南三陸町が出していたテントで食べてあげればよかったです・・・。

あるテントでは、どういうわけかレトルトの水戸納豆カレーが置いてありました。

http://blog.livedoor.jp/geek/archives/50919414.html
学校が集まって出している箇所では、車への寄せ書きがされていました。

大通りを挟んで反対側200メートルほどの所には「放射能防護食と言われる葉酸米を使用」という表示のあるテントがありました。

午後2時、疲れたので、うすい百貨店で少し休みました。
うすい百貨店は、銀座や新宿にある百貨店と同じような店が入っていました。
amazon等の影響は少ないのか、都内にある百貨店よりも賑わっていました。

9階には、大変立派なジュンク堂が入っていました。

これだけ立派な本屋があれば、東京より立派な文化的生活が出来ると思いますし、お勉強にも困らないはずです。
ライトノベル系の品揃えも早く、ちょうど発売日だったものが既に本棚に並んでいました。
(下の画像は、一応学習参考書ですが、外観はライトノベル風でした・・・。)

10階では、北海道の物産展が開かれていて、200人くらいの客で混み合っていました。

ROYCEという洋菓子店には40人弱の列が出来ていました。
(←写真では列が続いているのが確認し辛いです)
・・・休みに入ったはずが、疲れて百貨店を後にしました。しかも何も買いませんでした。

午後2時45分にビッグアイに戻りました。
ずっと続いていた大型シンポジウムの声明が発表されているようでした。

大会議室の入り口では、「西日本中心の減農薬野菜」が無料配布されていました。

カメラマン達が最前列に出て、写真を撮っていました。海外からのカメラマンもいました。

郡山駅で少し休みました。
郡山駅に入っている本屋の原発コーナーで本を物色しました。

レジ近くに置いてあった『東日本大震災原発事故ふくしま1年の記録』(福島民報社)を購入しました。

午後3時半から午後5時半まで、鎌田慧氏の講演会を聞きました。
会場は超満員で300人以上は居た筈です。

鎌田氏は、1982年以来の強固な反原発の人です。
http://www.amazon.co.jp/日本の原発地帯-1982年-鎌田-慧/dp/B000J7PYS2/ref=sr_1_5?s=books&ie=UTF8&qid=1332168436&sr=1-5

ある質問者は「福島第一原発30km内にある自治体に葉書を1万通送って、原発の再稼動に賛成しないように働きかけている運動をしているが・・・」と発言していました。
私は唖然としましたが、この場にいる人たちにとっては、この行動は「正しい行い」のようで、異論は無さそうでした。

午後5時半、主催者の女性の一人が、とりあえずの区切りの挨拶をしました。
その際、
「福島県民の方は、差し支えなければ、手を挙げて貰いたいんです」
と言って、挙手してもらった後
「福島の状況を多くの方に見て頂きたいと思って、県外からおいで頂きたいのはあたりまえなのですが、福島県内でこういう会場に足を運んでくださる方は、実は、もうかなり少なくなっています。当初の頃は、本当に『どうなっているんだ!』ということで、来て下さる方たくさんいたんですけれど、そういう中で今日の講演会だったので、ちょっと心配していたんですけれど、今日は多いようで安心しました」
と言っていました。

午後5時57分、郡山駅前で「春蛍」という名前がつけられた、キャンドルライトの点灯式がありました。




(ただ、午後8時に雨が降り出した後、急いで片づけられていました。)

午後6時20分、郡山のアニメイトに行きました。
何かを買ったわけではなかったのですが、いるだけで心が落ち着きました。

午後6時40分、店仕舞い間際の、うすい百貨店で夕食を買いました。
半額以下になっているものを購入できて満足でした。
同じ食料品フロアで洋菓子を売っている店は、売り切れの商品が多かったです。

