[831]福島本部活動日誌です53

吉見 おさむ 投稿日:2012/01/07 14:26

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年12月31日の日誌です。
情報が一気に入ってきて処理できず、書き漏らしたもの、不十分な整理のまま書かなければならないこと、が多いです・・・。

今日は、大変、Aさんにお世話になりました。大変、大変、有難う御座いました。
一日中、車を運転していただき、更には積極的に人に声をかけて、話をされていました。
私では絶対に聞けない様な話が聞けました。

30日の日誌で書き忘れたのですが、検問所に設置してある積算の線量計が、2011年10月からのものになっていたかもしれません。
昨日の段階で、0.33mSvと表示されていました様な気がします。
・・・こんなあやふやにしか書けないのは、気軽には線量計の前に行けないからです。後日、機会を見て確認します。

朝起きて、昨日の片付けをしました。
それからガソリンスタンドで、灯油30リットルの補給をしました。

結露が激しいので、対策を考え中です。

10時31分に事務所を出て、Aさんに中学校、体育館、小学校、を案内しました。
それから更に遠出をして、船引の仮設住宅、春山小学校、郡山のビッグパレット、郡山の仮設住宅、を案内しました。

中学校の少し下の空き地では、ヘリポートが建設中でした。


中学校の排水路は、青いビニールシートがなくなっていました。

中学校の電灯柱は、改めて見ると、かなり傾いていました。

中学校入り口の崖崩れは、補修工事がされていました。


公民館前の駐車場には、一台も車が停まっていませんでした。
古道プールは凍っていました。

体育館の正面入り口には
「独立行政法人 日本原子力研究開発機構 西側スクリーニング拠点」
と書いてある紙が貼ってありました。

体育館脇の入り口には、
「作業車輌長時間駐車禁止 作業車輌の運転手の方は車両サーベ終了後速やかに車輌の移動をお願い致します。」

「お願い 駐車場混雑のため、運転手さんはスクリーニング終了後、直ちに公民館側駐車場に車両を移動して下さい。車両に乗降する人が多い場合も同様にお願いします。」

「測定要因専用出入り口 作業者の方の出入りは緊急時を除きご遠慮下さい。」

と書かれた紙が貼ってありました。
入り口近くの、雨水を通す排水管は、凍って氷柱が出来ていました。

体育館内部は、
「物品置場」
と書かれた紙が貼られた机

「物品スクリーニングエリア」
と書かれた紙が貼られた机

「スクリーニングエリア」「廃棄物」「タイベックスーツ」「ゴム手袋入れ」
と書かれた紙が貼られた戸棚

が置いてありました。
また、体育館の正面からの出入り口は、閉じられているように見えました。(見間違えかもしれません・・・)

小学校の校庭は、ある程度鉄板が敷かれていました。また、木々が整理して置かれていました

小学校について、Aさんが
「まるで私立の小学校の様な大変立派な建物だ」
と言っていました。

船引の仮設住宅に行く前に、コンビニで『フライデー 東日本大震災全記録』を購入しました。780円でした。
コンビニの品揃えは、福島と関東ではかなり違うことにやっと気づきました。車用品などが多く置いてありました。

船引の仮設住宅に入ると、子供達3人がいました。

アスファルトの通路には雪が融けずに残っていました。

仮設住宅の窓から布団を出して、日光にあてている家がありました。

シクラメンは、ゴミ捨て場用のプレハブ内で、寒さ避けをされていました。(既出でしたでしょうか?)

簡単な木製の椅子が、おそらく20個ほど、新たに置かれていました。

掲示板には
「暖房の注意点!」、「(原子力損害賠償機構による)無料訪問相談会のご案内」
という紙が貼ってありました


集会場前の掲示板には催し物の予定表が貼ってありました。

ベンチに座って世間話をしていた人達に、Aさんが声をかけて話を訊きました。
電気代やガス代は入居者の負担だそうです。入居時には、洗剤などの日用品がセットとして用意されるそうですが、その後は住民が購入して用意するそうです。
また、県の借り上げ住宅に入っている人の方が多いそうです。
仮設と借り上げ住宅、どちらに入る方がいいかは、人によるそうです。
例えば、ある痴呆症の老人は、仮設住宅に入ってプライバシーがほとんど無くなったことで、逆に痴呆症が治ったそうです。

春山小学校のプールも凍っていました。

都路中学校の仮校舎があるからか、「○都 3年」という文字のあるプラスチック容器がありました。

郡山のビッグパレットでは、駐車場に「川内村 東日本大震災復興支援車両」と書かれた車が置いてありました。

ビッグパレット自体は当分の間休館となるようです。

実際、ビッグパレットの入り口は閉まっており、夏ごろは自転車置場に洗濯機と乾燥機が置いてあったのですが、なくなっていました。


川内村の災害対策本部が置いてありました。なお、年末なので、戸籍業務を除いて休みでした。


富岡町と川内村の人が入居している郡山の仮設住宅は、船引の仮設住宅よりも、造りが立派でした。
ここも夏とは違い、通路がアスファルトで舗装されていました。
車椅子で上がれる様な住居もありました。




