[568]道場開きに参加しました
広島の西です。
6月4日(土)の福島復興事務所開きに参加しました。副島先生はもとより、準備をされたスタッフの方々、料理をして下さった副女の皆さん、ありがとうございました。広島くんだりから行った甲斐が十分ありました。
まず会の開始前に、道場から徒歩15分程の関所(?)まで歩いて行くことに。その途中、道場から目と鼻の先にある坪井モーターズという地元の自動車修理工場の事務所にいらっしゃった方と目が合いご挨拶。関所を見学した後、またご挨拶したら親切にも中にお招きいただき、お茶をご馳走になりました。
事務所はちょっとしたミニサロンのような状況で、地元の人達が立ち寄っては、今後のことも含めた話をされているようでした。私達がお邪魔した際も、オーナーご夫妻の他、非難区域20km圏内に家がある為、現在は別の地区のアパートで暮らしている方も来ておられました。その方は津波で被災した人達の住宅を作って受け入れることを考え、地元の若い人達に話をしてNPOを立ち上げる構想もあるとのことです。
またその後道場で話した、いわき市の男性は、地元で会社を経営しておられ、今後は自社製品は風評被害を受け県外での売り上げ減は避けられないとの見通し。しかし、それだからこそ、福島県内で持ちつ持たれつという精神でお互いに協力して流通させる仕組み作りに向けて話し合いを開始されているとのことでした。
このように地元では復興に向けて、自ら考え行動する気概を持つ人々もおられることが分かりました。いずれの方も「ここで生きていくわけですから」といったようなことを仰ったのは、あきらめという消極性ではなく、ある種の郷土愛に基づいた、腹の据わった考え方だというのが感じられました。恐らくは66年前の広島、長崎もこのようにして復興してきたのでしょう。私自身被曝2世ですので、私の祖父母の世代の人達が、当時は全く危険性が分かっていなかった放射能まみれの中、町や産業を復活させてきたその精神を福島の人達の中に見た思いがしました。
今回の原発事故やそれに至る道筋またその後の後始末などは、ここ何年か何十年かの日本で、小さいことから大きいことまで通奏低音のように響いていることが象徴的に凝縮されている感じがします。つまり、『面倒なことや考えたくないことは全て人に丸投げし、かつ、結果起こった不利益も人のせいにする、終始一貫して無責任』ということです。もちろんこれは私にも当てはまります。全く持って不徳と致すところです。政治家も企業も国民もいつの間にかこんな感じになっていた、、、そんな気がします。副島先生が「ヒトゴトとしてではなく、自分のこととして」と繰り返しおっしゃいましたが、福島に行ったことによって、私自身が責任感を持って復興するためのメンバーの一人であるという意識が高まりました。
続いて、一緒に参加した田端から一筆令状を。
ともあれ福島に行ってみよう見てみよう…との単純な動機による「福島復興活動本部」事務所開きへの参加でした。学問道場の会員ではありません。
遅蒔きながら3・11から副島隆彦氏の発信に共感するようになりました。そして導かれるかのように20キロ地点に…。今も残って頑張っている住民は「ここらは原発で生きてきたんだから、事故処理は住民もしなきゃ。それが落とし前よ」と力強く語り、事務所開きの講演会にも参加されていました。
美しい阿武隈山系に囲まれた緑豊かな田園地帯での暮らしを取り戻すには、住民自らの強い意志と行動力が何より大切だと思います。そのための支援をするのが学問道場福島復興本部なのだと認識しました。微力ながら奈良から応援を続けます。