[887]これから6月までの 私たち学問道場の 予定を書きます。
副島隆彦です。 寒い日が続きます。1月末から2月2日までが一番寒かった。 北日本だけでなく世界中が猛雪に見舞われたようです。
それでも梅の花が咲き始めました。私は、三代将軍鎌倉右大臣 源実朝(みなもとのさねもと)の詠んだ金槐和歌集の中の「出(いで)いなば 主(あるじ)なき宿(やど)となりぬとも 軒端(のきば)の梅よ 春を忘るな」 の 和歌が好きです。私も一本だけ玄関の脇に3年前に植えた紅梅が咲き始めました。
そう言えば、私は寒中の1月17日に鎌倉を歩いて来ました。寿福寺裏の実朝と北条政子の墓を参りたかった。20年ぶりの鎌倉散策でした。東京からなら十分に日帰りで回れます。京都に比べれば20分の1ぐらいしかありません。鎌倉幕府が置かれていた地と言ってもひっそりとしています。
北鎌倉で降りて円覚寺、建長寺にゆき鶴ケ岡八幡宮にゆき、源氏山(壽福寺あたり)や喜多川映画記念館から、長谷の大仏を目指し、車で江ノ島の方面の稲村ケ崎 までゆき(私の青春の思い出の地です)、そこから日も落ちかかったので、慌てて由比ガ浜、材木座の方を回って鎌倉駅に着きました。
収穫は、室町時代は足利(あしかが)の一門が栄えたわけですから、鎌倉市の東の浄明寺の町のあたり一体が足利の地だということが分かったことだ。それと海岸の方に日蓮宗(法華宗)や、踊(おど)り念仏の一遍上人の時宗(じしゅう、浄土宗の一派)の寺院があることが分かったことだ。私は、ずっと仏教の本当の姿のことを調べて書いているから、これらのことが気になった。
今日のぼやきの広報ページに、「「1285」番 「小沢一郎・陸山会裁判」の急展開。小沢一郎側が勝利しそうである。・・・」を加筆の上、載せましたので読んでください。現在の日本の政治の重要問題です。
テレビ新聞は、自分たちが、この権力犯罪の一方の雄で加担者だから、歯切れが悪いものだから、ほとんど報道しません。テレビに出て有名人になればそれで我が世の春だと思い込んでいる程度のキャスターや女子アナウンサーたちが、歪(ゆが)んだ表情でニューズ記事を棒読みするだけだ。
メディアが腐敗し公平さを失ったら、それは国家としての病状となる。やがて彼らが一掃されて、もっと国民の信頼を勝ち得る立派な報道人たちに取って代わられるだろう。
広島の西さん。お元気そうでなによりです。最近増えている私の若者読者たち(まだ学生ぐらいのヒヨコたち)が、私の悪い面からも学んで女性差別を含んだやや下品な文を書いています。私は身から出た錆ですから先生としてのおのれの不徳を恥じるばかりです。お赦し下さい。
西さんが、昨年の6月4,5日の 福島復興活動本部の事務所開きに参加してくださって、「広島では被爆者たちが高齢でほとんど長生きしています」とご自分の体験を通して発言してくださったので私たちは、一体、何ごとがこの国で真実としては起きていたのか、を鋭く感じ取りました。ありがとうございます。
私は、自分自身が広島、長崎の被曝から67年の今、封印されている大きな真実を検証しにそちらにゆくべきか否かを考えています。真実は歴史の中に埋もれさせてしまえばいいんだ、今さら騒ぎを起こしても何もならない、と広島、長崎の人たちが考えるならそれに従うしかありません。
続いて大川晴美さんが、放射線量の食品への規制値を500ベクレルから100ベクレルに、今頃になって、役人根性丸出し(自分たちの将来にわたっての責任逃れ)で、厳しく改訂する、という動きに抗議しています。
私たち学問道場は、昨年の3.11からの地震・大津波そして翌12日からの原発の大事故に身をもって対処しました。それで多くの真実を現場から拾い上げました。私たちは現場で目撃し体験したのだから誰も私たちを騙すことはできない。今も私たちは、現場に踏みとどまって活動を続けています。
