[516]福島旅行報告1:「放射能濃度が高いという話はだめですよ。住民の人たちが怖がるから。」避難所の男子高校生

川端優美子 投稿日:2011/05/08 01:10

群馬のゆみこ(川端優美子)です。2011年5月3,4,5日に[506]の大川晴美さんと福島県に行ってきました。3日は郡山在住の学問道場会員さんの案内で、ガイガーカウンターで放射線量を計りながら川内村の20km検問地点まで行き、4日午前は会員のあやめさんの案内で猪苗代の「世界のガラス館」へ、午後は裏磐梯の宿の避難者を訪問、5日は期せずして巨大避難所「ビッグパレットふくしま」を訪問しました。順序が逆になりますが、いま一番書きたい5日のビッグパレットふくしまでの体験から書きます。

5月5日、ニ泊した磐梯熱海(ばんだいあたみ)の旅館をチェックアウトしてコーヒーを飲んでいると、旅館のおじさんが「あの副島さんの報告文は、ここに置いていっていいんですか」と話しかけてきました。4月29日の副島先生の【[499](報告文 14) 原発事故の責任者たちを、どうしても裁判(刑事裁判も)に掛けなければいけない。住民が殺処分にされつつあるるのです。私は真剣に深刻にそう思います。】のことです。わたしが「当事者である福島の避難者に読んでもらわねば」と思って、7部コピーして持ってきたうちの2部を旅館のロビーに置いたものです。
(前日の4日に、わたしはその旅館に観光客風でない人たちがたくさんいることに気づき、一人に話しかけてみたところ、川内村から避難している人たちでした。その人に先生の[499](報告文14)を「これ読んで」と渡すと、食い入るように読んでいました。旅館のおじさんも、先生の報告文を見て、学問道場のウェブサイトを見たと言っていました。)

旅館のおじさんが、この旅館にも、周りの旅館にも避難者がたくさん滞在していること(福島民報より:「二次避難」始まる ホテル・旅館に県、宿泊費を負担:
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/04/post_104.html)、
郡山に「ビッグパレットふくしま」という避難所があることを教えてくれました。避難所で、旅館に避難したい人を募(つの)って、移動してくるそうです。「体育館のような避難所にいる人と、旅館に避難している人の違いは何ですか」と聞くと、「避難所からのほうが職場から近い、近所の人と離れたくない、子どもの学校があるから」などの理由だということでした。ビッグパレットふくしまにわたしたちが行ったら迷惑だろうか、とおじさんに聞いてみると「ん~、そんなことないんじゃない」と言われたので、思い切って行くことにしました。

磐梯熱海駅から郡山駅まで電車で15分、そこからタクシーで10分、ビッグパレットふくしまに到着。大音量でロックがかかっている。建物の外(前)の屋外展示場の端に自衛隊のお風呂があった。若い自衛隊員(じえたいさん)に声をかけると、練馬から来た第1師団だそうだ。福島は第12旅団の担当で、それの手伝いだとか。第12旅団って、群馬の自衛隊じゃないか。ありがとう。ご苦労様。

大音量のロックは鳴り止んでおり、自衛隊のお風呂の隣でプロレスをやってるのを見に行った。あの音楽は入場曲ね。リングの横断幕に「佐々木健介25周年記念 がんばれ東北」とあった。ああ、テレビで見たことある人だ。リングサイドには黒のジャージーを着た北斗晶(ほくとあきら・佐々木健介のお嫁さん)もいた。北斗晶って意外と小さいんだな。
取材に来ていたのは、脚立(きゃたつ)も用意している読売新聞(カメラ小僧のような望遠)、脚立なしの福島民友新聞、あとどこかのテレビ局。ボランティア・スタッフ風の黄色い上っ張りを着た若い男性に話しかけると、他府県から1週間派遣された市役所職員だった。「あなたは?」と聞かれたので「群馬から来た普通の人。マスコミがちゃんと取材しないから、あたしが来たんさ」と言うと、目が輝いて名刺をくれた。そして「マスコミはひどい。特にNHKが一番ひどい。避難している人に、どんな気持ちですか、とか無神経な質問をして、たくさん撮っていくのにひとつも放送しない」と教えてくれた。

