[850]福島本部活動日誌です59

吉見 おさむ 投稿日:2012/01/28 17:01

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年1月21日の日誌です。

一日中雪が降っていて、何も出来ませんでした。
積雪が一気に20センチになりました。昨日までは全く積もっていませんでした。

夕食は、インスタントラーメンにほうれん草とネギを入れたもの、もずく、納豆、味噌汁の残り、でした。
味噌汁の残りが遂になくなりました。3週間の長きにわたる戦いが終わって、感無量です。

明日は午前7時のバスに乗らなければならないので、早く寝ます。

現在の外の雪の状況は、こんな感じです。
バス停まで行けるか、心配です。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年1月22日の日誌です。
長くなってしまい、漫然と書いてしまっていることを最初にお断りしておきます。

午前5時に起きて、余っているカレー蕎麦の残りを胃に押し込みました。
午後5時40分、雪かきをしたのですが、5分で雪かき用スコップが壊れてしまいました。長年外にあったので、劣化していたのだと思います。
午前6時から、いわき市に行く用意をしました。
午前6時40分、バス停に向かったのですが、行くだけで一苦労でした。

大雪の影響か、7時発のバスは10分遅れでバス停に到着しました。
途中で撮った古道体育館は、入り口の所に作業員が一人居ました。

旧街道は道に木が倒れていたのですが、運よくショベルカーが除雪作業中でした。
そのショベルカーが木を脇に退けたので、バスが通れました。

常葉、船引でも、大雪が積もっていました。

船引公民館の駐車場では、大人と一緒に居た子供たちが雪合戦をしていました。

25分の遅れでバスは船引に到着しました。
8時31分発の電車に乗る予定だったので、全く問題はありませんでした。

いわき行きの電車に乗りました。40分ほどして、江田駅付近になると、雪は積もっていませんでした。

午前9時37分にいわき駅に到着しました。着いてすぐに、今日泊まる予定のホテルを確認に行きました。

いわき市の駅前を歩いてみました。(今思えば、この行為が余計でした。)
いわき市の駅前は、一応駅ビルがありましたし、近くにイトーヨーカドーもありましたので、東京の郊外と余り変わらないです。
いわき市の気温は5度あり、大変暖かかったです。駅前で手袋をしている人も少なかったです。

午前10時49分、広野駅行きの電車に乗りました。
常磐線からは、海沿いにあって土台だけが残っている家が見えました。

(二枚目は帰り道での写真です)

午前11時14分、広野駅に到着しました。
広野駅からは、火力発電所の煙突が煙を出しているのが見えました。
(ところで船引駅から広野駅に行く場合、直接切符を買うよりも、いわき駅で一回降りた方が110円安くなります。
普通は途中下車した方が料金が高くなるのですが、・・・なぜなのでしょうか。)

3.5キロ程歩いてJビレッジに向かいました。
これから歩いた往復で約7キロの道は、頻繁に人を輸送しているバスが通っていました。警察車両よりもずっと多い頻度でした。
但し、意外と乗っている人の数は少なかったです。多くて4人でした。
(写真はJヴィレッジに右折して入って行ったバスです)
道路の電光掲示板は、警戒区域内への立ち入りが出来ないことに注意を促すものでした。

500メートル程歩くと、旧スーパー(ショッピングプラザアイアイ)の建物が、三菱重工業福島第一作業所になっていました。

丁度作業員を輸送するバスが駐車場に入っていくところでした。

更に500メートル程歩くと、営業していないセブンイレブンがありました。

(←店内の写真です)
(後日http://ranasite.net/MapData/fukushima/hirono_map.htmlで確認してみると、この辺りまで津波が来ていました。
正直言いまして、全然気づきませんでした。)

更に1キロ程歩くと、民宿(ニュードライブイン広野)が建設会社によって借り上げられて作業員用の寮になっているようでした。
駐車してある車は、神戸、山梨、習志野、千葉、岩手、品川、など色々なナンバーでした。
原発構内への立ち入り許可証もありました。





更に100メートル程歩くと、旧パチンコ屋の店舗が「日立GEニュークリア・エナジー株式会社福島第二原子力発電所二ツ沼事務所」として使われていました。

更に500メートル程歩くと、二ツ沼総合公園に東芝対策本部が出来ていて、立ち入り禁止になっていました。


国道6号線の反対側では、ファミリーマートJヴィレッジ店が営業中でした。
ゴミ箱の注意書きに、「原発20km圏内に持ち込んだものや、防護服・手袋・スリッパ等を捨てるのはご遠慮下さい」と書いてありました。

更に200メートル程歩くと、道路が大きく崖崩れしていました。

ここの交差点でラーメン屋がやっていたので、入ってみました。
店内は、5組ほど作業員と思われる人たちが入っていました。
600円の中華そばと100円のご飯を頂きました。
(不味かったです。ラーメンのスープを熱くし過ぎるのは、一寸・・・。)
なお、500円の耳あてを、おそらくはここで紛失してしまいました。