私が、不愉快なことは、どうやらや総額1兆2千億円もかけて、例の除染(じょせん)と仮称する、ただの水を圧力式の放射器でかけて回るだけのことに、国家予算を使ってしまうことだ。馬鹿じゃなかろか。これほど放射能の被害が、全く出ていない、誰も何の影響もない、という大きな真実が明らかになっているのに、放射能コワイコワイの馬鹿国民たちを、さらに扇動して、こういう無意味な国庫の支出をする。
除染など何の意味もないのだ。現地の人は皆知っている。馬鹿じゃないか。それでも、福島県としては、公共事業として、こういうふざけた予算が下りてくれば地元の業者が(下請けとなって)潤うから、除染はいいことだ、と田舎公務員の習い性で、「政府から金が貰えれば万々歳」と感じている。除染に何か意味があるのか、誰もまじめには考えない。
放射能の恐怖、被害を、この一年間、さんざん主張した者たちは、「自分の人間としての自己信頼性と自己尊重のための居直り」を今後も続けるのだろう。私がどれだけ説得しても無駄だった。たった微量の 100ミリシーベルト毎時 ぐらいでは人間は全く元気だ。といくら言っても聞かなかった。
自分の脳に入った恐怖心のままで突き進んでいる。人間というのはここまで愚かな生き物だったとは。ちょっとは批判精神と知性(=思考力)があると思っていた自分の知人、友人達に 「そんなに言うなら、私が福島の現地を案内するから、一緒に来なさい」と私は言った。そうしたら、「どうして私が福島になんか行く必要があるのだ。行かないよ」と内面の恐怖心を表情にチラチラ見せながら答えた。こういうの、ばっかりだった。私は呆(あき)れ返った。
今、一番、重要なことは、仮設住宅や借り上げの住宅で暮らす、福島の原発避難者たちの現状を、同じ日本国民として見てまわることだ。そんな時間と金の余裕が自分にはない、生きてゆくのが精一杯だ、という人には無理強いはしない。
しかし、昨年の6月の事務所開きには、都合が悪くて来れなかったが、一度は福島に入ってみたい、という私たちの会員たち(会員限定です。変なのが入ってくると困るから)を、春になって暖かかくなったら、お誘いします。 2泊3日で、「福島難民キャンプ見学ツアー」(皮肉を込めてこう呼びます)を企画しますから、是非、参加してください。 期日は、すでに決めました。
期日は4月28,29、30日の土日月とします。春の連休(ゴールデンウィーク)の初日からです。私、副島隆彦が付きっきりでバスガイドをやって、あちこちの避難所の跡地や仮設住宅や、原発周辺の、海まで含めてぐるりとご案内します。宿泊代と観光バスのチャーター代込みで3万円ぐらいで出来るでしょう。
あまりお金のない若者は、10人ぐらいは活動本部に泊まれるので、寝袋持参で、2万円でいい。JR郡山の駅に28日の昼頃に集合ということしましょう。詳細は弟子たちと今から詰めますので、正式に募集をするまでしばらく待っていて下さい。
私たちは、その前に3月24日(土)の定例会(自力の講演会)の準備に追われています。まずこっちを成功させないといけないのです。この準備が一段落したら発表します。
それから、これも予定ですが、さらに次の会員向けの定例会として、6月2日(土)か3日(日)に、「政治思想・日本政治の歴史(1960年代からこっち)講演会」を企画しています。これは参加者を200人ぐらいに限定して、政治問題に興味のある会員だけに来てもらいたい。ここでは従って金融や経済の話は一切しません。
私が自分の体験を通した60年代、70,80年代史としての、私が出会ったり仰ぎ見ていた知識人たちの思い出話をします。そうやって日本知識人の闘いの苦難の歴史を、さらに若い知識人たちに繋(つな)いで行かなければいけないのだ。
