[788]福島本部活動日誌です39
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年11月2日の日誌です。
やはり、一瞬だけADSLが切れそうになっています。
とはいえ、安定して接続できていました。
(午後9時ごろ、私のfire foxが読み込まなくなりました。google chromeは繋がっていました。Hさんのpcも繋がっていました。
右下のインジケーターの箇所も、SSIDの文字と共に「インターネットアクセス」という文字が表示されており、繋がっていることを示していました。
その後、fire foxの画面の裏に出てきていた「ブロードバンド接続」の画面でキャンセルを押すと、fire foxも繋がりました。
どうも、私のPCの設定がおかしいのではないかと思うようになってきました。)
午前9時に自衛隊車両が2台連なって、399号線で川内・いわき方面に向かっていきました。
おそらく除染に使う車両です。
午後3時半に288号線を帰っていったので、川内村で一時帰宅など何らかの動きがあったのかもしれません。
電気代を郵便局に振込みに行きました。
ソファーと布団とシーツを干しました。
Hさんも服も一緒に洗濯をしました。
午前11時に船引の慶慶飯店という中華料理屋に行きました。いつも行く中華料理屋は定休日でした。
かなり人が入っていました。そのせいか出てくるのに時間がかかりました。
味はともかく、490円でご飯のお代わりが出来ましたので、教育機関の食堂並みに安い食事でした。
船引の仮設住宅に行きました。
Hさんは、避難民のプライバシーに気を使っていて、優しいなぁ、と感心しました。(私も気を使ってはいるはずなのですが、どうにもガサツな所が出てしまいます・・・。)
船引のTSUTAYAに行きました。
『放射能のタブー』は置いてありませんでしたが、先生の本は四冊置いてありました。
Hさんがリオン・ドールの写真も撮っていました。
船引に空き店舗を使って即席で出来ていた、東京電力の
「郡山補償相談センター 賠償相談窓口」
に行ってみました。
駐車場に係員が立っていたので、遠くからの撮影しか出来ませんでした。
夕食は、Hさんがすき焼きを作って下さいました。美味しかったです。
割り下から料理していたので、なんかもう、私は料理が本当に出来ないのを思い知らされます。
他には、玄米、ヨーグルト、プリン、納豆、焼売の残り、梅干し、でした。
Hさんがシャワールームを使いました。
使うのに問題なし、と言っていました。
身長がある人には少し不具合がでるかもしれない、とも言っていました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年11月3日の日誌です。
朝起きてみたら、今度はHさんのPCが繋がらなくなっていました。私のPCは繋がっていました。
夜は逆に私のPCが繋がらなくなりました。
シャワールームをHさんが朝に使った際、バスタブを使ってシャワーを浴びました。
その時シャワールームの下に水漏れが発生しました。
夜にHさんがバスタブ内だけでシャワーを浴びた際は、下へ水が漏れることはありませんでした。
有用なテストを有難う御座いました。
常葉町にHさんに連れて行ってもらいました。
コメリでカイロを買い込みました。一個あたり20円なので、カイロの方が電気代の節約になるかもしれません。
常葉行政局前でやっていた、そば祭りを見て回りました。中々の人出でした。
会場の中央には、都路と浪江町への寄せ書きが書けるようになっていました。
学校の駅伝大会も併せて行われたようです。小学生が一杯でした。
行政局の中は、やっぱり例のポスターが異色を放っていました。
行政局の大きいホールでは、かなり本格的なそば打ちが行われていました。
Hさんと一緒に、もりそばとかけそばを2杯づつ、肉屋が出している豚の串や猪の串を2本ずつ、無料配布の豚汁を一椀、食べました。
食べた物は皆美味しかったので、全部で3000円ほど支出してしまいました。
最後に浪江町の名物らしい焼きそばを買って帰ろうかと思っていたのですが、列の捌きが遅かったので途中で断念して帰りました。
途中で偶然に、Yさんと奥さんに会いました。買った直後の豚肉の串を差し上げました。
帰ってから二人で大広間の配置を少し変えました。新刊が正面玄関の近くに来るようにしました。
Nさんから蜜柑が届きました。明日にはお世話になっている方々にある程度配ります。
夕食は、ご飯、鮭のムニエル、キャベツの千切り、林檎、納豆、渡邊さんから頂いた味噌汁、プリン、ヨーグルト、でした。
鮭のムニエルなどの難しいものはHさんが作って下さいました。
(夕食時に、酒も入っていないのに、頭をゆすぐべき単語を乱発していたような気がします。
Hさん、すいません。)
外のトイレは、手を洗うときに最初は熱湯が出ます。
使用の際は充分に気をつけてください。
カメムシが多いです。特に2階の部屋の中に入ってきてしまっています。
かなり臭いがきついです。
Hさんがシャワールームを使った時、電灯に頭をぶつけました。
電灯は使っていないので、電球と共に撤去しました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年11月4日の日誌です。
今日はADSLの接続が不安定でした。HさんのPCも接続できませんでした。
返信すべきメールにも反応が滞りがちです。
