[3559]私の最新刊本 と ウクライナ戦争の最新の戦況。

副島隆彦 投稿日:2023/06/21 10:52

副島隆彦です。今日は、2023年6月21日(水)です。

 私のウクライナ戦争の 最新の戦況(せんきょう)分析を、6月15日に、「今日のぼやき」に載せました。読みに行ってください。

 この一か月、私は、ずっと自分の最新刊の 金融本を書いていた。疲れ果てた。たった一冊の金融本づくりに、手間取ってこの2か月を費やした。 最後の10日間は、我ながら、鬼気(きき)迫る感じになった。疲労困憊(こんぱい)、精魂(せいこん)尽き果てた。自分の知力、体力の限界だったが、なんとかやり上げた。 

(ここに この本の表紙と、アマゾンのページへのリンク を貼ってください)

米銀行破綻の連鎖から世界大恐慌の道筋が見えた

 この本は、発売が遅れに遅れて7月1日になった。読者の皆さんには、お待ちどう様、と申し上げる。著者である私の手元には、24日(日)に見本(みほん)本が届く。 
 たった一冊の、いつもの金融本と言っても、私に取っては心血を注いだ本だ。6月7日に最終的に私の手から離れた。最後は、私のキタナイ手書きの、いつもの、ぐちゃぐちゃのゲラ原稿への手入れだ。 

 ウクライナ軍の大反攻( 大規模の 反転攻勢 counter offensive カウンター・オフェンシヴ)は、6月4日の未明の、午前1時半から始まった。 分かったことは、大攻勢の中心の戦線は、南部ジャポリージャ州の 原発のあるところ(ロシア軍が占領している)の 東側あたりと、それと同州の東の端(はし)のドネツク州寄りの2方向から一斉に南下して、マリウポリとベルジャンシクの港 まで丁度、一直線に、100キロある、まで一気に到達する、という電撃作戦(ブリッツクリーグ)だった。それが失敗した。

 ウクライナ軍の、12個、合計6万人の兵力の予備部隊の、突撃旅団(とつげきりょだん。 assault brigade アソールト・ブリゲイド )のうち、まだ、温存している、残り6旅団を除いて、どうも3万人の 最前線の 強襲部隊が、ロシア軍に大敗北したようだ。

 この特別編成の攻撃部隊は、この1年間、アメリカとイギリスで、訓練を積んで、西側の最新兵器の操作、運転ができるようになった連中だ。
ところが、このウクライナ軍の、温存された、最精鋭の職業軍人たち( いやいや徴兵された、雑兵の兵隊たちではない )が、次々と最新兵器を置き去りにして、後方に逃亡している。誰も死にたくはない。 

 このあと、アメリカ軍の主力戦車である「エイブラムズ」(それでも20年ぐらい前の古い型)が、30両ぐらい、撃破されたら、もうウクラナイ軍は、これ以上、前進する気力を失うだろう。 

 プーチン大統領が、6月9日に、下から報告を受けて言った通り、「ウクライナ軍は、反撃に大敗して、ロシア軍の10倍の損失を出している」のとおりだ。「ウクライナ軍の攻勢の兵力の25%、1万人ぐらいを失った」なのだ。

 私が、今日のぼやき に書いた、6月15日での、「ウクライナ戦争の戦況(ウォー・シチュエイション)の最新分析」を読んで下さい。

 ロシア軍の 横に一線の ザポロージャ州全体の 第一次防衛線にも、まだ到達していないし、突破も出来ていない。それよりも前に、ロシア軍が、さっと2キロうしろに退いた。
 そこに幅2.5メートルの深い塹壕線が掘ってあった。そして地雷線(トリップ・ワイヤー)が仕掛けてあった。まさしく「飛んで火に入る夏の虫」だ。これにウクライナ軍は、真夜中に計画通り真正面から進撃して、まんまと引っかかった。米軍の暗視ゴーグルをしているから、自分たちは真っ暗闇でも前進できる、と慢心した。