私はやや焦ってこういう企画を立て始めました。私が、今のうちにたくさん、金子光晴(詩人)、荒畑寒村(あらはたかんそん)や鮎川信夫、久野収(くのおさむ)やら、それこそ数百人のことを話して置かなければ、もう日本知識人の系譜と系統が途絶えてしまう、と危機感を持ったからです。質問も大歓迎です。
こういう「政治知識人の歴史の講演会」を私は、10回ぐらいやって、話し尽くしてそしてそれをDVDにして残して(遺して)置かなければと本気で考えるようになりました。乞うご期待。
さて、今のこの時期に一番、重要なのはやはり以下の文章です。私が爆発事故を起こした福島の原発のそばまでとにかくすぐに行かねばと決意したとき以来、私を一番支えてくれて応援してくれたのは、福島在住の川原浩さんです。
彼がいてくれなければ今の活動本部も開くことができなかった。川原さんには本当に世話になっています。その彼が、頭がおかしくなるほどに苦しんで書いたのが以下の文です。ここの重たい掲示板の1月31日に投稿されました。 あまり注目されなかったので再掲載します。非常に重要です。
今の福島の原発避難者たちの悲惨な現状を、現場、現地から抉(えぐ)り出しています。そして川原さんは、ここは難民キャンプなのだ、原発事故からの難民収容キャンプなのだ、という発見をします。粗末な仮設住宅に入れられて、日本国民からは、捨てられて、テレビの画面に時々映るだけの棄民された人たちだ、と。
避難者たちは、仮設住宅=まさしく難民収容キャンプ の 中でうずくまって生きています。自分で立ち上がる元気を無くした者たちがたくさんいる。 だから私たち学問道場は、どんなに世の顰蹙(ひんしゅく)を買おうが、これらはまさしく、世界中の紛争地帯にある、難民収容キャンプ と全く同じものなのであり、外見からも全く同じなのだと言い続けます。だから4月末に「福島難民収容キャンプ・ツアー」を開催します。
福島にいて原発事故問題を真剣に自分のこととして本気で考えて行動してきた川原さんだからこそ、ここまでの真実が見えたのです。
(転載貼り付け始め)
重たい掲示板 [864] 福島県絆(きづな)作り応援事業と仮設住宅の正体
投稿者:川原 浩 投稿日:2012-01-31 01:38:29
寒中見舞い申し上げます。 福島県在住 会員番号6619 川原です。
福島からの現地レポートです。
福島県では絆(きづな)作り応援事業という洗脳事業を行っています。その目的は、原発難民に意味のない安心感を与えて去勢させ、相互に監視させることです。原発難民に、必ず家と土地について適正な損害賠償費用を受け取れるようにするという幻想を抱かせ続ける一方で、 現状に不満を抱く原発難民が組織化するのを未然に防止するのが目的です。
東電と政府はアメリカの原発封じ込めタイムテーブルに従い、原発難民の最終処分への準備を始めたのだと私は考えます。核廃棄物最終処分場建設のための地上げ工作の段取りをつけたようです。
厳寒の仮設住宅で原発難民を心身ともに弱らせ、絆(きづな)事業なるものを始めて、意味のない安心感を避難民に与え、後は 監視体制を強化する。そして弱らせて去勢しきったタイミングを見て 原発難民の家と土地を安くで買いたたくつもりでしょう。政府が公然と行う“地上げ”はさすがです。まさに筋書きです。
福島県が始めた絆(きづな)事業は全く意味のない事業です。が、震災失業者2000人を雇用し失業者対策となるとの理由からか、誰も公然と批判することはできません。除染についても同じです。しかし、こうした意味のない事業にこそ、実は重要な役割がある。
環境省のポスターには「除染なくして福島の復興なし」と書かれ、その中央の下の部分に一番大きい文字で「環境省職員の募集」と絶妙なバランスで書かれています。明らかに環境省の予算と権限の拡大が狙いです。地元からの批判を逃れるために「職員募集」を全面に打ち出しています。雇用という餌を使う戦略です。
