[904]福島本部活動日誌です69
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年2月19日の日誌です。
朝起きて、ストーブの灯油を補給しました。
台所の水道が凍ってしまっていたので、シャワールームのシャワーで皿を洗わなければなりませんでした。
いつもの3倍ほど手がかかりました。茶碗も一つ割ってしまいました。
朝食は、ご飯、コロッケ、ラム肉を炒めたもの、鶏の水炊き、キャベツ、豆腐、でした。、
殆どはYさんが作って下さいました。
食後には、昨日100円で買ってきたケーキをお出ししました。
実は、皆食べ過ぎて、正午まで動けませんでした。
朝食後、Kさんはバグパイプを駐車場で吹いていました。
午前11時、夜にKさん達が東京に帰る際に、私も一緒に連れて行ってもらう事になりました。
急いで東京に行く準備をしたのですが、持っていくのを忘れたものが大量になりました。
午後0時10分から、動き始めました。
まずは川内村に行ったのですが、蕎麦屋、かわうちの湯、共に休みでしたので、何もすることなく戻るしかありませんでした。
蕎麦屋の駐車場には、雪が残っていました。
川内村役場は修理中でした。
午後1時15分、船引の仮設住宅に行きました。
集会場を尋ねてみると、仮設住宅に居る人が、震災の写真を展示していました。
Kさん達のイベントの話も、前向きに受け入れられているようでした。
ちょうど、カメラを持った人が来て、写真を展示していた人と話していました。どうも地元の新聞社の人のようでした。
集会場の脇には、テレビが置いてありました。羨ましいです。
集会場の壁には、神戸女子大学文学部教育学科から送られたメッセージが貼り付けられていました。
この大学入りたいです。(・・・なんだか変質者の様な発言に聞こえてしまいます。)
集会場の窓は2重になっていました。
三春町にある葛尾村の仮設住宅に行きました。
Kさん達の炊き出しイベントについては、対応したのが村の職員だったからか、あまり上手くいかなかったようでした。
村の臨時の建物には、固定資産税が免除されたという掲示がなされていました。
引越し支援車の無料貸し出しもなされているようでした。
ここの仮設住宅は、商店が一店、別の商店兼食堂が一店、仮設住宅の一角を使って営業していました。
食堂の近くには、床屋もありました。
ただ、食堂は今日は休みで、食べられませんでした。
商店の品揃えは、石井魚店をかなり立派にしたものでした。
駐車場には「災害支援車両」と書かれた軽トラックが一台置いてありました。
三春町にある別の仮設にも行ってみました。
運動公園の隣にあった仮設で、立派なコテージ群の空き地に出来ていました。
日当たりの悪い通路は、雪が殆ど融けずに残っていました。
ここはどこを訪ねればいいのか、わかりませんでした。
(←これは、仮設ではなく、コテージの方の画像です)
近くに「三春の里」という、道の駅とも温泉ともつかない施設があったので寄ってみました(http://www.miharunosato.jp/)。
ここは宿泊も出来るようでした。
食事処の建物は、干し柿がぶら下げられていました。
観光客なのか仮設住宅の住民なのか区別はつきませんでしたが、マイクロバスから人が大浴場に向かっていました。
水車は凍結して面白い形になっていました。
船引三春ICから高速道路に乗って、いわき経由で、広野町のJビレッジに行きました。
今回も迷い込んでしまい、どこがどこなのか分かりませんでした。
(←見にくいですが「日本サッカー協会」と書いてあります)
奥の駐車場には、東電の車や建設会社の車が駐車してありました。
ただ、ほとんどの車は、普通の乗用車に見えました。
クレーン車やクレーン付大型トラックが置いてあるスペースは別に作ってありました。
Aさんと大晦日に行ったときも思いましたが、浄水槽は大型でした。
東芝本部の横にある駐車場からは、作業員がバスに乗っている、と聞きました。
いわきの駅前にあった日本料理屋で夕食にしました。
ロシア語翻訳業界の過去について話されていたようですが、私にはよくわかりませんでした。
食後、高速道路で東京の池袋に戻りました。
午後11時30分、池袋でレンタカーをKさんが返却し、駅前でKさん達と別れました。
私は秋葉原に向かいました。
(転載終わり)