[899]福島本部活動日誌です64

吉見 おさむ 投稿日:2012/03/05 17:02

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年2月5日の日誌です。
どうしても写真が多くなってしまいますこと、情報量が多くて茫洋としか書けていませんこと、ご寛恕下さい。
今日は一日中Nさんにお世話になりっぱなしでした。

午前6時40分に起きて、急いで支度をして、午前7時のバスに乗りました。
道の途中で、民家に止まっている自動車は、雪が降ったときのためにワイパーを上げているものが多かったです。(後日、私も上げました。)
リオンドール近くの空き地では、アパートが建築中でした。

県の借り上げ住宅は一杯らしいので、需要に応じるために急いで作っているのでしょうか。

船引駅には、岩井沢小学校の社会化見学のお礼の張り紙がありました。

船引駅から電車で、郡山経由で福島駅に行きました。
東北本線から見える会津側の山は険しかったです。

9時25分に福島駅に着いた後、急いでバス停に向かいました。
途中にアニメイトの看板がありました。これだけで大変魅力的な街に思えてきます。

原ノ町駅前行きのバス停では、15人ほどが待っていました。

9時45分発のバスで原ノ町駅前に向かいました。
バスで酔いました。山の上から低地へ降りていく過程で、吐きそうになりました。
午前11時20分に原ノ町駅に到着しました。福島交通のサイトには所要時間が1時間50分と書いてありますが、道路の混雑を考慮した時間のようです。
(帰りにかかった時間も1時間30分でした。)

図書館が駅前にあったので、思わず入ってしまいました。
大変立派な図書館で、都内にある図書館と比べても遜色の無い、洒落ているものでした。
喫茶店も館内に併設されていましたが、営業はしていませんでした。


図書館の原発特集コーナーを回って見ていると、Nさんから携帯に連絡が来ましたので、原ノ町駅に戻って合流しました。

まずは、Nさんに車で渋佐海岸に連れて行って貰いました。

途中にあった2軒の民家は修理するようです。
海岸まで行く道路は、舗装し直されていました。
7月時点では剥がれている箇所が多く、通行するのが大変でした。
もちろん、土台だけが残っている家と、畑に瓦礫が集められているのが殆どでした。





渋佐海岸は以前より、かなり片づけられていました。
分別された瓦礫が小山となって積まれていました。ただ日曜だったので、重機を使っての作業は行われていませんでした。





瓦礫の脇に、流されてきた船がありました。

長距離にわたってパイプを設置中のところがありました。水道か何かを通すのでしょうか。

渋佐海岸の海岸部は、黒い土嚢が防波堤の代わりのようなものとして置いてありました。また、そこは仮の通行路にもなっていました。




防波堤は、ごく一部が取り壊されずに残っているだけで、残骸が少しあるだけでした。

以前は、このコンクリートブロックの土台の上に防波堤があったはずです。

コンクリートブロックも所々に破損がありました。

砂浜は小石や中型の石が混じっていました。防波堤の残骸や木片もありました。



ごく一部残されていた防波堤は、このまま使用するのか、それとも取り壊すのかわかりません。
ただ、後ろから見た限り、やはり取り壊すのではないかと思います。
なお、夏の頃は壊れた防波堤の後ろは、大きな水溜りになっていました。



(←壊れた防波堤を横から撮った写真です)
(←壊れた防波堤を後ろから撮った写真です)
(←壊れた防波堤を後ろから撮った写真です)
(←壊れた防波堤を後ろから撮った写真です)
海岸に近い道路は、今でも一部陥没しています。それでも夏よりはずっと通れるようになりました。
また、ごく一部ですが、今でも海岸に近いところでは水溜りが残っています。


砂浜近くから帰るときに、私たち同様に海辺を見に来た人がいました。

渋佐海岸に廃車が整理して並べられているところがありました。
新しくアスファルトを引いて、その上に置かれていました。
概算ですが、ボロボロの廃車は300台ほどです。
普通の乗用車は勿論、クロネコヤマトのトラック、郵便局の車、消防車、トラクター、などもありました。



















近くには、水が溜まっているビニールの池がありました。ここに陸地に溜まった水を溜めて排水していたのかもしれません。

原町シーサイドパーク(http://seasidepark.heteml.jp/2011/04/post.html)に連れて行って貰いました。
原町火力発電所の脇です。なお、Nさんの話によると、原町火力発電所は来年再開予定とのことです。