私がこのポスターを見かけたのはヨークベニマル郡山富久山(ふくやま)町店内に設けられた「絆スペース」という場所です。この場所は、県の委託事業を受けた企業とNPOが運営しています。ここで働く緊急雇用対策で雇われた女性曰く、「この絆(きづな)スペースは仮設住宅でなく、県の借り上げ住宅にいる人に情報発信するのが目的」と説明してくれました。
その真意は、仮設住宅の人たちにはすでに監視体制ができているが、ばらばらに点在している借り上げ住宅にいる人たちにも監視の目を向け、抗議や不満を言う者たちがいないかを確認するためでしょう。こういう絆(きづな)スペースという場所が県内に10か所ほどあります。
絆(きづな)新聞というのも発行しています。(新聞の内容は「仮設住宅で体操して楽しく暮らしています」という難民を美化する内容です。)
この「絆(きづな)スペース」は、今後、家と土地を安値で買いたたかれるであろう原発近くからの難民(20キロ圏内で立入禁止になったのは72000人)を絆(きづな)という言葉で、何の根拠もない安心感を植え付け、元気をなくさせ洗脳する施設です。
「除染」と「絆(きづな)作り事業」は地元の雇用確保につながると言うが、こういうことに予算が使われることに腹が立ちます。もっと直接、難民にお金を渡す方がいい。彼らは事故からの10ヶ月間で、ひとり当たり140万円しか貰っていない。それ以外にひおり月に10万円ぐらいだ。全くの掴み金だ。
米軍による日本占領風に言うと「ギブミー・チョコレート、ギブミー・キャンデー」が「ギブミー・除染のワーク」だ。どんなあほな仕事でもしまーす。日本占領の福島版です。こういう腐った仕事を与えても、人々は自立してゆきません。
こういう失業対策のような雇用は、経済効果よりマイナス面が大きい。全く無意味だと誰もが分かっている除染をさせることは、アメリカの工程表にもあり、原発難民を飼い犬と化し、「おとなしくしていれば餌をやるぞ」というメッセ−ジだ。政府は除染予算がおりるという出金の手段で地域を意のままに動かせる(除染ができていないことを理由に帰還をさせないなど)。
避難民が本当に怒り出して、真っ当な抗議を始め、まとまって自立し出すと、「ひとり1億の損害賠償金を寄こせ、家に戻らせろ」と言い出すだろう。原発周辺から住民に出て行って欲しいのが本心である政府としては、自分が地上げ屋をするわけだから、避難民の自立した抗議が一番困る。
私は、先日、郡山市のビックパレット脇にある川内村役場の仮設住宅に寄りました。川内村は原発20キロ圏にひっかかっている村です。そこから50キロ先に役場ごと避難している。私がそこで目撃したのは、今までにはなかったなにやら立派な施設です。
それはドイツ赤十字から川内村に寄贈されたものでした。コミュニテーセンターという豪華な建物です。建物の脇には高級外車のプジョー(赤十字のネーム入り)がありました。その瞬間、私は、ここは仮設住宅地ではなくて、まさしく「原発難民キャンプ」だと分かりました。
世界中にある紛争地の難民キャンプのひとつなのだ。私はこれまでも仮設住宅という呼び方に違和感を覚えました。こんな福島拘置所よりもひどい掘立小屋は、とても住宅と呼べるようなものではなく、まさしく難民収容キャンプだ。
ドイツ赤十字寄贈のコミュニテーセンターには、川内村の教育委員会が入居していました。仮設住宅地にどうして教育委員会があるのか? 住民を監視しているのか。教育委員会の事務室の入り口の上には、案の定「管理」という文字がありました。
原発避難民は、自分は難民だという自覚がありません。しかし、彼らの現実は原発事故で家屋を強制的に追い出され、ここにしか他に居場所がない哀れな難民です。津波で家を壊された人もいるだろうが大半は20キロ圏内に家がそのまま有る人たちだ。
