[577]広島の被爆者の孫です。

吉川 輝 投稿日:2011/06/17 17:46

はじめまして、会員番号3397の吉川 輝です。

私も子供のころ聞いた話を紹介させていただきます。
私の祖父(明治37年生まれの当時41歳)は広島原爆投下時に爆心地から直線距離で4キロのところの広島の三菱軍需工場で徴集されていて、そこで被爆したそうです。爆風で工場の屋根が吹き飛び、祖父自身も爆風で数メートル飛ばされたそうですが、奇跡的に大した怪我もなくその場から脱出できたそうです。
そして、その日のうちに実家がある広島県北部の三次へ帰省するために、原爆で焦土と化した広島市中心部を歩いて、何とか国鉄が動いている駅(広島駅は壊滅状態)までたどり着き、列車に乗って帰ってきたそうです。

時同じくして、私の叔父(父の兄で14歳くらい)も、三次から広島へ向かっていて、熱線や爆風による怪我などはなかったものの、原爆が落ちた後に広島に到着してから被爆し、すぐに実家に帰省したそうです。

もちろん当時は放射能などはまったく知らされていないし、二人とも下痢や、体の不調、微熱などがひと月ぐらいはあったそうです。
原子爆弾が落ちて、そのような病状になったことは後からわかったことで、当時は原因不明であったと思いますし、叔父も後から考えてみるとあれが被爆における症状であったんだといわれていました。

でも、その祖父もその後90歳まで生きながらえて、大往生であったと思われますし、叔父も80歳を過ぎた今も「がん」などにもかからずまだ健在です。

そのことからも、爆弾が落とされた後の、一時的に強い放射能の中を歩いて放射性物質を吸い込んだとしても、人には破壊された細胞を直す回復機能があるのだと思います。被爆の度合いにもよると思いますが、命が奪われることはないのではないでしょうか。