次に、黄色い上っ張りのごく若いボランティア・スタッフ三人組に声をかけた。本人たちも富岡町からの避難者で、ボランティアをしている男子高校生。「ボランティアって、お金もらえるの」と聞くと、「無償です。ここにタダで泊めてもらって、食事ももらっているのに、そんなバイト代だなんて」と言う。こんなひどい目に遭(あ)っているのに、こんなこと言うんだ。でも、よくよく話を聞いてみると、やっぱり怒っている。「みんなイライラして、喧嘩(けんか)ばっかりですよ」と。そりゃ、そうだろうね。先の見通しもなく、もう二ヶ月近く経つんだもの。
富岡町の住人は福島県の三春(みはる)、郡山、大玉村、姉妹都市提携をしたばかりの埼玉県の杉戸町の四ヶ所の避難所に分かれているそうだ。高校生たちは原発から7kmとか1.3kmのところに家があるのだと言っていた。
「情報がないでしょう。みんなでまわし読みして」と、先生の[499](報告文14)をその子に渡した。するとその高校生は「放射能濃度が高いという話はだめですよ。住民の人たちが怖がるから」と言う(なんてしっかりした子だろう)ので、わたしは「違うよ、反対だよ。もう放射能はすごく低い数値なんだ。もう大丈夫なんだよ」と言った。「先生のレポート全部(ファイル3冊くらい)をここの人たちに読んでもらいたい。あなた宛に送っていいかな」とわたしが聞くと、「いいですよ。うちのお父さんは役場の職員だから、お父さん宛に送って」と言う。「お父さんがお役人なら、(内容が内容だけに)お父さんに迷惑がかかるんじゃないの」とわたしが聞くと、高校生は「役場の職員とか、避難者とか、そういうの関係ないですよ!」と言う。役場の職員も含めてみんなが避難民であり、同じつらい境遇なので連帯感が強いよう。

田舎は役場職員と言っても、みんなだいたいは住民と知り合い(同級生、ご近所など)なので、都市部とは感覚が違う。わたしも田舎に住んでいるので分かる。役場の人は基本的に住民に親切だ。わたしの父が確定申告に行くと、税務課の職員が「こうしたほうが得ですよ」とやり直してくれる。すると本当に何万円も税金が返ってくる。これを、一緒に旅行した東京在住の大川さんに話すと「税務課の人が税理士さんをやってくれるのね」とびっくりしていた。

プロレスも終わり、恐る恐る避難所の中に入ってみた。誰にも咎(とが)められずにどこへでも入っていけた。ちょうどお昼時で、食事の配給に長い行列ができていた。食事はコンビニのおにぎり、パン、カップラーメン、パック入りの野菜ジュースなどで、ニヶ月近く毎食これでは大変だなと思った。みんな廊下にダンボールでついたてをして住んでいた。まるで新宿のホームレスだ。わたしはこの二つを実際に見て、肌で感じて、先生が「戦争状態」と仰(おっしゃ)っていたのがやっと理解できた。本当に異常事態だ。

無料法律相談をやっているところにいった。日本弁護士連合会(日弁連)の弁護士さんが4人、東京から日替わりで来ているそうだ。大川さんが弁護士さんにいろいろと質問していた。どんな相談があるのか聞くと、国や東電を相手に住民が集団訴訟とかそいうのではなく、もっと細かい、住宅の二重ローンといった相談が主だという。わたしは「普通の人々は国や東電を訴えるとか、そんなこと考えられない、どうしたらいいか分からないのだ、だから弁護士さんたちが手伝ってあげてほしい」と訴えた。わたしは冷静に言えず、文句を言っているようだった。弁護士さん、ごめんね。日弁連では、今回の原発事故のことで国に対して提言をしている、というようなことを言っていた。わたしは興奮していたし、内容が難しいのでよく覚えていない。大川さんが「これは素晴らしい活動で、国民を代表してお礼申し上げます」と言い、わたしも一緒にお辞儀してそこを離れた。

すると、向こうから男性三人組が日弁連の弁護士さんたちに挨拶をしにやって来た。わたしたちは少し離れたところから様子をうかがっていて、挨拶が済んだ三人に「マスコミの人ですか」と話しかけた。すると、こちらも弁護士さんだった。さっきの日弁連の弁護士さんは「スーツを着た青白いガリ勉ちゃん」たち、こちらの三人は「日曜日のお父さん」二人と「日焼けしたチャラいお兄さん」一人。このお三人は人権擁護(ようご)派の弁護士だそうで、「さっき、わたしたちが入れる範囲で一番原発に近いJヴィレッジに行って放射線濃度を測ったら毎時1.2マイクロシーベルトだった。郡山でも毎時1マイクロシーベルトもあるのだから、住民の安全のためにもっと避難地域を拡大するべきだ」と言う。わたしたちが「国際基準で年間20ミリシーベルトまで大丈夫なんだから、毎時1マイクロシーベルトくらい大丈夫ですよ」と言うと、弁護士さんたちは「いや、年間1ミリシーベルトじゃなきゃだめだ」と言う。

