[813]福島本部活動日誌です45

吉見 おさむ 投稿日:2011/12/21 16:33

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年11月26日の日誌です。
なんか今日は先生の言っていたことが少しだけ分かった気になりました。本当に分かってるかは微妙です。

古道体育館に行きました。内部の写真を撮影しました。

洗濯をしました。ソファーを干しました。

午後4時、Pさんご夫妻が、お子さんを二人連れてきました。
お風呂に入って頂きました。
夕食として、ご飯、鍋、南瓜のスープ、鮭の刺身、をNさんが用意してくださいました。

Pさんに船引に買出しに連れて行って貰いました。
TSUTAYAで本を二冊、ダイユーエイトで半額の牛肉などを購入しました。

お二人で、事務所の地図の上に、昨日Bさんから頂いた寄せ書きを飾って頂きました。
大変有難うございました。

夕食後、P夫妻と飲んだくれていました。
お子さん2人の世話をしながらだったので、滅茶苦茶偉いなぁ・・・と思いました。
Pさんは、
「自分の国は左、右、中道に力が無く、中道左派、中道右派に力がある。」
「日本とは、右と左の定義がかなり違うかもしれない。自分の国では70年代までファシズムの時代だったので、「共産主義者」というのはむしろヒーローのイメージがあった。今の若い人間たちはまた違うが。」
と言っていました。
また、日本の政治について、
「党の代表選がそのまま総理大臣を選ぶのと同じになるのはおかしくないか?また、日本人はおかしいと思うことはないのか?自分は高卒だけど、自分たちの代表を自分達で選んだからといってそれで全ての問題が解決する訳ではないが、自分達の一番上の代表を選ぶ時には直接選ぶべきじゃないのか?」
「ヨーロッパ人から見るとアメリカ人は『ああ、洗脳されていて可哀想な人たち』というイメージで、逆に可哀想というか、自分としては、そこまで言わなくても、と同情してしまう」
「NHKの放送は、最初に見たとき、穏やかな口調の北朝鮮の放送だと直感で言ってしまったら、周りに怒られた」
「日本人には良い所が一杯なのに勿体無い。ヨーロッパのように厳しくストライキやデモをするのは合わないとは思うが、それでももう一寸主張するべきじゃないだろうか。自分の頭を使って自分の考えを持つべきだ。・・・というのは、変なガイジンなのだろうか。」
とも言っていました。

都路ではディスカッションバーやディスカッションカフェをやったらどうだろうか、とも言われました。
何はともあれ議論をするのを売りにするところのようです。
・・・出来たにしても、私は話を聞いてばかりになってしまいそうなので、あまり役に立ちそうにありません。
もしやるなら、誰か応援を頼むことになりそうです。

なかなか日誌が書けなかったので、深夜に外風呂に入りました。
風呂の中は暖かいのですが、風呂の縁は凍りかけていました。
流石にお湯が冷めるのが早かったです。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年11月27日の日誌です。

11月26日の朝に古道体育館に行っていましたが、写真を転載するのを忘れていましたので、ここで書いておきます。
体育館の玄関付近には、倉庫用のプレハブが2つ建っていました。

体育館前の駐車場には、数字の書かれたガムテープ片が、一定間隔で貼られていました。

内部は、夏に使われていた扇風機などは、脇にどかされていました。

体育館の脇の出入り口は、一時帰宅の出入り口でもあるので、やや厳し目にビニールがかけられ、ガムテープで固定されていました。(ただし、ここからの一時帰宅はもうないのかもしれませんが。)

体育館の一部は、「森の水」の入っていたダンボールで敷居がされていました。

また、Bさんの寄せ書きは福島の地図の上に展示してあります。

昨日、Pさんは他にも
「自分の国では1988年にカラーテレビになって感動した」
「PIIGSは、いつか金融崩れがくる、だって余り国全体で働いていなかったし、という国民全体での共通合意のようなものがあった」
「「いつ』崩れるのかが興味があった。それに、農村の自給自足をしている農家には、結局関係無い事だった」
と言っていました。

