[837]5月27日の毎日新聞の夕刊

大内なんでかな 投稿日:2012/01/19 01:24

見つけました。

http://www.fitweb.or.jp/~taka/ytbib11.htmlから無断で貼付けます。

(転載貼り付け始め)

標題 <この国はどこへ行こうとしているのか>科学技術に退歩はない:特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本
よ! 文芸評論家・吉本隆明さん
掲載誌(紙・書)名 毎日新聞(東京夕刊) 
出版地 東京
掲載頁 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110527dde012040005000c.html
掲載年月日 2011.5.27
区分 取材談話
見出し・語録
 雨がポツリポツリと降るなか、路地奥の行き止まりに自宅はあった。案内されて和室で座布団に座ると、
隣には白い猫が1匹。吉本さんは四つんばいで現れた。糖尿病や前立腺肥大、足腰の衰えなどで、体が不自
由な状態にある。日本の言論界を長年リードした「戦後最大の思想家」は、そのまま頭が床につくくらい丁
寧なお辞儀をした。白内障の目はこちらをまっすぐ見つめていた。
 東日本大震災の取材で歩いた現場を「焼け野原にも似た光景でした」と伝えると、聞こえにくくなったと
いう耳に神経を集中させていた吉本さんは静かに語り出した。「おっしゃったような光景から東京大空襲を
思い出します。友達を捜すために焼け野原を歩きました。煙に目をやられた人々がトボトボ歩き、周囲には
遺体が転がっているだけでどうにもならない。逃げた方向によって全滅に近い地区もあったと思います」。
何かを訴えるように両手を動かす。
 東京・月島生まれの詩人であり、文芸評論家。政治、経済、宗教、哲学、カルチャー……あらゆる分野に
わたり、出した本は300冊以上。1960~70年代には多くの若者の支持を集め、今も言論界で活躍す
る。「知の巨人」とも呼ばれる。
 吉本さんは大震災について「僕は現場まで行くことができない。戦争では戦闘の近くまで出かけていき実
感しているけれど、今回は距離の隔たりがある。避難民がもっとごった返している場面を想像していたんだ
が、ポツンポツンとして静かな感じがする……」。
 ふと、04年に出版された吉本さんの著書「人生とは何か」の一節を思い出した。
 <(体は)ボロボロの状態です。「老いる」ことと「衰える」ことは意味が違いますが、こんな状況にな
ったときには、死にたくなっちゃうんですよ。年を取って、精神状態がある軌道に入ると、なかなか抜け出
せないのです。僕は死のうとか、自殺しようとまではいきませんでしたが、「これは生きている意味がない
んじゃないか」ということは、ものすごく考えましたね。(略)結局は、その状態を自分自身で承認するほ
かないのです……>
 まずは現実を受け入れ、そこから始めるしかない。今の東北の被災者に似ている、と思った。
 吉本さんは1982年、文学者らによる反核運動を批判する「『反核』異論」も出版している。その中で
核エネルギーについてこう記した。<その「本質」は自然の解明が、分子・原子(エネルギイ源についてい
えば石油・石炭)次元から一次元ちがったところへ進展したことを意味する。この「本質」は政治や倫理の
党派とも、体制・反体制とも無関係な自然の「本質」に属している。(略)自然科学的な「本質」からいえ
ば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得
したと同義である>
 東京工業大出身の「知の巨人」には、科学技術に対する信頼が底流にあるようだ。「原子力は核分裂の時、
莫大(ばくだい)なエネルギーを放出する。原理は実に簡単で、問題点はいかに放射性物質を遮断するかに
尽きる。ただ今回は放射性物質を防ぐ装置が、私に言わせれば最小限しかなかった。防御装置は本来、原発
装置と同じくらい金をかけて、多様で完全なものにしないといけない。原子炉が緻密で高度になれば、同じ
レベルの防御装置が必要で、防御装置を発達させないといけない」
 目線はぶれることなく、記者を向いている。こちらは専門的な内容を頭の中で必死に整理し、質問する。
 「福島の土地に多くの放射性物質が降り注ぎました。2万人以上もの人々が住んでいた場所から避難して
いますが」と問うと、吉本さんは「ひどい事故で、もう核エネルギーはダメだという考えは広がるかもしれ
ない。専門ではない人が怒るのもごもっともだが……」と理解を示しつつも、ゆっくり続けた。「動物にな
い人間だけの特性は前へ前へと発達すること。技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退
歩することはあり得ない。原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。今のと
ころ、事故を防ぐ技術を発達させるしかないと思います」
 吉本さんの考えは30年前と変わっていない。「『反核』異論」にはこんな記述がある。<知識や科学技
術っていうものは元に戻すっていうことはできませんからね。どんなに退廃的であろうが否定はできないん
ですよ。だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか超える道はないはずです>
 話し始めて1時間半、卓上の緑茶をすすると、ぬるかった。家の人が熱いお茶をいれ直してくれた。吉本
さんは手ぶりがつい大きくなり、湯のみをひっくり返した。記者がティッシュで机をふいた。
 「人間が自分の肉体よりもはるかに小さいもの(原子)を動力に使うことを余儀なくされてしまったとい
いましょうか。歴史はそう発達してしまった。時代には科学的な能力がある人、支配力がある人たちが考え
た結果が多く作用している。そういう時代になったことについて、私は倫理的な善悪の理屈はつけない。核
燃料が肉体には危険なことを承知で、少量でも大きなエネルギーを得られるようになった。一方、否定的な
人にとっては、人間の生存を第一に考えれば、肉体を通過し健康被害を与える核燃料を使うことが、すでに
人間性を逸脱しているということでしょう」
 いつの間にかいなくなっていた白い猫が、再び部屋に入って座布団に寝転んだ。吉本さんは気づいていな
いかのように続けた。「人類の歴史上、人間が一つの誤りもなく何かをしてきたことはない。さきの戦争で
はたくさんの人が死んだ。人間がそんなに利口だと思っていないが、歴史を見る限り、愚かしさの限度を持
ち、その限度を防止できる方法を編み出している。今回も同じだと思う」
 気づくと2時間半が過ぎていた。吉本さんは疲れるどころかますますさえている。自らの思想を「伝えた
い」という思いのみが衰えた体を突き動かしているのだと感じた。
 「ただ」と続けた。「人間個々の固有体験もそれぞれ違っている。原発推進か反対か、最終的には多数決
になるかもしれない。僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、判断できない部分も残っています」
 話を終えると吉本さんは玄関口まで送り出してくれた。言葉だけではなく「全身思想家」に思えた。

(転載貼り付け終わり)

これもどうぞ

http://ameblo.jp/genten-nippon/day-20110808.html