[903]福島本部活動日誌です68
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年2月17日の日誌です。
朝起きると、2cmの雪が積もっていました。
それでも日中の日差しが強かったので、完全に融けました。
2時間くらいの対応で済みました。
建物近くで、雪の塊が融け残ったものが道路に飛び出ていたので、除去しました。
昨日に曜日を間違えて出してしまっていたプラスチックゴミを、一旦取りに戻りました。
ポリバケツで保管しています。
生コン車が増えました。時折、検問所方面を出入りしています。
午後5時半、燃料車2台が検問所の方から帰ってきて、399号線に入っていきました。
(←写真は昨日のものです)
(転載終わり)
(転載始め)
2012年2月18日の日誌です。
2週間経ってしまったので、かなりの情報を忘れてしまいました。
午前7時半、事前の連絡通りに、Kさん、Yさん、Kさん、が来ました。
朝食として、ご飯、もずく、あさりの佃煮、ラジウム卵、をお出ししました。
インスタントの味噌汁は、水道が凍っていたので出せませんでした。
なお、2月19日の正午まで水道が出ませんでした。どういうことだったのか分かりかねます。
朝が早かったようで、2時間の仮眠を皆で取りました。
10時半くらいの外の天気は、晴れながら吹雪いていました。
11時に事務所を出て、都路を案内しました。
検問所、石井魚店、体育館、小学校、中学校、の順に案内しました。
石井魚店で明日の食材を買いました。
体育館で見張りの人に、入り口付近に近づかない様に言われました。
小学校の崖を崩す作業は更に進んでいました。
中学校の途中にある、建設中のはずのヘリポートは、雪で状況が良く分かりませんでした。
中学校はショベルカーが入っていて、平日は復旧工事をしています。
大きく損傷していた徒歩での通学路は、青いビニールシートがかかっていました。
また、応急処置で作ったと思われる仮の排水路は、埋められてなくなっていました。
399号線を北に向かい、津島に行きました。
途中の道路では、タヌキの死骸をカラスが食べていました。
津島の検問所から先には入れなさそうだったので、津島中学校に行ってみました。
なお、ここあたりで大成建設が「除染モデル事業」というものをしているらしいですが、どこなのかは分かりませんでした。
津島中学校の空間線量は1.69μSv/hでした。地面の線量は13.01μSv/hでした。
津島中学校は校庭に土嚢が大量に積まれていました。除染した土を置いているのではないでしょうか。
(土嚢の側で線量を測ったのですが、低かったです。空間線量と変わりませんでした。)
399号線で北に向かう途中、人がいて、話を聞けました。
「富岡町の町長は、6億金庫から裏金が出てきた」
「佐藤雄平現知事は、原発建設の際に、建設予定地を先に買い占めることで金を得た」
「川俣の仮設住宅のあたりは、何十人もストレスで死んでいる」
「戦時中の機銃掃射の方が怖かった(←?、放射性物質の方が、見えないから怖い、と言っていたかもしれません)」
「この先の399号線は本当に線量が高いので、君たちのような若者は行かない方がいい」
と言っていました。
ただ、訛がこれ以上ないほどにきつく、言っていることの半分もわかりませんでした。
少し先に進むと、車内の線量が4.30μSv/hに上がりました。
399号線を先に行くと、車内の線量が10μSv/hのところがありました。
ここの空気中の線量が17.68μSv/hでした。
ここの地面の線量が32.65μSv/hでした。
もう少し崖側の線量が60.72μSv/hでした。
浪江町と飯館村の境界線付近で測ってみました。
空間線量が10.02μSv/hでした。
そこの地面が29.01μSv/hでした。
また、そこの雪の上は6.46μSv/hと、空間線量より低くなりました。
飯館村長泥の十文字には掲示板が拡張されていて、各地の線量測定や長泥の過去の測定の結果が貼ってありました。
(←この細かい数字は、写真で撮ったものでは、結構詳細に読めました)
赤いビニールテープは、雪の影響か、白くなっていました。
飯館を更に北上すると、清涼飲料水の自動販売機で、地元の人がジュースを買っていました。
Kさんが声をかけましたが、「冷やかしですか?」と冷淡な反応が返ってきました。
ここからもう少し先に行くと、車がやや通っていました。実際、「渡部自動車」は営業しているように見えました。
このあたりは、車内で0.83μSv/hでした。
また、近くの民家にはのぼりが立っていました。
川俣町に行きました。
街の中心部にあった、休憩所兼町の物産置場では、子供達の写真の展示が行われていました。
川俣町体育館脇に出来ていた仮設に行きました。木造の仮設が40戸ありました。
つららが出来ていました。
集会所に行ってみると、担当者(自治会長)は農林広場の仮設住宅にいる、と言われました。
集会所の脇には雪が多量に残っていました。
農林広場の仮設住宅は、プレハブ型のコンビニが出来ていました。無料送迎バスも走っていました。
プレハブ型の仮設住宅で、丁度テープで空いている穴の部分を塞ぐ作業が行われていました。
農村広場の自治会長の仮設に行って連絡を取ると、集会所で話すことになりました。
Kさん達のイベントは、前向きに受け入れられました。細かい詰めは、別に電話等で行うようです。
自治会長は
「川俣町の山木屋は、他の仮設に比べると、明るい。川俣町で仮設に入っているのはごく一部で、恵まれている」
「東京からわざわざ来てくれて、炊き出しのイベントなどをしてくれるとか、本当にうれしい」
「こういったイベントなどで、全国からいつも色んなことで支援してもらうばかりで、申し訳なく思っている」
「みんなの色々なこれからの予定や生活設計が、あの原発事故以来台無しになってしまった」
と言っていました。
自治会長から別の仮設住宅の場所も聞かせてもらい、その仮設にも行ってみました。
しかし、そこの集会場は留守でした。
なお、奥にある仮設で、雪融けが非常に悪かったです。
また、「サウジLPガス災害支援基金」の表示がプレハブ型仮設住宅の目立つ所にありました。
川俣町の道の駅に寄りました。
中には、神戸から福島に送られた折り紙がありました。
名物らしい、かりんとう饅頭もありました。
私は半額になっていた豆腐を200円で購入しました。
川俣の中心部で、親子丼を食べて夕食にしました。
ケーキ屋では一個100円でケーキが処分されていたので、9個全部買いました。
その他に明日用の鶏肉なども買いました。おまけでコロッケがつきました。
都路の事務所に戻る途中で、船引のダイユーエイトに寄らせてもらって、半額の肉類を購入しました。
帰ってから冷凍庫に入れました。(味を考えれば冷凍は余りお勧めできることではないですが、私の料理だから、まあいいかな・・・と思っています。)
事務所に帰った後、私は疲労ですぐに寝てしまいました。
明日は船引の仮設住宅を回るそうです。
(転載終わり)