[562]6月4日、5日の福島復興活動本部の事務所開きは無事に終了しました
5月23日から福島復興活動本部に現地入りしていた下仲もとゆきです。
6月4日、5日に行われた福島復興活動本部の事務所開きは会員のみなさま、地元の人たちのご協力のお蔭で、無事に終了しました。ありがとうございました。
最初は何もないところから始まった福島復興活動本部ですが、毎日掃除をしたり、生活に必要な物を買いそろえたりすることで、徐々に整っていきました。蜘蛛の巣がはっていた窓も、巣を払い、雑巾(ぞうきん)で磨けば磨くほど綺麗になっていきました。この土日にその本部を見て、「すごいですね」「立派ですね」と褒めてくださった会員の方もいました。
福島からの帰りに、郡山駅前の広間で、ヒロシマ、ナガサキの原爆被害を伝える展示会を見学しました。副島隆彦先生と新聞記事をまとめたようなポスターを見ながら、「5 Sv以上の光をピカッと浴びた人は死んでいるけど、1 Svより下の人は死んでいないな」「爆心地から2キロも離れたら、1 Sv を下回っている」「85%の人間は爆風と熱線で死んでいる。放射線が原因で死んだ人は実は15%しかいない」「放射線の恐ろしさを85歳の被爆者が語るというのはどういうことなのか。十分に長生きしているではないか。被爆者健康手帳をもらって補償を受け続けているから、今さら『放射線では何ともありませんでした』とは言えないのではないか」などという話をしました。
1日目の講演が終わった後、ヒロシマ、ナガサキの原爆被害を調べていた高野亮さんが、「この程度の放射線量では死ねないよな」と発表されている数字を見て、言っていました。明らかに健康に害を及ぼすほどの放射線量を浴びた人は少なく、それよりも放射線を怖いものだと思い、恐怖に怯(おび)えながら日々暮らしている方が、よほど健康に悪いと思います。今でも雨も濡れることを恐れるよりも、「無料で低濃度のラドン温泉に入れる!」と考えた方が健康的です。ラドン温泉で死んだ人はいません。
これから報告文が続々と書かれると思いますが、まずはこの2日間の速報をお知らせします。以下に、私がSNSIのメーリングリストに書いた文章の一部を転載します。
(転載開始)
Subject: 6月4日の福島復興活動本部からの報告
今日は、福島復興活動本部に現地入りして13日目です。
以下に、今日の活動記録を記します。
朝食は7時半に近くの旅館で食べました。
本部に移り、会場の準備をしました。
続々と会員の方が本部に到着しました。
お昼すぎにはだいたいそろい、みんなで焼き鳥を食べたりしました。
副島隆彦先生を先頭にして、近くの検問所ツアーに多くの人が行きました。
帰ってきたあと、50名ほどを前にして、副島隆彦先生、高野亮さんの講演が行われました。
その直前に機動隊の車が本部の前に止まりしたが、副島先生がすぐに追い払いました。
講演会は盛大に終了しました。
その後、焼き鳥などを食べながら歓談し、この日帰られる人たちは車で帰っていきました。
明日も活動本部にいる人たちは、夜はそれぞれ分かれて泊まりました。
今日のところは以上です。
福島まで来られた会員の方たちは、原発問題に関心のある方ばかりでした。
ガイガーカウンターを持っている人もたくさんおり、自分のガイガーカウンターで、活動本部の放射線量を測定していました。
この日の役場が発表した数値は、3回とも0.6マイクロシーベルト前後(γ(ガンマ)線の測定値)でした。
アポロ問題など、普段は口にすれば周りの人から変な目で見られるようなことも、学問道場の会員どうしだと共通の理解であるようで、笑顔で話をしている人が多かったことが印象に残っています。
(以下略)
2011年6月4日
(転載終了)
(転載開始)
Subject: 6月5日の福島復興活動本部からの報告
今日は、福島復興活動本部に現地入りして14日目です。
以下に、今日の活動記録を記します。
朝はそれぞれ泊まったところから本部に移り、会場の準備をしました。
基本的なスケジュールは昨日と同じです。
続々と会員の方が本部に到着しました。
お昼すぎにはだいたいそろい、みんなで焼き鳥を食べたりしました。
この日は焼きそばも出ました。
副島隆彦先生を先頭にして、近くの検問所ツアーに多くの人が行きました。
検問所に着くと、応援でパトカーが4台回っていきました。
帰ってきたあと、50名ほどを前にして、副島隆彦先生、高野亮さんの講演が行われました。
副島先生のサービス精神で、一度締めたあとに質問コーナーももうけられました。
これは好評で、これぐらいの人数で対話形式でたまにはやってほしいという要望もありました。
途中で雨が降ってきましたが、講演会は昨日以上に盛大に終了しました。
その後、焼き鳥などを食べながら歓談し、各自車で帰っていきました。
1000本注文した焼き鳥はほとんどなくなりました。
明日もいる人は、夜はそれぞれ分かれて泊まりました。
今日のところは以上です。
最初は過酷な環境だった福島活動本部ですが、二週間経って、車が到着したこともあり、かなり改善されました。
副島先生も、「みんなで掃除をやったら、こんなに綺麗になるんだなあ」としみじみと語っていました。
この二日間で、高野亮さん、六城さんら放射線に詳しい人の話をたっぷりと聞くことができました。
知識の不足しているところ、曖昧なところ、誤解しているところを埋めたり、正確にしたり、修正したりしてもらいました。
教科書的な知識で十分なこと、よほどの放射線量でない限り人間は死なないことがわかりました。
同時に、地元の人の話もたっぷり聞くことができました。
インターネット上にはないいくつもの現実、事実を知りました。
二次情報ばかりだと、ステレオタイプの発想にどうしてもなってしまいがちです。
自分の考えに合わない情報はこぼれ落ちていくからです。
福島活動本部にいたことで、フィルターのかかっていない生の情報を得ることができました。
その一部は、このメーリングリストに書きました。
人が来てくれること。
これが都路の人が一番喜んでいたことでした。
その意味で、今回の福島復興活動本部・事務所開きパーティは成功だったと思います。
副島隆彦先生、貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。
2011年6月5日
(転載終了)
下仲もとゆき拝