 その塹壕線の上は、落とし穴の仕掛けになっていた。そこにドイツ戦車の「レオパルド2」と、米製の「ブラッドレー」歩兵戦闘車が、各所で、見事(みごと)に落ちて嵌(はま)って擱座(かくざ)して、そのあと、どうも日が昇ってから、ロシア軍の対戦車の攻撃(武装)ヘリ の「Mi 8 」と「Ka 52」に襲撃されて破壊されている。Su-34 「スホイ34」戦闘爆撃機にもやられている。

 始めから、航空優勢(air cover エア・カヴァー。昔の言葉で、制空権。こっちの方が、日本人には分かり易い)が、ウクライナ軍には無いのに、どうしてこういう無謀(むぼう)なことをするのか、私には、始めから(4月から)理解できなかった。

今のウクライナ政府は、英米のデープステイトの、完全な操られ人形 (puppet パペット)だから、途中で計画変更とか出来ないのだ。狂っている、としか言いようがない。

去年の2月24日からの、ロシア軍のウクライナ侵攻(特別軍事作戦)は、プーチン以下、ロシアの指導者全員が、罠(わな)に嵌(はま)って、英米の戦略に落ちた。周到に、2014年から、プーチンを誘(おび)き出して、我慢の限界を、越えさせたのだ。
プーチンは、「2週間で、首都キエフを制圧できる」という、西側(デープステイト)の高級スパイが潜り込んでいた、FSB(ロシア連邦保安庁)の甘い戦略に載せられた。

その後も、一か月(3月30日まで)に、キエフ攻撃の包囲網を解除して、ロシア軍は、一気に撤退(ウイズドロー)して、そして戦力をウクライナ東部(ドンバス地方)に、移動ささせて、ロシアの伝統の、長期戦の構えに、切り替えた。それまでの4月、5月まで、1000台以上のロシアの戦車と、3000台の装甲車や、軍用車が、ウクラナイナ軍の、対戦車ミサイルや、ドローンによって、撃破された。 このように、緒戦はロシアのボロ負けだった。 

だから、私、副島隆彦は、『プーチンを罠に嵌め、策略に陥(おとしい)れた 英米ディープステイトは、ウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』(秀和システム刊、2022年7月)という自分の本を書いて、細かく現状を報告した。今も、私のあの時の、この本以上に、日本国内で、ウクラナイ戦争の全体像を克明に描いた本は他にはない。そのように自負している。あの本には、サルマトという核戦争用の、ロシアの最新の核兵器のことまで、全部書いている。

 大反攻の 開始の6月4日から2週間が過ぎて、今日21日で、18日が経(た)った。ウクライナ軍の大敗だ。各所で、ドイツ政府が供与した、高性能の重戦車の「レオパルド2」が、合計で30台ぐいらが撃破された。

ウクライナ軍は、「8つの村を解放(奪い返し)した」という宣伝と、「2キロ前進した」と「合計で100平方キロメートルを解放した」ばかりを、公表している。占拠したのは8つとも、村(集落)だけだ(笑い)。 こら、「100平方キロ」 というのは、たったの、10キロメートル四方(しほう)だぞ。 
 ウクライナは大平原だから、見渡せば見える距離だ。 このたった10キロの進撃さえできないで、その前で、ウクライナ軍は、止まっている。このあとの彼らの運命は、どうなるか、だ。

 米製の主力戦車の「エイブラムズ」の突撃旅団(機械化部隊。 昔の、戦車隊から成る 機甲師団=きこうしだん=だ )が、このあと、まとまって30台ぐらい、ロシア軍に撃破された映像、画像が、出たら、もう、反共右翼の、「ウクライナ、頑張れ」の戦争オタク、反共キチガイたちも、しゅーんとなるだろう。

 それでも、アメリカの兵器企業、軍需産業にしてみれば、どんどん兵器、武器が、破壊されて、消費されれば、こんなにいいことはない。
最新式の兵器の新製品を、どんどんこれからも作れるから、儲かって、儲かって仕方がない。

