[599]川内博史議員とお話しして思ったこと
会員の平田裕子です。
私は、さる6月16日に開催されたシンポジウム「小沢一郎と新しい日本の政治」に参加しました。その会場で、民主党の川内博史衆議院議員とお話しする機会がありました。以下に、私が川内議員とやりとりしたことを、ご紹介します。なお、立ち話で、メモをとっていたわけではありませんので、言葉は一字一句そのままというわけではありません。予めご了承ください。
平田「私は放射能や放射線が人体に与える影響について、自分なりに調べて勉強しています、平田と申します」と、まず名乗りました。川内議員は、国会議員らしくニッコリうなずいてくれました。
平田「1963年が、米ソの核実験の影響で、日本にも降ってくる放射性のチリ、フォールアウトの量が最も多くて、今の福島の原発事故で降っている量と、同じぐらいだと、という発表(2011年4月28日の産経新聞の記事)があります。でも、1960年代に生まれた人や、その前から生きている人は、今も元気な人が、ほとんどです。だから、やみくもに、放射能が危険だ、と、恐れてばかりいても、しょうがないのではないですか?」
川内議員「政府は(国は)、そのデータを認めていません」
平田「でも、そのデータを発表しているのは、気象庁の気象研究所なんですよ」と、反論してみた。
川内議員「政府は、そのデータを認めていないんです。今回の福島は、広島の原爆の100個分のストロンチウム(だったと思う)が放出されているんです。広島・長崎で原爆にあっても、大丈夫だった、という人がいますが、今回の量は、広島の原爆の100個分なんですよ」
平田「あー、そうなんですか。いろいろな意見がありますね」
川内議員「ボクは、いろいろと調べて勉強しています。それと、コワイ・キケンだは、言っていません。確かなデータは、ないんですよ。だから、不確かなことは言えないんです。国は認められないんです」
平田「分かりました。これからも、また、いろいろと調べて、資料をお送りします、平田です」と言うと、川内議員は、握手を求めてきたので、私もニッコリ笑顔を返して、握手しました。
そのとき私は本当に、放射線が今のレベルなら怖くない、大丈夫だということをもっと調べて、川内議員の事務所へ資料を送ろうと思いました。
その後、帰ろうと、友人のOさんとKさんとエレベーターを待っていると、川内議員がお手洗いから出てきて、また、会いました。私は、数分前に彼に意見を言ったばかりなので会釈すると、ニッコリして、私の友人に握手しようと、川口議員が近づいてきました。
Oさんが日本放射線影響学会の発表している資料を川内議員に見せて、説明すると、「これはウソ(間違い)です」というような、否定することを言いました。いきなり否定されてしまったので、ちょっとOさんも驚いて呆れていました。でも、その資料を手渡したら受け取って、川内議員は見もしないで、折りたたんでいました。
それから、Kさんが「ICRPは、100ミリシーベルトは、大丈夫。ガンになる確率が0.5%上がるだけだ、って言っています」と言うと、
川内議員「ICRP、国際放射線防護委員会は、そんなことは、言ってません。よく、読んでください」と、和やかな雰囲気から、ちょっと怒っているような感じの態度に変わりました。
今、この場で川内議員に、いろいろと意見を伝えても通じないと、私は思いました。
彼の脳の中は、人体に対する放射線の量は、「国際機関が決めた量を絶対に守らなければならない」の1点張りなのでしょうか。「今は非常事態だから、臨機応変に対処することも必要だ」、という余裕がないのかもしれません。
言い換えれば、「放射線なんて、年間100ミリシーベルトでも大丈夫だ」と言って、後から「大丈夫だって言われたけど、やっぱりガンに、病気になったじゃないか」と、責任追及されることを、恐れているのでしょう。自己保身だと、私は思います。
国会議員として、国民に不確かなことは言えない、という気持ちは理解できます。でも、あまりにも厳しすぎる放射線量の規定を重視しすぎて、そのことでかえって冷静さを失っている国民(とくに小さい子どもを持つ母親)に与える悪影響の方が大きいと私は考えます。
このシンポジウムで川内議員は「1ミリシーベルトは、60兆個の細胞全部、1コ、1コに放射線が突き刺さって、キズをつける、20mSvなら、20本刺さる」というようなことを言いました。
一度に、1ミリシーベルトを浴びれば、確かに、細胞にキズをつけ、DNAに損傷を起こすかもしれません。でも、積算の1ミリシーベルトでは、同じ影響が出るとは、私には考えられません。そもそも、人間の体の細胞の数は、80兆個という説もあります。人間には自己治癒力があります。
私は、自分の人生は、人や国のせいにしないで、自分で選択し、判断して生きていきたいと思っています。自分が蒔いた種は、自分で刈り取るということです。
運命を受け入れ、そのとき、そのときの選択を自分のアタマで考えて、最善だと思うことを選んでいきたい。もし、判断に迷うときは、自分が師と仰ぐ人ならば、どのように選択するだろうか? 天は、どのように判断するだろうか? と、自分と置き換えて考えてみることにしています。
今ある現実に対して不平不満を言っても、ただ言っているだけでは何も変わりません。
放射線、放射性物質に対して、怖い、ガンに、病気になるかもしれない、と不安を抱いても何も変わりません。それよりも、自分のカラダに取り込んでしまったかもしれない放射性物質をいかに排出させるかを調べて、その方法を実践する方が効果的です。
私は、ただただ遠くから、放射線が危ない、放射性物質がコワイと言って騒ぎ立て、不安をあおるのではなく、現実にどのように対処したらいいのか、何に気をつけたらいいのか、自分のカラダを守れるのかを、発信していくべきだと思います。また、そのことを実践していきたい。