[602]福島から報告します3

吉見おさむ 投稿日:2011/06/25 03:07

http://sp-file.qee.jp/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=¥Ò¥Þ¥ï¥ê¤ÇÊü¼Íǽ½üµî¡©¡¡¡ÊÅìÆüËÜÂç¿ÌºÒ¡Ë
にありますように、ヒマワリは「高集積植物」であり、育った後のヒマワリをどう処理するか、という問題があります。
それでもせめて原発から21キロの所に植えたヒマワリは、観葉植物としてでもいいので、都路の役に立ってほしい、何も使われていない田畑は哀しい、そう思っています。
一方で、原発から30キロの所では、田植えがされています。ということは、北関東も田植えしたところが多いのでしょう。この明らかな差は、一体何が、いえ誰が、もたらしたものなのでしょう・・・。

以下にSNSIのMLに以前投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年6月19日の日誌です。

午前11時前に石井さんがいらっしゃいました。
石井さんの指導で、大家さんが使っていない田んぼにヒマワリの種を蒔きました。

田んぼの近くの食堂にお願いして、水を使わせてもらいました。
食堂の奥様は、郡山に避難されていて、今日は一時帰宅していた、と言っていました。
学問道場の説明を受けて、「よくわからないけど、偉い先生が偉いことをなさってるんだわな」と言っていました。

午前11時半から午後4時半まで、石井さんとヒマワリの種を蒔きましたが、2割終わりませんでした。
明日の朝にその残りをやることになりました。
石井さん、有難うございました。

・・・何かMLの皆様の興味を引けるような話があるとよかったのですが、ただ単に
「スコップで小さな穴を掘る」→「ヒマワリの種を2粒置く」→「やさしめに土を戻す」→「そこにバケツの水を少し撒く」
という作業の繰り返しです。
この作業を同じ体勢で20分ほど繰り返し、バケツの水が無くなったら補給してはまた同じ作業に戻る、ということの繰り返しでした。
石井さんは慣れたもので、適宜休みを取るようにアドバイスを頂きました。・・・仰った通りでした。無理にやっていたら、明日の朝はへばっていると思います。
無理せずに細く長くやるのがこの作業のコツだと思います。

夕食は船引の中華料理屋で食べました。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年6月20日の日誌です。

昨晩は、石井さんが泊まっていきました。
私のお酒の弱さが、石井さんとのお酒のお付き合いを充分なものにさせませんでした。

朝7時半~9時で、ヒマワリの種蒔きの残りを完成させました。
畑仕事をする際には、大変でも埃を余り吸わないようにマスクを着用するのが良いと思います。
・・・昨日の反省です。
畑の地面は約0.70μSvでした。ヒマワリが集積植物としての役割を果たしてくれることを期待しています。

朝ごはんを頂きました。納豆、目玉焼き、白米、海苔でした。

午前11時に石井さんが帰りました。

大家さんに、ヒマワリを植えたことを報告に行きました。

畑に、ヒマワリを植えたという、プラスチックの印を差しておきました。

石井鮮魚店という、肉や野菜なども売っている雑貨店を見つけました。
価格は定価でした。たとえば、牛乳が256円でした。立地を考えれば仕方のないことだと思います。
また、原子力発電所から21キロの所でも、営業は前からしていたそうです。

夕方の村の放送で、都路行政局は0.59μSvでした。
気になって計ったのですが、福島復興本部の建物内は0.29μSvでした。

昼間に288号線を走る普通の車が、突然増えました。警察車両が少しだけ減りました。
夜はランプをつける分だけ警察車両の方が目立っています。

(転載終わり)

(転載始め)
2011年6月21日の日誌です。

朝食は余りの納豆と、「福島県産の」トマトを食べました。福島県産を食べるなんて、と心配されたとしても、食べるしかないのです。

冷蔵庫の上と裏を掃除しました。おそらく10年以上の汚れが溜まった箇所で、かなりの汚れでした。奥まで手が届きませんでした。

駐車場脇のフェンスを掃除しました。まだ不十分です。

珍しいことに、昼頃に品川ナンバーが福島活動本部前をすれ違いました。一台は覆面パトカーでした。

午後2時に立川の事務所のTさんMさんが応援に来てくれました。

福島活動本部2階の、洗面所と、異様な油汚れの所を掃除して貰いました。
特に後者は油ものの調理をしていたのか、物凄い汚れでした。
鉄さびと油汚れの混合物が固まったもの、と言えばわかってもらえると思います。
「削る」→「重曹を撒いてこする」→「お湯をかける」→「雑巾で拭く」
という作業を2回繰り返してやっと、ある程度取れました。
ワイシャツが一枚厳しい状況になりましたが、良い気分でした。
有難うございました。

今は開園中止になっている「ムシムシランド」というテーマパークに行きました。
http://www.mushimushiland.com/
ここの手前の道路は、復旧が遅れても構わないという判断か、被災の跡がまだかなり残っています。
ここは現在、宿泊施設のみの営業となっています。また、受付のおばさんが、被災者の三家族が避難してきている、と説明してくれました。
ここを中心に都路や常葉近辺は回ってきたと聞きました。
このテーマパークもこのまま終わりになってしまうのでしょうか。手入れがされておらず、滑り台に草が生えていました。
いい所なのですが。

ここを離れて288号線に向かっていると、その近くの水田は、田植えがされていました。
288号線に入った後に、外の光景をTさんが見て、「蔵の側面が壊れている・・・」と言っていました。

船引の仮設住宅が建てられた所に行ってみました。
門は一応閉まっていましたが、脇から入れました。
中学生達が元気一杯にテニスをやっていたその脇に、仮設住宅が建っていました。
立て札に書いてあった地図によると、だいたい200室ぐらいの数です。
脇から覗いてみて、2LDK位の間取りだと思いました。防寒の為に2重扉の玄関になっていました。
実は、「どうせ閉まっているだろう」と開けてみたら、どちらの扉も開いていました。流石に中に入るだけの度胸はありませんでした。
正直、プライバシーの関係上、ここに住むのはなかなか辛いと思います。

帰りがけに検問所(外部サイトの画像ですがhttp://livedoor.2.blogimg.jp/mark2mx40/imgs/1/e/1e690e73.jpg)を覗いてみました。
警察官と話していると、前から車が来ました。
「通行許可証があればokなんですか?」とSさんが訊くと「東電の人はokなんですよ」と警察官は応答していました。
つまり、前の車は東電の車なんだと、ボロッと明らかになりました。

夜は、みや古旅館で食べました。
田村市の職員の団体が2階で宴会をやっていたからか、大量の食事が出てきました。
それでも美味しいからか全部食べ切れました。

(転載終わり)