 これが、現代世界を支配している、ワルたちの資本家の魂だ。まさしくデープステイト、一昔前の言葉では、「軍産複合体(ぐんさんふくごうたい。 ミリタリー・インダストリアル・コンプレックスが、今の世界を支配している)と、 アイゼンハウワー大統領が自責の念に駆られて、1960年の退任直前に言い放ったコトバ)だ。 

 ウクライナ人が、どれだけ死んでも、知ったことか。 自分たちが作った兵器が、どのように撃破され破壊されるのかの、実証実験(じっしょうじっけん)が、まざまざと出来て、大変、大喜びだろう。デープ・ステイトというのは、そういう連中だ。

 それを、世界民衆の側から、叩き潰しにゆく、時代が、遂に来たのだ。私、副島隆彦は、この国で、自分の命のある限り、最先頭で戦う、と決めている。だが、それでも、私は、国家戦略家だから簡単には動かない。

 ザポリージャ州やドネツク州(バフムートと、マリインカ と、ヴェルカノヴォルシカ、とアウディーイウカの戦線 )の  斥候拠点(ストロング・ポイント)よりも後方の、町、小さな都市の入り口にびっしりと、敷いてロシア軍 の第一次防衛線にさえ、ウクラナイナ軍は、まだ一か所も到達していない。 
 「そこまで、まだ10キロある」だと(笑い)。だから「ウクライナ軍、頑張れ」で、追い詰められた、かつての阪神タイガーズ・ファンの、絶叫する応援団みたいになっている。

 日本のテレビ局の、 テレ朝も、日テレも、TBSも、それから、統一教会(Moonies ムーニー)そのものと化している フジ・産経も、 そこに出演している、馬鹿ども(防衛研究所の連中を含む)も、今や、重苦しい、雰囲気になっている。

 司会者の女たちも、私は、テレ朝の 上山千穂(うえやまちほ)が、好きだが、もう、勇ましそうに燃えるこの女でも、困り果てて、もう呂律(ろれつ)が、回らなくなりつつある。 

 テレ朝の報道ステーションの、あのドラえもんが、最近、誰を出演させて、何を言っているか、私は、まったく知らない。なぜなら、報ステ、は、ほぼただの、安売りを、ヤフーにしないからだろう。

 このあと、この人たちは、テレビ局、丸ごとまとまって、横一線で、隣りの局のことを気にしながら、どうやって、言い訳、弁解、居直りをしながら、自分たち自身の、偏向(へんこう)報道を、胡麻化(ごまか)しながら、「ロシア側の発表も、公平に扱わないといけない」という、報道局の下積みの社員たちからの、抗議と提言があって、態度を、少しづつズラしながら、「ウクライナの反転攻勢、頑張れ」から、惨(みじ)めに、みっともなく、撤退してゆくのだろう。

 元々、こういう、反ロシア、反中国の、反共右翼(はんきょううよく)体質の連中だ。日本の支配勢力(すなわち、アメリカの手先集団)そのものの意向を受けて、自分たちも、日本のエリート階級の一員として、 デープ・ステイト  the Deep State に、徹底的に忠実なのだ。

 日本国民は、黙っている。 「戦争はイヤだなー」と思いながら、じっとして、何も言わないで、知らん顔をして、自分の目先のことだけで、生きている。戦争に成れば、苦労をさせられるのは、自分たち、民衆、庶民だ、と腹の底から、本能で分かっている。だから、テレビなんかには、踊らされない。民衆(一般国民)は、反共右翼ではない。

 一体、ウクライナ戦争がどのように行われているか、さえ知らない。それよりも、広末涼子(ひろすえりょうこ、42歳)の不倫と、中年女性の自由な生き方のことに集中している。

 私は、これまで、自分の本の一冊、一冊、手を抜かないで自分で書いて、作って来た。それで、この40年間(30歳から)もう230冊ぐらいを書いて出した。私は先月70歳になった。私が、死んだ後、これらの本が残る。 いい加減なつくりの、頭の悪い人間たちが書いた本は、消えて無くなる。

