[3572]ユーチューブに有る、感動の映画と歌たち。

副島隆彦 投稿日:2023/08/18 09:51

副島隆彦です。今日は、 2023年8月18日(金)です。
 断続的な、雨と嵐のなかで、お盆が過ぎた。天気、天候に、人口移動の大動脈の、交通機関が左右されるので、人と会ったり、お出迎えするだけでも、大変な気(注意力)の入れようだ。 それだけで疲れる。
 
 「嵐(あらし)も吹けば、雨も降る、女の道 よ なぜ険(けわ)し・・・・ここに幸(さち)あり ・・」という、確か大津美子(おおつよしこ)というシャンソン歌手が歌ったヒット曲がった。40年前には、結婚式で、よく歌われた曲だ。あとでお見せします。

 私は、ユーチューブを、ずっと見て、暮らした。仕事の原稿書きと資料調べも有るのだが、その合間は、ずっと、ユーチューブの歌を、聞いていた。 もう1か月、例の フランスの歌手、女優の ジェーン・バーキン Jane Birkin (76歳で、7月16日に死去)の「ジュ・テーム・モア・モン・プリュ」 以来、
ずっと、そこから導かれて、ずーっと You Tube を聴いて見て過ごした。

 このことはここの、ずっと 下 ↓ の方に書いた。 その途中で、4日間は、スーパーモデルの冨永愛(とみながあい)の追っかけをやりました。冨永愛(身長 179センチ) は、18歳で、パリコリ・デヴューしたとき、世界と世界水準を見て、知った。

 だから、もう日本国内基準の芸能界をすべて見破って、水準を知った。大地震、原発事故(2011年)のあと山本太郎(すでに国会議員)と数年、付き合っているから、日本政治の真実も、しっかり教えられたはずだ。私の冨永愛論は、そのうち発表する。

  私は、 ユーチューブを、ジェーン・バーキンから始まって、ずっと、その下のサムネイル (thumb-nail 親指の爪。~ sketch 寸評 。)たちを、次々に導かれるように開いていって、多くの動画に出会った。 まず、イタリア女優の大御所のソフィア・ローレン(まだ存命。80歳ぐらい)の 、この映画の公式プレビューを見て下さい。 みんな泣きますから。

(1)「 ソフィア・ローレン、Sophia Loren 「ひまわり Sunflower I girasoli~Love Theme~」ヘンリー マンシーニ Henry Mancini 」 110万回視聴 1年前にアップロード
 
https://www.youtube.com/watch?v=ElQzsTo2qoc

 副島隆彦です。この イタリア映画 「ひまわり」 I girasoli (イ・ジラソリ)は、旧ソビエトで、1970年に、始めて西側世界( the West ) が現地撮影を許されて、作られた映画だ。
 監督は、ヴィットリオ・デ・シーカ監督だから優れているに決まっている。 50年前に、日本人の多くを感動させた大作だ。今の若い人も見るべきだ。
この映画は、今、全国あちこち で、ウクライナ側を支援している人たちの間で、自主上映会が開かれていると聞いた。 この「ひまわり」は、1943年の冬に、スターリングラード(今はボルゴグラード)の戦いのあとの映画だ。

「ひまわり」

  旧スターリングラードは、今のウクライナ(ドンバス)を更(さら)に東の方に400キロぐらい行ったところにある。このスターリングラードの攻防戦で、ドイツ軍と一緒に、ファシスト同盟(日本もこれに参加の3国軍事同盟)で参戦したイタリア軍が、ボロボロになって敗戦して、退却する途中の、今のポルタヴァ あたりで、雪の中で倒れたイタリア軍の敗残兵たち、の中の生き残りと、それを家族が探し続けた話だ。
何とか夫の生存を探し当てて、行ってみたら。もうそこで新しい家族を作っていた。それを、大根役者のマルチェロ・マストロヤンニと、ソフィア・ローレンが演じた。

  ここで、出て来た、ロシア人女優で、小柄で真っ白い顔の女性が、リュドミラ・サーベリワエ だ。日本人で西洋映画の相当の訳(わけ)知りたちでも知らないだろうなあ。

 彼女は、このあと、ロシア版の「戦争と平和」にも主役の女優として、出ている。この映画の話も、そのうちします。オードリー・ヘップバーン主演のハリウッド版「戦争と平和」(1812年のナポレオンのフランス軍のロシアへの、愚かな侵略戦争)の向こうを張って、「こっちが本場、本物(トルストイ原作)だ」とソビエト政府が、頑張って作った映画だ。これも、私は、公立中学校の2年生の時に、ぞろぞろと街の映画館まで連れられて行って観ている。

