[3545]「ジパングは黄金の島」の根拠

守谷健二 投稿日:2023/05/07 13:03

マルコポーロの『東方見聞録』に「中国東方海上に、黄金と真珠を豊富に産出するジパングと言う島国がある」と書かれている。このジパングは日本のことだと言う。真珠の採取は、『万葉集』の歌にも多数あり納得のゆくものであるが、黄金の方はどうだろう、奈良時代東大寺の大仏を作る際、聖武天皇の悩みは、大仏を荘厳するための金が絶対的に不足していたことであった。

この時は、偶然に陸奥の国から黄金が発見され、黄金で飾ることが出来た。しかし奈良時代平安時代を通して、陸奥以外に大金鉱が発見された痕跡はない。

奝然が宋の皇帝太宗に献上した黄金(銅器十余事の中身)も、陸奥国からの貢物であった。(982年、陸奥国に宋人に給する答金を貢上させる。岩波・日本史年表第四版)
日本で、溢れるほどの金が取れてたとは考えられないのだ。ジパングの黄金伝承は、いったい何に基づいているのだろうか、これが私の少年時代からの疑問であった。

しかし今、正史『新唐書』・『宋史』の日本記事を知った。東大寺の僧奝然は、膨大な黄金を持って行ったのだ。『旧唐書』の日本記事は、平安時代の貴族に大衝撃を与えたのである。王朝の正統性の根拠は、神を祖とし、血の断絶のない「万世一系」の天皇の家系の歴史にある。つまり日王朝の交代)がなかったことである。

しかし『旧唐書』は、七世紀の後半に日本に王朝の交代があった、と書く。許せない事であった、見逃すことの出来る問題ではなかった。中途半端な対応では済まないことであった。王朝が存続出来るか否かの問題であった。

日本の王朝は可能な限りの黄金を集め奝然に持たせて宋に渡らせた。『旧唐書』の日本記事を書き換えてもらうために。日本の陸奥国には黄金があふれ出る金鉱山が存在する、と大言壮語して。新たな「史書」の完成時には今回以上の黄金を献上いたします、と。

988年には、奝然の弟子の嘉因に膨大な宝物を持たせて宋朝に派遣している(日本史年表)。日本の王朝は、何が何でも『旧唐書』の日本記事を否定する新たな「正史」を欲したのであった。
この日本の願いと、宋朝の台所事情(毎年膨大な金銀財宝や食料、美女などを北方の遊牧民国家に納めなければならなかった)がジャストマッチしたのだろう、宋朝は『新唐書』を編纂したのであった。

1060年の『新唐書』の完成は、天武十年(681年)、天皇の命令で始まった『日本書紀』編纂の完結を意味する。『日本書紀』は、その第一の読者に中国の唐朝を想定して創られた「史書」である。天武の王朝の正統性を唐朝に認めさせるために書かれた歴史だ。

日本では『唐書』と言えば『新唐書』を指し、『旧唐書』は、完全に隠蔽されてきた。
しかし中国では1065年編纂を開始された『資治通鑑』(史実に忠実であると極めて信頼性が高い)は、唐代の記事は『旧唐書』に依拠し、『新唐書』には目もくれていないように『新唐書』は完成当初から軽蔑の目で見られる歴史書であった。
奝然の献上した黄金と、日本の陸奥にある黄金を溢れるように産する大金山の話が三百年後のフビライハンの王朝まで伝わりマルコポーロの『東方見聞録』の黄金伝承に成ったのではないか。
 またフビライの日本に対する異常な執着(二度に亘る元寇)の根底にあったのも奝然の献上した黄金にあったのではないか。
仮に『新唐書』がなかったなら、天皇制の王朝は平安時代で終わっていたかもしれない。