[880]松村享さま江

広島・西 投稿日:2012/02/16 00:49

貴方の[878]内の文言について。
この学問道場が、前途有望な若者を育てるという目的があることから、あえて苦言を呈することにしました。正に重たい気持ちで。
小沢一郎評に関する文章の中での『女の扱い』という表現に大層いや~な気持ちを抱きました。ポリティカリー・コレクトかどうかとか、言葉狩りとかそういうものではなく、それ未満の不快さです。
この学問道場のHPは多い日で5万ヒットもあるのだとか。
その中で女性がどの程度含まれるかは知りませんが、相当数の女性が読んでいることは確かです。
念のためにこの2日間、周囲の20台から60台の婦女子数名に訊ねてみました。
この内の60台の人のみが「まぁ、良いじゃないの、そういうことを言いたい年代なのよ」と、入歯をカタカタ言わせながら笑った以外は、皆さん「なにっ!!(怒)○×△※・・・」というコメント。○×△※・・・の部分は4文字から100文字以上まで様々ですが、敢えて申しますまい、武士の情けじゃ。
このたかだか数名のリサーチが全女性読者がかくのように思うとうエビデンスとはならないものの、複数の女性が私と同様のいや~な気持ちを抱くのが「女の扱い」という表現です。
閉経した人しか許していません!閉経前でも貴女のカノジョターゲットから外れる人も含みますが、今後自分のDNAを残したいという考えがあるのなら、表現を適切にすることを提案します。

時折、副島隆彦先生も「女子供(おんなこども)」等とフェミニストが眉間にシワを寄せるようなことを平然と仰られますが、先生の場合は別格。(上野千鶴子さんは許さないかもしれませんが)。
ですから、似たようなことを発言しても笑って許される場合とそうでない場合があるということになり、文脈によっても発言者によっても受け止め方は変化します。
副島先生は単に博識であるとか非常に頭が良いとかいう特性を凌駕する、人間的魅力をまとっておられるのです。著書からもその気配を感じておりましたが、実際にお会いすると本当にチャーミングなおじ様です。
『女の扱い』なる表現をしても許される人となるにはどう生きるかというのも研究テーマとなり得そうです。

40代以上の男性諸氏の呼称は上から順にオジサマ、おじさん、おっさん、ジジイ、ク○爺等々、色々ありますが、松村さんが単に「頭が良くて博識ではあるがク○爺」と呼ばれないよう、それこそ修行に励んでください。

「気分」「快・不快」「気配」等、書き連ねましたが、このように言語表現に向かないことを感じるのが女という生物ですので、詳細説明は不可能です。が、しかし、賢い松村さんは察することがきっとできるでしょう。

以上、オバハンの意見は茄子の花ということで心にとめて頂ければ幸いです。ご参考まで。