 私、副島隆彦は、これまでに4冊、政治映画(ポリティカル・ムービ―)の専門家として、映画評論集を4冊出している。私は、映画評論もやっている物書きだ。政治映画の中に、当然、いろいろの国にとっての大戦(たいせん)である、歴史上の戦争を扱った映画がある。その国が国力を投入して作った歴史大作がたくさんある。

 ウクライナのドニエプル川の東の都市ポルタヴァは、ここは、1709年に、バルト海=大北方(覇権)戦争で、スウエーデン軍カール12世が、ロシアのピョートル大帝に大敗した場所。日本の知識人程度では、この重要なポルタヴァの戦いを知らないだろうなあ。

 今の南部、ザポリージャ州の戦闘地 のすぐ北だ。・・・戦争と言うのは、本当に悲惨なものだ。さっさと停戦(シース・ファイア)すべきなのだ。だけども人類は戦争をやめない。地球上のあちこちで、次々と起きる。いや、計画的に起こされる・・・。

 私のPCは、音声に簡単なスピーカーを付けているので、音質がかなり良く、かつ大きく出ることが分かった。昔の(今も)、ラジオを掛けっぱなしで、車を運転したり仕事をしたりしている人たちと、同じことが出来る。 昔の簡単なステレオ並みの 音が出る。

 今日は、私は、自分が、ユーチューブで次々に、見つけて、びっくりして、50年ぐらい前を、思い出して、感傷的になっているユーチューブ動画を、何本か貼り付ける。それぞれ、開いて動画を見て歌も聴いてください。 私、副島隆彦が、厳選したものだから、いい加減なものではない。 

 次が、私が死ぬほど感動した、かつての名曲と映画だ。ヒット曲だから、皆、メロディ(旋律、せんりつ)だけは、耳の残っている。

 私は、幼少から、ずっと文学少年だったから、今でも文学作品(小説)と西洋映画にはかなり執心(しゅうしん)している。だけど、日本の芸能界と大衆文化 を低俗文化だ、として、小馬鹿にして、相手にしないのが、私が属した、“ 朝日・岩波文化 ”だから、歌謡曲(ポップス)は聴かない。

 「巨人、大鵬(たいほう。有名な相撲取り)、卵焼き」のスポーツも嫌いだ。 相手にしない、というのが、日本のインテリ(知識人階級)の生き方の流儀であり沽券(こけん)である。

 ところが、それらの、自分と同時代のヒット曲のメロディが耳に残っている。街で流れている曲を、何気なしに聴いたその曲と、テレビ番組の断片と、名作映画のストーリーが、頭に残っている。それらを、今や、日本国民の総合文化研究家にもなった、私は、どうしても、ずっと取り上げて行かなければならない。これは私の運命だ。そうしたら、ユーチューブの出現があった。

 ユーチューブ(13年ぐらい前の、始めの頃は、私の弟子たちは、ユーツベと呼んでいた。まだ大した量は無かった。8年前からのスマホ文化で大爆発した )は、ただで、どれだけでも、私たちに過去の文化遺産の、映像と、歌を見せて聴かせてくれる。 まだ音楽会社が生きている場合は、勝手なアップロードに対して、著作権侵害だ、と、どんどん削除している。

 だが、もう、レコード会社(テイチクや、キング、キャニオン、コロンビア、グラモフォンや、東芝EMI、まだ有るの? たち)も、それから外国からの映画配給会社(ヘラルドやRCAやMGMや)も、撤退したり、廃業して、多くが無くなった。

 それで、これらの複製芸術(ふくせいげいじゅつ)の、映像や歌は、人類(人間全部)の、公共財産 (パブリック・プロパティ public property 1)だ、文化遺産(アーカイーヴ、archive  古文書館、記録文献保管所 )だ、ということで、 Google=YouTube が、自分たちの隠れ子会社たちを使って、「どんどん、載せてしまえ」で、著作権保護の法理を、突き破って、今の、誰でも、いつでも見れる ユーチューブになった。

