[552]福島復興活動本部からの報告(6月2日)
5 月 23 日から福島復興活動本部に現地入りしている下仲もとゆきです。
福島に入って二週間になろうとしています。テレビや新聞では、「1Svのがれきが見つかった」とか、年間に浴びる放射線量の基準を20mSvにするのか1mSvにするのかでもめていたりと、脅かすようなことを日々報道しているようですが、福島の人たちは淡々と目の前の現実を生きています。
活動本部を拠点にして、様々な人の話をじっくりと聞きに行くことができました。それはひとくくりにして論じられるようなものではなく、実にいろんな人がいることがわかりました。
話をうかがう中で、ほとんど全員にたずねられたことがありました。それは、「いつ今回の事態は収束するのですか」ということです。緩く言っても仕方がないないので、私は「30年です」と答えています。すると、「えーっ」と驚き、「もう死んでるよー」というリアクションが返ってきます。
福島活動本部の周辺は、過疎化が進み、年配の方ばかりの地域です。小学校の全校生徒数は120人しかいません。その学校は閉鎖になり、子どもたちは全員別の学校に移っています。子どもを県外に転校させたが、不登校になりかかったので福島に戻ってきたという人もいましたが、新しい地域に適合できた人はそこでの人間関係ができ仕事を見つけるでしょうから、元のところには帰ってこないと思います。
これから20km圏内にできるであろう核廃棄物処理場で雇用がどれだけ生まれるかわかりませんが、福島第一原発ほどの雇用は生まれないでしょう。ということは、元には戻らないのです。
福島の人が話しているのは、「国民年金の免除申請をしたら、月1万円減、年間12万円減だと言われた」などという生活実感での話です。先の見通しの立たない不安の中で生きています。
当然全員と話したわけではありませんが、福島の人たちの多くは来年の春、長くても二年後にはまた以前と同じ生活に戻るだろうという希望で生きています。農作物の出荷制限が解除され、農作業が再開できると思っています。しかし、その希望は裏切られます。今はじっと耐えている福島の人の怒りが噴出するとしたら、そのときです。
以下に、私がSNSIのメーリングリストに書いた文章の一部を転載します。
(転載開始)
Subject: 5 月 30日の福島復興活動本部からの報告
今日は、福島復興活動本部に現地入りして8日目です。
以下に、今日の活動記録を記します。
本部でNさんと朝食を食べました。
しばらくすると、副島隆彦先生、他二名が到着しました。
本部の一階で、今週末の打ち合わせをしました。
それが終わると、二階の部屋に洗濯物をほせるひもをかけました。
副島先生らは車で本部を出発し、東京方面へ戻りました。
焼き鳥屋「天国」のYさんが車で来られました。
チラシをさらにもっていってもらいました。
夜になると、ガスコンロで食事を作って食べました。
食べているとき、突然電気が落ちました。
店舗証明だけでなく、二階も外灯も・・です。
外を見ると、古道地区の街灯はついています。
私一人になり電気はむしろ使っていないのにおかしいなと思い、台風の影響でブレーカーが落ちたのかなと思って、暗がりのなか配電盤を調べました。
するとブレーカーは上がったままです。
スイッチをあれこれ切り替えても、電気はつきません。
あれこれ調べていると、明日のことでKさんから電話がありました。
どうしたら直るかを聞きましたが、わからないとのことでした。
そこで、F電気工事店さんに電話をしました。
すると、建物の外側にあるブレーカーが落ちているかもしれない、そのブレーカーが入っている箱の鍵は大家さんが持っていると教えてくれました。
大家さんの電話にかけましたが、つながりません。
前にKさんが来たときは電話がつながらなかったのに家にいたことがあったので、雨の降るなか大家さんの家に歩いて行きました。
家に着くと、明かりは消えており、車もなく、玄関のベルを鳴らしても反応はありません。
犬が吠えるなか、歩いて夜道を戻りました。往復30分弱です。
再び、F電気工事店さんに電話をしました。
どうしたらいいかと聞いたら、今から来てくれると言ってくれました。
車が外に出ていたので、しばらくしてから本部に来てくれました。
暗闇のなか、懐中電灯をつけ、配電盤を見てもらいました。
外のブレーカーが入っている箱を鍵で開けようとしましたが、合う鍵がありません。
鍵穴がねじれているからだそうです。
それでもなんとか開けると、ブレーカーが落ちていました。
ところが、ブレーカーを上げても電気はつきません。
そこで、配電盤を再び見てもらいました。
スイッチをいろいろと切り替えた結果、店舗証明の配線が漏電している可能性があることがわかりました。
そこを落として他のスイッチを上げると、電気がつきました。
冷凍庫、冷蔵庫も復旧しました。止まったのは2時間弱なので、食料は痛んでいませんでした。
今のままだと、一階の店舗部分の蛍光灯がつきません。
今週末にイベントがあることをF電気工事店さんの方が覚えてくれており、それまでに直さないといけないね、と言ってくれました。
そこで明日もう一度来ていただいて、外回りをもてもらうようお願いしました。
台風で雨がたくさん降り、水が入ってしまったのだろうとのことです。
F電気工事店さんが帰ると、中田さんから電話がありました。
そしてレトルトのキーマカレーを食べました。
今日のところは以上です。
夜に電気が落ちたことで、懐中電灯などが何もないことがわかりました。
この日はF電気工事店さんがすぐに来てくれたので、事なきを得ました。
この建物は5年ほど前まではスーパーとして使われていました。
その後、スーパーでなくなったので、大家さんが50アンペアに落としたそうです。
