[563]お世話になり、ありがとうございました。

いそがい 投稿日:2011/06/07 21:14

都路の事務所開きにお伺いしましたが、色々と学ぶことがあり大変有意義な時間を過ごせました。
関係者の方々に感謝しています。有難う御座いました。

当方、車で行きましたが大震災の影響から高速道路の磐越自動車道では滑落の復旧工事も多く車線規制も多々あります。
すれ違う車も、自衛隊、警察車両も多く緊張感も出てきました。
当方、都路の道場事務所に一番近い船引三春インターで磐越道を降りましたが、しばらく走ると田村市の市街地に入ります。
こちらは、町全体の緊張感もあまり感じられません。
商店も結構賑やかに営業しており、ゴミ収集車もみかけるなど日常的な風景が続きます。
ところが、そこから10分ほど車を走らせると急にあたりの雰囲気が変わってきます。
人や車が突然蒸発したような感じです。
車で来られた方は、そのあたりの雰囲気を実感したと思います。
田植えをしなかった休耕田が広がり、すれ違う車も、ほとんどが自衛隊か警察車両になります。

対向車線ですれ違ったパトカーがいきなりUターンしてきて5分ぐらい後を付けられた時はさすがに緊張しました。

そんなところで、学問道場到着。
看板が大きくて見やすくすぐに場所がわかりました。

初対面の方ばかりでしたが、何となく話が通じたのが不思議でした。これが結構楽しかったです。

都路の学問道場は切り通しの上にあり、転落防止法の青いファンスがありましたが、フェンスには蓑虫数匹が元気にはりついていました。
蓑虫は絶滅危惧種だと聞いていたので意外なところでびっくりしました。
カマキリの卵、蓑虫は越冬するので、卵の高さで積雪が予測出来ると言われています。
蓑虫君は地上1メートル半ぐらいとかなり高いところにあったので、都路の昨年の積雪は50センチぐらいあったと推察されます。
このあたりは旅館の人に聞けばよかったと思いましたが失念しました。

11時頃から宴会が始まり、大量の焼き鳥、でっかい椎茸、山菜料理もあり、キムチも見た目よりも辛くなくおいしかったです。自家製で、多分、地元の白菜の品質がよかったのかと思いました。

講演会が1時でしたが、昼頃にはお腹が一杯になったので、そこいらを散策しました。
3月11日にはもの凄い地震がありましたが、都路あたりはあまり被害がなかったようです。
住宅数軒の瓦屋根の瓦が落ちていただけなので地盤が強いのでしょうか。
震源地から遠い、郡山、福島あたりのほうがよっぽどひどいなと感じた次第です。

閑話休題、道場本部から向かいにお寺が見えます。
一般の住宅に勝手に入ると処罰されますが、神社仏閣は、ごく一部を除いて無料で入ることが出来ます。
早速、お参りしてきました。
お寺は西側、南側の2カ所に入り口があり、どちらも結構勾配のきつい階段を登ることになります。
西側入り口には、白いペンキで塗られた木製の娑婆塔のようなものには「田村市有形文化財円寿寺の阿弥陀如来」と記載されていました。
その右にある立派な石碑には「円形が二つ交わる記号のようなもの(民主党のシンボルのようなもの)の下に 豊山派 不動産円壽寺」と記載してありました。
お寺様にはお地蔵様が6体並んでいます。
その左には弘法大師の石碑もありました。
多分真言宗なのかな。
お寺の屋根に家紋のようなものがありましたが、五三桐か、五七桐のようです。
家紋やらはあまり詳しくないので、よくわかりませんが個人的には何でもありの支離滅裂なお寺様だったようです。

境内に立派な鐘撞き堂もありました。

お寺に隣接したところの住居がありましたが、誰も住んでいる気配がなかった(一般論ですが、住職さんはお金持ちなので、どこかに避難したのでしょう)ので、一発鐘を思いっきりならそうかと思いましたが、おかしな人(当方)が都路あたりの意味不明の集会場にいると警察やらに通報されると大変なので自重しました。

そのあたりは心残りです。

鐘撞き堂からは、見晴らしも良く、学問道場が一望に見渡せることが出来ます。

見晴らしも良く、たばこでも一服と思っていたら、参加者の皆様が突然動き出したので、大急ぎでついていったら20キロ検問のところでした。

その近くに、ハム工場や、検問所の真上に民家もありました。

その民家に人が住んでいるのか確認したかったのですが、意味不明の集団の1人がおかしなことをやったと警察の方々に目をつけられると大変だと思いこれも自重。
後日、こそっと見に行きたいと思った次第です。

検問所のすぐ近くに緑色の公衆電話「田村郡都路村大字古道字戸屋42-1 村上ストア」と明記されたがありましたが、こちらは10円玉を入れたら通話が出来ました。

携帯が不通で駄目になっても必要最低限の通信インフラは大丈夫のようです。

道場近くには、きれいな水が流れる清流(地図的には夏川のようです)もありました。
今時は鮎、秋口には鮭が遡上すると思われます。
今度行くときには釣り道具は必需品になるのかな??
いつになるかはわかりませんが。

基本的に人間は燃料(副島論ではガソリン、電気、プロパンガス・プラス現況では通信インフラ)、その他、食糧、水があれば生きていけます。

燃料が心配でも、あたり一面雑木林なので、炭焼きでもやれば大丈夫でしょう。

以上です、
ところで、河東ご出身の方とお話しましたが、当方、河東2小、3小を完璧に勘違いしていました。
この場をかりてお詫びします。申し訳ございませんでした。
大熊の小学生は旧河東3小に通っています。大変失礼しました。

ついでになりますが、6月6付福島民報で原発20キロ圏内の一時帰宅者から、空き巣への被害届があったと記載されていました。

被害状況の全貌も明らかになってくると思います。地元の信用金庫とか地方銀行の被害状況も明確にでてくるでしょう。時間の問題です。

福島原発付近は放射能汚染やらの仮置き場になっています。
汚染されたがれきをもって行く場所がないので、こちらも地元業者から、中間処理やら、最終処分場でもなんでもいいから早く作れという話もでています。

処理場になると兆単位のお金が動き、スケールがでかすぎるので業界を仕切れるスーパーゼネコンの鹿島、大成建設あたりにやって欲しいというのが地元業者の本音のようです。

未だに情報は錯綜していますが、どうなることなりますか???です。