どうも、物資不足という感じではなく、人気があるから売り切れていたようです。

午後7時、再びビッグアイの反原発イベント会場に戻りました。
ヨガ、ダンス、(ジョン・レノンの歌った)imagineの演奏、などをしているようでした。

私には合わなかったので、外に居ました。
「思いやり予算を凍結し、被災地救援に充てることを求める要請」に署名をしている人は、東京都、静岡県、千葉県、と住所欄に書いてありました。
『「さようなら原発」一千万人署名市民の会』による署名の紙も置いてありました。
(「呼びかけ人 内橋克人 大江健三郎 落合恵子 鎌田慧 坂本龍一 澤地久枝 瀬戸内寂聴 辻井喬 鶴見俊輔 〒101-0062東京都千代田区神田駿河台3-2-11 総評会館1階 原水禁気付 」と書いてありました。)

午後8時5分、ネットカフェに向かいました。
途中で見たバスの絵柄は、1年前に流れていたACのCMを思い出させました。

http://www.youtube.com/watch?v=Bsk2ioK0Lrg
ネットカフェに行ってみると、料金が定額になるのは、午後9時からだったので、暫く待っていなければなりませんでした。

午後9時、ネットカフェに入りました。
とてもうるさかったのですが、その割には休めました。
ACのCMを思い出したことから、以下のような動画を見ていたので、心が落ち着いたのかもしれません。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13936200
その後、茫洋とパソコンをいじっていると、インドネシアであった、芸能人の流出性行為動画に辿り着きました。
http://jp.wsj.com/japanrealtime/blog/archives/4435/
ネットカフェで観るのは回りに迷惑かと思い、観ませんでした。
そこに映っているらしい芸能人の画像を見て
「恋愛は美男美女がするものであって、俺がしても3流のコントにもならんなぁ」
と再確認しました。
寝る間際になってから
「脱原発運動による獲得目標って、古い原発を新型の安全とされる原発に置き換える~せめて安全装置を新しくする、という、まずは次善の対応を求めるものにはならないかな・・・。それは脱原発を主張する人達にとっては、原発が確実に残るという事だろうから、やっぱりならないだろうな」
「50年前の原子力って、今の再生可能エネルギーみたいな期待を受けてたのかな。もしも、将来の再生可能エネルギーが、今の原子力発電のような鬼っ子になってしまったら、やっぱり袋叩きにあうのかな。そしてその場合、誰が責任を取るのかな。・・・それ以前に、今回の原発事故で、誰が責任を取るべきで、実際に責任を取ったんだろう」
「原子力の出す廃棄物とそれに伴う被爆と、石炭&石油の出す大気汚染、どちらの方が良くないのだろうか。それについてのデータはあるのだろうか」
「会場で聞いた「原子力発電を止めるべきであり、且つ、電力料金の値上げは許されない」という会話は、心情的には理解できないでもないけど、やはり弱いと思う。この前聞いたラジオ番組で「東電に金がなくなった事で、原発作業員の安全対策が弱くなってしまった」と言っていた。まず最初に、とある物事を主張した本人が、率先して身銭を切らなければ、説得力は生まれない」
「もしも、どうしようもなく電気が足りない、となったら、やはり原子力発電は再開されるのかな・・・」
「これから中国やベトナムは原発を作るって聞いてるけど、それについて事故を起こした日本が関与していくのは、説得力が有るのか無いのか、どっちなんだろう。多分ないだろうな・・・。それ以前に、他国に口出すのはNone of your business.とか言われてしまいそうだな。とりあえず、事故が起こったときの沈静化は日本の経験が役に立つだろうけど(汗)」
「日本の採るべき対応ってどんなのだろうか。日本国内では、事故が起きてしまったという事実が重たいので、原発推進は出来ないしすべきではないと思う。海外での日本が関連する原発事業は進めつつ、それ以外の他国がする原発の推進は今回の事故を喧伝して抑制する、という二重基準を振りかざす事くらいしか思いつけない」
「・・・そもそもこんなことを私がここで考えたって仕方ないよな。・・・そんなことよりオナニーだ!(http://dic.nicovideo.jp/a/そんなことよりオナニーだ!)・・・いやいや、ここでは、周りに迷惑だからしないけどさ。っつーか、生きててスイマセン」
と漠然と考えました。
やはりこういった物事は、半分寝たような足りない頭で考えるべきものではありませんでした。
よくもまあ、汚い文字でこんなメモをしていたものです。ローリンソンやシャンポリオンの気持ちを、少しだけ分かった気分になりました。

(転載終わり)