11月5日午前4時46分、Kさんにメールで教えて頂いたものに近い方式で、無線のルータのリセットボタンを押してみました。
繋がるようになりました。ただ不具合の原因等が判明しておらず、またいつ繋がらなくなってしまうのか心配です。
(注:11月6日午前1時半現在、やはり繋がったり繋がらなかったり一番最初の方法でないと繋げられなかったりの、不安定な状態が続いています。
リセットボタンもこれまでに4回押しましたが、最初のときと2回目以外はあまり効果を発揮していません。
6月頃の安定して接続できた初期設定に戻したいです。)
Nさんから頂いた蜜柑を近所に配りました。
庭匠さん、坪井モーターズさん、大家さん、Yさん、最寄のガソリンスタンド、の順に配りました。
庭匠さんとYさんからは、かなり長い時間お話を伺いました。
庭匠さんのところは、メダカ養殖の設備が凄かったです。現在施設を増築中です。
Yさんは、お昼寝中のところにおじゃましてしまいました。
大家さんは留守だったので、玄関に「放射能のタブー」と蜜柑を置いて帰らざるをえませんでした。
ガソリンスタンドではガソリンも補充しました。Hさんのアイディアでした。有難う御座いました。
庭匠さんのところで伺ったお話を箇条書きでまとめますと
「ここら辺のほうが数値が低い。自分たちは避難していない。風をみて避難する必要がないと判断」
「当日は原町に居て、5メートル手前まで津波が来た。そのときは、なんでこの時期に田んぼに水を張っているのかわからないと思った。」
「その後に車などが流されてきて、陥没した道路を避けながら慌てて帰ってきた」
「補償はこれからだ。今は東電から一時金100万が払われて、とりあえず住民も抑えているが、この後に除染や補償の問題が本格化する」
「そろそろ東電の船引の賠償相談窓口に怒鳴り込もうかと思っている」
「行政局に怒鳴り込んだ。とりあえず従業員の休業補償はとった。だが、事業が継続できなくなった事とか東電はどうするんだ」
「5キロ圏内はこのまま最終処分場にするしかない。他にもっていくところがない」
「ここらへんで40人残った」
「19キロのところに畑をやっている偏屈な人が残っている」
「ホームページを50万出して作ってもらったが、ぼったくりだった」
です。
Yさんと奥さんは
「これからの季節は2階に上がるとき、階段が鉄板なので滑りやすく、大変危険だ」
「奥の部屋をつかったらどうだろうか」
と言っていました。
建物にいたカメムシを除去しました。死骸も含めると30匹弱いました。
ネットにあった「ガムテープにカメムシを貼りつけてゴミ箱に捨てる」という方法を採りました。
そのせいでゴミ箱に悪臭が移ってしまっています。
一匹は足で踏んでしまい、急いでシャワールームで足だけ洗うことになりました。
気の進む作業ではないですが、掃除機に悪臭がつくよりはずっといいです。
Hさんと掃除をしました。
掃除機、トイレ2箇所、草刈り、2階の片付けをしました。
かわうちの湯にいきました。
帰り道で浪江の警察に検問で停められました。
東京でやったら問題になりそうな、粗めの検問でした。
夕食は、Kさんに教えて頂いたペンネを見様見真似で作ったもの、酒、納豆、林檎、シーチキン、お茶漬け、Wさんから頂いたコーンスープ、梅干し、お茶漬け、でした。
ペンネは何か一味足りませんでした。
Hさんが明日帰らなければならないので、酒を一緒に飲んだのですが、飲みすぎました。
11月5日に悪影響を及ぼしてしまいました。
11月5日午前12時15分に、都路町古道山口地区で建物火災がありました。
午前1時10分に消火の放送がありましたので、大きな火災だったと思われます。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年11月5日の日誌です。
昨日の酒のせいで、ほぼ一日中ソファーで寝ていなければいけませんでした。
昼食は、ご飯、Wさんから頂いた味噌汁、納豆、キャベツ、焼売、もずく、トマトとチーズ、でした。
午後1時、男性が一人尋ねてきて
「ここで水の検査をやっていると訊いてやって来たのだが」
と言っていました。
後で考えると、大家さんやKさんが、仕事関係での井戸のボーリングのことをここで話し合ったことがあるので、その件が間違って広がったのかもしれません。
Hさんがシャワールームのテストを兼ねて、シャワーを使いました。
一度に大量の排水をしようとすると、排水口が不十分「かもしれない」、とのことです。
Hさんは午後2時42分のバスで帰りました。
大変お世話になりました。
カメムシを5匹駆除しました。
夕食は、残っていたラーメンに白菜、キャベツ、もやし、ネギ、牛肉、ホウレンソウを炒めて入れました。
駄目になりそうな食材を加熱処理できて安心しました。
(転載終わり)
これは、ある人とした話なのですが、私が
「都路の小中学生は、ひょっとしたら、コンビニが近くにあるような都会に避難できて良かったと内心で思ってたりするんじゃないか?」
と言ったところ、ある人が
「そんなことないんだ。都路の子たちが別の場所に行くと、他所から来た形になるから、ある意味あそこでみんなで苛められてるんだ。しかも、場所を借りてる立場だから言い返せないんだ。やっぱり地元が一番なんだ」
と言っていました。
それを受けて、同席していた別の人が
「・・・東京の子からしたら、福島のどこ出身でも、全部同じだけどなぁ・・・」
としみじみ言っていました。