だからこの難民収容キャンプで政府と県の飼い殺しとなって、おとなしくしているしか他にありません。私が現実をこのように赤裸々に表現すると腹を立てる人がきっといると思う。しかし自分自身の内面は騙せません。自分は哀れな原発難民なのだと避難者たちが自己を認識できなければ福島の復興はありません。
属国日本の難民キャンプは、今も世界からは一応注目されています。ですから沖縄と同じで政府が無碍には扱えません。ですから、私は、今後、福島県内にある仮設住宅をその実態と正体に即して「福島原発難民キャンプ」と呼びます。 川原浩
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。川原さんのこの発見はやはり重要だと思います。実は、福島県内各地にある仮設住宅のすべてが「原発難民キャンプ」なのだという川原さんの発見の前後に、私は彼とメールでやりとりしています。
川原さんは、原発避難民たちへの支援で悩み苦しんで、自分で開いた白河市の仮設住宅の脇で開いた、自分の不動産業者としての支援活動としての避難者たち相手の住宅相談の仕事をやっていて、突如ひどい精神的な落ち込みを経験しました。彼を慰め励ますべく書いたのが、私の以下のメールです。
(転載貼り付け始め)
福島在住の川原浩 さまへ
2012年2月4日
副島隆彦から
昨晩は、電話でお話できて嬉しく思います。 あのあと、川原さんの携帯の電池が切れたようですので、話が途中で終わってしまいました。
川原さん。お気持ちをゆったりと持って少しのんびりしてください。あなたが、以下に書いて発見して見ぬいた 福島原発事故あと現状のことです。政府は 福島県民と原発避難民を計画的に「放射能コワイコワイ」で洗脳し続けて、そしてできるだけ福島から他(よそ)に流出させようとしています。
避難所を出て自立してゆく人々とはちがう、残りの避難者 は、生活保護並の家畜の飼育並みの貧民状態にしたままの、まさしく仮設住宅=難民収容キャンプです。このことを はっきりと見抜いたのはずっと住民たちと話をして現場から報告を続けたまさしく川原さんの大きな業績です。
それでも現状の悲惨さと惨めさをご自分が一身に引受けて、川原さんが、悩み苦しんだらやはり自分を追い詰めるだけの 被害妄想(パーセキュージョン・マニアック)に必ず陥ります。 川原さんは、社会運動家や政治活動家たちがどうしても陥ってしまう 被害妄想に今回なりました。そのあと私とお電話でお話しして、落ち着いていただいたようなので、私は安心しました。
人よりも優れた感受性と思考力を持つ人間は、目の前の人々の苦しさを、誰に頼まれるわけでもなく、自分で勝手に引き受けてて、それで発狂しそうになる苦しみを背負ってしまうことがあります。 私は若い頃から政治思想の研究をずっとやってきて、私もこれまでに数度、そういう被害妄想に自分が陥り苦しんだことがあります。
私たちには、福島の現状の厳しさと政治難民化している住民たちの姿を現場で知っています。日本国民からもほったらかしにされ、相手にされず、ただ「かわいそうに」の一言で、テレビの画面に時たまちらと現れさせられるだけで、この世の厳しい“悪意の無視の力”で押しつぶされています。それが、川原さんが 洞察した 「難民収容所キャンプ の 完成」です。
私たちに出来ることは、それらの真実を、細々とでいいから、ネットを通して日本国民に伝えることです。これしかできません。私たちはそれ以上の発表し公表する手段(ツール)を持ちません。川原さんの「福島の仮設住宅は原発難民収容キャンプだ」という大発見に対して、私が舞い上がって「私も戦闘モードに入るぞ」と軽率に書いたのが、川原さんに誤解を生んだようです。申し訳ありません。
私の戦闘モードというのは、たかがネット上で言論人として、あなたが発見した真実をできるだけ大声で皆に知らせるというだけです。それ以上の力は私たちにはありません。
