[708]東京大学の児玉龍彦(こだまたつひこ)アイソトープ総合センター長に関する記事

平田裕子 投稿日:2011/09/11 11:05

会員の平田裕子です。
下の「707」で大川晴美さんが書いていらっしゃるように、「どんなに微量でも放射線は危険だ」という科学的に検証されていない仮説に基づき、今の日本では放射線の基準値が決められています。
以下に、コワイコワイを喧伝する、東京大学の児玉龍彦(こだまたつひこ)アイソトープ総合センター長に関する記事や、ネット上にあった意見などを載せます。

1.日本経済新聞から引用します。児玉氏の参考にしている資料は、「科学者の間で多くの疑問点が指摘されている」ものだったそうです。
(引用はじめ)
●「「健康リスク」専門家の見解割れる」
2011年8月29日 日経新聞
http://www.nikkei.com/news/special/related-article/g=96958A9693819595E0E5E2E29E8DE0EAE2EAE0E2E3E386989FE2E2E2;q=9694E0EBE2EAE0E2E3E3E1EBE1E6;p=9694E2E6E2EAE0E2E3E3E1E2E4E5;o=9694E2E6E2EAE0E2E3E3E1E2E4E4

 東京大学の児玉龍彦アイソトープ総合センター長の発言が波紋を広げている。
7月下旬、衆議院厚生労働委員会で「福島原発事故で放射性セシウムを被曝した人では、ぼうこうがんのリスクが増える恐れがある」と主張、
根拠となるチェルノブイリ原発事故の健康影響をまとめた科学論文も示したからだ。
 一方、丹羽太貫・京都大学名誉教授は「引用した論文に対しては科学者の間で多くの疑問点が指摘されており、慎重な評価がいる。
あたかも科学的に 確定した事実のように扱うのは、不要な不安をあおるだけだ」と児玉氏の主張に批判的だ。
 専門家らが放射線の健康リスクを判断する材料に使うのが、過去に発表された様々な科学論文だ。ただ、その信頼性はまちまち。
査読といって第三者の審査委員がチェックしたかどうかなど、掲載条件が雑誌によって異なるからだ。
一度、論文に掲載されても、その後の研究で内容は否定されることも少なくない。

 日本は放射線の健康影響を管理する上で国際放射線防護委員会(ICRP)が定めた基準を採用している。
ICRPは1928年に世界の放射線研究 者たちが立ち上げた老舗組織。
国際原子力機関(IAEA)をはじめ、多くの国が法律や管理のたたき台にしているほど、信頼度は高い。
 だが、このICRPの評価に批判的な専門家もいる。97年に欧州議会の「緑の党」が設立した、放射線リスク欧州委員会(ECRR)は、内部被曝 に関しICRPの評価が甘いと主張する。
 放射線の健康リスクは科学的根拠が定まらない分、専門家の主観が入り込む余地が増え、見解も食い違う。
消費者を惑わす大きな要因になっている。

●「「放射線巡る混乱、収束遠く 「安心な値」定まらず」」
2011年8月29日 日経新聞

 放射線(放射性物質)を巡る混乱や被曝(ひばく)への不安が、なかなか収まらない。
消費者らは「安心できる基準」を求めるが、健康への影響では不確かな点が多く、今の科学では絶対安全を示すことが不可能だからだ。専門家の間でも意見がわかれ、翻弄される。

 消費者庁は28日、横浜市で食品と放射線をテーマに意見交換会を開いた。

パネリストの1人は消費者の不安を代弁し「100ミリシーベルト以下なら、本当に健康に問題ないのか」と追及した。
専門家は「絶対がんにならないとはいえないが、影響は他の要因に隠れるほど小さい」と述べるにとどまった。放射線の「許容値」を求める消費者の納得は得られなかった。

 100ミリシーベルト以上の放射線を浴びると何十年もの間にがんになるリスクが上昇するのは、広島・長崎の原爆被爆者を対象とした疫学調査で立 証済み。
しかし、これを下回った場合に、がんが増えるのかどうかには科学的な根拠はない。影響はないとみる専門家もいる。
 がんは様々な要因が複雑にからみあって起きる病気だ。
放射線によって遺伝子に傷がつくと、がん細胞ができる、大量の線量だと話は別だが、
今回の 原発事故のように月単位、年単位の低線量被曝では、必ず遺伝子が傷つき、がん細胞が増殖していくというわけでもない。
傷つきやすさは性別や年齢、 持って生まれた「体質」によっても違う。修復機能も人間の体には備わる。
 
 大分県立看護科学大学の甲斐倫明教授は「危険と安全の境目は人それぞれで、一定の値を決めることはできない」と説明する。
 7月下旬、食品を介した放射性物質による健康影響のリスク評価をした食品安全委員会は
「生涯で100ミリシーベルト以上を被曝すると、健康影響 が出る恐れがある」との報告書をまとめた。
部会の座長を務めた山添康・東北大学教授は「100ミリシーベルトは許容値を示しているわけではない。
あくまでも目安で、放射線は浴びないにこしたことはない」と話す。
(引用おわり)