 自分で一行も書いてもいない著者たち(ふざけた人間どもだ。こんな者たちでも、テレビ有名人を気取っていた時代もある)もいた。そういうことをたくさん、やったから、今、テレビ、新聞紙(がみ)に続いて、紙の本の出版業界も、死につつある。私は、自分が所属する、この出版界の裏側の裏側まで、知っている。

 来年(2024年)には、日本の本と雑誌、漫画の取次(とりつぎ)の大手の、以前は最大手だった日販(にっぱん)が、全国の書店へのトラックでの配送を停止する。これを、「出版業界での2024年問題」と言う。ということは、日販は、静かに死んでゆく、ということだ。そうすると、あとに残るのは、東販(とうはん)だけということになる。

 あとは日本市場で、勝手に横暴(おうぼう)を極める、アマゾンだけだ。アマゾンは、「出版社は、本が出来次第、直接、印刷屋から、市川(いちかわ)のアマゾンの倉庫に、運んで来い」(これを、直送=ちょくそう=と言う)という態度である。

 アマゾンの、このアメリカ帝国の力を背景にした、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に、日本側は、為す術(すべ)もなく、この20年が過ぎた。今、一冊の本の売り上げの、30%(3割)は、アマゾンからのネット販売だ。こういう厳しい業界で、私、副島隆彦は生きている。それでも、私は、まだ生きて生活している。全国に、私の本が出たら、文句を言わずに、買う人たちがいるからだ。

 他のほとんどの、日本の本書き、言論人、大学知識人たちの本は、小さく成り果てて、とても、国民文化 と呼べるものではない。テレビに出て、発言している、評論家や教授たちの本は、出しても、3千部ぐらいしか売れない。だから潰(つぶ)れかかっている、ほとんどの、旧来の威張っていた、出版社たちでも、渋い顔をして、もう、彼らの本を出したがらない。

 だが、それでも、次々と出すしかない。そうやって業界が今も、不思議なことに生き延びている。 「誰が、一体、こんな分厚い、400ページもある学術書を、読むんだよー。いい加減にしてくれよー」と、当の 出版社の編集者たち自身が、毒づきながら、自分自身が愚鈍だということも気づかずに、誰も読まない本を、作り続けている。

 これを、惰性(だせい)という。この惰性のことを、物理学では、慣性=かんせい= inertia イナーシア と言って、 the law of inertia ザ・ラー・オブ・イナーシア 「慣性の法則」と言う。

 私が、13歳(中学生)の時から、ずっと憧(あこが)れて、見上げて来た、岩波書店、朝日新聞の日本の左翼インテリ勢力 を、“ 朝日・岩波文化”と 言うのだが、もう、あばら家のようになっている。 岩波書店の、正社員で、30台で、手取りの給料が20万円代だそうだ。このかつての日本の出版社エリートの頂点たちが、餓死寸前のような感じだ。

 東京の神田の近くの、小学館(漫画、アニメで、旺盛に生き伸びている)に、建物(本社ビルも)を次々に売却して、岩波書店は、今も、竹の子(タケノコ)生活をしている。見るも無残である。かつての、インテリ大衆(中学校や高校の教師たちが、その中心だった)は、皆、80歳台になって死んでいった。 私、副島隆彦は、それらを、茫洋、亡羊(ぼうよう)として、眺めてやる。私もまた、この朝日岩波文化の一員として、死んでゆくのだ。

 亡羊(ぼうよう)というまさしく、その言葉の通りの、光景を、私は、10年前に、モンゴル国の、首都のウランバトールから、100キロぐらい先の、草原と言うよりも、乾燥した岩石砂漠のゲル(中国語ではパオ)の村から、遠くに、羊の群れが、自主的に、自然の水飲み場で飲んで、そのあと、いつの間にか、遠く10キロぐらい先に去ってゆく姿を、私はみた。ふと気づいたら、次の群れが、ずっと後方からやって来るのが見えた・・・。 その他ぶつぶつ。

 あとは今日のぼやきを読みに行ってください。他のことは、また、すぐに書きます。 副島隆彦拝