弁護士さん:「親が放射線濃度の高い地域に残って住むと言ったときに、子どもを親の勝手で被曝させていいのか、という問題がある。」

ゆみこ:「子どもが親と離れて生きていけるわけないでしょう!」

この人、なに考えてるんだろう。まさか、子どもを親から引き離して集団疎開させるとか。もしかして、これがコミュニタリアン(代表・マイケル・サンデル)?「人権、人権」と叫(さけ)んで、よけいにひどいことをする人たち?不勉強でよく分からない。

弁護士さん:「20km圏外でも、20km圏内と同じか、それより放射線濃度の高いところがある。それなのに避難させないのは危ないでしょう。人権問題だ。」

ゆみこ:「ということは、原発から20kmで同心円を描いて避難させてるのは、放射線の濃度で区別してるんじゃないってことですよ!」

弁護士さん、ちょっとはっとする。

ゆみこ:「20km圏内に入らせない、罰則まで付けて入ってくるなと言うことは、あの中で、なにか日本国民に見せたくないことをやるんですよ!あそこに日本中の放射性廃棄物を持ってきてゴミ捨て場にするとか、米軍がやって来るとか、そういう話があるんです!」

すると、それまでわたしたちを「ダメだコリャ」という感じで引いてみていた一番年長の弁護士さんが「放射性廃棄物の処理場っていうのは、あるかもしれないな」と真剣な顔になって言いました。

そこで、弁護士さんたちは「マスコミの取材の時間だから」ということで、名刺をもらって別れの挨拶をしました。一番年長の弁護士さんは梓澤和幸(あずさわかずゆき)さんという、植草一秀先生の弁護士さんだそうです。「NPJ(News for the People in Japan)のウェブサイト見てよ」と言われたので、「じゃあ、副島先生の学問道場も見てください」と言うと、「ああ、副島さんとこの!」という反応でした。副島先生と植草先生は対談本出してるもんね(『売国者たちの末路』)。最後は和(なご)やかに挨拶できました。

もう帰ろう、ということで、外に出てタクシーに乗って走り出すと、もう避難所とは別世界の、群馬と変わらない普通の街です。郡山の市民からは、避難民は見えないようになっているみたいです。なんか、異常な感じです。

わたしが感じたのは、副島先生が学問道場で仰(おっしゃ)っていること(もう福島は大丈夫だ、家に帰ろう)は、まだ知らない人が多い、ということです。マスコミが使えないということは、わたしたちにできるのは草の根活動で広げていくことだと思います。副島先生はものすごい先生だけれども、わたしたちと同じ人間であり、一人しかいないのです。だから、みんなでお手伝いしないと!

わたしは、二年位前でしょうか、小沢一郎が西松問題(言いがかり)でひどい目に遭(あ)っているときに、はっと気づきました。いかに小沢一郎がすごい人であろうと、彼も一人の人間なのだ。体はひとつだし、選挙の投票権だって一票しか持ってない。議会で投票するときも一票だけ。だから、「小沢さん、お願いします」とスターにぶら下がってないで、わたしたち一人ひとりが具体的に小沢一郎を応援しないと、この革命を成すことはできないんだ。それで、わたしは陸山会に入りました。群馬の小沢ガール、三宅雪子衆議院議員の集会にも行きました。政治集会なんて怖かったけど、勇気を出して行ったら別に怖くなかった。原口総務大臣(当時)がゲストで来ていて、お話を聞くことができたし、それを報告文にして阿修羅サイトに投稿したら、みんながたくさん拍手してくれて、1位になりました。副島先生がそれを見ていてくださって、「これはいい」と、この重掲で紹介してくださいました。すごく嬉しかった。

それから、今日のぼやきの「1215」の動画(【動画】副島隆彦からの緊急提言。動物たちの殺処分だけでなく、福島の住民たちに対する、恐るべき政治的殺処分が行われようとしている。東電原発事故の責任者たちを追求せよ。)の全編をDVDに焼いて、たくさん焼いて、避難所の人や、旅館に避難している人たちに配ることはできないでしょうか。当事者があの先生の動画を見れば、何か思うはずです。  以上です。