 ネット(ウエブ Web )とメモリーと動画配信(エヌヴィデア。台湾の会社)の技術の進歩(このせいで、テレビ、新聞、出版業が、今や、存亡の危機だ)で、こんなことにになってしまった。

 それなら、私、副島隆彦は、それを逆手に取る。ユーチューブ上の作品たちを、どんどん、自分の言論の補強材料にして、自分の思想表明の道具(インスツルメント)してしまう。そのように決めた。私は、文字(文章)を書くしか他に脳(能力)が無いから、ここで勝負して、自分の思想と言論の生き残りをかける。

 次に、載せるのは、私にとっては、54年ぶり(高校一年生だった)以来の、感動の再会の作品だ。これとユーチューブで出会えて、私は、呆然(ぼうぜん)となった。
 
(2)「 愛は限りなく 原タイトル  “ Dio , Come Ti Amo “  「ディオ・コメ・ティ・アモ」 歌 ジリオラ・チンクエッティ 」  モダン・カンツオーネ 

https://www.youtube.com/watch?v=xwdZ_TnbsaA
愛は限りなく Dio come ti amo (1966)翻訳-感動のラストシーン

副島隆彦です。 この映画、Dio Come Ti Amo は、1966年制作のイタリア映画だ。この 「ディーオ・コメ・ティ・アーモ」は、直訳では、「神さま。私はこんなにあなたを愛しています」だが、イタリア語で、男女の愛のことを指す。日本語訳では、「愛は限りなく」となっている。  

「愛は限りなく」

 空港の管制塔から歌って(普通はあり得ないが)、旅客機で飛び立とうとする恋人を、最後に、飛行機を止めさせて、降りてきて、滑走路で二人で抱き合う、という映画の最後のシーンだ。 主役を演じて、歌っているのは、ジリオラ・チンクエッティだ。彼女の名前を知っている音楽ファンも、相当に減っている。最後に、2017年に来日して公演をしている。 

 私は、ずっと彼女の行方を知らなかった。この50年間の間に、何とか、あの映画と歌を手に入れようと探したが、CDやDVDは見つからなかった。ところが突然、このユーチューブで、54年ぶりに、私は、再会した。 涙が出て仕方が無かった。

 この歌を理解してもらう、即席のやり方は、以下の、日本人の歌手たちによる、カヴァー曲を聴くことだ。これで、一気に、この歌と、 原曲(元歌)を歌っている、ジリオラ・チンクエッティに接近できる。 このユーチューブ動画の下の方のサムメネイルを、探してゆけば、日本人の歌手たちのカヴァー曲に出会える。

 その中で、ピカ一、断トツにすばらしいのは、次の 倍賞千恵子の 「  愛は限りなく 」だ。これはすばらしい。倍賞千恵子の歌唱力に凄(すご)さに、きっと気づいている人は、気づている。全身、全力で歌っている。オペラ歌手たちに近づいている。

 倍賞千恵子は、映画「男はつらいよ」のフーテンの寅さん、妹のさくら役だけの女優ではない。生涯、真面目で、「下町の太陽」そのものだ。 聞いてください。これで、元歌の イタリアの 1966年の、Dio Come Ti Amo 「ディーオ・コメ・ティ・アーモ」のすばらしさに、一気に、接近できます。

(3) Dio Come Ti Amo  倍賞千恵子  愛は限りなく  Baisho Chieko カンツォーネ

https://www.youtube.com/watch?v=IMxupa1ZyGA

副島隆彦です。 もの凄く、上手いでしょう。すばらしい曲で、かつ、歌い手の倍賞美津子が、何といってもすばらしい。これで、「愛は限りなく」と、日本では呼ばれているイタリアの現代の歌のメロディをみんな、思い出したでしょう。

 私、副島隆彦が、この映画 Dio Come Ti Amo と歌を、見て聞いたのは、1969年で、高校一年生(16歳)の時だった。私は、この映画を、封切(ふうぎり)館の立派な映画館ではなくて、裏通りの いわゆる、「名画座」と呼ばれた、もうフォルムが擦り切れたような、粗い、白黒の映画の過去の作品を、全国巡回で放映している場末の映画館だった。300円ぐらいだったと思う。新作の人気作は、その頃でも千円ぐらいした。

 それ以来、私の脳の中に、ジリオラ・チンクエッティのことが残っていて、ずっと気になっていた。そうしたら、彼女が歌ってる様子が、ユーチューブの中で、どんどん見つかった。私は、ほぼ、一週間、これらの作品を狂って見ていた。