途中の道にも瓦礫の集積場がありました。



瓦礫置場は、「洗浄所」「金属くず」「木質系」「コンクリートくず」「土砂混じり(混合)」の5つに分けられていました。

途中の道では田畑に電柱が倒れていました。

流されたガードレールは、反対側のガードレールに引っかかっていました。

交通標識の右下が凹んでいました。これは、いわき、相馬、でも同様でした。

原町シーサイドパークは、渋佐海岸とは違い、まだまだ片づけられていませんでした。砂浜に瓦礫が残っていました。


海水浴場のタイルが5分の1ほど剥がれていました。



(←剥がれた所に書かれている25という数字は、剥がれたタイルの数を数えて書いた数字と思われます)
上の方のタイルにも被害が出ていました。その隣はタイルが崩落していました。
また、そこを越えた下のところが水溜りになっていました。他の所には水溜りはありませんでした。





タイルがほぼ全て剥がれて、その上に大きな岩が乗っている箇所がありました。

シャワー室は、水道管が剥き出しになっていました。入り口の洗面所は海の方に流されていました。



シャワー室内部にはコンクリートなどの瓦礫が入り込んでいました。復旧は相当先になるのではないでしょうか。




水門だったような所もありましたが、今は用を成していません。

隣にあった建物はご覧の有様でした。

原町火力発電所内の敷地には、多数のドラム缶と瓦礫が置いてありました。

(←瓦礫が敷地内にある写真ですがわかりにくいかもしれません)
発電所前の川は、手摺りが激しく壊れていました。川に添って津波が陸地を溯って行ったように見えました。


(後でNさんが、「原町火力発電所で働いている人がいるけど、勤務中に目の前で同僚が流されたと言っていた」と言っていました。)

原町火力発電所の脇の崖に立っていた木は、津波の影響で根元しか残っていませんでした。
その隣の崖は、コンクリート壁が剥がれていました。


原町シーサイドパークから国道6号線に向かいました。
かなり奥に入った方に、まだ水が引いていない所がありました。

ここ辺り(多分海まで1.5kmほど)まで津波が来たので、信号がついていませんでした。また、船が放置されていました。

国道6号線沿いのラーメン屋で昼食にしました。量が多かったです。
(2店舗並んで営業しているのですが、席数が多いので、大人数で入っても大丈夫そうです。)