F電気工事店さんは人がたくさん来て、電気をたくさん使うと落ちるかもしれないと言っていました。
ただこの日は電気の使いすぎが原因ではなく、水が入ったことが原因だろうということです。
副島隆彦先生が帰ってから、風が強くなり、電気が落ちました。地震も来るようになりました。
台風や地震の方が遠慮をするのかもしれません。
2011年5月31日
(転載終了)
(転載開始)
Subject: 5 月 31 日の福島復興活動本部からの報告
今日は、福島復興活動本部に現地入りして9日目です。
以下に、今日の活動記録を記します。
午前中に大家さんの奥様、Yさん、F電気工事店さん、Kさんが本部に来ました。
大家さんの奥様が軽トラックで、湯飲み茶碗やコーヒーカップを20ほどもって来てくれました。
焼き鳥屋「天国」のYさんご夫妻が車で来られました。
10以上のカップなどに加えて、お茶の葉などをもって来てくれました。
チラシをさらにもっていってもらいました。
昨晩に続いて、F電気工事店さんがご家族で来てくれました。
切れてしまった店舗証明の配線を調べてもらいました。
蛍光灯の心臓部である安定機というものが寿命をむかえたことが原因だとわかりました。
前に切れたときも、別の安定機の故障が原因だったそうです。
20年ぐらい前の設備なので、全体的に老朽化が進んでいるようです。
故障した安定機を回路から切り離すことで、店舗証明がつきました。
今後もだましだまし使っていくしかないでしょう。
Kさんが一階の畳の部屋用のゴザと机と座布団を買って来てくれました。
ちょうどいいサイズでした。
Kさんは野外のテントなどを支えるための土を10袋ぐらい、土のうにつめていました。
プラスチックのごみ袋が大量にあったので、Kさんの車で検問所の手前にあるごみ捨て場まで捨てに行きました。
10袋ぐらいありました。
回収日は明日の朝です。
他の人のごみ袋もあったので、持っていってくれるでしょう。
二階の石油ストーブが点火しなくなりました。
新品なのに、なぜか単二の乾電池二本が切れたようです。
寒いので、石油ストーブは必要です。
そこでごみ捨ての帰りに、ライターを買いに、いがらし商店に行きました。
いがらし商店の前では、たまたま自転車を引いて通りかかった年配の女性と話しました。
避難所から一時帰宅するところだそうです。
20人ぐらい入れるお風呂があったり、3Dのテレビがあって快適な面もある一方、部落ごとに教室に入っているが、悪い人もいて、イジメもあると言っていました。
本部に戻り、石油ストーブがつくことを確認し、Kさんと別れました。
夜は近くの旅館に行き、お風呂に入らせていただき、ご主人と9時すぎまで話をしました。
本部に戻ると、Oさんがバイクで東京から戻ってきていました。
懐中電灯を2つ買ってきてもらいました。
今日のところは以上です。
昨晩落ちた電気は、F電気工事店さんに来てもらい、本日直りました。
なんとか今週末まで持ってくれるでしょう。
2011年5月31日
(転載終了)
(転載開始)
Subject: 6 月 1日の福島復興活動本部からの報告
今日は、福島復興活動本部に現地入りして10日目です。
以下に、今日の活動記録を記します。
お昼すぎにキャリアカーで車が本部に届きました。
仙台から来たとのことでした。
早速、車に乗りました。
ガソリンが半分以下だったので、まずはガソリンを入れに行きました。
ちょうど5000円で満タンになりました。
船引のトヨタカローラに行き、ETCの登録をしました。
スーパーで食料と文具等を買い、帰り道にある温泉によりました。
窓口に学問道場のチラシが置いてありました。
Kさんがインターネットで注文したパイプ椅子と机が本部に届いていました。
夜はチャーハンを作りました。
今日のところは以上です。
昨年日本でもNHK「ハーバード白熱教室」でブレイクしたハーバード大学教授のマイケル・サンデルが、震災について語った新刊を読みました。
サンデルは日本人が混乱の中、秩序と礼節を持ち行動したことをたたえるニューヨークタイムズの記事を元に生徒たちと議論をしていましたが、私は違和感を覚えました。
これは物事の一面だからです。
昨晩、近くの旅館でご主人に避難所での人々の行動を聞きました。
「これは福島以外の人には言ったことないのですが」と、決まりを守らず物資を泥棒していく人がいて、そのことが本当に嫌だったと話してくれました。
誰だって、自分たちのところのみっともない姿は他人には語りたくないものです。恥だからです。
だから報道されるのは美談か、表面的に見えることになりがちです。
汚点はその地域の人たちだけがひそひそと話しているものです。
この話も私がここに住んでいるからこそ、話してくれたことだと思いました。
心理学では、「日本人だから」「アメリカ人だから」ということは言いません。
どんな人種であれ、日常が破壊されれば、不満がつのります。
その不満を解消するために、感情的になってケンカをしたり、暴動を起こしたり、人の物を奪ったりします。
福島の人たちも、他の国での避難民と同じ行動に出ている人がいると聞いて、サンデルらが取り上げる「秩序と礼節を持ち行動した日本人」という心理学的にはおかしい報道の嘘がわかり、腑に落ちました。
(人種の差を強調するのは、エリートとスピリチュアル系の差別主義者、血統(家柄)主義者たち。)
物資が足りなければ、人間は暴力的になります。
軍隊から帰ってきた人を差し引いても、戦後すぐの日本人は暴力的な人が多かったと聞きます。
犯罪者数の統計を見れば、それは明らかです。
今回の震災後、日本人がサンデルらの言うとおり「秩序と礼節を持ち行動」できたとしたら、それは日本人が優れた人種・民族だからではなく、救援物資が足りていたり、避難先の生活環境がそれほど悪くなかったからなのです。
2011年6月1日
(転載終了)
下仲もとゆき拝