 本当は、この「愛は限りなく」Dio Come Ti Amo よりも、その2年前に、彼女が、16歳でデヴューしたときの、ユーロビジョンコンクールでの優勝したときに、歌の方が、私にとっては重要だ。それは、「ノ・ノ・レタ」Non ho l’età という曲だ。 
「ノ・ノ・レタ」とは、「私は、まだ若すぎる。あなたを愛するには、若すぎる。だから…待っていてください」 という歌だ。 これもすばらしい。この歌も、上の方に挙げた、映画の中で、ジリオラが、歌っていた。

(4)  [VIDEO] Gigliola Cinquetti   “Non ho l’età” (ESC 1964 Italy) – YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=iPykrIVrrsk

副島隆彦です。この 「ノ・ノ・レタ」については、今日はもう書きません。
それよりも、「愛は限りなく」に戻って、以下の日本の歌手たちによるカヴァー曲も、
自分で、倍賞美津子の 下の方に、必ず、探せば出て来ますから、次々に探して聞いてください。布施明、 と 岩崎宏美が歌っています。

〇 dio come ti amo<愛は限りなく>(布施明)
saku Sakura   9.2万 回視聴 6 年前 (自分で探してください)
〇 岩崎宏美「愛は限りなく」
hirorin2012   8.6万 回視聴 8 年前  (自分で探してください)

この他に、伊東ゆかりと西城秀樹も歌っている。皆、日本のポップス界で、番を張った人たちだから、それぞれに上手い。 この他に、シャンソン歌手の金子由香里(ゆかり)が、歌っている。私は、閉店する前の、銀巴里(ぎんぱり)で、金子由香里を、一度だけ聴いていてよかった。美輪明宏(みわあきひろ)は聴いていない。死ぬ前の三島由紀夫も出入りしていた。他に、シャンソン歌手の伊藤愛子と、佐藤まゆみ、と 茅(かや)俊子も歌っている。

この他に、このdio come ti amo<愛は限りなく> のフランス語版 や スペイン語版もあって、Paolo Turci パオロ・トゥルチ が歌っている。英語では、・・・が歌っている。Domenico Modugno ドメニコ・ドモウーニオという男のカンツオーネの大歌手も歌っている。

  ユーチューブは、世界基準だから、30年、40年前の現地のテレビ番組でジリオラ・チンクエッテイが歌っている映像もたくさん有った。彼女は、1947年生まれだ。だから、私よりもたった6歳上だった。みんな、こんな感じだ。

 世界中の大(だい)歌手も、有名な映画俳優たち も、みんな、私よりも10歳ぐらい上の人ばっかりだ。ジリオラも、もう76歳だ。 5年ぐらい前の大きなフェスティバルで歌っている動画も有った。もう70歳のおばあさんだ。ジリオラ・チンクエッテイは、言ってみれば、イタリアの美空ひばり のような立場の歌手なのだ。だけど、日本ではもう、ほとんど、誰も、知らない。

  彼女は、他に「悲しき天使」を歌ってヒットしている。 これは、日本語では、森山良子(もりやまりょうこ)が、日本語版で歌っている。森山良子も、上品な洋物の歌を歌った人だ。 演歌(えんか)や 演歌ぽいポップス、の俗っぽさが無かった。だから、その分
、人気が無かった。 そういう一連の歌手たちがいいる。歌手稼業も、まさしく人気商売だから大変だ。ヒット曲がないと生きてゆけない。

 ジリオラ・チンクエッティには、この他に、「ラ・ピヨージャ」 La Pioggia 「雨」という元気いっぱい行進曲のような、ヒット曲がある。「女の子は、(人生の)雨なんかには負けない 」という歌だ。これもいい。・・・もう、これ以上は、今日は紹介しません。

 上記の歌たちを、ユーチューブを開いて、何回も聴いてください。 みんな、いい歌だ。
私は、54年前にワープして(時空を超えて)、16歳だった自分に戻って、この映画と歌に再会した。 他に人たちも、きっと同じような体験を、今、しているのだろう。
 次回は、私は、「シェルブールの雨傘」と「ロシュフォールの恋人たち」とかを、紹介したい。 映画ならジュゼッペ・トルナドーレ監督の Malena 「マレーナ」だろう。

私は、一体、何をやっているのだろう?  副島隆彦拝