[864]福島県絆(きづな)作り応援事業と仮設住宅の正体
寒中見舞い申し上げます。 福島県在住 会員番号6619 川原です。
福島からの現地レポートです。
福島県では絆(きづな)作り応援事業という洗脳事業を行っています。その目的は、原発難民に意味のない安心感を与えて去勢させ、相互に監視させることです。
意訳すると、原発難民に今後必ず家と土地について適正な損害賠償費用を受け取れるという幻想を抱かせ続ける一方 現状に不満を抱く原発難民が組織化するのを未然に防止するのが目的です。
東電と政府はアメリカの原発封じ込めタイムテーブルに従い、原発難民の最終処分への準備を始めたのです。核廃棄物最終処分場建設のための地上げ工作の段取りをつけたのです。
厳寒の仮設住宅で原発難民を心身ともに弱らせ、絆(きづな)事業で意味のない安心感を与え、後は 監視体制を強化し、去勢しきったタイミングを見て 原発難民の家と土地を買いたたくのです。国家が公然と行う地上げはさすがです。まさに筋書き通りです。
絆(きづな)事業は全く意味のない事業ですが、震災失業者2000人を雇用し、失業者対策となるとの理由からか、誰も公然と批判することはできません。除染についても同じです。しかし、こうした表面的に意味のない事業にこそ、実は重要な役割があるのです。
環境省のポスターには「除染なくして福島の復興なし」と書かれ、中央の下の部分に一番大きい文字で「環境省職員の募集」と絶妙なバランスで書かれていました。明らかに環境省の予算と権限の拡大が狙いだと思うのですが、地元の批判を逃れるため「職員募集」を全面に打ち出しています。(雇用という餌を使う戦略です。)
このポスターを見かけたのはヨークベニマル郡山富久山町店内に設けられた「絆スペース」という場所です。この場所は県の委託事業を受けた企業とNPOが運営しています。
ここで働く緊急雇用対策で雇われた女性曰く「この絆(きづな)スペースは仮設住宅でなく、県の借り上げ住宅にいる人へ情報発信するのが目的だ」と説明してくれました。
その意図は仮設住宅の連中は監視体制ができているが、ばらばらに点在している借り上げ住宅にいる連中にも監視の目を向け、しっかり去勢されているか確認するためです。
こういう絆(きづな)スペースという場所が県内に10か所ほどあるそうです。絆(きづな)新聞というのも発行しています。(新聞の内容は「仮設住宅で体操して楽しく暮らしてます」という去勢された難民を美化する内容です。)
この「絆(きづな)スペース」は、今後家と土地を安値で買いたたかれる原発難民を絆(きづな)という言葉で根拠のない安心感を植え付け、去勢して洗脳する施設です。
「除染」と「絆(きづな)作り事業」は地元の雇用確保につながるとは言え、これだけどうでもいいことに予算が使われると腹が立ちます。日本再占領風に言うと「ギブミー チョコレート キャンデー」が「ギブミー 除染のワーク」 になり、どんなあほな仕事でもしまーす。猿の惑星の福島版です。こういう人間に仕事を与えても、自立していくことはできません。一時的な雇用対策、経済効果よりマイナス面が大きいと推察します。猿には餌を与えるのではなく、餌の取り方を教えるべきです。全く無意味な除染をさせることは、アメリカの工程表にもあり、原発難民を飼い犬と化し、「おとなしくしていれば餌はやるぞ」というメッセ−ジです。除染は難民を自立させない最適な手段なのです。権力者は除染という手段で地域を意のままに取捨選択することができます。(除染ができていないことを理由に帰還をさせないなど。)
万が一難民に自立されると、「ひとり1億の損害賠償金を寄こせ、地元に戻らせろ」など言い出す可能性があります。地上げ屋としてこれが一番困ります。
その後、郡山市のビックパレット脇にある川内村仮設住宅に寄りました。そこには今までになかった施設がありました。それはドイツ赤十字から川内村に寄贈された。コミュニテーセンターという豪華な仮設事務所です。施設の脇には高級外車 プジョー(赤十字のネーム入り)が駐車されていました。その瞬間、ここは仮設住宅ではなく、「原発難民キャンプ」だと感じました。今までにも仮設住宅という呼び方に違和感を感じていました。こんな福島拘置所よりひどい掘立小屋は、住宅ではなく難民キャンプだと。
ドイツ赤十字寄贈のコミュニテーセンターには川内村の教育委員会が入居しています。仮設住宅にどうして教育委員会があるのか?難民を監視 教育するためか。教育委員会の事務室の入り口の上には「管理」という文字がありました。これで全てが判明しました。
原発難民は、自分は難民であるという自覚がありません。しかし、彼らの現実は原発事故により家屋を強制的に追い出され、ここにしか居場所がない哀れな難民なのです。難民達には他に居場所はありません。難民収容キャンプでおとなしく飼い犬となるしか選択肢はありません。いくら現実から目を背けても今の現実は全く変わりません。こんな現実を赤裸々に表現するときっと腹を立てる人もいるかと思う。しかし他人は騙せても自分は騙せません。自己認識 自分は哀れな原発難民なのだと自己認識できなければ復興はありえません。属国日本の難民キャンプは、今世界から注目の的です。今から福島県内外にある仮設住宅をその実態と正体に即して「福島原発難民キャンプ」と呼びます。
難民キャンプの実況報告続編 こうご期待ください。