2.ジャーナリストの高野孟(たかのはじめ)氏が主宰する「THE JOURNAL」というサイトがあります。
その中のニュース・スパイラル2011年8月1日で、児玉氏の国会陳述の内容が掲載されています。そのコメント欄にあった書き込みを引用します。
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/08/_296.html

(引用はじめ)
またか、と言う思いで苦々しくなる。
児玉氏の迷演説は矛盾が満載で、なんでこんなレベルの人間が専門家として参考人に呼ばれるのか、何か意図があって選任されたのかはなはだ疑問だ。
高野氏も衝撃ばかり受けないで、もう少し専門的に検証した方がよい。
自分で出来なければ、詳しい人の意見も聞いてはどうなのか。

児玉氏の矛盾
1)広島原爆29.6個分の放射線量総量が漏出、と児玉氏はぶち上げる。高野氏はそれでたまげる。

放射線は漏出するものではない。放射性物質が漏出したために、それによる放射線量が増えていると言うことであり、それならまず放射性物質が広島よりも膨大だとの説明が必要になる。
なお、長期間にわたり被曝し続ける総量というなら、まだ5ヶ月の福島の今観測される線量では、広島とは比較にならない。
広島では、直後に数万人が放射線障害でなくなっているのだ。

放射性物質の漏出なら、広島型原爆はおよそ10Kgのウランが使用されていて全量が飛散したのだが、
爆発を起こしたのはごくごく一部、1%以下であり、最初の爆発で残りは蒸発飛散しているから、ばらまかれたのはウラニウムがほとんどだ。
核爆発により生成した放射性物質は極微量である。ちなみに、海水中には天然ウランが45億トンとけ込んでいる。

福島原発には使用中および使用済み燃料が数百Kg以上存在したが、事故時核爆発も核分裂も起こしていない。
漏出したのは、崩壊熱による水蒸気爆発などであり、核燃料が直接気化し爆発した物ではない。
これも漏出した総量は極めて少量である。何を根拠に29.6個分としたかの説明が無く、しかも核爆発である原爆と違い、核燃料が直接爆発飛散したわけではないので、児玉氏の挙げる数字は物理的にあり得ない。
直接爆発で気化飛散させた原爆よりは桁違いに少ない筈だ。

2)プルトニウムは飲んでも大丈夫と言った学者がいたが、とんでもないと児玉氏は言った

プルトニウムが発する放射線はα粒子であり、紙一枚で遮られる放射線であって、
またプルトニウムは体内に取り込まれず比較的早期に排出される。
したがって、今回の排出量、すなわち検出限界ギリギリの量等の溶け込んだ水を飲んでも一切健康には問題がないのは当たり前であり、
べつにプルトニウムの固まりを飲んでも大丈夫という意味ではない。
誰がそのようなことをわざわざして福島の事故でプルトニウム検出、みんな癌になると言う証明をするのか。
大気圏核実験以降、全世界の人間の体内には平均数ピコキュリーのプルトニウムが取り込まれている。
環境にばらまかれているため、今後永久にそれが続くだろう。

3)α線は危険な物質と児玉氏は言っている

α線とは核物質崩壊の際に生ずるヘリウムの原子核と同じ電荷を持った粒子であり、単独で存在する物質ではない。

放出されても人間の皮膚を通して中に入り込む透過力はない。

4)放射性ヨウ素で癌になると児玉氏は確信している。

ヨウ素が甲状腺、特に幼児の甲状腺に集まるのは事実だが、日本人の場合は普段からヨウ素が十分に足りていて、必要以上のヨウ素が集まることはない。
もちろん、放射性だからよけいに集まるなどはあり得ない。

放射性ヨウ素を今回問題になっている量の数万倍を甲状腺癌やバセドウ病患者に与えて治療を行うなどは50年前から医師なら常識だろう。

チェルノブイリが良く引き合いに出されるが、実際には児玉氏が言うように、
彼らで見つかった甲状腺癌が放射性ヨウ素による物であるとの確認は取れていない。
したがって、児玉氏は恐れがあるから危険だというのだが、それは単なるトンデモ博士のトンデモ脅迫だ。

計算上、今後10年間で40万以上の癌患者がでるから危険だというなら、それをどのように検証するのか。
検証する義務も負わず、電卓を叩いたから危ないというのでは、過去の実績はどうなるのかと反論されて当たり前だ。