そして福島難民キャンプ見学ツアーを 5月の連休にするぞ、と 決めただけでのことです。バスで1台分の40人の参加者を集めるぐらいのものでしょう。私はすこし冷静になって見積もりを始めたらすぐにこのことに気づきました。
川原さんがお書きになったとおり、「 この文章は 絆(きずな)ステーションの職員と喧嘩し、その晩、頭に来て眠れず、その腹いせに書いたものです。そのため、あまり読み手のことを考えず、怒りを文章にしてしまいました」のとおりでしょう。
この間の疲労が川原さんの中に相当に積もっていたのだと、思います。今は、どうぞゆったりとして気持ちをしっかり持って、私たちは何も悪いことをしてないのだから、誰からも、政府からも攻撃されることは全くないのだ、と 安心して下さい。
私たちが今の日本では、唯一、細々と先頭で戦っている 日本最強の言論集団です。私たちは何の勢力、団体の後押しもない全くの小集団です。ですが、私たちには大きな正義(ジャスティス justice ) があります。誰もこれを否定できない。私たちが握り締めている現場からの真実と、真実や事実以外の何ものも恐れない魂が今の私たちを支えています。
川原さん。ゆったりとのんびりとやりましょう。運動を穏やかに続けることが大事です。絶対に、負けないで、コツコツといつまでも続けることが私たちの真価です。誰にも遠慮する必要はない。私たちが福島で立てている旗がこの国で最高の正義の言論の旗です。
私たちは、何の悪いこともしていない。 たいして住民のためにもならないが、吉見くんが活動本部にいて、現地の今を淡々と生活しながら報告してくれるから現地の様子が分かって多くの日本人が安心してくれます。ほんのわずかの何かに、人は時として、あれ? と 真実に気づいてくれます。そういう人が着実に増えてゆきます。それが私たちの活動です。
川原さんが、「吉見くんの 強さは何ですか」と私に訪ねたので、「それは(ダメ息子と失望され、父親から殴られながら育った)彼の 忍耐力(のすごさ)です」と、私は答えました。
私は、一昨日、死んだ自分の飼猫になったどら猫(と言っても最後まで私になつかなかった。最後には家に帰ってきて血を吐いて死にました。享年3歳)の にゃん太 のことが不憫で2日間泣いて暮らしていました。葬式をして下の庭に埋葬しました。
人間の悪意になど負けない、人間に対して決して卑屈になることのなかった 気高い、優れた猫でした。 この寒さのせいの肺炎で血を口からたくさん吐いてそれと、オスのどら猫としての自分の縄張りを守るための、最後の戦いを大きな白い猫とやって血だらけでした。
今年のこの厳寒で死んだり、弱ったりする動物がたくさんいるでしょう。福島の原発避難民も、大津波の被災者も、すべてを無くして、もう生きる気力を無くしてしまって、力尽きて死んでゆく人が多いと思います。
川原さん。私たちは悠然と生き延びましょう。私たちには何の力もないが、大きく真実を読み破ってそれを人々に伝える、という天(heaven 。神ではない。自然の摂理)から与えられた使命(ミッション、mission)があります。
ですから、 私たちはふてぶてしく、堂々と、ずーずーしく状況のど真ん中にどっしりと構えて居座って、「自分たちこそは、生起している事態の中心、真ん中である」という自信をもって今を生きましょう。
川原さん。今は気持ちをゆったりと持ってのんびりと休養してください。誰も私たちを攻撃してきません。皆分かっています。そういう事態になったら私が真っ先に気づきますから、ご安心ください。 お願いします。
副島隆彦拝
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。以上のような次第です。私たちの学問道場の、これから6月までのスケジュールを、弟子たちとよく相談せずに私がこうして長々と書いてしまいました。皆さまのご賛同を期待します。 副島隆彦拝