高速道路の建設現場に連れて行って貰いました。
Nさんによると、警戒区域内も、この高速道路は工事が進んでいるらしいです。
ダンプカーが頻繁に行き来していました。

中ではショベルカーが動いて、作業をしていました。


少し奥にはセメント工場のような施設ができていました。

相馬港に連れて行って貰いました。
途中に千倉の仮設住宅がありました。

相馬港の隣には、新地火力発電所とゴミの持ち込み場がありました。




ゴミの持ち込み場にも、廃車がまとめて置かれている所がありました。
そこには壊れてしまった、ガードレール、自販機、タンク、コンテナ、鉄柵、などもありました。






上の写真には「662」という数字が見えますが、廃車は大体1000台弱ありました。

入り口近くの木は、立ってはいましたが、途中から折れていたり、へんな立ち方をしていました。


相馬港では、電線の一部が切れていました。

近くの建物は大きく損壊していました。


入り口前交差点の信号はついていませんでした。


側溝や排水溝は、蓋が外れているところに泥や道路の破片が入っていました。




(←これはかなり海の方です)
信号のある辺りや、中には、意外と新しいビールの空き缶が落ちていました。

相馬港には大量の新しいテトラポットが置いてありました。

貨物船が停泊していて、アスファルトの原料と思われるものが大量に置いてありました。相馬港は再開したらしいです。


アスファルトの原料と思われるものが積んである辺りは、進入禁止になっていました。
また、そのあたりの道路はかなり劣悪になっていました。



港の先のほうでは、クレーンが動いていました。

やや奥の方に入りました。交通標識が根元から折れていました。


もう少し奥で、倒れていない交通標識もありました。

盛り上がった所は、津波の影響で地面が削れていました。

道路の脇には、流されたコンテナがそのままになっていました。

コンクリートの大きな破片がまとめて置いてありました。

埠頭では、瓦礫をやや小さめの船に積み込んでいるようでした。

岸壁の工事が行われていて、10月5日までと表示されていました。実際、埠頭で大きく陥没している所がありました。


港の倉庫は、建物が半分ほどなくなっていました。それでも屋根は残っていたので、中に鉄管などの資材が置いてありました。




倉庫脇の交通標識や街灯の柱は倒れていました。

相馬の以前の映像は以下で見られます。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14164259

松川浦マリーナに連れて行って貰いました。

松川浦マリーナへの途中の道路は修理されていました。
ですが、その脇の民家は、かなりが土台しか残っていませんでした。




少し高台の所にあったので、被害を受けていない家もありました。

松川浦マリーナ入り口は、近くで郵便局がプレハブの形で営業しているようでした。
入り口にある信号は新しくなっていました。

すぐ近くの民家は補修中でした。

松川浦マリーナは、護岸の一部が大きく陥没していました。そこから海水が入らないように、土嚢が積まれていました。

(40隻くらいの?)かなりの数の船が陸に上がっていました。
津波で上がったのか、修理のために上げているのかはわかりませんでした。
おそらくですが、津波で陸に上がってしまったものを、車が通れるように退けた状態だと思います。
いくつかはスクリューがなくなっていました。船底に穴が開いているものもありました。



護岸には使用可能と思われる小型船舶が並べられていました。



建物は大きく破損していました。

バンダイマリーンの車が来ていました。

奥では測量が行われていました。

無理を言って、松川浦大橋に連れて行って貰いました。



行く途中にあった水産会社の建物は一階が鉄筋だけになっていました。

港湾そばの倉庫群があったと思しき場所は、土台だけになっていました。

橋の入り口の交差点にある信号は新しくなっていました。

松川浦大橋付近には大きなコンクリートの残骸がありました。

船の残骸や岩が分別されて置かれていました。

プレハブ型倉庫が大量に港湾に置いてありました。

崖の岩肌は津波で削られていました
橋の手摺りが破損している箇所から考えて、二つある線の下の高さの所まで、津波が来たのだと思います。



しかし、松川浦大橋は立入禁止でした。

橋の根元の道路は、何かで強く削れていました。

松川浦大橋はyoutubeの動画でご覧になった方も多いのではないかと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=Hr2pd3BbT8M&feature=fvwrel
http://www.youtube.com/watch?v=r4U0x8p-jGkの動画よりはずっと片づけられていました。
http://www.youtube.com/watch?v=BSbpCKUffoY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fkmjXoILYto&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ibewcn1-mEI&feature=related
松川浦の動画は下のものもあります。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14169722

松川浦の旅館は、改修しながら営業している所が多かったです。
車も多く、客足もかなりあるようでした。

松川浦そばのガソリンスタンドは営業していました。

松川浦の奥の置くまで津波が来ていて、ガードレールが壊れていました。

相馬市のかなり内陸の畑に、船が流されてきたものがそのままになっていました。
おそらく2kmくらい内陸に入った所です。

(←見辛い写真です)

南相馬市原町に戻る途中でNさんが、
「反原発の団体の人達が南相馬に来ているが、おしゃれというかファッションっぽいらしい。地元の人は、彼らが完全防護で除染してるので、退いている」
と言っていました。

南相馬市原町に戻って、南相馬市放射線対策総合センターに行って見ましたが、人は居ませんでした。

短大脇の空き地を利用して、やや大きめのプレハブが設置されていました。

被災者支援なんでも相談会、というものをここでしているようでした。


これくらいのやや大きめのプレハブ型建物で物事が進むんだなぁ・・・と感心しました。
一番大きなスペースが被害・補償相談室兼会議室になっていました。
小さな部屋が、千代田テクノル、北里大学獣医学部、東北大学大学院農学研究科、福島大学、みなみそうま除染企業組合、不動産会社、電器工事店、放射能測定室、と割り振られていました。

駅前に戻ってから、無国籍料理屋に行って、夕食を食べました。
チーズフォンデュ、鳥の唐揚げ、パスタ、等を二人で頼んで5800円でした。
お洒落な、女の人が客として多く入っていた店だったので、私には場違いでした。

午後9時にホテルに入りました。
ネットには5700円と書いてあったのに、実際は6800円でした。チェックインの際の受付も余り良くはありませんでした。
しかもテレビは、衛星放送が映らないのにアダルトチャンネルを積極的に勧めてくるという困った仕様でした。
テレビには仙台の放送が多く入っていました。
6階が(しょぼいですが)外を展望できるお風呂になっていたので、2回入ってみました。・・・余り良くはなかったです。
Nさんからお勧めされていた別のもう一軒のホテルの方が良かった・・・と、結構後悔しました。

カメラの充電をして、ベッドに入りました・・・が、なかなか寝られませんでした。

(転載終わり)