広島長崎、千回以上繰り返された大気圏内核実験による放射線物質の飛散の結果、どこでどれだけの人間が癌になったのか証明されたことはない。
では、今後も福島原発が原因で癌になる人間をどう証明するのか。
それでなくとも、喫煙、肥満、食生活、ストレス、環境汚染、紫外線などなど周りには発癌要因があふれている。
その中のどの分が福島由来だと証明するのか。

たとえば欧州放射線リスク委員会はWW2以降放射線障害で亡くなった人間は延べ6500万人だと言っているが、
戦後66年間で世界中で死んだ人間は、少なくとも100億や200億はくだらないだろう。
しかも人口は急激に増えている。100-200億、またはそれ以上の延べ死者のうち6500万人の放射線障害死が、電卓を叩いた数字以外どんな根拠があるのか。

また児玉氏がアイソトープの専門家だと聞いて納得できたことがある。

5)被曝総量が問題とのことと児玉氏は仰る

児玉氏は、政府基準が一時の被曝に対する物で、長期間にわたる外部被曝、内部被曝に対する物ではないから危険だ、自分たちは長期間にわたる被曝の総量を問題視すると言っている。

しかし、一般的に放射線物質は一度飛散すると、すぐに消えることはなく環境に長くとどまり放射線を出し続けるし、また水や食物を通じて人体に取り込まれ、内部被曝も起こす。
つまり放射線障害とは長期間にわたる外部被曝内部被曝を前提とするのが当たり前であり、戦後広島長崎の被爆者達の追跡調査も当然それを前提としている。

一時的な高度の被曝とは、レントゲン技師、アイソトープ技術者、航空機のパイロットなどであり、それなりの対策を講ずるのは当然だが、原発事故による放射線被曝は極めて長期間続く。
そのうえで、今の線量は全く健康被害には関係がないとの結論が、広島長崎以来の放射線医学に於ける研究で出ている。
だから、児玉氏の言うように、検証されたことがないのだ。

検証されないからと言って無いとは言えない、と言っていたらどんな恐怖でもばらまける。

高野氏もあまり踊らされないよう、そしてここに集まる方々も少しは自分で調べる努力をされてはいかがか。

むろん、危険という可能性があるなら子供を守るためにその方を信ずる、というのは自由だが、そのために子供を疎開させ、食べ盛りの子供に食物を制限し、外での運動を禁じてストレスを与え、父親だけ単身で残すような犠牲を払うのが、証明されていない危険に対する正当な行為なのか。
証明されていない危険ではなく、過去の放射線発見以来続いている、
放射線医学の100年近い研究の結果、危険はないと証明されている事実に目をつぶるのが正しいのか。
(引用おわり)

3.「誇りはどこにある」という、ブログから転載します。このブログの筆者は、都内でご商売をされて3児の父だと、プロフィールにあります。
この方が書いている「「わかってないことを心配しろ」と言って普通の人たちの行動に余計な縛りをかけるのは、科学者の取るべき態度ではないと思います。」
という考え方に私は同意します。

(引用はじめ)
●「児玉龍彦氏の発言に対する疑問」
2011年7月30日
http://blog.livedoor.jp/furusatochan/archives/5436581.html

児玉参考人の国会における冒頭陳述がネットで大きな話題になっています。
動画ではよく理解できなかったのですが、文字起ししてくださった方がいたので読んでみました。
文字にして読んでみると、いくつか疑問が湧いてきます。

■飛散したのは核燃料の一部か?
児玉氏は以下のように発言しています。

児玉「粒子の拡散というのは、非線形という科学になりまして、
われわれの流体力学の計算ではもっとも難しいことになりますが、核燃料というのは、ようするに砂粒のようなものが、合成樹脂のようなものの中に埋め込まれております。
これがメルトダウンして放出されるとなると、細かい粒子がたくさん放出されるようになります。
そうしたものが出てまいりますと、どういうことがおこるかというのが、今回の稲藁の問題です。」

ここをとやかくいうのは本質ではないと思いますが、これを聞いた人は「核燃料が粒子となって飛び散った」と解釈するでしょう。
しかし、被災直後から「ベントによる放射性物質の放出」とされているように、燃料溶融と放射性物質の拡散は直接関係ないはずです。
水素爆発による原子炉建屋の破壊も放射性物質拡散の原因でしょうが、
核燃料の一部が吹き飛ばされたかどうかは誰にもわからないし、おそらくその可能性は低いでしょう。
科学者が国会で陳述するのにこんな乱雑な認識(というか、テキトーな表現)でいいのでしょうか?