コンビニのような店、床屋、食堂が併設されていました。





一戸空いていましたが、他は埋まっていました。

掲示板には、休日もやっている病院と隔日で運行されているバスのお知らせが貼ってありました。


富岡町の人が入居している仮設住宅の線量を計った結果も載っていました。

赤十字の車と日本財団の車が駐車してありました。

ある住宅に、Aさんがアポ無し訪問をして、話を訊きました。)

その人の話したことを箇条書きでまとめますと、
「ここら辺の仮設は特に老人が多い」
「仮設住宅の耐用年数は2年だけれど、原発と同じで、延長して3年、4年と使うのではないか」
「セキスイハウスとセキスイハイムは建物の造りが結構違う」
「個人的には、もう40年は戻れないと思っている。これは、原発以外の産業が無いことも考慮して、これくらいの年数戻れないと思っている」
「これまで、大熊・双葉・浪江・富岡は原発で食べてきた。これは否定できない事実」
「どうして中通りに近くなっても小学校などが立派なのかというと、建立碑などに『電源交付金』といった文字が入ってるから、注意して見てみて欲しい」
「どうして訴えないのか、と言われると、訴えろという弁護士は、本当に被災者の見方なのか?商売でやってるんじゃないか?と疑ってしまうから」
「親類が東電で仕事をしているなどで、強く出られない人が多い。強く主張できる人に、内心では、もっとやれもっとやれと思っている」
「やっぱり、放射能は「わからない」ので、怖い」
「以前に東電の住民説明会があった時、住民を代表して、「震度7が来ても大丈夫なのか」と訊いたら、鼻で笑われた」
「マスコミがやって来て、マイクを向けると、仮設の人は逃げてしまう」
「やっぱり郡山にいる人間としては、川内から一時帰宅させてくれ、いわきまで一旦行くのは厳しい、という人が多い」
です。

また、別の人から話を聞くことが出来ました。
その方の話を箇条書きにしますと、
「川内は、大熊や双葉とは大きく立場が違う。いずれ戻らざるを得ない」
「川内の人間は、このままだと仮設に入ってると、金取られそうだ」
「川内は線量が低いし、いずれ戻らざるをえない」
「このままでは、大熊や双葉は本当に無くなってしまう」
「双葉は、姉妹都市だからと言って、(埼玉県の)県外に役所機能を移転した。馬鹿だ」
「今の状況は、ピンチでなく挑戦だと思っている」
「私は、あと7年くらいで、富岡の福島第二原発は動かすと思う。あそこは、再稼動させようと思えばすぐ。少なくとも、私が富岡町の村長ならそう考える」
(「原発を動かすのは、世論を操作すれば、可能だろう。いざとなれば、東電が電力不足を理由に首都圏を脅迫すれば可能だろう」)
「困っている被災者の為に14億貸し出したけれど、3億しか戻ってきていない。やくざが金を借りてどこかに行ったようだ。当時は緊急でもあったし、身元確認などは不十分にならざるを得なかった」
「町や村の議員は、議題を承認するか否かの判断が仕事であって、実際に町や村をどうするかは、町長と村長の判断。だから、村議会議員選挙で「公約」がどうこうってのはおかしい」
「本当に知りたいのならば、大熊と双葉の人から話を聞くべき。彼らは会津の仮設に行っている」
です。

お話を伺った方は、「これは個人的意見」と枕言葉を置いてから、話すことが多かったです。

帰り道で船引のリオンドールに寄り、6割引の寿司、野菜、中田先生用の菓子、を買いました。

事前に電話で連絡があったとおり、中田先生が来て、2階にいました。

夕食は、鍋、6割引の寿司、でした。
鍋はAさんが用意して下さいました。

2012年1月1日午前0時にかけて、ホワイトアルバム2という18禁ゲームをやりながら、年を越しました。
やはり、Aさんや中田先生には「・・・どこが良いのか全く分からない」そうです。

2012年1月1日午前2時、古道のお寺に行ってみましたが、何もやっていませんでした。
帰り道で、通っていたパトカーに誰何されたら、・・・どうしよう、と思いました。
帰り道のついでに、古道の街を見てみると、車で一時的に帰ってきている民家が多かったです。

2012年1月1日午前3時18分、検問所方面から郡山方面へ、タクシーが288号線で帰っていきました。

(転載終わり)