[641]私たちの世代

引地 投稿日:2011/07/27 22:01

「福島復興活動本部事務所開設」と相前後しまして新規入会させていただきました会員番号6987番 の引地と申します。

私は東京都在住で、来年の年明け早々、還暦を迎えますが、放射能拡散に対する私の思いを述べさせて頂きます。

この大震災前までは、原発に関し、私はまったくの無知、無定見でありました。

思い起こせば、震災後、4日くらい経ったころでしょうか、「オレは被災地に行く。そこで温かい食い物を作る」と思い立ち、単発、つまり1回の調理能力で言えば、自衛隊の炊き出し能力にも劣らないようにと、救援物資を含め準備を開始しました。
(私自身ができるということではなく、そういう能力をもった方々の無償の協力が得られた、ということです)
もちろん、連続的、継続的に炊き出しを行えることが一番良いのですが、自衛隊のような兵站組織はありませんので、車両燃料すら、なかなか手に出来ないような当時の被災地の状況下では、それは不可能でした。

3月19日早朝に、放射能の問題はありましたが、北茨城市役所の要請より、同市に入りました。しかし、前日に自衛隊の炊き出し部隊が入り、急遽、取り止め、ステーションに戻る結果となりました。
同日午後、ステーションを再出発し、仙台に泊まり、3月20日、気仙沼、石巻と、計4500食分の炊き出しを行いました。

そして3月29日に、こちらは川内町の被災者(被害者)を中心とした避難所である福島県郡山市にありますビッグパレットで2500食を炊き出しをしました。
この辺りから、私にとりまして原発との関連が始まります。

これ以降、被災現地の状況は、当時、刻々と変わっていくため、我々の情報収集能力では、炊き出しに於いて、その状況変化に追い付いていけないと判断し、そこで私個人の単独活動へと切り替えました。

3週間程度であれば、食料・水等無補給でも(下水処理も含め)滞在できるように旅車を準備し、そして、どこへ行くかを決めるため、取り敢えず、4月10日に再び仙台入りしました。

そこで、相馬市と南相馬市の情報がほとんど入らないという話を伺い、「ならば、私が行く」ということにしまして、仙台を発ちました。

当初、南相馬市に適当な泊地が見つからず、取り敢えずは、相馬市の中村城跡近くの陸上自衛隊の宿営地の一角を勝手に拝借して泊車し、南相馬市に通うこととしました。
その後、立ち入り禁止地区より数百メートル離れた6号線バイパス沿いの南相馬市原町区に泊地を移しました。

そして約一ヶ月ほと滞在し、その活動を行う中で、福島市や飯館村にも行く機会があり、そこで、南相馬市での生活実感も含め、「???、ん~何かが違う」と感じ始めました。

そこで、ネットで放射能の拡散について調べ始めたのです。
初めに出会いましたのが、皮肉なことに小出裕章氏の飯館村での放射能の観測データでした。
そして、さらに、さらに続き、副島先生の所見と出会い、今、現在に至りました。

今現在の私の心境は、思い起こせば、私の年少時代も「放射能、放射能」と騒がれておりました。
以下の過去の人口放射能沈下データ図をご覧ください。
1)http://www.mri-jma.go.jp/Dep/ge/2009Artifi_Radio_report/index.html

そして、福島原発事故以降のデータ
2)https://spreadsheets.google.com/spreadsheet/pub?hl=en&key=0AjgQ0pwrXV8YdGJORHAzdi1qMlFldUMwRkl4V3VfN0E&hl=en&gid=2

私は、東京に住んでいますので、2)のデータによれば、東京の場合、I-131、CS-137、CS-134を合計しても、この期間の合計沈下量は85,935.05MBq/km^2です。

こちら2)はkm^2ですので、m^2に換算して、1)と比べる必要があります。
また、2)は年間の合計沈下量ではありませんが、原発事故の放射能拡散量が、その後、大きく減少していることを勘案すれば、年間の積算量でも、私の歳と相前後する世代は、今の子供達(現在の状況を基にすれば、その子供達の現在、将来を含め)と比べ、つまり、「あの時代に幼少期、青年期を過ごした人々は、さらに多くの被爆をした」と推量できます。

これは、当時の日本全土への放射能拡散ですから、そこで作られた食物を摂取した結果の内部被爆も相当量だっただろうと推察します。
幸いにも、当時の日本人は被爆を畏れ、日本の国土を捨て、安全な所、より安全な所へと、難民、棄民となって世界各地に散って行くという愚考はとりませんでした。

つまり、私の歳と相前後する世代は、現今の状況下、人口放射能被爆に関する、臨床の為の「名誉ある良きモルモット」となっているのです。
そして、私と同世代の皆様は、ご自分の小学校から高校までの同期生の、今の元気な顔を思い起こせば、現在の人工放射能被爆量に対し神経質になる必要はないと痛感するはずです。
もちろん被爆とは関係なく、更なる加齢とともに、統計上の数値に従い、私を含めまして、一人、一人、そして、また一人と、摂理に従い、親近者に最後のお別れを告げていくことでしょう。

ベビーブームが過ぎ去った、すぐ後の時代に生まれた世代ですが、まだまだ、この世代の人はこの世に多く生存しております。
そして、自分達のこの時代の被爆量を知り、誇りをもってモルモットとしての、この世代のその声を大にして発してもらいたいと強く、強く願っております。

むろん、これは学術的な話ではありません。
しかし、この世代の多くの人たちは核実験による放射能大規模拡散や、そして公害と呼ばれた環境汚染などなど、いろいろあってもここまで生きてきたという、『それによる何の報奨や褒賞も無い、モルモットとしての誇り高き生活実感』はあるはずです。

「お前の時代は、大気と水が極度に汚染され、人工の添加物、着色料そして甘味料などなど、発がん物質すらも沢山食っていた。つまり毒の中に身を置き、毒を喰らって生きてきた結果、毒を以って毒(被爆)を制しているからだ。
命こそあれ、見ろ、現実にお前のアタマの中は被爆により、相当イカレているだろう!」 と反論されれば、「確かに・・・」と思う。

然しながら、
「人によっては、頭脳にだって放射能ホルミシウス効果は効くんだ。副島氏を見ろっ!」 とでも反論したら、どうでしょう?
否、否、相手の怒涛の総反撃を喰らう?  それとも静寂がその場の空気を覆う???

今後も「知行合一」の気持ちを携え、昨今の風潮に対し、あの時代を経験した世代として、自分なりの大きな声を挙げていきたいと思っております。
何卒、よろしくお願い申し上げます。