■プルトニウムはそんなに危険か
児玉氏の次の発言にも驚きました。

児玉「プルトニウムを飲んでも大丈夫という東大教授がいると聞いて、私はびっくりしましたが、α線は最も危険な物質であります。」

wikipediaが正確だという保証はありませんが、私にはwikipediaの記述が妥当に思えます。
半減期が何万年とか何億年というと「長く影響が残る=恐ろしい」と思いがちですが、それはすなわち「放射線をチョロチョロとしか出していない」ということです。
プルトニウムは体内摂取比率も非常に低く、ほとんどが時間と共に排出されてしまうので、
紙1枚も通過できないα線では消化管の壁をひっかく程度のことでしょう。

児玉氏は他に専門的な難しそうな話もされていますが、こんなにわかりやすいところで定説と違う見解を示される以上、
よほどニッチな研究をされているのか、トンデモ科学者かのどちらかなのだろうな、と推察します。

■放射性ヨウ素の影響について
さらに私が最近勉強したことと全く違う見解も述べられました。

児玉「次にヨウ素131。これはヨウ素はご存知のように甲状腺に集まりますが、甲状腺への集積は成長期の甲状腺形成期がもっとも特徴的であり、小児に起こります。
しかしながら1991年に最初、ウクライナの学者が甲状腺癌が多発しているというときに、日本やアメリカの研究者は、ネイチャーに、これは因果関係が分からないということを投稿しております。
なぜそういったかというと1986年以前のデータがないから統計学的に有意だということが言えないということです。

しかし統計学的に有意だということが分かったのは、さきほども長瀧先生からお話しがありましたが、20年後です。
20年後に何が分かったかというと、86年から起こったピークが消えたために、過去のデータがなくても因果関係があるということがエビデンスになった。
いわゆるですから疫学的な証明というのは非常に難しくて、全部の事例が終わるまでだいたい証明できないです。」

1つずつ見ていきましょう。

児玉「甲状腺への集積は成長期の甲状腺形成期がもっとも特徴的であり、小児に起こります。」

これはたしかにそう言えるのかもしれませんが、もっとも大事な要因は「甲状腺にもともとヨウ素が満たされているか」であり、これは年齢に関係ないことです。

参考:がんの放射線治療──その3 放射性ヨウ素内用療法|team nakagawa
http://tnakagawa.exblog.jp/15314393/

ここには、内部被曝を利用した治療が有効になるように、海藻などによるヨウ素の摂取制限をすると書いてあります。
つまり、年齢が高くてもヨウ素がカラカラの甲状腺には放射性ヨウ素がとりつくし、ヨウ素で満腹の甲状腺細胞には取り込まれないのです。

日本人は海藻などからヨウ素を摂取する量が多いので、乳幼児は別としてある程度の年齢であれば甲状腺はヨウ素で満たされている人が多いでしょう。
ソ連の内陸部にはヨウ素のないカラカラ状態の甲状腺を持つ人が多かったので、深刻だったとされています。

児玉「1991年に最初、ウクライナの学者が甲状腺癌が多発しているというときに、日本やアメリカの研究者は、ネイチャーに、これは因果関係が分からないということを投稿しております。
なぜそういったかというと1986年以前のデータがないから統計学的に有意だということが言えないということです。」

これも不思議な説明です。検索してみたら1997年の資料に「放射性ヨウ素(131I)を用いた甲状腺疾患の治療は50年以上前から行われており」と書いてあります。
<1997年の資料>
http://www.rada.or.jp/database/home4/normal/ht-docs/member/synopsis/030010.html

統計学的にどうこうではなくて、放射性ヨウ素が甲状腺がんの原因になることくらいは当然のこととして認知されていたはずです。

児玉「しかし統計学的に有意だということが分かったのは(中略)20年後です。
(中略)ですから疫学的な証明というのは非常に難しくて、全部の事例が終わるまでだいたい証明できないです。」

手前の説明がおかしいので結論部分がすっかりぼやけて見えてしまうのが残念ですが、疫学調査に膨大な事例と長い時間がかかるのは当然のことだと思います。
こんな説明をしなくても、そんなことはわかります。

また、DNAの異常からがん発症までに10年以上かかるのが普通だと聞いてますので、
20年くらいかけなければ影響があったかなかったかもわからないというのは正しいでしょう。

そしてここに、先ほどの答えがあるような気がします。
つまり、事故から5年後に癌が発症するというのは普通では考えられない、というのが、ネイチャーに書かれた日米の研究者の意見だったのではないでしょうか?

それにしても、この手の「わかってないから心配しろ」の理屈は他のトンデモ学者から何度か聞かされました。
一種の脅迫だと私は感じています。

私たちは現在わかっている範囲内で科学を信用して対処するしかない。
未来の知見を利用することはできないのだから、結果的にそれが間違いだったとしても、現在の仮説に基づいて行動するしかないのです。

「わかってないことを心配しろ」と言って普通の人たちの行動に余計な縛りをかけるのは、科学者の取るべき態度ではないと思います。

もちろん、政府にやるべきことを進言するのは、多ければ多いほどいいでしょう。
でも、私が見ても他で聞く定説らしいものと相反することをこれだけ並べられれば、信用しろという方が無理だというものです。
(引用おわり)