[41]三国時代の道教、桃園の誓い、関羽信仰

ヒガシ(2907) 投稿日:2010/07/07 12:56

中国ネタが続き、興味深く拝見しました。私も触発され、調べたこと、考えたことなどを書いてみたくなりました。

1 三国時代の道教の日本への影響

ジョー(下條)さんは、[29]で以下のように書いています。

(引用開始)

劉備、張飛、関羽の三人が義兄弟の誓いをしたのが、この桃園(とうえん)の誓いです。ここから、義の思想のはじまったとされており、場所は河北省です。そして、そのすぐ近くの陝西省四川省あたりで、五斗米道の運動が同時期にありました。ここが事実上、「和気」の思想が生まれたところでしょう。

つまり日本の思想と中国の思想は出自の場所と時代をほぼ同じにしながら、二千年の時を経る間に、それぞれ独自の思想に変遷してきたとも言えます。ここに歴史の妙というか、不思議な歴史の仇(あだ)が見え隠れしています。

(引用終了)

確かに、ウィキペディアで「五斗米道」を検索すると、この道教教団は、蜀(四川省)で起こったとある。
蜀(四川省)は、劉備、関羽、張飛が治めていた。蜀から華僑として海外に出て行った人たちの一部も日本に流れ着き、(副島先生あるいは岡田英弘教授の説のように)日本人に同化していったかもしれない。このとき、道教、義や和気の思想が日本に入り込み、日本人の性格や文化形成に大きく影響したと考えられる。

なお、日本では、中国人のほか、朝鮮人やポリネシア系、中東系など様々な人種が流れ着いて混合、共存したため、和的な、なんでも混ぜる思想が一層普及したのかもしれない。

余談ですが、諸葛孔明(諸葛亮)も道教の人だったのでしょう。『三国志演義』で彼は、綸巾(かんきん)という帽子を戴き羽扇(うせん)を手にして四輪車に乗り、鬼神や天候をも操り、敵の意図を全て事前に察知し、天文をもって人の生き死にを知る事が出来る様々な占いや呪術などを使う。道士のイメージです。

2 桃園の誓いについて

「関羽伝」(新潮選書)今泉恂之介 著(2000年11月発行)から引用します。

(引用開始)

三国演義の開幕を飾るおなじみの「桃園結義」。この有名なエピソードは完全なフィクションとされている。p47

・・・三人は帽子を被り、袖の長い着物姿で、枡のような四角い箱を杯として酒を酌み交わしている。真ん中のテーブルには果物が置かれており、のどかな酒盛り風景といったところだ。
しかし三国演義には「天地に白馬と黒牛を捧げ」という日本人にはなじみにくい言葉も記されている。宴会のご馳走に肉が必要というなら別段の抵抗感はないが、神に捧げる生贄なのである。その昔の中国では、祭礼的な儀式に際して馬、牛、羊などを殺し、その首を飾ったり、血をすすったりする風習があった。おそらく遊牧民から伝わったものだろう。p47~48

 義兄弟という男同士の関係もまた遊牧民に由来し、当時は武士の間に流行していた風習とされている。現代の一般的な友人関係や企業内の人間関係とはかなり異質なものといえるだろう。「家族を上回る濃密な関係」「義兄弟になれば家族は捨てなければならない」「義兄弟の命はまとめて一つ」――。何人かの中国人から、そんな説明を受けた。現在の中国では、その実態は一般社会の影に隠れた裏社会に存在するという。日本でいえば「一家のためには身命を捨てて尽くす」というやくざの親分子分、または兄弟分の関係と似通っているようだ。p48

(引用終了)

3 関羽信仰には裏があるのではないか

ウィキペディアで関羽を検索すると、以下の記述があります。

(引用開始)

彼の出身地は中国最大の塩湖である「解池」の近くにあり、その出身地から塩の密売に関っていたといわれている。また、暴利をむさぼる塩商人を殺したともいわれている。

民間における関羽人気の広がりには、山西省出身の塩商人が関羽の評判を伝えて回ったため人気が広がった、とする説もある。

(引用終了)

また、関羽伝 (新潮選書)今泉 恂之介 (著)には以下の記述があります。

(引用開始)

山西商人が扱った主産品は当初、運城の解池で産する塩であった。漢代以降、塩は時の政府の管理下にあったが、密売して巨利をむさぼる秘密結社が出来上がっていった。ほぼ全土に及んだそのネットワークは、後に上海などに発生した「幇(パン)」という組織にもつながっていく。幇は英語ではギャングと訳されているように暴力団的な性格ももっており、現在、香港、マカオなどのやくざ組織に隠然と存在する関羽信仰はこの流れと考えられる。p247

(引用終了)

もしかしたら、関羽は秘密結社のネットワークをもち、塩の密売を他の勢力から守って、それを資金源にしていた。だからこそ商売の神様にもなったのではないか。
この結社の利益を守るため、劉備を利用したのではないか。このとき、劉備は劉姓を名乗り、漢王朝を復活し、逆賊、悪政を打倒するという大義名分をもち、天下を狙う地元の野心的な有望人物だった。彼を表に立て、彼と結社の契りを結んで時の権力者に対抗したのだ。などと想像してしまいます。
桃園の誓いの物語もフリーメイソンなどの秘密結社と同様の何らかの儀式を暗示しているのかもしれない。

一方、敵役の曹操は、中国人には評価が高いと聞いたことがある。自己の利益を優先する中国人らしいキャラクターから支持されているのでしょうか。

劉備らは、宦官の養子の子である曹操という官僚的な組織力がある(また能力主義的、覇権的、好戦的すなわち非平和的)勢力に対抗した。
もっとも曹操も宦官退治をしているが、曹操は皇帝の地位を利用した悪人であると演義では描かれている(副島先生の近著『小沢革命政権で日本を救え』でも、現代の日本の官僚が天皇を利用しているという、似たような構図の指摘がある)。

上記のように、桃園の誓いなどによる三国志の英雄たちのイメージは、私にとって、日本的な和気藹々とは、まったくかけ離れたものです。