朝食は、残っているものを中心にNさんが用意してくださいました。
ご飯、鍋、鶏肉の照り焼き、鮭の焼き魚にイクラを添えたもの、・・・だったと思いますが、昨日の酒が残っていて良く覚えていません。

午前11時、Tさんが来ました。

Pさん一家が大広間を掃除して下さいました。布団も干してくださいました。

正午にPさん一家は帰りました。
大変お世話になりました。

Tさんに、お茶、ノンアルコールビール、鍋、南瓜のスープの残り、をお出ししました。
外風呂も用意しました。
Tさんは2時半に帰りました。

午後2時、大家さんと奥さんが汚水の排水管で外れているところを修理に来ました。
本当は来るはずだった、大家さんの知り合いの東電関係の配管工の人がいつまでも来ないから、自分達でやってしまおう、と思ったそうです。
応急補修の形ではありましたが、汚水の漏れはほとんど無くなりました。
もう少ししたら、ちゃんと補修すると言っていました。

amazonから大量の荷物が届きました。
長いLANケーブル、布団乾燥機、毛布3枚、電気こたつ、でした。
特に電気こたつは、これを使いながら、冬を越す準備を抜本的に考え直します。
またamazonでロシュフォール10を、お客様用、あるいは贈答用に注文しました。
減らないワインを買う位なら、減るビールを買う方が良いと判断しました。
・・・このビールだけは飲めるので、自分で飲んでしまわないように気をつけます。
・・・・・・・・・まあ、高いので、飲むことは貧乏性の私には無いとは思います。

LANケーブルを直接繋いで使ってから、殆ど問題は起きていません。
ただし、時折短時間ですが、モデムのADSLのランプが点滅していて、繋がっていないことがありました。

Rさんが気にしていた「かわうちの湯」についての写真は、内部を撮った

しか見つかりませんでした。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年11月28日の日誌です。

朝・・・というよりは昼に起きて、昨日Tさんに自動車のバッテリーが上がらないようにする処置を教えて貰った事を思い出しました。
一週間に一度、自動車のエンジンをかけて10分そのままにしておく、というものでした。
本当は走った方がいいらしいのですが、流石に止めておきます。
また、燃えるごみを出すのを忘れました。最近のごみ出しは失敗ばかりです。

新聞が集金に来ました。2905円でした。

午後3時半、以前事務所にいらしたKさんからお電話があり、食料品の差し入れをされると言って下さいました。
大変恐縮です。

夕食は、ご飯、鮭を焼いたものの残り、牛肉を焼いてからYさんから頂いた焼き鳥のタレを投げ込んだもの、麻婆豆腐の残り、でした。
鍋が減りませんし、麻婆豆腐はまだまだ残っています・・・。

午後4時40分、体育館に行ってみました。
体育館の玄関付近には作業員が6、7人いて、写真を撮りづらかったです。

公民館脇のプレハブは、中が覗けるようになっていました。中の物資はかなり少なくなっていました。

体育館の裏側に回って中を撮影しました。
中は、灯油ストーブ、ビニールで覆われたパイプ椅子、事務用の机と事務用品、ビニールハウスの様なもの、が新たに置いてありました。

午後6時には体育館の電灯が消えていました。

コタツで寝るようになって、やっと普通に寝られるようになりました。
これまでは朝起きると体が氷の様で、辛かったです。
これでやっと、体力が回復させられそうです。
更に、寝るときに部屋を暗くしてから
「ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れないCD」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0011FM33A
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00186BHPC
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B003GF6R80
のシリーズをかけると快眠出来ます。

ロシュフォール10の注文は、クレジットカードの少ない月内使用額の限度を超えてしまい、一旦キャンセルになってしまいました。
灯油ストーブなど出費がかさみ続けたことが重なって、こうなってしまいました・・・。

ネットを有線にしてから、回線が速いような気がします。

外風呂に入りました。
出る時寒くて、なかなか出られません。

(転載終わり)

Pさま、これが先生の言うところのworld valuesかぁ・・・と感心しながらお話を伺っておりました。
Kさま、頂戴しましたたくさんの食料は、少しずつ大切に頂きます。