更に200メートル程歩くと、「株式会社アトックスJヴィレッジ作業所岩沢寮」がありました。

更に1キロ弱歩くと、Jヴィレッジの正面入り口に出ました。

ここから先は立ち入り禁止になっていました。
また、警官や警備員に誰何されるのも嫌なので引き返しました。

1キロ歩いて戻って、正月にAさんと行った所を、おぼろげな記憶を頼って行ってみました。
Jヴィレッジの奥のほうの施設には、やはりコートの上にプレハブが建っていました。

広野火力発電所の入り口付近には、原発作業員用の宿泊施設の広告立て看板がありました。
自民党の立て札は倒れていました。
・・・ここ、泊まってみたいです。


(立入禁止の表示は無かったので)Jヴィレッジスタジアムの駐車場に入ってみました。

入り口付近には食堂がありました。
入って食べたかったのですが「新広野単身寮以外の方は利用できません 管理事務所」と書いてあったので、泣く泣く諦めました。

駐車場には、半分のスペースに普通の品川ナンバーの車などが駐車してありました。
もう半分がバスの駐車スペースでした。

あるバスには「「2F2号車二つ沼(東電のマーク)乗る前に確認綿手袋サージカルマスク着用よし」と書かれていました。

私が居た短い間にも、3台のバスが入って、2台のバスが出て行きました

Jヴィレッジスタジアムは、入り口前に資材が詰まれていました。「東電物流(株)」という文字が見えました。



脇には浄水層がありました。

タイルの一部は剥がされ、砂利が埋められていました。

グラウンドにはプレハブが建っていました。

少し離れたプレハブには、ダンボール、ジャンプなどの雑誌類、プラスチックゴミ、燃えるゴミ、が分別して置かれていました。

歩いて広野駅に戻りました。
(途中で三菱重工のバスに何度かすれ違いました。

珍しく、普通の車ではなく、タクシーが一台通りました。

時々すれ違うバスは、殆どガラガラでした。

おそらく作業に使われた廃棄物のヘルメットなどが落ちていました。

福井ナンバーの、警戒区域立入証を持っているバスが停まっていました。


広野のガソリンスタンドは営業していました。

広野町役場は、休日だったからか、やっていませんでした。

広野町の中は、所々の民家には人がいましたが、商店などはやっておらず、閑散とした状態になっています。

広野駅に戻った後、午後2時34分の電車で四ツ倉駅に向かいました。
広野駅には女性の乗客が4人、男性の乗客が1人いました。
男性の乗客は、カメラを持っていました。

四ツ倉駅で降り、線路を挟んで駅と反対側にある仮設住宅に行きました。
(後で調べたところ、仮設住宅は30キロ圏外に建てられていました。
http://ranasite.net/MapData/fukushima/hirono_map.html

いわき市四倉町鬼越の仮設住宅は、住友大阪セメント(株)の工場の空き地に建てられたようです。



工事をしたのは佐藤工業だと表示されていました。

約250戸ほどで、木造の仮設住宅の方が多かったです。
車椅子用の仮設住宅もありました。









四ツ倉海岸に歩いて行きました。
行く途中で坂になっている所は、土嚢で崖崩れを防いでいました。

海岸沿いのコメリ(というホームセンター)が営業していました。石材センター、ドコモショップも営業していました。



海岸沿いは、土台だけ残っている家、ぼろぼろになったままの家、既に修理されたと思われる新しい家が混在していました。






(←この写真の家は、この後補修するそうです)
(←この写真は新しく補修した箇所は家の色が違います)


国道6号線の内側でも、やや被害が出ていました。



ただ、上の画像は隣り合っている家を続けて撮ったのですが、片方は土台だけで、片方はシャッターのみの被害で収まっているのを見ると、この差は何なのか、考えてしまいます。
海岸沿いの道路の下水溝は、上のコンクリートブロックがなくなっている所が多かったです。
加えて、道路は補修されたのですが、その脇にはまだまだ補修しきれていない箇所が残っていました。




四ツ倉海岸では、流されたテトラポットが砂に埋まってしまっていました。


ココスヤシの半分は、津波の影響なのか、折れてしまっているようでした。

倉庫や水産加工場の建物も、廃墟に近くなっていました。


電灯や標識の柱も曲がっているものがありました。


一方で、7月時には倒れていた信号の柱などが新しくなっていました。

漁船は二隻泊まっていました。陸にはおよそ10隻の船の残骸が上がっていました。

四ツ倉駅に歩いて戻った後、午後5時8分の電車に乗って、午後5時半にいわきに戻りました。
本屋に行って、先生の新刊、「ヤクザと原発」、「東日本大震災福島(DVD)」、を購入しました。

夕食はキッチンこころという店で、カキフライ定食を食べました。
キャベツが異様な量でした。
味は兎も角、最近見たアニメに「こころ」というキャラクターがいたので、また、ビジネスホテルから近かったので、つい入ってしまいました。
ネタで1250円も余計に消費してしまい、ビジネスホテルに戻ってから、自分の馬鹿さ加減に頭を抱えました。

いわき駅前のビジネスホテルに入ってから、風呂に入る気力も無く、ベッドに入って寝ました。
5000円の、機能を必要最小限に抑えてあるビジネスホテルでした。
中国の郊外のホテルとあまり変わりませんでした。

(転載終わり)